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フェイクフェイス  f a k e f a c e


 俺は奴の笑顔がフェイクであることを知っている。
 だが、俺の前でだけみせる淋しげな微笑がフェイクではないことも、知っている。

 右腕に受けた傷に舌を這わせる。
 血が流れ出るのが気になるわけではない。そんなものは放っておけばいずれ止まる。
 舐めたくらいで治るものではないことも分かっている。
 血の味。
 自分の身体に流れる血はどんなに冷酷に生きようとあたたかい。
 舌に残る血の味に、自分が生きているという揺るぎようもない事実を知る。
 唯一知ることができた、ぬくもり。
 だから傷を舐め、安らぎを得るのか?ばかばかしい。
 街中のくたばりかけた廃ビル。
 真夜中まで喧騒と光りが絶えない街。
 毎夜、飽きもせずに行き交う者どもを高みから見下ろす。光の海を蠢くからくり仕掛けの巨大な化け物のような街だ。毎日違う日々を送るようで、実はただ淡々と変わり映えがない。
 この街も同類なのか。
 数えるのも面倒なくだらない日々を刻み、それでも歩くことを止めない……。

 久々にみかけた蔵馬は相変わらずの甘さだった。
 奴の足元にひれ伏し命乞いをする妖怪。無難な日常生活を送る術として妖気を曝け出さないことを選択した蔵馬の本質を、見抜くことすらできなかった程度の妖怪だ。必死な形相で乞うだけの価値がその命のあるとは到底思えない。奴も相当うんざりしていることだろう、さっさととどめを刺してその場を離れると思われた。
 しかし奴は、「命までは奪わない。そのかわり二度とオレの前に汚い顔を晒すな。」などとまるで意味をなさない条件をつきつけ踵を返す。そんな約束を守るような妖怪なら、はじめからおまえを手にかけようなどとは思わないだろう。
 案の定、背を向けた蔵馬にこれ幸いとばかり攻撃に転じる妖怪。ふい打ちのつもりなのだろうが、それが通じる相手とそうではない相手がいることを知る必要がある。
 すばやく身をかわし、左の手刀を一発。なるほど、おまえお得意の生物兵器を使うまでもないか。
 膝から崩れ落ち、そのまま再び地べたに両手をついて、今度は手下にしてほしいとでもいっているのだろうか。卑屈な笑い顔を引きつらせている。下手な演技だ。目先の安全確保が最優先という考えなしな考えがみえすきすぎて、癇に障る。
 そんな見苦しい醜態を前に、蔵馬はその場ではまるで不釣合いな、ごく自然な笑顔を浮かべる。「それは残念だったな。」。それは『奴の世界』で当たり前のようにみせる表情。そしてやさしくこういったが、そのことばがひれ伏す妖怪の耳から脳に伝わりきらない間に、首から頭が切り離されていた。
「頭の悪い手下は持たない主義だ。憶えておくんだな。」

 奴は俺を野良猫のようだという。
 警戒心が強く、近寄れば逃げるが、決して逃げ去るのではなく距離を置くだけで、様子を窺える場所から相手が次に起こすアクションを観察し、それによって自らの行動を選ぶ。臆病者とでもいいたげだなと皮肉ると、「慎重で計算高いということですよ。」などといって笑った。そのときはことばを返さなかったが、俺にはそれが奴自身を指しているようにきこえていた。だから、奴イコール野良猫という構図が本当はおかしかった。
 野良猫というものは気がつけば物陰からじっとみつめていたりする厭な生き物で、まったく、どこで憶えるのか気配の断ちかたが巧妙だ。
「こんにちは。」
「……。」
「最近、この廃ビルを寝床にしているってきいたから。」
「なんの用だ。」
「用がなければ来てはいけませんか?」
「用がなければ来ないだろう。」
 ここまでは決まりごとのようなやりとりだ。
「つれないんですね。まあいいですけど。はい。」
 ガラスの外れた窓辺に座る俺の側に歩み寄ると、手にした白いビニール袋を差し出した。
 中にはさらに紙のような包みが入っていて、竹製の細長い針に正体不明な肉片と香味野菜らしきものが交互に刺さっている、恐らく食べ物であろう物体が十数本しまわれていた。
「……なんなんだ、これは?」
「焼き鳥。」
「『ヤキトリ』……。」
「あなた風にいうと、竹製の細長い針に正体不明の肉片と香味野菜を交互に刺して、炭火で焼いて味付けをした食べ物です。」
 相変わらず恐ろしい奴だ。
「あ!」
「どうした。」
「たれがよかったですか?」
「?」
「豚串は塩がおいしいんですよ。」
「……貴様!」
 相変わらずの理解できない言動に苛立ちがつのる。
「なんのつもりだ、これは……!」
「なにって、手土産。」
「……それは分かった。だがまだ、ここへ来た目的をきいていない。」
「だからそれはさっきもいったでしょう。」
「だ……。」
「『用がなければ来てはいけないんですか?』」
「……。」
 毒気のない笑顔をみせられて、俺は何もいうことができなかった。
「その傷、舐めて治るんですか?」
 知らず知らず右腕の傷に口をつけていた俺の行動を咎める。
「舐めたくらいで治る傷なら何もいいませんけど。止めてください、猫じゃないんだから。」
「余計なお世話だ。」
 そんな俺のことばを無視して傷の具合を診はじめる。
 奴の治療が的確であることは承知しているから、払い除けはしない。
「おせっかいな奴だ。」
「だったら逃げたらどうですか?」
「……。過干渉は好かんといっているんだ。」
「そうですか。これでもかなりセーブしているんですけど。」
 軽薄な受け答えをしながらも治療をする手は無駄なく動く。
「あなたほどのヒトが、いったいどうしたんですか?」
「きいてどうする。」
「……。じゃあ、きかない。」
「……。?」
「どうかしました?」
「……なんだそれは。」
 俺の右腕を掴む蔵馬の左手、今まで薄暗くてよくみえなかったが、その親指にテーピングがしてある。僅かにだが血がにじんでいるようだ。
 奴の手を左手で引き寄せる。これで両手がふさがってしまったので、口を使って無理矢理テーピングを剥がす。
「あ……。」
 そこに現れたのは刃物で切ったような傷。まだ日は浅い。かなり深く入ったのだろう、傷口が完全にふさがってはいないため、にじむ血が痛々しい。
「これはどうした?」
「きいてどうするんですか?」
「……どうもしないが、いわんとその切り傷だけではすまんぞ。」
「ああ、そのいい回し、いいですね。さっきもそう答えればよかった。」
「……。」
「……切ったんですよ。包丁で、さっくり。」
「なぜ治療しない。」
「家の中で起こったことだから、不注意で結構深くやっちゃったし、本当は簡単に治せるんだけど、この傷、簡単に治ったら不信に思われるでしょう。」
 そういって奴は笑ったが、俺は奴の生きる世界の不条理さが気に食わなかった。なにより、奴の中に存在する『偽り』をみることが不愉快だった。
「痛いか。」
「切れてますからねえ。」
 独り言のようにつぶやく。
 右腕の傷口を診る真剣な目。無意味に口元に浮かべる笑み。
 蔵馬の顔をみているとなぜか昼間の奴とどこかのばかとの一件が思い出された。
「……なぜ笑うんだ?」
「え?」
「おまえは殺すときにも笑うんだな。気色悪いぞ。」
「ああ……、みてたんですね。昼間のこと。」
「……。」
「笑ってましたっけ?……そんなことしてたかな。」
「していた。」
「だとしたら、フェイクですよ。」
「今もそうなのか。」
「……。」
「俺には、今のおまえの顔があのときと同じにみえる。」
「なぜ、そんなこというんですか。」
「……。」
「……。」
「……さあな。」

 右腕の痛み。
 それよりも強く、治療を続ける蔵馬の指先のぬくもりが伝わる。
 前なら嫌悪していただろうそんな自分の感覚が、今はひどく心を揺さぶっている。
 はじめから気に食わない奴だった。
 極悪盗賊、妖狐蔵馬の伝説像とはまるで反対のおひとよしで、情にほだされやすく、恩だか感謝だか知らないが周りの人間どもにへつらって生きている。
 そんな面倒をしなくても生きていくだけの力を持ちながら、あえてばかげた道を進むのか。
 本来の自分を殺してまで。
 まったく理解に苦しむ奴だが、興味がなかったわけではない。
 奴はなぜか俺を敵視しない。
 しかし、出会った妖怪すべてに対してそうであるかというと、そうではない。
 恐らく俺には理解できない奴独特の尺度があるのだろう。
 奴の目にみつめられると、心の奥底まで見透かされそうなくらい無防備な気持ちにさせられることがある。
 だから奴と対峙するときは、普段以上にガードする。
 そして、そのガードの隙間から見返す奴の目には、同じように奴の心理状態がそのまま映っていることに気づかされるのだ。
 リスキーな関係。
 危険な釣り合いを保たせる距離。
 いつの間にかそんなもろいバランスが心地よくなって……。
 俺ははまっているのかもしれない。
 血の味は。
 本当に俺が望んでいる……。

「さ、終わりました。なにがあったのか知りませんが、大事にしなきゃだめですよ。」
 奴はそういって笑ったが、そのまま背を向け俺の目をみることはなかった。
「帰るのか。」
「ええ。」
「おまえ、本当になにしに来たんだ。」
「また同じこといわせますか。」
 そして立ち去り際、思い出したかのようにつぶやく。
「オレ、周りが思っているほど器用じゃないから。」
 俺ははじめて真実を知った者のように動くことができなかった。
「さようなら、飛影。」
「待て!」
「……はい?」
「さようなら、とかいうな。」
「?」
「それから、俺の前でフェイクを使うな。その指の傷も、やっぱりさっさと治せ。痛々しくて好かん。不信がる奴になにかいわれたら、若いから治りが早いとか、得意の誤魔化しで適当にかわせばいい。」
「……。」
 ほんの一瞬、奴が目を丸くしたのが分かった。その後、露骨に笑い出す。
 ひとしきり笑って、今度は露骨に呆れてみせられた。
「……注文が多いんですね。」
 次には今日はじめて、一番楽しそうな笑顔をみせていった。
「さっきもいったでしょう。オレはそんなに器用じゃないって。だから最初からあなたにフェイク使ったりなんかしてませんよ。」
「そうなのか。」
「当たり前じゃないですか。それから、これはオレからの注文。」
 そして、やけに真面目くさった眼差しを向けていった。
「あんまり買いかぶって深読みしないでください。」
「ふん、思い上がるなよ。」
 たぶん、本当に用なんかなかったんだろう。
 目的にならない目的がなんとなく分かった気がするが、奴にいわせればこれが俺の深読みになるのだろう。
「……さて、本当に帰ろうかな。」
「さっきのは本当に帰ろうとしていたんじゃないのか。」
「どうします?再診、受けますか?」
「二度と来るな。」
「じゃあ、今度はたこ焼きにしましょうね。」
「だから、二度と来るなといっているだろうが!」

 求めているのは俺だけではない、ということ。
 まあ、これも俺の深読みにすぎないのだろうが。


金魚の水槽

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