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インターミッション
i n t e r m i s s i o n
夕刻が訪れている。
鍛冶は仕事の手を休め、疲れのたまった肩に右手を乗せる。今まで散々鳴り響いていた金属音が途絶えると風の音すらきこえない。随分静かなところに開業してしまったな、鍛冶は思う。これはある意味後悔なのだろうか……、静寂の中に寝息をみつけたとき、思いはため息となって漂う。
「おい。」
天井近くに棚作りの寝台がある。鍛冶の寝床だ。ここには泊まり客用に別の寝台がふたつ設置されているが、夢の住人は鍛冶の決してきれいとはいえない寝台と寝具がお気に入りらしい。
「ん……。」
寝返りする衣擦れの音。
寝台からこぼれた白銀の髪……。
鍛冶は呆れたように寝台を仰ぎみる。
「おまえ、もう帰れよ。」
煙草に火をつける。
寝台からは寝足りなそうな声が我侭に、
「厭……。」
そこにいるのは若い妖狐。この辺り一帯を縄張りに取り仕切っている盗賊一味、その頭をしている男だ。鍛冶にはそれが信じられない。なるほど、ここにいる男からは闘争心も野心もまるで感じられない。あるのはただひとつ、倦怠感だけだ。
「帰りなさい。」
「……なぜ?」
妖狐はうつ伏せの姿勢から僅かに体を起こし、鍛冶を迷惑そうにみ下ろす。
「営業妨害。おまえがいると恐がって客が来ないんだよ。まったくこんなボクチャンのどこがおっかないんだか……。」
若い妖狐は鍛冶が自分を呼ぶときに使う『ボクチャン』が気に入らない。
「『蔵馬』。」
「ここでみるおまえはほとんど寝顔だからボクチャンで充分だ。」
「……。」
「寝てるか、たまに寝てないときは勝手にモノ食ってるかのどっちかじゃねえか。しかもおまえ、金属の武器使わないだろ。何でここにいるの?アイデンティティの危機を感じるね、まったく。……おいこら、きいてんのか。」
「……。」
「?」
「……すぅ……。」
「ヒトがはなしている最中に寝るなっ!」
鍛冶という職に敵はいない。よく考えればこれ程もっともなはなしはない。生きていくために武器を持つことが当たり前の社会、火薬を使った武器も存在するが、ヒトはそれよりも手軽に扱える刀剣好んだ。しかし手軽に扱えるといっても限度はある。刀剣の保守には専門職が必要だ。自らの命を守る刀剣、それをいつも最良の状態に保つ技を持つ鍛冶。余程自暴自棄にならない限り手にかけていい相手ではないことくらいは子供でも分かる。それゆえ、縄張り意識の強い組織でも、縄張り内での鍛冶の開業に文句をつけるものはいない。それどころか喜んで場所を提供するのが当たり前だし、中には専属の鍛冶を持つ組織もあるらしい。まあ余談だが。
ここにいる鍛冶は自由開業の類だ。当初からこの辺りが蔵馬という名の妖狐の縄張りであることは知っていた。もちろん開業に当たっては挨拶などにも顔を出したのだが、むさ苦しい取り巻きの中で自分を迎えたのが線の細い若い男であったことに驚いた。噂にきく『妖狐蔵馬』は目的のためなら眉ひとつ動かさずに女も殺す冷酷無比な男。想像していたのは頑強な中年男だったのだから無理はない。しかしそれ以上に驚いたのは蔵馬の周囲に流れる妖艶とも思える空気だった。蔵馬が戦っている姿をみたことがない鍛冶は、未だに蔵馬に従う下の連中はこの男に誑し込まれた結果そこにいると思い、ひとり納得している。まあこれも無理はないはなしだろう……。
思い起こせば、後悔の兆しは出会いのとき、既に現れていたのかもしれない。みるからに自分よりも年下で腕っ節も弱そうな盗賊の頭を目の前に、不器用で無遠慮な鍛冶は後先考えず指差しのおまけつきでこういい放った。
『はあっ!?こいつが頭なのか?……ただの坊やじゃねえか。』
……後から考ればこれ程命知らずな言動はない。相手が普通の盗賊だったら、即日天に召されていることまず間違いないだろう。しかし幸か不幸か蔵馬の組は普通ではなかった。
まず、腹を抱えて笑われた。そして笑っていたのは蔵馬ではなかった。もちろんこの鍛冶でもなかった。
つまり、自分の所属する組の上が無礼にけなされているにも拘わらず、下の連中はその上を前にけらけらと気持ちいいくらいに爆笑した。随分命知らずな連中だと鍛冶ですら心配になる程、兎に角笑った。だが、それをみても蔵馬は眉ひとつ動かさず、呆気に取られる鍛冶にのうのう酒を勧めたりした。最終的に眉ひとつ動かしていたのは、この組の二番目だという目つきの悪い男くらいなものだった。
結局、その日は蔵馬が鍛冶の存在をどう判断したのかは分からなかった。蔵馬がそれらしいことを口にしなかったということもあるが、蔵馬の変化に乏しい表情では初対面の鍛冶に心理を読み取る術はなかった。
さて、幸か不幸かと問えば、今の鍛冶は即答で不幸と答えるはずだ。
一件の後、蔵馬は明け透けで物怖じしないこの鍛冶の性格が痛く気に入ったらしい。それからというもの、蔵馬はそうするのが当たり前のように鍛冶のところに寝泊りするようになった。滞在期間は数日だったり一月だったりまちまちだったが、鍛冶がどんなに邪険にしても気が済むまでは断固として帰らなかった。そうかと思うと何ヶ月も姿をみせないこともあり、次に現れるときは大抵血まみれに錆びついた刀剣を大量に持ち込み、鍛冶を驚かせた。またあるときは、底のほうに少しばかり酒が残っているだけの一升瓶を片手に酔っ払ってふらりと現れ、そのまま何日も居座ることもあった。
鍛冶にとってはこの上なく迷惑な客人である。
先に鍛冶が触れた通り、蔵馬がこの鍛冶場にいる間客足は明らかに減った。蔵馬がいることを知らずに訪れた客のひとりなど、入り口に踏み込んで早々に鍛冶の寝台から徐に身を起こした蔵馬が鋭く睨みつた途端、後ずさりするように退いていった。断っておくが、蔵馬は普段ならそのような理不尽な真似は決してしない。ただ、このときは寝起きで機嫌が悪かった……。恐らくあの客は二度と来ないのだろうな、不機嫌なまま再び寝台に横になった蔵馬を呆然とみ上げ、鍛冶は思った。
迷惑はこれだけでは済まなかった。いびきもかかず身動ぎもしない蔵馬は眠っている間だけは大人しかった。しかし一旦目を覚まし目が冴えてこれ以上寝入れなくなると、鍛冶の都合を無視してうるさいくらいちょっかいを出した。暇が余っていればある程度許容はできる。だが、鍛冶は日中仕事で手が放せず休憩している時間も稀だった。しかも作業には時として高い集中力が必要な場合がある。気が長い性質ではない鍛冶は、何度となく蔵馬を怒鳴りつけた。台詞は大抵こうだった。
『こら貴様っ!今度このタイミングでしゃべくったらぶっ殺すぞっ!!!』
これは効果があった。賢い蔵馬は高みから何気なく鍛冶の作業の一部始終を眺めながら、絶対に干渉してはいけないタイミングというものを学習していった。だから以後、例の台詞で怒鳴られたところでは、決して鍛冶にはなしかけることはなかった。不幸中の幸いとはこのことだろうか。
「んっ……眠い……。」
「ああそうかいっ!」
そしてもうひとつ、迷惑なことがある。
「……怒鳴るなよ。そんな風だから嫁サンに逃げられるんだ。」
「逃げたんじゃないの。俺は単身赴任なの。」
鍛冶にはまったく理解できないことだったが、蔵馬は必要以上に鍛冶の家族のことを話題にしたがった。大抵はからかうためだったが、時折寝台に寝そべったまま鍛冶をみ下ろし、真顔で故郷はどこだとか子供は何人いるんだとかを根掘り葉掘りききたがった。自分に絡んだ興味を持たれるのは、鍛冶にとっては単に煙たいだけだった。だからなるべく詳細に触れる前にはぐらかすようにしているのだが、蔵馬は持ち前の洞察力で鍛冶のことば遣いや身体の特徴、道具の独特の呼び名や雑多に置かれた私物などから大体を推測し、組み立てた予想をぶつけることで鍛冶の反応をみた。結局、鍛冶の防御とは裏腹に家庭事情は徐々に明かされていく。
苦々しく感じながらしかし、鍛冶はその手の冷やかしには嘘がつけない。油断すると普通に世間ばなしをするときのように受け答えしてしまうことすらあった。仕事柄几帳面な性質だからなのだろうが、どうやら理由は他にもありそうだ。
「それに、ウチのカミサンは逃げたりしねえよ。あいつは俺にゾッコン惚れてるから。」
鍛冶はこの辺りでは珍しく、平気で愛を語る男だった。
それは蔵馬にも、蔵馬の側にいる者にもみられない性質。だから蔵馬にはそれが好ましく映る。恥ずかしげもなく『俺はカミサンを愛している。』、一途だなと冷やかすと『そんなもんだ。愛することに理由づけなんてねえからな。』と当然のことのように返す。鍛冶はよく蔵馬にいった。
「ま、『愛する』なんて気持ちはおまえにいっても分からねえんだろうけどな。」
鍛冶にとっては冷やかしを紛らすための厭味だったが、蔵馬にはこの台詞が少し寂しく響く。そして、確かにその通りだと思う。そんなとき、蔵馬は返すことばもなくただ笑った。内心、これ程までにひとりの女を愛せる鍛冶をうらやましく思い、これ程までに一途に愛されている女がいることを、うらやましく思っている。
蔵馬が黙ると鍛冶はしてやったりとばかりにほくそ笑んだ。煙草の火を床に擦りつけて消し、吸殻は火にくべる。仕事の再開だ。
作業台の脇に積まれた刀の一本を手に取ると、鍛冶の周囲の空気は色が変わったように引き締まった。蔵馬はその様子をじっとみ下ろす。この先は軽率に足を踏み入れられない場所であることを知っていた。つまらない時間が始まると思いながら、それも仕方がないことだと分かっていたから、そのまま寝返りをし背を向けた。
どうでもいいことだ。鍛冶の手で、火は生命を甦らせたように火の粉を上げ踊った。
金魚の水槽
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