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白い夢  s w e e t f a n t a s y


「さっきから何みてるの?」
「波。」
「そう。」
「……。」
「波をみるのもいいけど。たまには俺のこともみてくれないかな。」
「……。」

 名もない岬の防波堤で。
「波になったらみてやるよ。」
 といって、オレは夏晴れの海の果てを眺めている。足を組んだ膝の上に頬杖をついて、奴がオレの隣に座ったけど、気にしてやる優しさはないんだよ。
 初夏のよく晴れた朝。
 奴の誘いを受けるのは、これが三度目。
「それにしてもキミは……。」
 車を降りてから、オレの態度はいつまで経ってもつれないままだから、そろそろ奴も機嫌を損ねる頃だとは思うのだが、
「昔から海が似合わないコだね。」
「……放っといてください。」
 軽薄な笑顔。
 大人の視線。
 オレを扱う熟れた態度で、時々自然に腰に手を回してきたりもする。殺気を込めて睨みつけても、奴にはそれ自体が楽しいらしい。まったく、……変な男に気に入られたものだ。
 だから、
「機嫌直せよ。悪気はないんだから。」
「悪気がないなら、腰なんか抱いてくるなよ……。」
 結局先に機嫌を損ねるのは、オレ。
 本当は厭なんだ、奴が側に居ると、何もできないガキの頃に戻った気がする。人間の子供でも、未熟な妖怪でも、何でもいい。今(現在)のオレは、もっと冷静沈着な大人の筈なのに。周りからもそう思われているし、自分自身もそう自覚している。それなのに……。
 奴の前では調子が狂う。
 奴の匂いが、オレを弱くさせる。
 それを、奴も気づいているのだろう。
「もっと甘えてもいいんだよ?」
「……。」
「『蔵馬』の性格では、他に甘えられるヒトも居ないんだろう?」

 俺の前ならいいんだよ。……と、一度裏切った男の、優しい目が笑う。

 甘えていい?……冗談だろう。

 誰が信じる、その目を?
 偽りだらけの妖怪の目を?どうやって信じればいい?方法があるなら教えてほしい。

 ……なんて、恨みごとをいいたくなるのもオレがガキだからか。不用意に口を開けば恥ずかしいことをいってしまいそうだから。オレは奴を避けるように、奴が居る反対側の道を振り返る。コンクリートに粗く舗装された、青空に映える白い道。光を浴びたカモメが一羽、横切っていく。
「今、何時?」
「んー、七時くらいかな?」
 奴が例の腕時計で確かめる。
 オレは元の姿勢に向き直り、海を正面に、横目に奴を映す。
「ひとつ、きいてもいいですか?」
「俺に分かることなら何でもきいていいよ。」
 ソフトクリーム。
「ん?」
 み渡せば、人っ子一人居ない海岸線。朝だということもあるけど、本格的な夏はまだ先だから、……こんなところで営業して、本当に儲かるのかな?
「奇妙過ぎないか、この光景?」
「そうかな。」
 ソフトクリームの屋台が出ている。中にはおばさんがひとり、高校生の少年と若い男が親しげに寄り添う様を、メロドラマでもみるかのように珍しそうに眺めている。
 奴は笑って海に視線を流す。
 自然、オレもそれに習い、奴のみつめる方角へ遠く目を向けた。
「例えばこれが夢だとしたら。」
 と、奴がいう。
「どれだけ奇妙な状況におかれていても、そこでどんなに不思議なことが起こっても、それを現実だと信じるしかない心が、すべてを受け入れてしまう。……夢の中だから、何でもありなんだ。ってね。」
「……。」
「これはキミと俺の夢だよ。」
「……夢?」
「そう、夢だ。この海が静かに凪いでいるのも、空が青く晴れているのも。キミを誘い出してドライブしているのも、寄り道してここに居るのも。」
「オレの電話番号を知っているのも?」
 咄嗟に挟み込んだことばに、奴は本当に困った顔をして笑った。
「参ったな、大分根に持たれているみたいだね。そう、キミに突然電話をかけて驚かせたことも、今怒らせていることも、後ろの遊歩道に何だか知らないけどソフトクリーム売りのオバチャンが居るのも、みんな夢。」

 そう思えば心の重荷が軽くなる。嘘みたいに楽になる。

 何でもありだ。
 ここは、思ったことが現実になる世界。

「へえ。」
 それは面白い。オレはちょっとだけ我侭心に火がついた。意地悪く、こんなことをいってみる。
「じゃあ、この青空を全部雲で覆ってみせろよ。」
「……ん?」
 何でもありなんだろう?横目で奴をみて挑発する。
 奴もオレを横目にみる。苦笑する目。如何にもおまえがいいそうなことだ、といっている。
 そして、
「じゃあ、呪文でも唱えてみるかな。」
「?」
 オレの顔を覗き込むように身を屈めて、奴の真剣な顔が近づく。
「キミのこと、もっとよく知りたいな……。」



「それ……。」
「……ん?」

「オレの気分を曇らせる呪文?」
「はは。相変わらず手厳しいなあ、『蔵馬』は。」
 奴は空を仰いであっけらかんと笑うけど。
 その空もあっけらかんと晴れたまま、曇る気配は一向になし。
 本当に夢なのか、それとも、これが現実なのか。ただ奴の冗談に踊らされているだけなのか。
 奴と居ると分からなくなる。優しい笑顔をみせるから、自分が分からなくなる。
 心が沈み、海風が鼻につく。海の向こうが、もう少し陰ればいい。奴の大きな気配に、心を許してしまいそうになるから、もう少し不安になったほうがいい。
 奴の右腕がオレの肩を抱く。
「またそんな暗い顔して。折角のデートなのに、よくないぞ。」
 だから、当たり前のように顔を近づけるなよ……。
「よし!キミの機嫌が直るように、おじさん今日は奮発しちゃおうかな。」
 そういって、奴は立ち上がった。が、振り返ってみつめる先は、
「はく。」
「何かな?」
「……もしかして、ソフトクリーム?」
「うん。ダメ?」
 奮発するんじゃないのか……?
 オレは呆れてため息を吐いた。それをみて、奴は頭を掻く。
「あれ?おかしいなあ、『蔵馬』は甘いものが好きだった筈なんだが。」
 空に向かって楽しそうにうそぶくから、
「そんな記憶ありませんけど。」
 オレのあしらいも、そろそろ限界の氷点下。だが奴は余裕をみせて笑うだけ。他の誰よりも、おまえの扱いは慣れているんだ、といっている。
「そうかい?でも、俺はよく憶えているよ。例えば、そうだな。……甘い生活とか、甘い誘惑とか。」
「……。」
「俺はね、白くて冷たいものが大好きなんだ。」
「……。」

 オレは防波堤に腰掛けて、オレをみ下ろす大人の視線に睨みを利かす。
 だが、結局先に折れるのは……。

 立ち上がり、奴の背中を追いかける。奴がちらっと振り返って左腕を差し出すけど、このオレがそう易々とおまえの腕に掴まってやると思うなよ。
「次はどこへ行くんだ、『おじさん』?」
「んー?今度は少し内陸部へ行こうか。俺も、本当はヒトに指摘できる程海の似合う男じゃないからね。」
 もう二度と会わないと思っていた赤い車の男に。
「そうそう。気づくのに随分時間がかかったな。」
 自然に笑いかけるのは何度目だろう?
 それでいいと奴はいう。それでこそ、遊び甲斐があるのだ、と。
 ……遊び甲斐か。
 遊び、なんだよね。今(現在)だって。
「機嫌、直った?」
「百パーセントまではもう少しですね。」
「昼食はちゃーんと奮発するから。今はソフトクリームで手を打ってくれないか?……ね?」
 片目を瞑ってソフトクリームを手渡す奴に、
「フレンチ。五千円くらいのコースがいい。」
 オレは今日一日、ガキで居ようと決めた。
 だってこれは夢だから。
「キミは……、適応能力が在り過ぎるぞ。『初心忘るべからず』っていうだろう。もう少し謙虚な気持ちを持ってだなあ……。」
「おまえの口から『謙虚』などということばがきけるとは、これぞ長生きした甲斐があったというものだ。」
「……分かったよ、フレンチのコースですね?まったく、我侭な王子様だ。」


金魚の水槽

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