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心配の種子
t h e s e e d s o f a n x i e t y
薄暗い執務室の中で、その赤はひどく生々しい光をこぼしている。
それは死体の切り口から流れ出た固まりかけの血の色。ただ不快に映るだけだ。
「どう思う?」
黄泉が尋ねる。
「紅玉石だろう。」
質問の意味することが明確に示されなかった。よって答えられることばはこれだけだ。
オレは黄泉の部屋に呼ばれることが多い。だからといって何をすることもない。ただ居て、ただ適当に手にした本を読んで、下がれといわれるまでの時間を流れるままに過ごす。なぜそうしなければならないのか、奴の真意は分からない。それでもオレの空気を感じることで奴の気分が満たされるなら、今は思うままにさせるべきだと思っている。
黄泉の部下の中にはそんなオレの行動をみて、国王の色だと噂する輩もいる。もちろんそれは馬鹿げた空説だし、その話を奴に漏らしたときには尋常ではなく笑い転げられ、それは傍からみても不愉快な程だった。噂自体は特に気に病むことではない。結果的に実力で台頭してきた勢力だというレッテルが削がれるという利益が生まれ、反って動きやすくなるだけのはなしだ。
「厭な色だ。」
それだけをいって、オレは読み終えた政治論を本棚の元の場所に戻した。黄泉は手にしていた直径三センチはありそうな毒々しいルビーをカタリと執務机に置くと席を立ち、そのまま背後にある窓の外、どんよりと重い雲が居座る魔界の空を眺める。いつものように何かいいたげな背中をみせて。オレは本棚に添えられた脚立に座り直して奴のことばを待った。
「貢物だそうだ。」
短く区切っていたが、それだけで先の奴の問いにも少しは合点がいく。
「よい傾向ですね。」
今朝、遠国から使節が訪れた。相手は無名の小国だったが国王は誠意をみせ、迎賓を自ら行った他、直接対峙しての会談を実現させたのだった。帰り際、使節役の男が恐れ入りながらも随分感激していた様子だったが、オレにいわせれば単に奴の機嫌がよかっただけなのだろうと思う。
その使節が小振りだがたいそう立派な包みを携えていた。貢物だ。きくところによると、その小国はそれ程強い民族の集合体ではないが、大規模な鉱石高山を有していて、そこから採掘された宝石の原石を宝飾品にまで加工する高い技術を身につけることで生き残ってきたらしい。ただ時代の風向きが変化するにつれ、それだけでは国を維持することが次第に難しくなっている。使節が送られた目的は自分たちが生き残る最後の砦、強国の同盟につき守護を固めること。そういってしまうと格好はいいが、実際は同盟とは名ばかりの支配下国家ということになり、今までバランスがとれていた政治体系諸々が上に吸収され、国としての形はいずれ姿を消すことになるのだ。
紅玉石は貢物の中に含まれていたものなのだろう。この世界には贈賄、収賄という概念が当たり前に存在する。弱者が生きる術として確率している制度。それだけ『ここ』の住人は生きるという行為に貪欲だということか。
「数ある国の中からあなたを選んで訪ねてきたのでしょう。それだけの支持を得る何かが存在するという立派な裏づけになると思いますが。」
率直な意見を述べた。公私混同を避けるつもりでことばを選んだが、黄泉はそれが気に食わないらしい。不機嫌混じりに吐息を吐く。他人の目を気にする必要がない場所でも雇用関係の距離を置いてしまうことが、奴の目にはただよそよそしく映るだけなのだろう。そうつれなくするなと何度となく注意されるのはそのせいだということは分かっている。
オレの態度が影響してか、それともこれが本心なのか、黄泉のことばは冷ややかだった。
「何かにすがらなければ生きることもできないような連中だ。奴ら自体は捨て駒にすらならない。ただ、所有しているものは大きい。新たな財源としてだけは可能性が未知数といえる。」
心が凍る思いで黄泉の背中をみつめる。
「ふっ、好都合だ。今は吸いとれるだけ吸いとるさ。」
奴がそういい終えたとき、オレは眉をひそめることを隠せなかった。
「何だ?」
「……おことばですが。」
この態度はさすがに奴の気に障ったのだろう。僅かに振り向いた横顔が苦々しげだった。
オレは今は開かれることがないまぶたを見据え、諭すようにいう。
「独裁者は身を滅ぼす。」
……いいたいことは山程ある。しかし、次を続けることができずそのまま目を逸らしてしまうに至るだけの差が黄泉とオレにはあった。
張り詰めた空気。
痛い程の静寂を破り、黄泉が静かに笑い出す。
怪訝なオレを余所に、奴は振り返ると自嘲気味にこういった。
「おまえにそんな顔をされるのはいつ以来だろうか。」
「……。」
「昔の俺は、おまえがなぜそんな目で俺をみるのか、理解できずにいた。」
黄泉がゆっくりと歩み寄る。
「だが今は分かる。」
傍らまで来ると、伸びてきた左手がそっと髪に触れた。
「……俺が心配か、蔵馬?」
「……。」
何度か髪を指に絡ませて弄んだ後、その指が頬を伝う。虫唾が走る程冷たい感触。動くこともできずにくちびるを噛んで堪えるが、指は動きを止めない。
そう、オレの反応を楽しんでいるのだ。抵抗できない者を嬲るように。
「オレは……。」
指先がくちびるに触れようとしていた。その寸前にようやく開いた口で、オレがいえるはただこれだけだった。
「オレは、自分の役割をまっとうするだけだ。」
黄泉の動きがぴたりと止まった。
「だからおまえの心配などしない。」
「……。」
奴は何もいわない。
何も音を立てない。
静かすぎる空気は重苦しく、時計の秒針すら永遠を刻む。
時間は奇妙に長さを変えて、決して逃れられない世界にふたりを追い込んでいる。
誰かにもう逃がさないといわれ、もう逃げられないことを悟っている……。
「……分かっているさ。」
しばらくの間を置いて、黄泉はそれだけをいった。そして事実を忘却するように身を翻す。
「もう下がっていい。」
大窓の外を眺める背に寂しげな影を匂わせながら奴は命じる。
「きこえなかったか?……これ以上長居すると危険だ。」
金魚の水槽
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