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2 0 0 1 - 1 0 - 2 7
No.
0 0-
バカンスの男
M E N i n t h e v a c a t i o n
「最近さあ……。」
「ん……?」
蔵馬は読書が好きだ。
ベッドの上に足を伸ばし、壁にもたれて本を読む妖狐。この場所から眺める景色は淡いランプの光に照らされ、現実を忘れさせてくれる甘い幻想。
「おまえから薔薇の匂いがしなくなった。」
時は夜。
俺はいわれるままに、奴の足の裏など、揉んでやっている。同じベッドの上に胡坐をかいて、その冷たい足を膝に乗せて、時折奴の蔭りのある表情を眺めて、この男は仕事を離れると随分アンニュイに変わるものだなとか、思ったりする。
「そうか?」
「……何か、温泉臭くなった。」
ちらっと顔を上げて奴を覗く。奴も丁度俺を窺っていた、もう一度「そうか?」と呟いて、自分の手首をくんくんと嗅ぐ仕草をしてみせる。その計算とは無縁のあどけない行為に、俺は思わずくすりと笑う。
「もう薔薇は咲かないのか?」
奴はいつものつまらなそうな目を本に落とし、
「咲くよ。その気になれば、この部屋中薔薇の花で埋め尽くすことだって……。試す?」
「いい、旅館の主人に怒られる……。ほら、反対の足、貸しな。」
膝の上の足が引っ込められ、もう片方が当たり前のように膝に乗ってくる。俺は小さくため息を吐き、「いいご身分だな。」くらいの厭味をいってみたいが……。
「下手くそ。」
「……。」
それよりも早く奴がぽつりと、だが俺にしっかりきこえるように、呟いた。
「おにいさんねえ、天下の大盗賊、黒鵺様に足の裏揉ませてるんだぜ?嘘でも『ありがとう。』とか『悪いな。』とか、いえないか?」
折角の俺のご教示も、奴の前にはあっさり吹き飛ぶ運命。
「『ありがとう、悪いな。』。」
「ムカつく……。」
俺は奴の足をよいしょと下ろし、膝を立てた形の「処理済」の足に両腕をかけて、身を乗り出す。蔵馬はそんな俺の様子を一瞥するが、すぐに興味は本の世界に移る。
「……なあ。そんなにタルイんだったらマッサージ屋さん、呼ぶか?」
妙に真面目腐った顔を作って、こんなことをいってみる。実際のところ少々機嫌も悪くなったことだし、たまには奴の子供じみた我侭を突き放したい。
「俺の『ぺたくそ』なマッサージより余程ましだろう。」
「……。」
「そのくらいの金なら出してやるぜ。な。」
「……。」
そこまでいって、再び奴の表情を覗く。
奴はしばらく何もいわずに本を眺めていた。だがようやく上げた顔で、ひとこといった。
「……厭だ。」
まだ我侭をいうか?大袈裟にため息でも吐いて、不機嫌なまま自分のベッドに戻る……、ことだってできたが。
奴の目をみた途端に、そんな気も失せる運命。
そう、迷子になったガキみたいな顔をして、訴えるように、
「厭だよ。……おまえ以外の奴に身体を触らせるなんて。」
「……。」
そんなことを面と向かっていわれたら、……ちょっとうれしいじゃねえか。
何気ない瞬間に、蔵馬が俺を正しく認めてくれているらしいことが分かる。そしてそんなとき、俺は奴との関係が始まった昔を思ったりする。
……出会った頃は身体にも触れなかった。別に触る用事があるわけではないが、手の届く距離にいることはまずできなかった。用心深く、それにも増して疑い深く、誰も信じようとせず、自分ですら信じることに不安そうな妖狐。これ程までに強く、これ程までに弱い生物を、俺は知らない。
「……変われば変わるものだな。」
そんな蔵馬も、俺に心を開くようになった。
……いや、本当は心なんて明かしてはいないのかもしれない。すべては奴の作り出した虚偽の世界で、俺が知っている蔵馬も表層の一角なのだろう。悲しいことにそのほうが正しい気がするが、奴がそれで満足なら、今はそれが「正しい」ことである気もする。
「そうだな、俺も相手がおまえじゃなかったら、足なんか揉んでやらねえもんな。」
そういって、俺は唐突にベッドの奴の隣に身体を投げ出す。身を落ち着かせると、俺が除けるつもりはないということを察して、奴が少し間を空けるように移動する。
奴の手を取って、その手の平を口元に持っていく。
「何?」
奴はさして驚きもしない。……そういえばこんな遊び、ここに来てからしょっちゅうしている。
「嗅いでるの。」
「温泉臭いか確認?」
「腹減った。」
「オレは食い物じゃないけど。」
「ある意味食い物。だけど腹は膨れねえな。」
「……。」
三度(みたび)、奴の顔色を窺う。
「何か食いに行く?」
奴の目が、俺をみて穏やかに笑う。だが俺はその視線を避けるように、奴の手の平に顔を埋めたまま身をうつ伏せ、目を閉じる。
「ここしばらくさあ……。」
「?」
蔵馬の匂いがする冷たい手にくちびるを当てて、独りごつ。
「出来合いのものしか食ってねえよな……。」
「……。」
「ほら、角の中華屋とか、大通り沿いの大衆食堂とか。」
「……。」
「俺さあ……。」
「……ん?」
「久しぶりにおまえの手料理、食いてえな。」
「……。」
蔵馬はそれに対して何もいうことはなく、ただじっと俺をみつめていた。
何もいわず、……だが答えないというよりも、奴の気配からは驚きと困惑が入り混じったものが感じられる。
単なる戯れのつもりだったのだが、困らせてしまったか……。自分が相手に求めるものが多い分、自分は相手から求められる存在ではないと思い込む節が、蔵馬にはあった。
俺のほうも別に何をいってほしいわけでもない。
「……そろそろ寝る?」
手の平の柔らかい部分に歯を立てるようにして、静かにきく。
「ん。」
我侭な子供が、ほっとしたように頷く。
奴が寝床に潜り込むのを確認して、明かりを消す。俺も自分のベッドに身体を横たえて、奴のベッドのほうを向くが、奴は俺に背を向けて眠ることが常だ。
「……黒鵺。」
明かりが消えて間もなく、奴が俺の名を呼んだ。
「ん、どうした?」
「……今日と、あと一泊。」
「?」
「そうしたら、休暇を終わりにするから……。」
「……。」
「だから……。」
徐々に小さくなる声。俺は奴にきこえないように苦笑する。
どうやら先刻の「手料理が食いたい。」が効いたらしい。こうなると、普段の我侭狐もかわいく思えてくる。
「蔵馬。」
「……。」
「ベッド、くっつけようか?」
「?」
訝しそうに、もそっと奴の影が振り向いた。
だが、俺は笑っていう。
「な。そうしよう。」
「……その利点は?」
「寝相の悪い狐がベッドから落ちない。又は、ベッドから落ちる音をきかないで済む。」
「……。」
「……。」
しばらく暗闇の中で視線を合わせて、俺は奴の我侭にうんざりしながら、結局奴をキライになれないことに気づく。
……というよりも、むしろ奴のことが気に入っているという現実に、気づかされたりする。それに今は……。
「落ちないよ。」
不機嫌そうに呟きながらも、ベッドを下りてずるずるとベッドを移動させてくる奴に、「嘘吐け、ここに来てから何度起こされたか……。」なんて毒づく余裕もあることだし。
「間空けるなよ、その隙間に落ちるぞ。」
「……絶対落ちない。」
金魚の水槽
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