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与太  n o n s e n s e


 ……

「なあ、どうせくれるならそれがいい。」
「ん?」
 ハンドルを切る左手に、オメガ。
 奴は笑った。左手を背に回し、隠す仕草をしておどける。
「だめだめ、これは時を渡るときに必要なんだから。」
「嘘吐け。どこの世界にスピードマスターで時を渡る男がいるんだよ。」
「こーこ。」
「……。」
 オレはドアの上部に肘を乗せ、外に向かって大袈裟にため息を吐く。その表情が、余程うんざりしているようにみえたらしい。奴は子供をなだめる口調を遣い、優しい男の振りをして笑う。
「こら、そんな厭そうな顔をするなよ。正体が分かった途端にこれかい?」
「……。」
 返事をするのもうんざりで、オレは流れ行く景色と海の匂いに現実逃避。
「寒くない?」
 オレが機嫌を損ねたのをみつけて、落ち着いた大人の声が優しく尋ねる。少し寒いけど、そういったらおまえは脱ぎ捨ててあるジャケットなんかを差し出したりするのだろう。これ以上奴の軽薄な姿をみていたら気が狂う。
「いや……。」
「そう?」
 奴が微笑む。
 ことば遣い、表情、気配……。何ひとつこの男と奴を結びつけるものはない。
「……どうしておまえからは妖気を感じないのだろう。」
 自問するように呟く。
「んー?」
 少しは明確な答えがあるのだろうが、奴は思いの外けろりといった。
「それはね、ここにいるときは妖怪じゃないからだよ。」
「……。」
「……。」
「ここにいるときは?」
「そう。」
「じゃあ……?」
「若い頃のきみといた頃は、妖怪だった。」
「……。」
「でも、今はニンゲンの世界にいるから。」
「分からないな。同一人物なんだろう?」
「さあ、それはどうかな?」
 最後のことばのところで、奴は悪戯に笑ってみせた。
「ねえきみ。」
「何?」
「おじさんの身体構造が知りたいんだったら、ひとつだけ方法があるよ。」
「え……?」
 急に真面目ぶった声でいうから、どんなに重要なことかと思いきや……。
「あの電気がついてる看板、読んでごらん。」
 奴はハンドルを握ったままの右手から人差し指を立て、前方を示した。
「『MOTE……」
「……。」
「る』……。」
「あはははは……。なーんて。入る?」
「ふざけるなよ変態っ!」
「ほらほら、YESかNOか、はっきりしないと左折しちゃうよ。」
「NO。GO STRAIGHT。」
「了解。」
 道沿いのモーテルは直進で通り過ぎ、奴は、もう奴を向かなくなったオレを再びなだめ出す。
「……怒るなよ。冗談だったんだから。」
「分かってる。」
 不機嫌なわりにはあっさりと吐き捨てたオレを、奴は不思議そうに横目でみる。オレは淡々とことばを吐く。
「おまえは男色家じゃなかったから。」
「……。」
 ヘッドライトが冷たいアスファルトの上を流れていく。
 夜の風に遊ばれながら、オレは遠く、暗い海の果てを眺める。
「……おまえからはいつも女の匂いがした。」
「……。」
「ひとりで遠出したかと思えば、帰ってきたおまえの身体には女の匂いが染みついていた。しかも連れ帰る匂いは毎回違う女。」
「そうだったかな……。」
「本当はそれが、いつも不愉快だった。」
「……。」
「……不愉快だった。」

 ……
 雷鳴が響く夜のはなし。

 小屋の木戸が古びた音を立てて開いた。
「よお、今帰ったぜ。」
 オレは簡素な寝台に横になったまま動かない。声の主が誰だかなど、五百メートル離れた場所から近づいてくる匂いで分かっていたから。だがオレが身動ぎしないのをみとめた奴は、ずかずかと歩み寄りオレの休む寝台に乱暴に座った。そして怒ったような、呆れたような声で咎めながら、いつも酔ったときにするようにオレの頭をくしゃくしゃと撫でた。
「こら、俺が帰宅したんだぜ?もうちょっと敬った出迎えかたできないか、おまえは。」
「……敬う?オレが、おまえを?」
 オレはそういって鼻で笑う。頭に乗ったままの奴の手は邪魔なので首を振ってどかす。
「久しぶりに会ったのに態度悪いな。おまえ、俺を誰だと思ってるんだ?」
「疫病神。」
 半分以上の本心。どういう理由があるのかは知らないが、奴はオレを手にかけようとはせず、側に飼って管理している。今、オレのすべてが奴の手中にあるといってもいい。その間飼い殺しにはされず、様々な知識を教授された事実はありがたいと思っている。しかし、生物であるオレを私物視する態度にはいい加減うんざりだ。
「不正解。俺はおまえのセンセイだろうが、ん?」
「へえ、それは知らなかった。」
 ため息を吐いて半身を起こす。頬にまとわりついた髪を除けるが、寝乱れた髪は奴の手で余計に荒らされて手に負えない。不機嫌なオレを余所に、奴は終始マイペースな自分本意だ。オレの顎に指をかけて、場違いに優しい微笑みをみせる。
「どうした蔵馬。俺がおまえを放って長く留守にしたもんだから、拗ねてるのか?」
 冗談だろう、自惚れるな。
 軽蔑を込めて睨みつける視線も、効果はないか。奴はひとこと「かわいい奴だよ、おまえは。」と呟いて、汚くまとめられた旅の荷物を引き寄せる。
「そんなことだろうと思ってな、土産があるんだぜ。」
 喜べといわんばかりにいい、荷を探る。期待できるものが現れるとは思えない、オレは寝台の上に胡座をかいて面倒くさそうな仕草を隠さない。
 奴はふらっとどこかへ出掛けたと思うと、そのまま数ヶ月は平気で戻らない。そんな感じだから帰ってくるときも前触れもなくふらっと現れたりする。
 帰ってきた奴からは大抵オンナの匂いがした。いつも別の匂い。数人を同時に連れ帰ることはなかったが、一度嗅いだ匂いを再び嗅ぐことはなかった。なぜだか分からないが、それは嫌悪すべきことのようにオレには思える。
 だから、奴が帰って一番にみるオレはいつも不機嫌に顔をしかめていた。器用に感情を隠すことができないオレは、奴にとっては単なるガキなのだろう。帰って早々、なだめすかすように取り出すのが土産だった。毎度、それもどこで仕入れるのか意味不明で使えない代物ばかり……。
「ほら。取れ。」
 そういわれて奴が差し出したものをみて、オレはわけも分からず固まった。
「……何、これ?」
「テディベア。」
 何かの動物を模した三十センチ強の人形だった。否応なしに胸に押しつけられたが、これをオレにどうしろというのだ?
「……は?」
「は?じゃなくてテディベアだよ。かわいいだろう、ん?ほら、この足の裏にシリアルナンバーが入ってるだろ、四番。フランスの有名な作家の品だ。大事に持っていれば後々高値がつくぞ。」
「『後々』っていつのはなしだ?」
「そうだな、千三百……。」
「ドクター・ア・デイドリーム?」
「ん?」
 奴が淡々とうそぶくのを制し、興味の持てない声のままきいた。
「……フランスって、どこ?」
「フランスといえばおまえ、スペインの隣の国だろうが。」
「……。」
 オレは呆れてため息を吐く。なぜこの男の口からはこうでたらめな単語しか出てこないのだろうか。更に、
「まだあるんだぜ。」
「もういい。」
 もう充分我慢した。掛け布を手繰り寄せて再び寝入ろうとする。
 その腕を奴が乱暴に掴んで、「ぐずるなよ。」といいながら、オレの右手を無理矢理広げて軽く小さな物体を乗せた。
「何?これ。」
「髪留め。」
「……。」
 なるほど髪留めだった。細工は単純だったがつくりはしっかりしている。表面の片隅に飾りなのか、記号なのか、三日月ふたつの尻同士を重ねたようなしるしが浮き彫り加工されている。その部分を指でなぞっていると、奴はいった。
「シャネルだ。」
「シャネル?」
 何だそれ?
「これは結構いいモノだぜ。」
 オレが興味を示すのをうれしそうな目で眺めている。悔しいが、うまい具合に壷にはめられている……。
「おまえ、髪がうっとうしそうだから、たまにはこういうのもいいだろう。」
「……。」
「ほら、つけてやる。」
 奴は慣れた手つきでオレの髪に触れる。そして……。

「……ひとり占め、したかった?」

「自惚れるな。」

「おまえみたいなかわいい人形も珍しいな。」
 髪留めをつけてやる?……それが単なる前振りだっていうことくらい、知っている。
 そして、奴は乱暴にオレを突き飛ばし、寝台の上に押しつけた。
「酔ってるのか?……酒臭い。」
 恨みがましく睨みつける。だが、奴の目は、目を逸らしたくなる程に冷たい。心の内の強気とは裏腹に、口を吐くことばは負け犬の遠吠えだ。
「……オレは、おまえの玩具ではない。」
「玩具だよ。」
「違う。」
「玩具だ。」
「違う……。」
「じゃあきくが。」
 奴は寝台の上に座り直し、右手で完全に顔を背けたオレの頬を撫でる。自分の獲物であることを確認するように。
「これに答えられたら、もう『玩具だ。』だなんていわないぜ。ん?」
 声色は、先程よりもずっと優しく変わっている。
 それなのに、オレは奴のことばをきき終わらないうちから、びくっと身体が震える。
 理由は分かっている。
 ……答えられないことが分かっているから……。
「おまえのどこが、玩具じゃないんだ?」
「……。」
 優しい悪魔の目が、何もいわないオレを冷たくみ下す……。

「この車はどこまで行くんだ……?」
「どこまで行って欲しい?」
 奴は悪戯で軽薄な男の振りをしてきき返す。
 オレは流れる景色を色もなく眺めながら、奴の興味深げな視線を突き放す。
「地獄の果て。」
 奴が笑う。
「それは遠いなあ……。」


金魚の水槽

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