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リスペクト  r e s p e c t


 俺は奴の背中をみつめる。
 奴は、視線を感じて少しは邪魔臭そうにするのかと思えば、
「何?」
 穏やかに、そして幾らかうれしそうに、声が戻る。フライパンを片手に、炒める手を休めることはない。
「いや。」
 素っ気なくいい、テーブルに頬杖をつく。するとすかさず、
「行儀悪いことしないでください。」
「……。」
 この男の世話焼き体質は病気のようなものなのだろう。こういう些細なことで逆らうと後の問答が非常に面倒だと思い知らされてきた。俺は黙って腕を組む。椅子の背もたれに背を持たせて、
「……考えていた。」
「え?」
 奴がコンロの火を弱めながらきき直す。視線はよくても調理の音は耳に邪魔なようだ。
「おまえの『それ』は、擬態なのか?」
「『それ』って?」
 淡々と作業を進めながら、相変わらず俺に向ける意識は浅い。
 俺は奴の問いには返さず、ことばを接ぐ。
「それとも、並外れた適応能力が発揮された結果なのか?」
 奴が笑う。俺のいいたいことは分かったらしい。
「つまり、『おまえは元々家庭的な性質なのか?』、『盗賊のほうが世間を誤魔化す仮の姿なのか?』、と、いいたい?」
「ああ。おまえをみていると、如何にも楽しそうに料理をしている。」
「まあね。楽しいですよ、料理。」
 フライパンの中身を、ひょいと軽く返してみせる。そして、
「昔から、研究とか実験モノにはまる性質で……。」
 ……などと、恐怖をあおるようなことをいう。
「ああ、大丈夫ですよ。『今日は』普通のパスタだから。」
「『今日は』って、限定するな。」
「あはは。それは冗談だけど、元々モノを作るのがスキだというのは本当のはなし。」
 奴は棚から調味料のビンを取る。
「おなか、空きました?」
「ああ。」
「もう少し待てますよね?」
 ここまで散々待たされて今更待てないなどという気が起きるはずがなく、第一そんな問答にはもう飽きた。俺も淡々と問い返す。
「待てないといったら、どうする?」
 すると、奴がくるり、振り返る。そして、それは行儀が悪いとはいわないのか?菜箸の先端を俺に向け、
「出前にします。」
「さっさと作れ。」

 調理再開。再びコンロに向かう前にみせた奴の微笑をみて、この男は本当に楽しそうに笑うなと思う。
「ふふ。」
 突然、奴がまた笑う。そして何をいいだすかと思えば、
「この感じ、何だか『おかあさんとおなかをすかせたこども』みたいだね。」
「……変な例えを考えてひとりで笑うなよ。」
 待ちぼうけを食らっているせいか、返事も素っ気なくなる。
 だが、奴が下らないことを思いついては口にする理由が、会話という手段を使い相手をすることで、俺を飽きさせないためなのだということは、分かる。奴は、俺がいなくなることを怖がる。『怖がる』といういいかたをすれば、きっと奴は『冗談でしょう?』などと笑って、認めようとはしないだろう。だが、気まずさを感じここを去ろうとする俺を『逃げる』ということばで表現するのは奴だ。
 責め合う気はない。譲り合う気もない。今は、俺が奴を冷めた目でみつめるのと同量の軽蔑を、奴が持っていることを認めているだけだ。しかし、
「じゃあ、『新妻とだん……」
「その例えはもっと止めろっ!」
 ……莫迦にされている気がしないでもない。
 無論、奴のほうは無意識に洒落を効かせたことばを遣うのだろうが、そろそろ反撃の糸口を掴みたいものだ。
「……何か足りないな。」
 一口味見をして、独り呟く。俺はただ、調理を続ける奴の背に何気ない視線を投げるだけだ。
「髪。」
「……はい?」
 奴がちらり、首だけ振り返る。
「まとめることもあるんだな。」
 俺は目にみえる景色を口にする。奴の長い髪は軽くねじられ、文具用の目玉クリップ特大で上げられている。普段目にすることのない首筋から肩への線が、後れ毛の間から覗く。
「髪の毛が入ったら厭でしょう?」
 奴には特に気にかかる問いではない。それに、奴は俺の視線は気にしないことにしている、俺がどこをみていようとも注意されるはずがない。だから、俺は試しにこんなことをいってみる。
「意外と白いな。」
「え?」
 にやり笑って、
「『うなじ』。」
「……。」
 奴の動きが止まる。何をいい出すんだ?という態度もみえみえに、振り向いた奴の顔が怪訝だ。俺は態とらしく、思わせ振りに笑ってやる。
「どうした?」
「どうしたじゃないよ。……変なこというから。」
 隠すように奴の左手が首の後ろを押さえる。
「何だ、動揺しているのか?いつもは何かといえば恥ずかしいことをいうくせに。」
「飛影……。」
 機嫌を損ねた、という顔をしている。奴はため息を吐く。だが、これ以上何をいい返してくることもない。フライパンに向かい直すと、
「何か足りない。」
 呟く。そして、再び味見を一口。
「何か一味足りないんですよね……。」
「……。」
 語尾が敬語になっているということは、一応、俺に呼びかけているらしい。と、思ったのも束の間、奴が振り返りテーブルを挟んだ俺の正面に立つ。手には菜箸、湯気の立つ野菜の切れ端が挟まれている。
「はい。」
 というかけ声と共に、それが俺の口元に差し出される。いきなり何だ?俺が動かないのをみて、奴は箸の先端をくちびるに押しつけるくらいに近づける。思わず身体を反らして、奴の目をみ上げる。
「毒見か?」
「味見です。」
 素早い。というか、
「『あーんして。』って、いって欲しい?」
 にっこり笑って、先程の厭味を二、三倍にして返す勢いだ……。
「……。」
 あらゆる角度から、反応に困る。だが、そうもいってられず、
「飛影、あー……」
「いうなーっ!!!」
「じゃあ黙って口開ける。」
 ……強行だ。
 渋々口を開けると、奴がそこに待ち構えていたブツを放る。

「なぜそんな絡みかたをするんだ?」
 奴は腕組みをして、何も気に留めていないという仕草で、
「そうすればあなたが油断して、罠にはまって動けなくなるかな、と思って。」
 俺に向かい目を細める。
 だが俺は、そこに動じる要素をみつけられない。
「それもフェイクか?」
「さあ、どうでしょう?」
 奴はくすっと笑うと、俺の横にしゃがみ込む。テーブルに組んだ両腕を乗せて、その上に顎を乗せて、俺をみ上げる。
「ねえ、何か足りないと思いません?」
 俺は思いっ切りそっぽを向いてやる。
「『思いやり』じゃないか?」
 奴の台詞は毎度の軽薄さをみせ、
「御免。それ、今切らしてて。」
「ふん、よくいう。」
 俺は素っ気なくいい捨てるが、そういうときでさえ奴を毛嫌いできずに視線を交わして笑う自分がいることも、実は否定しきれない。
「味見したら腹が減ったぞ。」
「あ、ようやく素直になりましたね。いい傾向ですよ。」


金魚の水槽

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