Date
2 0 0 3 - 0 3 - 1 6
No.
0 0-
点と円、境界線
' I k n o w t h a t . '
風呂から上がり、キッチンで冷蔵庫を開ける。開けた後に、次に取るモノを迷いでもすれば、
「コラ、また開けっ放しにして。」
「……。」
母親の小言をきくことになる、日常生活。
「開けっ放しにはしないよ。冷茶を取ったらすぐに閉める……。」
「減らず口はいいの。」
「『まったく、誰に似たのかしら?』?」
「……。」
「冗談だよ。またコワイ顔して……。怒るとシワが増えるんですよ、シオリサン。」
父さんの真似をして。叱られる前に話題を逸らさねば。
「ねえ、何作ってるの?」
バスタオルで髪を拭きながら、冷茶の缶を手にガスコンロの鍋を覗く。
「これは。今日買ったお大根に葉っぱがついてたから……。」
そう説明する彼女は、常備菜を作るのが好きだ。褒めるわけではないが、彼女の作る料理は美味い。いつもは年相応に悪ガキな振りをして「まあまあだな。」な評価を下しているオレも、この世界でこの世界のよさを実感できる瞬間のひとつが、母親の手料理だったりするのだから。他人がきけば、マザー・コンプレックスもいいところ。しかし、実際オレからみた彼女の印象は、いつの頃からか同等かそれ以下だ。もちろん、悪い意味ではなく。それは「=守るべき存在」として。彼女はオレよりも年下のかわいい女性だ。
これもいつの頃からか。「守るべき」の主語が「オレが」だったものが、彼の存在に取って代わられた。
リビングのソファに座り、濡れた髪を拭う。片手で缶のプルタブを開け、同じソファの上に打ち捨てられた本日の夕刊など、広げてみる。
彼=父親はテレビでプロ野球中継をみている。オレは冷茶を一口、それに気づいた父さんが、テーブルの上の飲みかけのビール瓶を示し、
「何だ、秀一はお茶か。どうだい、一緒に……。」
その先、続けるとシオリサンに怒られますよ。思うから、こちらもすぐに話題を逸らすことにして、
「父さん、ツーベースヒットだって。」
「おお!これは次で逆転か……!」
父親というのは元来肩身の狭い生き物で、息子が出来たなら、いつか堂々と晩酌を共にできる時代が来ることを待ち望むものらしい。彼にとって、その対象は数年前までは弟の秀一だったものが。ほんの少しだが年齢の近い息子が出来たことを、彼は素直に喜んだ。彼は、オレの彼らの再婚に対する賛意を感謝し、オレはそれと同じくらいの感謝を彼に思った。
だから時々勧められる晩酌も、成人したなら喜んで応じようと思う。
ただ、今は母親のシワが増えないように、ネコを被っているのも大切な役割だと思う。
夕刊の一面は平和そのもの。次面のクロスワードは既に手がつけられた後で……、
「兄上、パジャマの前ボタンが開いてるよ。」
時折弟がまとわりついてくる、日常生活。上から二段くらいは許して欲しいな。
新聞を更に次面へ進めながら、気のない呟きでソファの隣へ弟を迎え入れる。
「『兄上』って……、大河ドラマの影響か?」
「っつーか何となく。」
秀一は少しはにかみながら、「……『兄さん』って呼ぶのって、ちょっと照れ臭いよね。」といった。
オレも少し笑ってフォローを入れた。
「『パパ』って呼んでもいいんだよ?」
「……そ、それは遠慮しときます。」
地獄耳な彼女(=母親)は、
「『母さん』も、本当は照れ臭いのかしら?」
キッチンから会話に参加。秀一は迷いつつも素直に答えた。
「うん、ちょっとね……。」
「じゃあ、今日から私も『母上』ね。」
何を喜んでいるんだか……。すると今度は父親が、
「父さんは?」
「父さんはー、『父さん』。」
「あっそう……。(T_T)」
きっぱりいい切るが、それは仲間外れとはいわないのか、秀一くん……。
オレと同名のこの少年を、オレは弟として以上にかわいがっている。
……と、少なくともウチの「母上」は気づいているらしかった。何が心配なのか機をみては指摘されるが、確かにその通り、思い当たる節は多大に在るから否定はしない。無駄な策を練る程ひねくれていない彼には、そうしてやる価値が充分あった。
当初こそオレの存在を毛嫌いしたものの、今では意味も会話もないまま、なぜか隣に座っていたりするマスコットのような弟を。普通の兄弟なら、十四、五の弟に懐かれたところで、ただ鬱陶しいだけなのかもしれないが、オレは父親よりも高い視点で眺めることを否めないのだった。そして、その理由も何となく分かっていた。
悔しいが、これは黄泉の影響だと認める。同年代で子持ちの友人は奴だけで、他には魔界ではもちろん、人間界にも居ない。ひとりの女にも興味を示さず、情という情に尽く無縁だったあの男が、オレよりも先に父親になるなんて。あの頃の誰に想像できただろう?道化好きだった昔の幹部がきいたなら、『泣いて鼻水垂らすぜ。』だ。
「湯冷めするよ。」
育ちのよい弟は、いつまでも胸の開いていることが気になるらしい。「いいじゃない、セクシーで。」と一蹴しようと思うより先に、遠くから地獄耳な母親に止められた。
「だらしないから閉じなさい、秀一。」
『閉じなさい。』って、オレ、本じゃないんですけど……。
「ねえ兄上。何みてるの?」
「んー?こうこく。」
平和な世界の夕刊には、明日から封切の映画がずらりと並ぶ。
「あ、この映画ー。試写会に行ったヤツが面白いっていってたよ。」
「へえ……。じゃあ、今度の日曜辺り一緒にみに行く?」
「え。いいの?」
「キミの都合がよければね。そうだな。早起きして初回に間に合うように入館して……。」
「ええー、それって学校行くみたいに早いじゃん。」
「何をいってる健康な若者が。優しい兄上に映画をご馳走して貰うんだろう?贅沢いうなよ。」
「ついでに昼飯もおごってくれたらもっと優しい兄上になれるよ。」
「……おまえはホント怖いモノ知らずだな。オニーチャン、ターミネーターみたいに強いんだから。キミの首なんか、指一本で胴体から離れるよ。」
「あはは。兄上、また変なこといってるー。」
いや笑いごとじゃなくてね……。
新聞を畳んで冷茶を一口。忘れていた、まだ乾かない髪も拭いて、
「ほら、風呂空いたんだから入ってしまいな。」
と、忙しなく手を動かしながら隣の秀一をみるが、
「?」
彼は、なぜかオレの横顔をじっとみつめていた。そして、何かに気づいたようにゆっくりと手を伸ばし、
「これ……。」
触ってもいいのか悪いのか迷う距離を取って、その手はオレの頬に触れる手前で止まった。
「何?小さいハゲでもみつけた?」
ジョークに紛らせて理由を問う。
だが、次に彼の口から出た答えをきいてしまっては、少々衝撃を受けないわけにはいかなかった。
「傷がある……。」
────彼はいった。
傷、という響きから、オレの連想は直ちに「過去」に行き着く。恐らく、数年前に何かの戦闘で負った傷。もちろん、とうの昔に癒えている。今では思い出すこともなく、鏡でも余程気をつけてみなければ分からない程の……。
薄くなった傷でも、近くに寄ると光の加減などで分かってしまうのか。
一気に現実に引き戻される、そんな感覚だ。
答えを待つように、秀一はオレの目をみていた。適当に誤魔化せばいい、思いながらも一度窮すとその先のことばが出てこない。オレは苦笑した。
一仕事終えた母親が、タオルで手を拭いながらリビングへ戻ってくる。
「傷ってどこに?」
オレが何もいわないせいで秀一も何もいえない様子だったが、正直な彼は視線もまた正直だった。
「あら、そんな傷あったかしら?」
彼女はオレの正面に回ると、遠慮なく顔を近づけ、不思議そうにオレの頬を覗き込んだ。どうやら、古傷はオレの幼い頃のものだと思っているらしい。
「そんなモノ眺めに来るなよ……。」
「だって気になるもの。私がつけたのかしら、その傷。……ああ憶えてないわ。」
さて、本日はそろそろ引き上げ時かな。もう少し、お遊戯に興じていたかったけど。
冷茶の缶に口をつけ、
「愛しいヒトに寝首を掻かれ損ねた痕だったりしてね。」
バスタオルを連れて、オレはリビングのソファから退いた。
金魚の水槽
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