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2 0 0 2 - 0 8 - 1 7
No.
0 0-
本日休業
' C l o s e d t o d a y . '
鍛冶の小屋の扉には、珍しく休業札なるものが下がっていた。年中無休を謳い文句にしてきた鍛冶屋も、夏のこの暑さには勝てなかったようである。
外では蝉だか何だかよく分からない虫けら共の鳴き声が。よく飽きないものだ、延々と鳴り響く様はまるで近隣で道路工事でもされているよう。ああうるせえ、思いながら鍛冶は外から漏れる光と小屋の中の薄暗い影とのコントラストが目に辛い。
まだ午前。起き抜けに一度、泉で顔を洗いに外へ出たきり、今は客用の寝台に身体を休めたまま、普段の規則正しい生活が身に染みついているため眠ることもできず、軽く目を閉じて、団扇を扇ぐのも億劫だ。
休業に当たっては、鍛冶も商売人である、それなりに準備をしていた。五日前から猛暑続きであった。休業の判断を下してから本日まで、現在依頼を受けている刀剣類の作業を予定より前倒しで進め、その間にも依頼は入ったが急ぎではないものはすべて断り、丸一日のスケジュールを空けるために用意周到ともいえる準備を推し進めてきたのだ。真面目な性質の男である。
要は、多忙な最中に無理をして空けた一日。ということなのだが。
何でこういうときに限って来るんだよ。七割の怒りと二割の呆れ、そして一割の諦め。諦めも一割を超えたら妖狐蔵馬の思う壺である。鍛冶は、団扇を持った手を額に当てて視界を閉ざしたまま、昨夜までは自分が使っていた棚作りの寝台に向かって、
「帰れえ……。」
怒号を飛ばしたいところだが、この暑さでは気分も萎える。鍛冶の力ない主張に、寝台から、いつもの無味乾燥な声が、
「何で?」
「……なんでだとぉ……!?」
鍛冶は知っていた。この男は、普段ならこの手の会話には必ず「厭。」と答えることを。今なぜ「何で?」なのか。それは、理由を答える、或いは考えることで、鍛冶がこれ以上自分を邪魔にできる理由を失うからに他ならない。休日を取るといってもたったの一日、これでは郷に帰ることもできず、かといって涼みに行くような場所は、この辺りで当りがつくのは鍛冶の小屋の隣の冷たい水の湧く泉くらいなもの。つまり、鍛冶はこの一日を単なる休息として消費し、午後から夜にかけてもどこへ出掛かる予定もなかった。妖狐がここに居たとして、「今日は留守にするんだから帰りな。」ともいえなかったし、無論本日は休業なのだから「客が来ると怖がるから帰りな。」ともいえなかった。まあ、「暑苦しいから帰りな。」といういい分が通りそうな気もするが、この暑さに汗も掻かない涼しげな佇まいの妖狐をみている限り、現実、暑苦しいどころか納涼感すら覚えるので、どうも調子が出ない。
「……。」
結局、鍛冶には何を答える術もなかった。ただ、忌々しげに舌打ちをする。
だが鍛冶の思い、妖狐の心に届かずか、
「なあ。」
「あ……?」
「何か暑くないか?」
そんなこと今更気づくな、と思いながらも、怒鳴り散らすだけ疲れるのは自分。鍛冶はやはり力ない声で、
「だったら何か涼しいことしてろよ……。」
すると妖狐蔵馬、しばし沈黙。
そして、次に開いた口で何をいい出すかと思いきや、
「……そんな恥ずかしいこと、できない。」
「はあ!?何考えたんだよコラ……!」
その段で、鍛冶はようやく額から団扇を外し、身体を起こして妖狐をみ上げた。途端、待ってましたとばかりに、くすくすと笑う声が、
「黄泉の真似。」
「……。」
「くす。」
「……はあ。」
……ああ、確かに黄泉ならいいそうな台詞だな、とは思う。それにしても、
「涼しくなった?」
妖狐が笑う。
「涼しいっつーか、ある意味サムイわ。」
一応、鍛冶の分まで暇を潰そうとはしてくれているらしい。(但し、頼んではいない……。)あとは、気の遣いかたの角度を左に三十度回転させてくれれば完璧なのだが。鍛冶は、寝台に腰掛け直し、空気よりは幾分ひんやりとした土の床に裸足の裏をつけた。膝に片肘をつき、億劫そうに団扇を使う。
「おまえんとこにさー。」
唐突に、鍛冶は思いついたことを口にした。
「呪氷使いとか、いないの?」
氷があれば涼しいな、といいたい。
蔵馬は、鍛冶が自分の相手をする気になったことがうれしい。寝台にうつ伏せた格好から肘で上体を持ち上げ、子供のような無邪気な目で鍛冶をみ下ろし、
「いたけど、この間死んじゃった。」
「さむ……っ!もう何だよ、ニコニコしながらいうなよ……。」
鍛冶は苛立って、大袈裟に団扇を扇いだ。相変わらず、妖狐の死に対する感覚にはついていけない。が、妖狐は構わず、
「なあ。そんなに暑いなら、行水でもしてきたらどうだ?」
おっしゃることにはなるほどと思える。
ただ、鍛冶は『外が暑いから』ここにいるのだ。……といい返そうと思う間に、
「何なら、オレが一緒に水を浴びてやってもいいぞ。」
「……。」
「くすくす。」
まったく、よくそんな台詞が考えつくものだ。呆れるを通り越して感心してしまう。鍛冶は深く深く息を吐いた。
「……厭だよ、何が楽しくて野郎と行水しなきゃならねえんだよぉ。」
鍛冶のうんざり顔もみ慣れた光景、蔵馬はけろっとした顔で、
「いいじゃないか。」
「よくねえよ!」
「仲良しにみえるかも……。」
「みえんくていいっ!!」
久々に怒鳴った鍛冶は、脳みそがクラっと揺れた。前日までに溜まりに溜まっていた疲労と、暑い気温も影響したらしい。
「ああ……、……くそ。」
「大丈夫か?」
寝台から、心配そうな、実際は何を考えているのか分からないような、声が返る。鍛冶はここぞとばかりに厭味をいった。
「おまえが帰ってさえくれればなっ!」
すると蔵馬は申し訳なさそうに、
「それは、ご愁傷様というしかないな……。」
「っていうか、帰れよ!!」
「厭だ。」
「『厭だ。』『厭だ。』って、おまえは一体何が厭なの!?」
「帰ったら。ヒトがいっぱい居るから。暑いもん。」
「くらげちゃんねえ、『暑いもん。』じゃないでしょ?オコチャマじゃねえんだからさ。おまえさん、泣く子も黙る盗賊組織の大将なんじゃないの?」
「オレ、退職したら自然食品の店を開くのが夢なんだー。」
「コラ……、ツルっとはなしを逸らすんじゃない……!」
「店の場所はおまえの小屋の隣にしよう。」
「わざわざ近くに開店すんなよ。」
「商店街になって賑わうぞ?」
「何でふたつしか店ねえのに街にしたい……?」
「じゃあ、花屋さんにしよう……。」
「そういう問題じゃなくて。」
「香りを嗅ぐとこの世の憂いをすべて忘れられる花とか、家の前に植えておくと番犬いらずな花とか……。」
「おお、如何わしい〜。」
「そうか?」
「よくそんなん思いつくな。違法性みえみえじゃねえか……。」
「思いつくというか、開発するんだ。掛け合わせたりして。」
「はあ、そおなの。」
「ばいおてくのろじー。みたいな?」
「へえ、そお。」
「うん。」
「そお。」
「うん。」
「……そ。」
「……。」
「……。」
「……ん?」
「……って。何でフツーにしゃべくってんだよ、俺……!」
また蔵馬のペースに踊らされている、鍛冶は頭を抱えた。
すかさず、蔵馬が慰めるようにいった。
「大丈夫か?」
「帰れっ!!」
「うん、帰る。」
「だか、ら……、……は?」
鍛冶はいつもの調子で、蔵馬から返る答えは「厭。」であると、頭から決めつけていた。だから声が戻るや否や、少々大人げなくとも大声を張り上げて怒鳴ってやろうと思っていたのだが。
「帰る?」
「うん。」
「……っていった?」
「うん。」
寝台の上では、妖狐が裏表のない微笑をみせる。
素直なこともあるものだ、鍛冶は感嘆の思いからか、普段の生意気狐も案外かわいいではないか、と一時的にだが思った。
蔵馬は相変わらずの身軽な身のこなしで、棚作りの寝台からふわっと軽く前転して床に下り立った。そして、これまた暑さを感じさせない軽快な足取りで、
「帰る前に、涼しいことしてくる。」
「?」
蔵馬は扉を開け、出て行った。
それから二十分程経って、小屋の戸が開いた。蔵馬は、まずはひょいっと顔だけで小屋の中を覗いてから、客用の寝台に腰掛けたまま扇いでいた鍛冶と目が合うと、すたすたと小屋の内に踏み込み、寝台の鍛冶の隣に腰を下ろした。
鍛冶は、
「何してきたの?」
一応尋ねた。
「水、撒いてきた。」
「はあ……。」
気化熱が奪われて涼が生まれる。古来からの知恵といったところか。
「何だよ、ちゃんと気がつくじゃねえか。」
鍛冶は珍しく本当に感心した顔で蔵馬をみた。蔵馬も鍛冶をみた、いつもの無表情からまばたきをして、
「でも……。」
「ん?」
「外、何かじめっとしてたから、水撒いたら駄目だったかも……。」
「……。」
「……。」
「……ふ。」
鍛冶は笑った。何だか、拙い子供のいい訳にきこえた。
「……も〜おちょっとなんだけどな〜……。」
慰めるようにそういうと、妖狐は神妙な面持ちで「うん。」と頷いた。鍛冶は団扇の平らな部分で妖狐の頭をぽんぽんと撫でた。
「ご苦労さん。」
「?」
「ありがとな?」
「……。」
「な?」
「……うん。」
その後、鍛冶が「帰るのか?」というと、蔵馬は素直に頷いた。
「オレがいないからって寂しがるなよ?」
そういって立ち上がった蔵馬は、涼しげな微笑に、盗賊らしい狡猾さを湛えた目で、前方だけをみつめた。帰る間際、既にここには、生意気な狐のガキはいなかった。鍛冶は、不思議な気持ちで蔵馬の去る後ろ姿を眺めていたが、これも不思議と、厭な気分にはならなかった。
「オレ。」
妖狐は扉の前で不図立ち止まり、鍛冶に振り返った。そして、
「おまえが汗を掻いている姿をみると、生きてるな……って思える。」
「……。」
……この男は、いつも突然現れては、おかしなことばを残して帰る。
「何だよそれ、哲学か?」
「いや、本当のことだ。前から何度もいっているだろう?オレ、そういうの、スキだから。」
鍛冶は笑う。
「変なコだな、おまえは。」
蔵馬も、少しだけ俯いて、笑った。
「……いいんだ、変なコで。」
下手な演技しないで、ありのままにぶつかってきてもいいんだぞ?
……思わずそういいそうになるの堪えて、鍛冶は蔵馬をみ送った。またしばらく、ここへは来ねえな、そう思いながら。
金魚の水槽
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