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酔漢夜話1  D e a d D r u n k P a r t 1


 だから何が一番腹が立つって、「ちょっと風に当ってくるぜ。」といい残して夕刻ふらりと宿を出た男が、どういう経緯か知らないがこんな場末の酒場に居て、店の接客役らしき年増二人に挟まれて、最奥の狭いブースを陣取って、テーブルの上に空のボトルを三本転がした挙句に四本目をラッパにしていたことだ。……おまえの帰りが遅いから、慣れない土地で迷子にでもなって、一人では戻れなくなったとか、もしかしたら暴漢に襲われて、道端で馬車にひかれたカエルみたいになっているとか。兎に角あらゆる可能性を考えて、或いは思い悩んで。深夜にわざわざおまえを探すために宿を抜けてきたこのオレの立場はどうなる?
 怒りに震えて、入口から一歩踏み込んだ位置に立ち尽くすオレ。
 そんなオレをみつけて、奴がうれしそうに叫んだ。
「あーれー?おまえ!こんなところで何をやってるんだー!?」
 何、その果てしなく呑気な声……。「何やってる?」じゃない。みえないか、この状況が。或いは読めないか、今の、このオレの空気が。
 ……多分その両方なのだろう、奴が大袈裟に手招く。
「おおーい!ここ!ここ!」
 どうしよう、久しぶりに切れそうだ。
 奴の隣に座る年増の一人が、奴の耳元に口を近づけ、「だあれ?しりあい?」などと問うている。馴れ馴れしく……、手が膝に乗っている。
「ん?アイツはねー?俺のー……。」
 奴はわざとらしく考える仕草をみせ、中空をみつめる。やがて、思いついたようにこちらを向き、未だ立ち尽くすオレを力強く指差しながらでかい声で、
「アイツは、俺の、ヨメだっ!」
 といったから切れた。
 つまり、行動が思考を飛び越えたということ。傍らのカウンターに伏せてあったグラスの一つに手が届くが早いか、ストレート。美しい軌道を描いたそれは、他の酔客や奴の両隣の女に危害を与えることなく奴の額めがけて一直線、寸分違わぬ精度を以って命中した。
 砕けず床に転がるグラス。どよめく店内。奴の膝に無遠慮な接触をみせていた例の年増が悲鳴を上げる。
「ちょっと、大丈夫!?」
 などといいながら、今度は額に手を伸ばす。
 オレは不自然な程自然な声色を遣い、
「案ずるな。その程度で壊れる頭ではない。」
 さらりといい捨て、奴をみる。
「いってえ……。」
 額を押さえてうずくまる男。次に上げた顔で真っ直ぐにオレを睨みつけ、
「何すんだよいきなりっ!!」
 怒声構わず。オレは店内を奴の居るブースへ向かって大股に突き進んだ。奴の胸倉を掴み、引っ張り上げる。
「帰るぞ。」
「あら、こっちもいいオトコ……。」
 女のことばも無視。酔っ払いを引き摺りながらブースを抜け、出口へ。先の威勢はどこへやら、奴がごにょごにょ何かをいっているが、それも無視だ。店を出る間際、カウンターの中で怯える店主らしき男に金貨を投げて遣る。
「代金だ。釣りは要らん。」
 転がる金貨に恐る恐る手を伸ばす男。奴のほうは……、未だ何かごにょごにょしているが、最後のことばだけはきき取れた。
「まだのむ……。」
「このまま大人しく帰るのと、今この場でオレに絞め殺されるのと、おまえが得だと思うほうを選べ。」
「……ハイ。」

 夜の街中は案外寂しい。街灯はなく、中心部を少し離れると街角を歩く人影すらない。
 オレは奴に肩を貸し、ふらりふらりと歩いていく。と、突然奴が叫ぶ。
「俺たちはコソドロじゃねええええ!!」
「……その通りだよ黒鵺。おまえのいい分はよく理解しているから少し静かにしろ。」
 どこかの建物から怒声が飛んでくる。
「うるせえぞっ!何時だと思ってるんだバカ野郎どもがっ!!」
 ついでに犬の遠吠えまできこえる……。
 奴はオレの肩で泣いている。
「叱られた……。」
「貴様のせいだ。しかも複数形だし。……なあ。いい加減、一人で歩けないか。肩が外れそうだ。」
 オレは延々と奴を引き摺って歩く。呑気に鼻歌などを歌っている、奴を引き摺って──

「いらっしゃいませ。」
 と、その男はいつもカウンターの向こうから穏やかな微笑を浮かべて挨拶をする。オレたちが滞在している宿屋の二軒隣の小さな酒場。店主が一人で切り盛りをするこの酒場に、滞在初日からちょくちょく顔をみせているオレたちはほとんど常連のようなものだった。奴を引き摺りながら、扉を押し、店内へ。陽気に片腕を上げる奴の第一声が、
「いらっしゃいましたっ!!」
「声がでかい……。」
 帰るとはいったものの、奴のこの酔っ払い振りをそのまま宿に持ち帰るのは流石に気が引けたオレは、一呼吸置ける場を探してここへ来た。店内にはカウンターが在るだけでスツールが四つ。店主は閑があればいつでもグラスを拭いている。
「おや、ご主人さん。今日は随分ご機嫌ですね?」
「酒が入って莫迦になっているだけだ。」
 と答えるオレは、全体重を預けてかかる迷惑な男の身体をただひたすらに重く引き摺って、奥から二番目のスツールに座らせた。
「奥さんも。いつもごひいきにしていただいて。」
 にこやかにいっているけど。
「何度もいわせるな。オレとこの男は夫婦ではない……。」
 店主は相変わらずの穏やかさ。しかしオレのことばには疑った様子で苦笑い。
「またまた。そういうことをおっしゃると、ご主人さんに悪いですよ?」
 オレが奴の隣に座るのを確認し、店主は「何になさいますか?」と訪ねた。
「水割り。」
 オレの注文に、すかさず奴が注文をつける。
「みずわりー?何だよ狐チャン、猫被っちゃってる?狐チャンなのに、ねこ、かぶっ、うひょひょ。」
 笑ってるし。。。
「いいんだ、水割りで。おまえはただの水なのだから。」
「なんでえ。飲ませろよ。」
「駄目だ。」
「なにおう。俺が稼いだ金だぞ。好きに飲んで、何が悪い。」
「散々飲んだだろう、前の店で……。ここに立ち寄ったのは休憩のため。少し酔いを冷まして帰るんだ。」
「……にツンケンしてんだよ。」
 奴が何やらぶつくさ呟いている。店主が奏でる「注文に応じる音」だけがここでは唯一心地よい。
 矢庭に、
「はっはーん。」
 オレの隣の男がにやり笑う。
「ん?」
 流し目にみ遣るオレの鼻先に、無遠慮に人差し指を突きつけ、
「おまえ、妬いてんだな。」
「は……?」
「さっきのおみせで、俺がオネーチャンたちにいい感じにモテてたから──」
 いい終わらない内にオレは奴の後頭部を強かに叩いた。
「て。なにす……。」
 ばしばしと続け様に叩いた。
 一頻り叩いた頃合をみ計らって、店主が注文の品を置いた。オレの前に水割りを。奴の前には、ただの水を。そして目配せ。
「ご主人さんには優しくなさらないと。」
「……。」
 セピア色の液体が入ったグラス。左の指の背で、そっと撫でながら、オレは少し考えている。
 優しく、は、したい。だが、今は心が許さない。
「……オレは。本当に心配したんだぞ?」
「おう、済まん。」
「ふらっと出て行ったまま、いつまでも帰って来なかったら、何かの事件に巻き込まれているのではないかと思うだろう。ましてや、オレたちのような商売をしていれば、危険の種はどこに転がっているか知れたものではない。それなのに、……のうのうと酒なんか飲んでいやがって。これを怒らずに腹の中に収められる心の広いヤツがどこに居る?本当にしょうがない男──」
 そういって、奴を避けるように右腕で頬杖をつこうとした、まさにその瞬間。
「しょうがない男ではないっ!!」
 いきなり、カウンターを両拳で殴りながら、叫ぶ男。
「……。」
 呆気に取られて固まるオレ。
 確かに、少しいい過ぎたか。
「……そうだな。おまえはしょうがない男ではないな。」
 多少の反省の上に立ち、前言を撤回するも?
「うおおお、俺はしょうがねえ男だあああー……。」
 号泣してるし。。。
「どっちなんだよ……。」
 疲れた顔で酒を飲む。
 奴は肩を震わせながら、カウンターに突っ伏し、しくしく泣いている振りをする。
「そうだよ、俺はしょうがねえ男さ。けどなあ?」
「けど?」
「俺は、おまえに心配される憶えはねえ。」
「そうですか。」
「大体、おまえは俺の何だ?」
「オレは、おまえの……?」
 店主が代わりににこやかに答える。
「奥さん、ですよね?」
 違うけど。
「オレはおまえの何だといいたいんだ?」
 話題としてはどうでもいいが、酔っ払いにはなしを合わせるつもりで問い返す。奴は顔を上げ、スツールに乗せた身体をオレの正面に向けた。
「おまえは。俺の……。」
「……。」
 しばらくオレの顔をじっとみつめていた男。今度は突然、スツールごとその場でくるくる回り始めた。
「恥ずかしくていえねえ……。」
「ああそうですか。」
 呆れて頬杖をつくオレ。
 くるくる回りながら、「まずいっておく。」と奴がいう。
「うん。」
 奴のスツールが、自然とオレを正面に据えて止まった。
「俺はおまえがキライだ。」
「そうか。」
「『そうか。』!?そうか、っていった?今!?」
「ああ。」
「おまえは……。どうしていつもそうなの?」
 憤りを露わに、頭を振る男。……意味が分からないな。
「だって、仕方がないだろう。おまえがオレを嫌いというのなら、オレにはどうすることもできないではないか。」
「……きじゅちゅいた。(※傷ついた)」
「なぜ?」
「おまえ、俺のこと、嫌いなのか?」
「だからなぜそうなるんだ?」
「だって、執着がないでしょ。俺に対するさ?」
「執着を持って欲しいのか……?」
「そうじゃなくて。」
「そうじゃなくて?」
「俺はただ、おまえに、誰でもいいと思われたくないだけ。」
「誰でもいいと……。」
 前に向き直り、爪先でグラスを鳴らす。
「実際、思ってるだろ?俺じゃなくてもいいとかさ……。」
 奴も前を向く。ようやく手に取る気になった水のグラスを、両手で弄んでいる。
「そんなこと、ないけど……。」
「じゃあきくけど。」
「?」
「先日のことですが。」
「……。」
「地下遺跡の書物庫。」
 ──思い当たることがある。ああ、と呟き、水割りを飲む。
「何とかって要塞国家が機密文書庫にしていた、アレ?」
「そう、アレ。」
「……オレ、何かした?」
「『二人で同時に踏み込んでも、狭い地下室では互いに立ち回るのに難儀だろう。』といって、俺が警備兵の引きつけ役になっている間に、盗み役のおまえが一人で奥へと入っていった。」
「よいではないか。合理的だろう。」
「問題はその後だっ。」
「ん?」
「俺たちは、事前に何か約束をしていなかったか?」
「約束……。」
「……。」
「互いの役割を完遂すること。……とはいっていたか。」
「そう、それだ!今回は仕事の規模からいって困難が予想されるー、いつものように『組み』で動くよりー、動き易さを考えてー、単独行動に徹したほうが便利がよいだろうー、よってー、俺は警備兵を片づけてもおまえを決して後を追わないしー、おまえはー……。」
「目標を確保したらおまえの加勢には向かわず現場から離れる。圏外に脱するまでは、なるべく二人一緒での行動は避ける。……という手筈になっていた?」
「そう、ソレだっ。……それが何だよ。おまえが取った行動はよ……。」
 と、奴は頭を抱えて悩ましげな表情を作った。
 そんな男を横目にみながら、オレはいよいよ核心に触れた。
「何だ。救助に行ったことを、いつまでも気にして、それで拗ねていたのか?」
「……。」
 図星だったらしく、酔っ払った目の下が更に赤くなる。
「すねてるんじゃない。約束が違うというはなしをしているんデス。」
「そうデスか。だが、おまえは勘違いしている。あれは申し合わせのようなもので、約束ではなかった。それに、オレはおまえに責められるようなことをした憶えはないぞ?」
「……そう。おまえはいつもそうだ。」 
「ではきくが。警備兵は任せておけ、天下の大盗賊、この黒鵺様がちょちょいっと片づけてやるぜ、などと大風呂敷を広げておいて、その挙句に、ガキでも笑って遣り過ごすような至極単純なトラップにまんまと引っかかって、危うく食肉に加工されそうになっていたのはどこのどいつ……?」
 酔っ払いの相手に疲れたせいもあって、いつもより余計に冷めた視線を投げつけてしまう。
 と、隣の男がしくしく泣き始める。
「どうせ俺はおバカな食肉さ……。」
 ツッコむ気力も起きない……。
「ご主人さんは食肉ではありませんよ。」
 慰めになってないから。
 どうやら奴は、失態を犯したことに落ち込み、それをオレが咎めなかったことで更に落ち込んでいるようだ。まったく、面倒臭い男。この手の仕事は持ちつ持たれつ。些細な小言は、いわなければ分からない相手にしかいわないものだ。
「……悪かったよ。あのときは、おまえの姿がたまたま目に入ったから思わず反応してしまったが、ちゃんと分かっていた。オレが手を貸さなくても、おまえは自力で脱出できる寸前だった。」
「だが、俺には幻滅したんだろう。」
「なぜそうなるんだ?」
「だって、あれから俺のことを氷みたいに冷たい目でみているじゃないかー。」
「……それは、生まれつきだって。」
 奴は水のグラスを片手に、半身をぺったりとカウンターに伏せた。
「おまえは自分のことしか信用しちゃいないんだ。」
「だからそんなことは……。」
 といいかけたことばを──奴は一転、真面目な声色を遣って遮った。
「いや、そうだよ。おまえの中では、俺はただのオマケみたいな存在なんだ。」
 そして、「本当は自分でも分かっているんだろう。」と。
 オレは沈黙する。カウンターに伏せている奴の顔はみえない。
 グラスの氷が音を立てる。奴が静かに語り出す。
「……勘違いするなよ。責めているんじゃねえ。俺は、おまえともう少し対等でいたいだけだ。」
「……。」
 対等。
 そんなことを考えていたなんて。
 だが、改めて奴がそれを思い悩んでいた事実を突きつけられると、オレにも至らない点があったのだろうかと考えさせられる。いや、むしろオレのほうに……。
「……そうだな。」
「何が……?」
「オレが悪かった。」
「いや。おまえは悪くねえ。」
「ではいい換えよう。オレも悪かったが、おまえも悪かった。比率でいえば三・七、……いや、二・八か?」
「何だよ、素直に謝ったかと思ったら毒舌遣いやがって。めんどくせーのっ。」
「面倒臭いのはおまえのほうだろう、空気を読め、酔っ払いが。」
 水割りのグラス。一息で空け、タンと音を立ててカウンターに置く。そして、
「吹っ切るぞ、黒鵺!今日はとことん飲む。店主、次から火酒、ストレートだ。」
 急に元気になった隣の男が右手を上げる。
「おお、俺も同じの!」
 店主が心配そうに確認の目配せをするが、仕方ないさ。たまには気分で飲む酒もいい。つまり、気分が行動を飛び越えたということ。
 諦めの苦笑と共に──

「グラス二つだ。」


金魚の水槽

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