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charisma


 その国では今日も民が武道の修行に励む。なぜそうするのか。或いは、なぜそうしなければならないのか──誰もが日に一度はそれを思う。そして、すぐに奮い立つ。いや、思いを断ち切る、といったほうが表現としては正しいのかもしれない。なぜならそれは、国王のために何をすればよいかを考えることと同等の価値を持つから。我等が敬愛する国王のために。
 強くなる。ただそれだけが、自らに課せられた義務であるかのように。それを行っても、国王の強さには爪の先にも届かないと分かっていても。
 守りたいと、思う。
 現実の敵からではなく、彼の魂を今にも切り取り奪い去ろうと、虎視眈々と狙い待つ死神の手から──

 不図み上げる空を、一匹の昆虫が飛んでいく。茜色の空にたなびく薄雲を背景に、小さな影が黒い点となってそれを横切る。脇目も振らず。一直線に向かう先には──国王の居城。
「あれは躯の手の……。」
 偵察虫、と誰かが声を上げた。周囲の空気が一気に緊張に包まれる。
「正面から堂々と。」
 と歯噛みする者。
「莫迦にされたものだ。」
 と吐き捨てる者もある。
 そんな中、双目の上に右手をかざし、目を細めて確認しようとする者がある。あれは確かに躯の国の偵察虫。しかし、その足には何やら丸い物体が抱えられている。
「射落としてやろうか。」
 という者がある。それに向かい、
「いや、あれはいいんだ。」
 と素早く制す男。
「なぜだ北神。」
 北神と呼ばれた男──件の偵察虫をただ一人冷静に観察していた男は、
「あれはいいんだ。」
 と独りごつ。
 それをきき、誰もが怪訝な表情をする。
 しかし、男はやはりただ一人だけ。遠くをみる。絶望を押し殺したような切なげな目をして──
「あれは、いいんだ……。」

 居城はある意味無防備だな、と国王自身が思う。城とは、敵から攻められないためにあるのにな、と。一人苦笑する。
 開け放しの窓から。夏場のハエの如く浸入してきたその虫は、攻撃されないことを確かめるために一度窓の縁に止まった。そう命じられている。国王は呟く。
「こいよ。とって食いやしねえ……。」
 声を掛けられて、ようやく窓の縁を飛び立つ小さな密偵。地べたに座ったまま力なく腕を伸ばす男の右手の上に、静かに『書簡』を置くと、少し離れた床の上に下りる。尻を精一杯持ち上げ、頭部を低くして動きを止める。これも命じられているのだ。礼は尽くせ、と。そして……。
 男は静かに呟く。
「いけ。」
 虫は動かない。
「わたすものはねえんだ。」
 それでも虫は動かない。
 返信があるなら持ち帰れ──それが、与えられたもう一つの命。
 命(いのち)を賭けた命(めい)。あの女のやりそうなことだ。
 男はいう。国王としての威厳を以って──などとは、この男には似合いそうもない。悪戯に。右手に乗せた言霊を示して、力なくニヤリとする。
「何なら、コイツをそのまま持って帰るか?」
 沈黙の後、虫は諦める。

 茜色の空は暮れようとしている。虫は地上から注がれる敵意の視線を全身に浴びて飛び去る。来るときもそう、帰るときもそう。視線を動かすことも、体勢を変えることも、方角を変えることもなく、ただひたすらに、真っ直ぐに。そう命じられている。そして、これが最後の命でもある。
 命(いのち)在るままに帰れ、と。
 これも敬愛する国王のため。敵対する者に、今は無防備に背を向ける。

 壁に映った女が語る。尤も、『女』と知っているのは、この魔界でも極一部の者だけ。この国に限っていえば、オレ一人かもしれねえな、と、この国の敬愛される王たる男が心の中で呟く。男の名は──
「雷禅。」
 と、壁に映った女が呼んだ。
「オレの『手紙』を『読んでいる』ということは、まだくたばってねえということか。まあ、幸いということにしといてやろう。」
 心にもねえ、と男が独りごとをいう。
「おまえが筆不精なのか、単にオレのことが嫌いなのかは知らないが、音沙汰が一切ないことも悪い知らせがないだけマシだと捉えている。オレはポジティブ思考だからな。」

 それはさておき、一つ目。黄泉の野郎の端物共が、黄泉の目を盗んで好き勝手やっている。
 まったく、統制力がねえのに軍事力を強化し続けている歪みが、周辺国にまで及ぶのは迷惑なはなしだ。
 先日も国境近くの町が攻め入られた。多少の死傷者も出た。中立国で、元々オレの国は目立って関与してはいなかったが、助けを求められたら放ってもおけねえ。
 仕方がねえから極秘で精鋭部隊を差し向けることにした。表沙汰になっても面倒だから──というのは半分建前。実際のところは住民を盾にされて、裏から手を回すしかやりようがなかったってはなしさ。ふん、笑えるだろう?このオレが、人命第一だとよ。

 自嘲気味に吐き捨てる女の姿を、男はなぜか目を細めてみつめる。
「ほとんど愚痴じゃねえかよ。」

 最近、昔が懐かしいと思うことが増えた。老けたからとかいうなよ。いわれてもお互い様だ。
 過去を振り返るつもりはないが、今の魔界は少しおかしい。いつの頃から歯車が狂っちまったんだろうな、ココは。今は、些細な小競り合いから戦争に発展するなんてことが、いつ起こっても不思議じゃない。人の心まで荒み切って、自力で生きていくことを放棄する者まで出始めている。……非力さを痛感する。
 オレは数え切れない程の命を殺めてきたが、本音をいえば戦争なんて好きじゃない。第一、気分が悪いだろう。『上』のほうで無責任におっぱじめた戦争で、罪のない連中が死ぬんだぜ?

 男の目の中に、いつしか真剣な色が戻る。ただ静かに、女をみ守る。

 だから余計な争いはなるべくなら避けたいと思っている。しかし、こればかりはオレの一存だけじゃ決められないようだ。やられる前にやる。これも本音──国を統べる者の責任として、戦わない訳にはいかない。
 恐らく、オレと黄泉は全面戦争に突入するだろう。どのみち、おまえが死ねばそうなる。遅いか早いかだけの問題だ、覚悟はできている。
 そうなったとしても、おまえがどちらかを奇襲してくるなんて思っちゃいねえ。そういう器用な真似ができる野郎なら、こんな莫迦げた接触、するだけ無駄だからな。
 これから始まる戦争が、魔界にとっての最後の戦争になるとオレは思っている。そうじゃなければならないとも思っている。何度もやるような価値はねえ。たった一度、且つ、速やかに終わらせるのも責任の内。
 『黄泉につくな。』とはいわない。
 ただ、『オレにつけ。』ともいいたくない。
 共倒れはゴメンなんだ。……おまえなら分かるだろう?
 だから、もしオレと黄泉がやるようなことになったら、おまえは手を出すなと強く警告する。
 二つ目。前回の続きだ。
 いいか悪いかはそっちが判断してくれ。おまえの国の連中。無条件で引き取ってやるぜ。初めはオレの独断だったが、奇淋も渋々賛成に回って、はなしを取りまとめてくれたよ。持つべきものは忠実なる下僕(しもべ)……と、これは独りごとだ。
 もちろん、おまえが国を解散したらのはなしだ。おまえが生きている内にそうしてくれたら、と切に願うが、これも強制したくない。そっちで勝手にやってくれ。
 おまえを崇拝する連中が納得して吸収されるか──すべてはおまえの行動次第だ。お互い、いいように転びたいものだな。兎に角、オレのほうは悪いようにはしねえ。安心材料は与えてやったんだ、後はおまえが何とかしろ。

 男は深く息を吐く。ここ何年もの間、ことばを交わしたことすらない。遠くからでも、姿をみることすらなかった。それなのに──と男は思う。
 コイツはいつも、心の底をみ透かしたようなやりかたをする。正直不愉快だ。不愉快だがしかし……。
 ほっとしただろう?なんていって笑われたら壁をぶっ壊しているかもしれねえな。ことばには出さず自嘲する。
 女は更に語る。

 三つ目。
 そういって、女は一度口を閉ざした。しばし間を置いてから、もう一度「三つ目。」といい直す。

 恐らく、これが最後になると思う。
 この先、オレのほうからおまえに接触を仕掛けることはない。今回も何の返信もないのだろう。最後までおまえの声がきけず、非常に残念に思う。しかし、頑固なまでに首尾一徹な態度には敬意を表する。
 オレが『ここ』から追い出せなかった弱さが、おまえにはなかった。

 ──と、壁の女が右の拳を胸に当てる。

 さようなら、雷禅。
 おまえのことは忘れない。
 オレが死んだら、あの世で待っている。おまえが来たら、ひざまくらくらいしてやるぜ。まあ、いの一番にオレのところに会いにくるとは思っちゃいないがな。ふふ。
 では時間だ。

 壁に映った女の姿が消え始める。
 それと共に、次第に遠くなる声が、「ぴーえす。」とことばを続ける。そして、

「くれぐれもごじあいを。」

 女の姿が今、完全に消えた。
 男は何もない壁をみつめ続ける。そして、地面に視線を落とす。
「け。こむすめが……。」
 
 そこへ、一人の男が入ってくる。
「国王。」
 と声を掛ける。
「北神か……。」
 国王と呼ばれることが面倒らしく、顔を背けてその場に横になる。少し離れた位置に、北神が座る。これは自分より若いくせに小姑のような男だ、口うるさく、いつも姿勢がいいところも癇に障るが、居なくなったらたちまち国が回らなくなるだろう──
「持つべきものは忠実なる下僕……か。」
「……は?」
「いや、何でもねえ。何か用か?」
 少しだけ後ろを振り返り、すぐに前を向く。無意識に素っ気ない態度をしてしまう。オレなんかにつき従って、貧乏くじを引かせたみたいで悪かったな──その思いをことばに出来ないところがこの男の弱さなのだ。
 国王の心を、忠実なる下僕はよく心得ていた。心に掛かることは何もないといった表情で、ただ淡々と、用件を告げる。
「躯の国から、また偵察虫が来ていたようですが。」
「……ああ。」
「何をいってきたのですか。皆、気にしています。」
 気にするようなことじゃねえ、……といっても、納得する訳ねえな──国王も、忠実なる下僕の心をよく心得ている。
 そう、心得ているからこそ、鎌を掛けてみようと思ったのだ。ふわりと起き上がり、空を跳ね上がり、軽妙な身のこなしで、いきなり北神の正面に着地した。顎に指を引っ掛け、少し上を向かせて目を合わせる。そして、
「降伏しろとよ。」
「なんと!」
 コイツ、驚くときは存外大袈裟だな──雷禅は思わず噴き出しそうになったが何とか堪えた。ゆるゆると四つん這いで離れて、再び横になる。北神の驚きは、次第に憤りの色に支配されていく。それもみ通し済み、雷禅はわざとらしく軽口に、
「どうするー?降伏するか?」
 北神は、雷禅の思った通りの反応で、
「莫迦をおっしゃらないでくださいっ。」
「へえへえ、どうせオレはバカですよ……。」
「いや、その、そういう意味では……。」
 戸惑いかたまで思った通り。流石に堪え切れず、雷禅は腹を抱えて笑った。
「真面目と単純は紙一重ってか。くくく。」
「こ、こくおう……。」
 笑い疲れて腹が痛えよ、といい、一旦静まる。
 そして、
「折角のお誘いだ。オレに何かあったら躯んトコ行きな。」
 酷く真剣な口調である。
 小姑の北神も、直ちに反論を差し挟む余地がない程に……。
 少し振り返り、雷禅は更に続けた。
「死に急いだって、いいことねえってよ。」
「……。」
「おめえにはおめえの人生があるだろ?……オレにつき合って、地獄に落ちるこたあねえよ。」



 蛇足。その男は、国王の名を呼び、泣いた。
「そんなことをおっしゃらないでください。」
 酷く取り乱し、ひれ伏し、涙を流す。
「ああどうか、何もおっしゃらないでください。どうか、どうかこれ以上……。」
 慟哭を背中できく。その重さがただ苦しく、耐えることが辛く、胃に差し込みが走る。
 こんな国にしたのは誰だ?

『後はおまえが何とかしろ。』

「ああ、はらがいてえ……。」
 この国は終わる。

『そっちで勝手にやってくれ。』

「くそっ、オレにどうしろってんだ……。」


金魚の水槽

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