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艶物草子  t h e I n t e r e s t S t o r y


 これもある日の巣窟の風景。
 一日もようやく折り返し地点、ラストスパートにはまだ早い──そんな日中に、かの巣窟の前にはなぜか一人の男が立っていた。
 夏の日差しが容赦なく照りつけ、虫けら共がミンミンと主張する中を。どうやら入口から中の様子を窺っているようである。
 綻びの目立つ旅装束。よく歩き込んだ底の減った履物。身なりはお世辞にもよいとはいえないが、それでもみすぼらしい印象を与えないのは、この男の着物がよく叩いて埃を落としてあり、頭髪もよく油を擦りつけて総髪に結われているからであろう。そして気になるのはこの男の荷。大小の葛籠(つづら)を紐でしっかりと結わえたものを、ずっしりと背に負っている。
 何にせよ、この男はただの旅人とは何かが違っていた。
 さて、この妙に小綺麗な旅人。場所が場所なら、無論、教育の行き届いた組織の若い衆がみ過ごす筈がなく、本日の門兵役が二人掛かりで事情を聴取したようであるが、数分後にはなぜか巣窟内への進入を許されていた。吉と出るか凶と出るか──それは当事者の判断に委ねるとして、本日の「店番」は乙である。

 時は夜に移る。
 昼間は不在だった大将も、今は巣窟の広場にいる。不在の理由は、情報調達のためにふもとの町へ下りて、そのついでに町に二、三在るスポンサーを回っていたらしい。甲は蔵馬が帰るより数時間前には巣窟に戻っており、巣窟を出ていた理由も仕事に関わる用事で、帰ってきた暁には巣窟に残していた人員をいちいち気に掛けて回ってくれている。実に気の利いた男である。
 それに比べてあの男ときたら──と、蔵馬は腹の中で憤る。
 黄泉は今も不在である。朝から居ない。そして、理由は誰にも分からない。
 それ程までに組織(オレ)の巣窟(そば)には居辛いか。そんな不満が頭の中にあるからか、いつもにも増して充足感のない顔をして、何を考えているのか端からは読み取り難い顔をして、昨今では仏像でももっと愛想がいいぞ、といった顔をして、少し遅い夕げをいただいている。
 巣窟に居るときは定位置の一つである、通称「舞台岩」の上で。本日の夕げは、穀物と野菜を煮た簡単な粥。案外質素な食生活である。
 食事のシステムは至って簡単で、腹が減ったというと当番の者が椀によそってくれる。内部の状況をよく観察し、足りなくならないよう気を配る必要があるため、あまり多くの者には任せられない専門職だが、今宵は珍しく「余りそうだから。」と鍋から山盛りに盛ってくれた……。
 頼んでないのに。己よりも食い盛りの若い衆がここには沢山居るのに。流石に申し訳ない心持がする蔵馬は、なるべく目立たぬよう、コソコソと箸を動かした(居るだけで目立つことに本人は気づいていない)。
 あまりコソコソと食っているので、遠目にみていた甲が何気なく近づいてきた。蔵馬の正面に徐ろに胡座を掻くと、神妙な顔つきをして一言、
「やっぱ自制は必要だよな。」
「……。」
 蔵馬は雨雲を背負ったような顔をして、どんよりと寂しげに、
「悪いとは思っているよ。なのに、なのに……。」
「……は?」
 だんだん小声になっていく。
「何も面と向かっていわなくても……。」
「……。」
 何だか変な感じに勘違いされしまったので、甲は「食いたいだけ食いなさいよ、そのことじゃないから。」といった。

 かくして夕げが終わり、今は食後の酒を嗜んでいる蔵馬である。
 静々と。甲に注がせながら、「で?」といった。
「何をしているのだ、あやつらは。」
 杯を持った指先で示す。元は甲が視線で示していた方角。広場の片隅に、ある一団が目につく。
 若い男共が揃いも揃って車座に寄り集まる背中がみえる。その中心に何かが在るらしいが、微動だにしない辺り、真剣な様子で、と表現しても満更間違いにはならないか。
 自ら指し示す割りには興味なさげな顔をする蔵馬を、八の字眉でみ遣る甲は、徐ろに懐に手を入れ、一冊の綴じ本を取り出した。そのまま、「これ。」とだけいって差し出す。
 真新しい装丁。かびや埃の匂いはなく、一見して古物としての価値がないものであると判断できる。手垢もなく、恐らく極最近手に入れたものと察せられるが、蔵馬にはみ憶えがない。
 差し出されたそれを、ふうんともいわずに手に取ると、胡坐の膝の上に置き、片手でパラパラと繰ってみる。
 蔵馬の手が突然止まる。
「はて、何年振りか。」
 と呟く。
「?」
 不思議がって本を覗き込む甲。そこにはみひらきいっぱいに、所謂「春画」と呼ばれる類の──
「……。」
 甲は少し青冷めた顔で、本と蔵馬の視線の間をそっと遮るのだった……。
 当の蔵馬は淡々と、やはり興味ない顔で、ポンと本を閉じると甲の胸元に突き返した。
 綴じ本の正体は知れた。そして甲の意図するところも。
 空いた杯に手酌で酒を注ぐ。杯の中身を喉の奥に流し込み、睨むような目つきで、「オレにどうしてほしいのだ?」といった。

 日中に現れた旅装束の男は行商人、背に負っていた大小の葛籠(つづら)から取り出された大量の猥本は、分別浅い若者を鴨に片っ端から売り捌かれたのだった。疾風迅雷の如く、行商人が巣窟を後にしたのも随分過去の出来事と錯覚せられる──とまあ、甲の説明を要約するとこんなところ。
「どうする?」
 甲は明確には示さず、ただ漠然とそうきいた。
 蔵馬は、甲がいうだけの問題意識は持てないらしい。ただ、いいたいことには察しがつく。杯を咥えるように酒を呑み、先の漠然にも的を射た答えを返した。
「別にどうもしない。オレが制止するようなはなしではないし、皆オトナなのだから自制は利くだろう。」
「淡白なコだね……。」
「おまえだって。」
「……?」
「猥本。持っているだろう、一冊や二冊。」
「……それは、ねえ?」
 照れる訳でもなく口元を緩ませる甲を、流し目で冷ややかにみ遣り、
「『ねえ?』じゃない。黄泉でさえ、部屋に隠し持っていたぞ。一通り目を通してから薪に焼べてやったけど。」
「黙って没収するのはよくないんじゃないかなあ?(っていうか一通り目は通すのね??)」
「気を煩うな、甲よ。オレは一度読んだ書物は二度読まずとも記憶できる。」
「そういうことは別の書物のときにいってくれる……?」
 さて、本題である。
「乙はどうしておったのだ。今日の『店番』はあの男だろう。」
 甲は片手を頭の裏に回し、如何にも参った顔を作って、
「あのヒトが真面目に仕事すると思う?」
 乙の場合、生命が関わらない問題は面白がって終わるパターンが多い。
「ではおまえは?」
 早くに戻っていたのだろう、と。蔵馬は両肘を両の膝に掛け、ほとんど体育座りの格好で甲に向き合う。
「俺は、ほら……。」
 という甲は、「俺がいっても説得力がないから。」などと、何とも歯切れが悪い。確かに、甲は自他共に認める好色家。花町に限らず、この男を待っている女が至るところに在るという噂である。
「それでオレにお鉢が回ってくるのか。……解せんな。」
 最後の台詞で、蔵馬は不服を露わにする。甲は、ことある毎に「あんたが大将。」、「あんたが大将。」と蔵馬を持ち上げるが、実のところはナンバースリーである自分とその上の面々とを比較した上での、何らかの計算が働いていると思われる節がある。しかし、そういったはなしをわざわざ口に出すことはないために、蔵馬は甲の態度を大方適切だと思いながらも、時々はずるいなと思ってしまう。
「……ま、仕方あるまい。」
 目を伏せて嘆息。乗り気がしない、と呟きつつも重い腰を上げる蔵馬は──

 深夜になり、黄泉も戻った巣窟である。町の賭博場にでも行っていたらしい。勝ったのか負けたのか分からないような小物の菓子を懐に、ぶらり、ふらりと帰ってきた。この男も飯はまだ済ませていない様子で、当番の者に告げると「あんたが最後だから。」と鍋をそのまま押しつけられた……。
「ついでに洗っておいてくださいよ。」
 とまでいわれる。俺は副将なのに、と思う。でもいえない、副将だけど。
 仕方がないので鍋を小脇に抱えて己の室に向かう。室といっても、幕で外界と仕切っただけの個別空間である。入口の垂れ布を暖簾のように腕で押し上げると、何本かの蝋燭が灯る中に、大量の猥本に囲まれた蔵馬と甲が居た。
 蔵馬などはのびのびと伏せっており、その中の一冊らしい、春画の堂々と描かれた頁をしげしげと眺めながら、
「随分と『お早い』帰還であるなあ、黄泉よ。」
 と厭味をいった。
 黄泉は、「な。」といった切り立ち尽くした。
 彼是数時間程前になる。蔵馬は、近づいただけでそそくさと広場から散ってしまった若者たちの元をいちいち訪ねて、懐に隠し持っているモノを回収して歩いた。しかも、それらを力任せにただ取り上げるではなく、ある者には「おまえはこういうものが好きなのか。」と友好的な微笑みを以って近づき、ある者には「おまえはこういうものが好きなのか。」と厳しく戒め、ある者には「おまえはこういうものが好きなのか。」と胸の内に宿った羞恥心を引き出し、ある者には「おまえはこういうものが好きなのか。しかし、それよりもっと楽しい世界があるぞ?教えて遣るからついてくるか、フフフフフ。」といいかけたところで甲に止められたりした……。
「もう少しだったのに。」←何がだ
 つまり、それらの回収品が、たまたま不在であった黄泉の室に集められていたというはなし。それでも、鍋を抱えた身をようやく落ち着けた黄泉が不満げに、
「仕切られた広い場所なら他にも在るだろうが。」
 と吐くと、蔵馬はさも動じず、
「よいではないか、おまえだって何冊か持っていたのだから。(みつけた日に燃やしたけど。)」
「……うぬぬ。」
 さて、蔵馬は次の頁を繰ると、書かれた内容を無意識に読み上げた。感情知らずの「お経読み」である。切りのよい段落まで読み進めたところで、不意につまらなそうに、
「このようなもののどこが面白いのか。」
 と呟いた。
「面白かったんじゃないの、若いコには。」
 と甲が応じると、
「『耳たぶにくちびるが触れると』って、耳たぶないし(怒)。」
「あるヒトにはあるんだよ……。」
「『耳たぶに』」
 と、蔵馬は突然身体を起こした。
 黄泉は胡坐の脚に鍋を抱え、御玉杓子を使って残り物の粥をすくって食っていた。黄泉に向かった蔵馬は、甲の冷めた視線の先で、黄泉の首に腕を回し、その耳に触れる程の近さに口唇を寄せた。黄泉は、あられもない声を上げて狼狽えた。
 相手の狼狽は意に介さず、機械的に組み伏しに掛かる蔵馬は、
「よいではないか。」
「よくねえよっ。」
「この手のものは体感せねば分からんのだ。」
「タイカンって、んなもん自分の身体でやれっ。」
「オレには耳たぶがないのだ、哀れな男だとは思わんか……。」
「知らねえよっ!!」
 転がる鍋。蔵馬の下で甲に助けを求める黄泉。顔の真ん前で猥本を広げ、みてみぬ振りをする甲──

 このはなしにオチはない。山と積まれた猥本は遠くの町の古書店に売り叩かれ、以降若い盗賊たちの目に触れることはなかった。蔵馬の黄泉に対する行動は、いつまで経っても改善されない身勝手な振る舞いへの単なる制裁とも受け取れる。
 まあ、現実はそれとは程遠いが。
「蔵馬。それ以上黄泉くん苛めると、鼻から出血多量で死んじゃうよ?」
「え?鼻から出血太郎?」


金魚の水槽

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