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一者一様
o m n i b u s
茶室を模した質素な部屋で、一国の王と一人の老爺が対峙する。
交渉は明らかな決裂を示していた。幾ばくかの沈黙を経て、黄泉は歯噛みをし、老爺は笑った。
「貴公はまだ若い。それは心の根までは腐っていないということ、己が心に浮かんだ答えを大事するとよい。老輩はそれを信じますぞ。」
事実上の勝利宣言。打つ手の尽きた黄泉になす術はない。膝に置いた両の拳をきつく握る。老爺は笑わぬ目にそれを映し、
「口惜しいですかな。正直なおかたじゃ。」
「……。」
「しかし、如何する。我が自治区に軍を差し向けようか?……貴公の真の敵は我ではない。高々一万の民を我が物とするために、『監視されている身ならば』それは愚行というもの。」
……老輩などといいながら、鼻は衰えていないな、老師は。躯サイドの情報戦が、最近殊に活発化していることをよく心得ている。
「ならば、今この場で我を殺そうか?……できますまい。」
しかし堂々としたものだ。黄泉の気配は、とっくに白から黒へ転じているというのに。妖気を察する力。多少は衰えているのかな……と思ったら、
「隣の室に控えている男がそれを許すまい。」
……なるほど、堂々としている訳だ。
「貴公が唯一逆らえぬ相手じゃ。」
心の中で舌を出す。
「勇敢なおかただ。」
とオレはいった。中庭を囲う回廊を歩き、斜め後ろを控えめに歩く男に、
「会談の後半辺りから黄泉様の気配に殺気が立ってきて、みていて心臓が止まりそうでしたよ?」
そういってちらりと振り返ると、老師がおやおやという顔をする。
「昔の手駒に。いつから『様』などとつけるようになったのじゃ?」
「ごく最近です。ああそれから、手駒ではありませんので悪しからず。」
「ほう……。」
老師が興味津々に眉を動かす。
オレは、
「アルバイトみたいなものですよ。向こうは猫の手も借りたいみたいだし、狐の手でよければと貸しているまでです。」
そしてことばの最後に、他意はありませんとつけ加える。
「他意はない、か。」
「……。」
……まあ、信じよう──中庭に視線を移し、老師が呟く。
「それにしてもな。」
「?」
「そなたが人間に化けているとは、流石に想像しなんだ。手習いで変化術でも覚えたか、突飛な奴め。」
「あはは。これには深い事情がありまして。はなせば長くなるので今日は止めておきましょう。」
門口まで来る。
「ではな。」
と最後に老師が振り返った。
「そなたと会えてうれしかったぞ?この年になると昔を知る者が次々居なくなる。」
「私もです。」
一礼してみ送る。
「……。」
……ここまでが与えられた命令だ。
責務は果たした。だから、次からは自らの意志で動く。
踵を返し、元の回廊へと歩を進めながら、袖口に忍ばせておいた内線端末に語りかける。
「理玉老師が帰られた。余計な心配かと思うが、念のため警護を頼む。二人態勢だ。決して覚られるな。」
「了解。」
端末の向こうから凍矢の冷静な声が答える。続けて、
「だが、……いいのか?この会話は国王に筒抜けだぞ。」
「好都合だ。黄泉は分別のある男だ、きこえているなら、オレの部下に手を出すなんて莫迦な真似はしないさ。」
「へいへい部下ねえ〜。」
少し離れた位置に陣が居るらしい。部下という響きは流石に気に食わないか。だが、素直にぼやかれるほうが、逆に気が楽だったりもする。笑う。
「御免。オレの立場も考慮して、仲間と読み替えておいてください。」
答えると、今度は凍矢の呟きが、
「あまり苛めるなよ、陣。報復されるぞ?」
「ひとこと多いですよ……?」
茶室を模した質素な部屋で、
「帰られました。」
「そこに座れ。」
「……。」
示された位置に素直に正座する。既に座していた黄泉とは斜めに対峙する形となる。
黄泉が吐き捨てる。
「気に食わん。」
オレは、
「何のことでしょうか。」
「何のことだと思う?」
「思い当たることが幾つもあり過ぎて、ひとつに断定するのは難し……。」
「恐らくそのすべてだよ、蔵馬。」
「……。」
黄泉が大きく息を吐く。相当苛立っているようだ。そして、その半分はオレが助長している。
「この俺が、暗殺を企てるとでも思ったか。」
「答える義務はありません。」
黄泉の左手が空を切る。
と同時に、頬に熱のような痛みが走る。
「……。」
頬から顎へ一筋の血が伝う、その現実にも、オレは表情ひとつ変えない。まるで麻痺しているようだ。何も感じない。恐れることを忘れている。
黄泉が自嘲ぎみに呟く。
「さぞかし面白かっただろう。俺がしてやられる様を陰から眺めるのは。」
「陰から眺めていたのはそれがあなたの命令だったからですよ。」
「御託はいい。」
オレのことばを遮り、黄泉は腕を伸ばした。オレの顎に乱暴に手をかけ、正面を向いていたオレの顔を自分のほうへと向かせた。
「おまえにひとつききたいことがある。」
「理玉老師は無事自治区へ帰られた。おまえのいった通り、何も起こらなかった。追跡者の気配すらなかったよ。」
そう報告する凍矢の隣で、意味ありげに横を向く陣は、
「ま、蔵馬の命令通り、とはいかなかっただがな。」
呟く。
「それはどういうことだ?」
オレの問いを、引き継いで凍矢が答える。
「自治区の正門を潜ったところで、老師に一礼されたよ。……完璧に覚られていたということだ。」
「……。」
……なるほど、大した老輩だ。何年経っても、黄泉に勝てる相手ではないな。
「で、おまえのほうはどうだった?」
「ん?」
「どうやら頬の傷ひとつで済んだようだな。」
軽く指を差し、凍矢が苦笑する。
オレはその部分を撫でるように隠し、
「ああ、この程度。傷の内に入らないよ。」
「傷の内に入らないなら、さっさと治してしまえばいい。」
妖力を使えば簡単だろう──そういわれ、今度はオレが苦笑した。
「あの男につけられた傷に……、そんな厭味なことはできない。」
「……。」
呆れた顔をされる。
そして、最後には結局苦笑され、
「……オレには理解できん関係だ。」
「ふふ。心配ですか?」
「毎日胃が痛そうな顔をしている。」
「慣れると癖になりますよ。」
「もしもこの場で俺があの男に手を下そうとしたなら、おまえはそれを阻止しただろうか。」
「……。」
黄泉が、オレを試すときの顔をする。
オレは顎を掴んだままの奴の手を──
「まさか。」
ゆっくりと引き剥がしながら、その瞼の辺りをみつめ、笑った。それは先の会談で、かの老爺がそうしたように……。
「確かに彼は、過ぎし日の知人ではあるが、だからといって、彼の命を守る義理は、オレにはない。」
「……。」
退けた手がオレを掴んだまま放さない。
奴はオレの手を自らの頬へ愛しげに押し当てながら、おまえは厭な男だ、といった。
金魚の水槽
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