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灰色の太陽  t h e p u r p l e s e a


 海に来たがったのは奴のほうで。
「なあー。」
「んー?」
 もう晩秋といっていい程のこのお天気。足だけとはいえ、海に入る莫迦がどこに居る?
「冷たくないのか?」
「ツメタイ……。」
「……。」
 って、ココに居るんだけどな。白い佇まいが、紫の海によう映えるワ。

 俺はさっきから、奴の頬に残った血の、乾いた茶色が気になっている。奴の血ではない、あの程度の戦闘でいちいち流血されていたら、ハラハラさせられっぱなしで人生の七割を損してる気分になる。
 返り血。
 斬り捨てた者をみて、『案外容易い。』と奴は表現する。奴のいいたいことは、伊達に連れ添っている訳じゃない、よく分かる。だが俺は、奴のそういった類の感覚の鈍さを好きになれない。奪うことの軽さは、イコール軽んじてよいことには繋がらない。
 ……奪うことの軽さ。奪(盗)っておいて、その上奪(殺)うんだから。俺もヒトのことはいえないか。
 何を思っても結局は、そうするしか生きられない者の傲。生きることこそ儚いと、俺は思う。
「この海には。」
 と、奴がいった。
「この海には、ヒトの思いが漂っているという。」
「……へえ。」
 珍しそうに答えてみたものの、そのはなしなら俺も知っている。この土地を訪れる以前に立ち寄った村で、占者のばばあからきいた郷土伝説。蔵馬が大した興味も示さずにばばあを相手するその場に俺も居た。そのときは、田舎によくありがちな、ガキを脅しておくためだけに作られた伝承小話くらいに思っていたが。実際訪れてみると、なるほど、笑い飛ばす気が失せるだけの根拠はどこかに隠れていそうだ。
 本能が生む感覚。この海風は、何だか肌に生温くて落ち着かない。
 俺はひとつため息を吐いた。
「おまえ、もう海から出たほうがいいぞ。」
 奴は俺を背くように、水平線の向こうを透かして、
「なぜ?」
「『なぜ?』って、ヒトの思いが漂ってるんだろう?気味悪いなーとか、薄ら寒いなーとか、思わないの?」
 奴は軽やかに笑って答えた。
「オレには、何もきこえない。」
 そして、
「何も、感じない。」
「……。」
 ……って、そんな顔して振り向くなよ。存在感のない風景に溶け込み過ぎて、何か、消えちまいそうじゃねえか。
 おまえって儚いものの象徴なの?危うく口をつきそうになった台詞を飲み込んで、俺は砂を握って持ち上げる。指の隙間をサラサラと零れ落ちる砂に奴の姿を透かして、
「でも、そこ『冷たい』んだろう?」
「……。」

 何も感じない生き物はいないよ。
 呟くことばに、奴は少しだけ安心した顔になって、笑った。

 屍から骨だけが残り、砕けたそれが砂になるのさ。
 死人も色々。漁に出て遭難した漁師が骨だけの姿で流れ着いたり、客船が難破して沢山の乗客が死体のまま打ち上げられたり、ここで闘った末に敗者が放置されたりすることもある。そうやって長い年月をかけて、白い砂浜を作るんだ。
「本当なのか?」
 知らねえよ。それに、俺には知ったこっちゃねえ。
「おまえのその一握りの中に、何百の人生が横たわっているのだろう。」
「一粒一粒が別人だったりしてな。そしたら、何百なんてレベルじゃきかなくなる。」
 俺はもう一度砂を掴んで、ゆっくりと砂粒を落とした。風に舞って消える砂の影を追う視線が、不図、
「……オレも、死んだら砂になるのだろうか?」
 といった。

「……は?」
「砂。……白い、砂。」
「……。」
 奴をみる。
 表情を読んで、それは冗談ではなく、自問らしいことを知る。答えを求めていない顔をして、俺を、風景と同化させて、眺めている。
「死んだときに、己の身体がどのような変遷を辿るのか。選ぶ権利は己には存在しない。」
「……。」
「不条理だと思うが、考えてみると、人生の一割を損しないための努力のようで、何だか面白い。」
 奴はそういってフワフワと微笑んでいたが。

 ……哲学者か、おまえは。
「莫迦。今から死んだ後のことなんか考えるなよ。」
 俺は頭を掻き掻き立ち上がった。
 砂の中には、人生以外のものだってごろごろ転がっている。ホラ、向こうの岬に浮かんでる舟とかみろよ。漁船だぜ?死を伝説にした海も、生きる営みの舞台なんだよ、結局は。
「海。」
「ん?」
「入りたくないっていってなかった?」
「だって、……気になるコトがあるんだよ。……って、うおお!」
「?」
「……マジでツベタイかもー。(T_T)」
「泣くな黒鵺。オトコノコだろう?」←冗談
「うるせえよ能面狐が!おまえ、何で平気な顔してんの?神経科に通院したほうがいいんじゃないか?」
 悪たればかり吐いていると転ぶぞ、なんてくすくす笑いながら、奴が手を差し伸べる。

『死んだときに、己の身体がどのような変遷を辿るのか。』
 ……確かに、己に選択権はない。しかし、
「それは、物理的なはなしだろう?」
「……。」
「だが、論理的なはなしにしてしまえば、確約を取るのは案外簡単だったりしてな。」
 俺は奴の手に白い欠片を乗せた。『人生から掘り出した。』といったら、
「貝殻は屍、人生の『内』だろう?」
 呟いて、奴はそれを灰色の太陽に透かした。

「蔵馬。」
「ん?」
 俺、おまえのことキライじゃないから。

「……俺はさ、死んだ後どうなるかなんて興味ないから。宗教観とかないし。肉体が土に還ろうと、砂に変化しようと、滅びることには変わりない。まあ、土に還ったほうが自然に貢献している感じがしていいかなーってぐらいだ。うん。」
「……。」
「けどな。滅びないものに関しては、ある程度自分の意思が尊重されてもいいとは思うんだ。例えば……。」
 そこまでいって、俺は真っ直ぐに腕を伸ばし、奴の胸の中心を指差した。そして、ソコが俺が死んだ後に居たい場所だ、と告げた。

「『魂死して猶心中に生きる』というヤツか。なるほど、面白いことをいう。ふふ。」
「……笑うなよ。」
 結構真面目に考えたつもりなんだけどな。照れが入った振りをして、頭を掻きながら目を逸らして。
 奴はいつまでもくつくつと笑いながら俺をみていた。莫迦にしたように。笑われた、といったほうが正しいかもしれないが、それでも俺は、そのときの蔵馬はとてもキレイな笑顔だったと思う。
「それは実に迷惑なはなしだ。」
「……おいおい。」
「だが、よい考えだ。同調するぞ黒鵺。……決めた。オレも、死んだらここに居よう。」
「へ。」
 その後の奴の行動は実に無邪気だった。何せ、天邪鬼な奴が俺の意見をきき入れるという大変珍しい現場に居合わせたことに驚いて立ち尽くす俺の胸に、
「……温い。」
「寒いだけかよ。」
 奴は寄りかかるように、俺の胸に額を当ててきた。
「……と、思う。もちろん、おまえの許可が得られればのはなしだが。」
 前屈みの不安定な体勢を。支えるために、野郎にしてやるには随分と不本意だが、仕方ないから抱いてやった。そのついでに、奴の頭にコツンと顎を乗せて、
「許可なら簡単に下りると思うけど。おまえ、俺より先に死ぬつもりなのか?」
 特別深い意味を込めずにきいた。
 答えが返るなら、それは『イエス』か『ノー』かどちらかだ、と勝手に踏んで。
 だが、俺の予想できる範囲に、奴は居なかった。
「黒鵺……。」
「ん?」
「……考えたこともなかったんだ。オレがおまえより先に死ぬことはあって、だが、……おまえがオレよりも先に死ぬことも、あるのだな。」
「……。」
 顔は顎の下にあるから、どんな顔をしてこの台詞を口にしたのか知ることができない。

 どちらが悲しくないのだろうか?
 と、奴はいった。
「……悲しい?」
「ああ。」
 それ語る前に、おまえにききたいことがある。
「俺が死んだら、おまえは悲しいのか?」
「……。」
 俺は奴の頭をそっと引き剥がし、視線が合うように上に向かせた。
「……ん?」
 奴は、しばらく不思議そうに俺の顔をみつめた後、静かに、こう呟いた。
「……分からない。」
「……。」
「分からない。誰かが死んで、悲しかったことは、一度もないから……。」
 奴はフワリと微笑んだ。何の悩みも苦しみもそこにはなく、子供のような真っ白な、そんな笑顔だった。ここがヒカリに満たされた平和な世界なら、喜んで受け入れたであろうその笑顔が、今は何だか辛かった。
 何だかとても厭な感覚で。
 何だかとても、悲しいことのような気がした。

 ……だが。
「じゃあ、もし悲しくなったら、俺がおまえの中で一番最初になるんだな。」
 何だか、とても大切なことのような気も、した。
「え……?」
 奴の顔は、再び、何かを考え込むときの宙を漂う面に落ち着いてしまっていたが、構わず、俺は奴の目を覗いて笑った。ここ一番の優しい笑顔ってヤツをみせてやった。
「なあ。」
「ん?」
「心に刻んどいてやろうか。」
「?」
 俺のこと、忘れないようにさ。
 俺は、奴の頭を撫でる振りをして、その髪を掴んで無理矢理引き寄せた。

 俺、おまえのことキライじゃないから。
 おまえがもしも死んで、俺の心の中に生きていたいと思うなら、俺は全然構わないんだぜ。というより、この先の人生で、おまえみたいな面白い生き物に出会う確率はかなり低そうだし。だから多分俺は忘れない。
 だが、おまえの心は浅いから。
 忘れてしまうのだろうな、きっと。
 忘れてしまうのだろうな、きっと。
 今こうしている間にも、無駄な足掻きだよって笑われている気がするくらいだから、きっと……。

「ところで黒鵺。気になることって何だ?」
「ああ……。おまえさ、ずーっと、頬っぺたに血糊がついてるんだよね。取ったほうがいいよ、貧しいコにみえるから。」
「?どこら辺?」
「違う、反対。……ホラ来な。拭ってやる。」


金魚の水槽

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