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雨は夜……  A t r a i n y n i g h t


 退屈な島だと思う。もっともここにはリゾート目的で来たわけではないのだから、そんな感想を漏らしても仕方がない。だから、よっぽど時間がないと読まない本を数冊持ってきたことが正解だったなんていうことも、あまり意味をなさないので口にはしない。
 夕方から幽助と桑原くんは女性たちの部屋へ遊びにいっている。桑原くんは雪菜ちゃんが応援に来ていることがよっぽどうれしいらしい。彼はそんな好意の気持ちを隠すことがないので、見ていて気持ちがいい。幽助も蛍子ちゃんの顔が見られることはうれしいはずなのだが、表には出さない。不器用というかぶっきらぼうというか、もう少し素直になったほうがいいと思う。しかし、それでも互いに気持ちが通じているところを見ると、ほほえましくも思う。
 彼らが部屋を出たのと入れ違いに飛影が現れた。それからヒトの出入りはない。よって今ここにはオレと飛影のふたりだけなのだが……。
 飛影は窓辺に座って外を眺めている。外はもう暗く目を凝らしてもオレにはなにも見えないが、彼の目にはなにが映っているのだろう。
 オレはソファーで漱石を読む。文学小説なんて柄でもないか。
 頁をめくる音だけがする。
 この空間は居心地がいい。少しも演じる必要がないからだろう。オレがオレ自身でいることを受け入れてくれるヒト。逆にオレの中に嘘偽りを見るのを嫌うヒト。
 オレは飛影を眺める。彼はどう思っているのだろう。勝手な見解だが、おそらく彼もこの空間にある種の心地よさを感じているはずだ。彼は居心地の悪い場所にとどまっているようなヒトではないから。気まぐれでマイペース。他人との必要以上の関わりを避ける反面、その目の奥には淋しげな影が覗く。
 飛影を見ていると飽きない。猫のようだ、そう思う。執拗に構えばうるさがって逃げてしまう。だから放っておく。こちらから構うことはしない。
 ほら、こうやって見ている視線さえ気になっているようだし。
 オレは再び本に目を落とす。

 ……

「おい。」
 飛影のほうから話しかけてきた。少々意外だが、無愛想な猫に構われるのはうれしい。
「はい?」
「さっきからなにを読んでいるんだ。」
「本。」
 それは分かっている、と彼の目がいっている。
「『こころ』、夏目漱石。」
「ふうん。」
 ……たぶん分かっていないだろう。
 彼から声をかけてきた理由はだいたい想像がつく。僅かだが気まずさを感じ始めている。逃げられそうだな……。
 そんな予感がしたので、そうなる前に予防策をとることにする。
「重い罪を背負いそれを誰にも明かさずに生きる男と、多分一生男の過去を知らないまま生きていく細君、男の正体を知らずに師と慕う若者の話で……」
 オレはいかにも話の続きのようなそぶりを見せつつ立ちあがる。コーヒーを入れようと思う。もちろん二人分。飛影はそれに気がついたのだろう、おとなしく待っていてくれる。
「結局はその男は過去を記した長い遺書を残して自殺してしまうんですけど。」
 入れたてのコーヒーを飛影の元へ運ぶ。
「不条理な話ですよ。はい。」
「……ああ。」
 オレはにっこり微笑んで見せる。
 でもそれだけ。
 ソファーに戻って、何事もなかったかのように続きを読み始める。飛影がカップに口をつける気配がする。これで三十分はもつでしょう。

 ……

「あ。」
 ?
「雨だ。」
「あめ?」
 オレは読みかけの本を伏せ、窓辺に歩み寄る。外の風景はまったく見えないが、窓ガラスに雨粒が当たっているのは分かる。
「結構降ってますね。」
「ああ。」
 雨音だけがする。静寂。
「雨か……。」
 飛影は相変わらず窓の外を見たまま。ちらりともこちらを向かないのが少し淋しい。
「……落ち着かないんじゃないのか。」
 しばらくの間の後、彼が静かな声で訊ねる。
「なぜそんなこと。」
「……。」
 彼は空になったコーヒーカップに視線を移す。どうやら先程から窓に映るオレの様子を見ていたらしい。彼の目にはその行動が余計な気を使わせているように映ったのだろう。
「そんなことありませんよ。」
 オレは穏やかに否定する。
「あなたのほうこそ、オレがいると居心地が悪いのでは。」
 口にしてから、我ながら肯定されたくない質問をしたものだと思う。
「いや。」
 オレの心配をよそにさらりと否定されたことに内心安堵する。
「貴様は過干渉じゃないから、楽だ。」
 ……意外だ。彼の口からオレに対する気持ちをきくことは滅多にないから、返すことばも思いつかない。
「居心地も悪くない。」
 そう続けられた台詞に、思わず目を細める。
「ひとりでいるのが好きなんだと思ってましたけど。」
「そうだな、それはそのほうが楽だ。」
 ……今度はあっさり肯定されてしまった。
「だが……。」
「?」
 飛影の左手がまっすぐ伸びてきて、オレの頬に軽く触れて止まった。
「たまには手の届く場所にいるのも悪くない。」

 雨音だけがする。静寂。一瞬、時が止まったように……。
 『雨は夜、ヒトを大胆にするから。』……なにかでそんな台詞と読んだことがあったかな。

「それに。」
 彼の手はすぐに引かれ、彼がするのと同時にオレもドアのほうを振り返っていた。
「居心地のいい時間は長く続かないしな。」
「……そうですね。」
 そういって笑いながら、このままこの空間に幕が下りてしまうことを少しだけ残念に思う。多分、今のように彼と時間を共有することはもう二度とないだろうから。
 にぎやかな声がきこえてくる。その主は……。
「なんだよ、突然夕立なんて。びしょぬれじゃねえか。」
「夜だから夜立ちっていうんじゃねえの?」
「あん?なんだよ、そんなことばきいたことねえぞ。」
 ノックもなしに勢いよくドアが開く。
「おーい、蔵馬、タオル取ってくれ。」
「はいはい、ちょっと待ってください。ふたりとも、どこにいってたんですか?」


金魚の水槽

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