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インプレッション  i m p r e s s i o n


 こんな夢をみた────。

 真っ暗な回廊。
 白い柱が延々と並び、その先は何もない。周りをみ渡しても、やはり何もない。
『じゃあな。』
 と、奴はいった。
 そのまま背を向けて、回廊を歩いて去る。一体、何処へ行くんだ……?
『何処へ行く?飛影。』
 オレは奴の背に問うが、奴の足は止まる気配をみせない。
『飛影……?』
 立ち止まらせたい。力ずくでも。
 オレは一歩、歩みを進めようと試みる。試みる……?そう、試みる。なぜなら、オレの両足は、足首から下が床の下にずぶずぶと沈み始めているのだ。一歩は踏み出せた。だが、二歩目がひどく重い。……これ以上、歩けない。
 奴はもう随分先まで進んでしまった。
『飛影!』
 なぜ止まらない?
 何処へも、行かせたくない。オレは奴の名を叫ぶ。
 すると不意に、奴の足が止まる。
 ようやく……。オレはほっとして、表情にも自然と安堵の色が戻るが……?
 奴は立ち止まったが、振り返らない。そして、
『?』
 首だけを僅かにこちらへ向けて、奴は確かにこういった。

『悪いな。俺は顔も身体も装置ではないまともなオンナしか愛せない。』
「な……!」
 はっとして、目が覚めた。跳ね起きるとは、こういうことをいうらしい。目の前は闇、だがここはオレの部屋だ。広い寝台の上、汗が妙に冷たい。髪を掻き上げて、呼吸を整える。……まだ、心臓が高鳴って落ち着かない。
 闇を仰ぎ、深呼吸を一回。
 深く吸い込んだ息をゆっくりと吐き出す。
「夢……。」
 呟いてから、不図、隣をみる。
 そこには奴が寝ていた。そうか、今日は寝床を共にしたのか、すっかり忘れていた。一人寝ではないとは、不思議な感覚だな。微笑が表れるのも否めない。
 だがそれにしても……。
「すぅ……。」
「……。」
 この男。随分と、穏やかな寝顔ではないか?
 ついさっき、オレにひどい衝撃を与えたその張本人のくせに。何だかすごく、腹が立つ。だからつい……。
「莫迦っ!!」
「ぐほっ。」
 ……無意識に手加減をしたらしい。少し寝台にめり込んだだけで済んだ。目を覚ました飛影は、鳩尾を抱えてもんどり打つが、オレは気が済んだのと、多少の申し訳なさが生まれたのとで、
「フン。」
 奴に背を向けて再び布の中に潜り込んだ。
「……貴様。寝込みを襲うとは焼きが回ったな。卑怯だぞ。」
「悪い、寝呆けていた。」
 表現としては、間違ってはいないだろう……。
 飛影は、呻いたり、咳き込んだりして、幾らか辛そうに水差しに手を伸ばした。
「何だ。闘う夢でもみていたのか……?」
 忌々しげにそういうから、
「そうだ、済まなかった。回復したら寝ろ。もうしない。」
「……。」
 奴は水を一口飲む。そして軽く舌打ち、ばったりと寝台に倒れるようにして、再び横になった。背を向けているらしい。オレも、今宵は何もなかったつもりで、目を閉じる。
 だが実際は、眠れる心境ではなかった。夢は夢として、とっくに意識の彼方へ消え去っていた。それなのに、心の中に妙に引っかかるモノが残って息苦しい……。
 結局、目を開かざるを得ないのか。オレはため息のように息を吐いた。奴のほうに寝返ろうと思ったが、
「どうした?」
 先手を越された。オレの様子が、一応は気になっているらしい。
 オレは、もう一度息を吐いてから口を開く。互いに背を向け合ったまま……。
「オレのこの身体……。」
「ん?」
「この、顔。」
「……。」
「……治したほうがいいと思うか?」
 問うが、飛影の答えは間髪を置かずに返される。
「おまえがそうしたほうがいいと思うなら、そうすればいいだろう?おまえの身体だ。」
 素っ気ない。
 語尾に「知るかそんなこと。」とつかなかっただけ、まだましか。まあ、勢い的にはそんなところだが、
「……突然何をいい出すんだ?」
 次に接ぐことばを迷う合間に、今度は奴に問われる。
「男は、そういう生き物なのだろう?」
「……ん?そういうとは?」
 奴は今相当機嫌が悪いようだ。面倒臭そうに先を促して、欠伸をする。そんな態度をされると、オレの調子も段々臆病に、遠慮がちになってしまう。
「……だから、男は、厭なモノなのではないか?半分溶けているオンナなど。」
「半分残っていれば充分だろう。」
 随分と乱暴ないい草だな、おい。これでも傷つけられたんだぞ、おまえに……。
 だが、オレのいいたいことに、察しはつくのか、
「困った奴だな。」
 背後で、奴が動く。寝返りを打って、天井でもみているのだろう。ため息がきこえた後、奴はいった。
「確かに。」
「……。」
「そういう男はいる。否定はできん。」
「……そうか。」
「だが、おまえはそのままでいろ。」
「……なぜだ?」
 奴は笑った。そして、「オンナは変わり易い生き物だからな。」といった。
「治すのはおまえの勝手だ。しかし、これだけは断言できる。」
「?」
「おまえ、弱くなるぞ。」
「……。」
「……あっという間だな、きっと。昔のことなどすぐに忘れる。……今、こうしていることさえ。」
「……。」
「まあいいが。俺も、弱いおまえに興味はないしな。」
「飛影……。」
「だが、何も心配はいらんぞ。おまえはいいオンナだ。元通りの身体になれば、幾らでもいい寄ってくる男が現れる。……俺なんかには、すぐにみ向きもしなくなるさ。」
「……。」
「だから、好きにしろ。」

 これは、どう捉えればいい?
 オレは、この男に必要とされているのか……?
 ……そんな素振り、みせられたこともないのに。ああ、何だか頭の中が混乱してきた。
「男は、周りくどい……。」
 そう呟くと、
「じゃあ単刀直入にいってやろうか?」
「?」
 奴が動く衣擦れの音。
 冷たい指がオレの頬にかかる髪を除け、呼吸がかかる程の距離に、奴が近づく。
 そして────、

『おまえはかわいいオンナだ。』
「な……!」
「ああ、いって置くが。二度といわんからな。」
「……。」
「分かったら、もうしばらく俺の独り占めになっていろ。」
 奴の身体はそのまま素っ気なく退き、また元のように背を向けて横になってしまった。今はもう、まるで夢から目覚めたときと同じ光景だけが、寂しく暗くオレを包む。
 だが……。
 耳の辺りがまだくすぐったい。
 きっと、夢では感じられない感触。奴の寝息と同じ、これが現実。そして。恐らくこのくすぐったさが、幸せというのだろう。今やっと分かった。オレは幸せな状態に在る。
 だから飛影、少しだけ我侭をいわせてくれないか。今宵は朝まで、この温もりに寄り添って眠りたい……。


金魚の水槽

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