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バカンスのばか
s i l l i e s i n t h e v a c a t i o n
昼下がりの日差しが部屋を突き抜け、ベッドで午睡中の俺を邪魔する。しっとりした冷たさが心地よい土壁の簡素な部屋で、窓の外にみえる雲ひとつない青空と床に落ちる影との対比が余計にまぶしさを引きたてている。
壁を四角くくりぬいただけの窓、その側に椅子を移動させて男がひとり、本を読んでいる。長く透き通るように細い白銀の髪を、時折流れ込む生ぬるく乾いた風が弄んでいる。男は悪戯な風を受け入れ、乱れた髪を掻き上げる。普段身体を包んでいる警戒を解き放ち、穏やかな空気に全身を委ねている仕草には現実がみえない。
俺は思い、苦笑する。
この男程青空が似合わない男はいないな、と。
俺の目覚めにはとっくに気づいているはずだが、奴は俺が声をかけるまでは動かないつもりらしい。そういう男だ。
「蔵馬……。」
俺はいつものように奴の我侭には一歩譲ってやる。
然も今しがた気がついたように蔵馬の目が俺をみて笑う。
「早起きだな。」
冗談とも厭味ともとれないいいかたをするのがうまい男だ。
寝起きの身体と感情のコントロールができないまま俺が差し出した腕に、促されるように席を立つ。その足で傍らまで歩み寄る身体を、その腕を掴んで強引にベッドの上に転がす。奴の衛兵は休暇中らしい。華奢な身体は力なく組み敷かれ、目の粗いシーツの上に絹の髪が流れるように散る。抵抗する術を失い、奴の目が迷惑そうに俺を見上げている。
「また湯浴みしてきたんだろう。」
俺はそういって奴の耳の辺りにくちびるを近づける。
「なぜ分かる?」
「温泉の匂いがするから……。」
息をかけるようにささやいても奴は厭がらない。俺の過ぎた冗談も暇つぶしの余興、楽しんでいるのだ。俺が奴の警戒線を踏み越えないことを知っているから余裕が生まれる。そしていざとなれば形勢を逆転する手段はいくらでも隠し持っている。
「これで何度目だ?」
「さあ……。今日は三度目くらいじゃないか?」
「好きだな。あんまり浸かってるとふやけるぞ。」
「いいだろう。好きだよ、気持ちいいこと。」
「へえ、それは知らなかった。じゃあ折角だからもっと気持ちいいこと、してやろうか?」
「後悔するぜ。」
「後悔?……ふたりでするんだろう?」
俺は片手で奴の髪を逆撫で、首筋に鼻先を潜り込ませる。そして甘い囁きで……。
甘い囁きで……?
「冗談はこれくらいにしてさ。」
城壁の内側は外の血生臭さとは別世界のような平安をみせるが、忘れてはいけない、ここも魔界だ。
俺は身体を起こして奴の目を馬鹿真面目に見据える。
「そろそろ出掛けたりとか、しませんか?」
奴のほうはいつもの愛想なしの能面づらで、
「ん?」
首をかしげている。
そして抜け抜けといいやがった。
「何処に?」
「どこに?だぁ……?」
魔界は生きることに貪欲なヒトビトの集合体。生存意欲と危機感の差が大きければ大きい程強かになるのがヒトだったり、組織だったりするらしい。物理的な力を持たなくても、財力がなくても、生きる道がひとつは残っているのが人生、それを地でいくのがこの国だ。
高い城壁に囲まれた街で、旅人は一時の休息を求め、民がそれをもてなすことで成り立つ国。主な産業は火山帯でもないのに都合よく涌き出ている温泉。一番の売りは天気と治安がいいところか。だがその程度のことが実は貴重だったりするのが魔界、のんびりバケーションに訪れる富豪も多いらしいが。
バカンスといえばばかばかしいはなしだ。
だがそのばかばかしいはなしの真っ只中に、どうやら俺たちはいるようだ……。もちろんいい出したのは『俺じゃないほう』で、その『俺じゃないほう』はここの治安のよさがすっかりお気に入りらしい。それがどのくらいかというと、
「ここに来て何日になると思ってるんだ?」
「十四日くらい。」
もう十四日もここにいる。いる、というより燻っている。少なくとも俺はそんな感じだ。
訪れた目的が単なる休暇ということもあり、その間『仕事』をしているはずがない。だから稼ぎがゼロなのはいうまでもなく、粗雑ながらリッチだった生活はかなり厳しい状況にまで追い込まれている。
俺はベッドの縁に座り直して、傍らの水差しから一口口に含んだ。
後から蔵馬がだるそうに起き上がるのを待って、
「おまえ、いつまでこんなところで呆けているつもりだ。」
「いつまで……。」
「……?」
「……っていうと思う?」
「殺してえ……。」
いつもながら俺を小馬鹿にしたような返答に思わずつぶやくと、奴は本当に面倒臭そうに目を逸らし、乱れた髪を掻き上げてみせた。
「……そう恐い顔するなよ。」
「おまえがそうさせてるの。」
「もう少し。」
「は?」
「きこえただろう?」
……つまり、もう少しここにいます。……ってかい?
「きこえた。」
ベッドの上に胡座をかいている蔵馬を咎めるようにみる。
「おまえさ、三日前に俺が同じことをきいたとき、何て答えたか覚えてるか?」
「『もう少し。』」
「それより前は?」
「『あと三日。』」
「……。」
「……。」
「じゃあさ、別の質問するけどね。」
「ん?」
「おまえの『もう少し』って物理的には何日のことをいうの?」
俺は噴火一歩手前の感情を慣らして、できるだけ優しくきいた。それを分かっているのだろう、奴は馬鹿真面目に俺を馬鹿にするばかだった。
「それは環境と状況に起因する。」
「……貴様。」
だから、怒鳴ることになる。ちなみにここは三階だが、しょっちゅう激しい口論を繰り広げる……というより一方的に怒鳴りつける俺の声をきいている一階常住者の旅館の主人は、俺たちを喧嘩の絶えない仲良し夫婦だと思っているらしい。
「何安穏としてるんだ貴様はっ!」
「怒鳴るなよ。階下のヒトに迷惑だ。」
うるさがる仕草を隠しもせずに蔵馬はのろのろとベッドから離れた。
「安穏とはしていない。おまえのように食っては寝ての繰り返しだけじゃない。」
「悪かったな、俺は娯楽がなくて暇臭えんだよ。」
この国では日が沈んで月が四十五度まで昇ったときだけ、しかも一日置きに酒が呑めることになっているらしい。その他は完全なる禁酒令の支配下になり、大人の娯楽どころじゃない。ここまでするくらいだからもちろん女郎小屋の類なんてあるわけがない。まあ、あったとしても物価の高さが自由を許さないだろうが。
蔵馬は備え付けの簡易デスクにふわりと腰掛けて足を組んだ。
「牛になるぞ。」
「牛になる前に健康になっちまうよ。」
「おまえも本でも読むか?」
デスクの上を指していう。そこに積まれた幾冊もの書物は、
「……もう十回は読んだ。」
そうつぶやくと、蔵馬が書物の山を一撫でして笑った。
「じゃあ、もう一冊買ってこないとな。」
「だから勝手に消費するなっ!その前に盗賊なんだから普通に買い物とかするなっ!」
「なあ、怒鳴ってたら腹減っただろう。何か食いに行こう。」
「……。」
この男の笑顔には俺が今まで散々いったことをあっさりと無に帰すことができる卑怯さがある。その上、口では絶対に謝らないくせに耳を倒したりして無意識に媚びるような仕草をみせるのだから。
……もう少しか……。
怒りの感情を女神の手で慰められたかのように気分が萎えていく音がきこえる。
「ああくそっ!」
結局同意。
奴が勝ち誇ったように微笑む。
「その前に、そろそろ服着ろよ。目のやり場に困る。」
「ばあか、男に裸で迫られて喜んでる奴にいわれたかねえよ。」
「何だ怒ってるのか?……仕方がないな、今日はオレのおごりだ。」
「おまえ、俺の財源とおまえの財源が同じだっていうこと忘れているだろう……。」
金魚の水槽
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