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インターミッション+  i n t e r m i s s i o n +


 夜になっても仕事は続く。
 金属を鍛える音はかなりの騒音になっているはずだが、どう聴覚を閉ざすのだろうか、そうするのが当たり前のように安らかに眠ることが可能な男が、まだいた。
「寝る子は育つだな。」
 鍛冶は手を休める。途端に静寂が訪れ、そこには火の弾ける音だけが淋しく鳴り響くのだった。
「汚えからよだれ垂らすなよ。」
 煙草を燻らせる。蔵馬は目を覚まさない。
「……ったく、何で俺の寝台なんだよ。客の使えよ。」
 鍛冶にはこの男がなぜここに居座るのか分からなかった。ただ、ひとつだけ思い至るのは『鍛冶』だということだ。仕事柄敵も多いと思われる盗賊の頭にすべての防御を解き放って眠ることができる場所があるかと問えば、ないと答えるのは必至だ。ここならとりあえず敵と出会うことはない。例えあったとしても、鍛冶屋に一歩踏み込めば客は鍛冶の前にすべて中立だ。身の安全は確実に保障される……。
 そう考えるとなるほど合点がいくが、実に迷惑なはなしだ。蔵馬の縄張りは広く、その中で開業しているのは俺ばかりではないだろう、鍛冶は思う。

 梟が鳴いた。
 そのせいだろうか、いや別の理由があるのだろうか、蔵馬が気だるそうに体を起こした。固い敷布に引きずられる髪が涼しげに音を立てる。
 鍛冶も気づいた。
「ボクチャン、お迎えが来たぜ。」
 煙草を床に擦りつけて消す。
 蔵馬は寝乱れた髪を邪魔臭そうに掻き上げ、きしんだ音を立てて開く扉をみ下ろす。一度閉じ、再び開いた目には氷のような緊張感が現れ、そこにこの男の現実がみえる。
「いらっしゃい。」
 鍛冶は儀礼の挨拶で来訪者を迎え入れる。それは細身の太刀を携帯した身軽そうな男、開口一番にこういった。
「蔵馬来てるだろう?」
「おお。さっさと連れて帰ってくれや。」
 男の正体は蔵馬の組の早打だ。頭がなかなか戻らないとき、組の二番目に命じられて蔵馬を探しに来る。最近は鍛冶もしょっちゅう顔を合わせている。我侭な頭と短気強行な二番目の板挟みになっているのであろう、早打には同情するしかない。
 鍛冶は今回も早打が頭を連れ戻しに来たものだと思った。しかし期待にそぐう結果は訪れなかった。
「残念、鍛冶センセイ。今日は業務連絡なんだ。」
 早打は鍛冶の心中を察して肩をすくめてみせた。そして真っ直ぐに部屋を突っ切り慣れた足取りで鍛冶の寝台に昇る梯子を使った。
 蔵馬は寝台の上で胡座をかいている。迷惑そうに早打を睨みざっくりと頭を掻く、機嫌の悪さを隠しもしない。そんな蔵馬をみても早打は手馴れたものだ。ふっと顔を近づけ優しげにいう台詞、我侭な子供をなだめているようにしかみえない。
「寝起きか?蔵馬。」
「ああ。」
「そうだろう。今日はまた一段とセクシーだな、ん?」
 何がセクシーなんだ、ばかばかしい。鍛冶は煙草に火をつけた。
 業務連絡とはいったが、蔵馬と早打のやり取りは鍛冶にもきき取れる大きさの声で行われた。無用心なように思えるが、要所要所を暗号めいたことばに置き換えて進められた会話では、例え注意して耳を傾けていようとも一割たりとも理解できるはずがない。さすが蔵馬の組はよく徹底している。
 用が済み、早打は梯子を下りた。
「あ、そうそう。」
 床に足が届いてすぐ、思い出したことがあったのだろう、梯子に手をかけたまま早打は蔵馬をみ上げた。
「黄泉からの伝言。」
 黄泉というのは蔵馬のところの二番目の名だ。
「『二度と帰ってくるな。』、だとよ。」
 それをきいて蔵馬は笑った。
「帰ったら黄泉に伝えろ。『諾』。」
 早打は苦笑した。
「……おまえ、知ってるだろう黄泉の性格。本当は心配してるんだぜ。」
「ほう、それは笑えん冗談だ。」
「真面目なはなしだ。最近おまえが隠れている場所といえば決まってここじゃないか。こんな狭い掘建て小屋の汚え寝台で何してるのか知らないけど……。」
「悪かったな……!」
 きき捨てならない、今まで黙ってきいていた鍛冶が頬を引きつらせて呟いた。怒気は込めたが、仕事柄早打は容易く噛みつかないようにできていた。
「ああ別に悪いとはいってねえよ。ただ狭くて汚くて、経営者が口うるさい上に短気な中年オヤジだ、っていっただけだ。似合わない無精ひげまではやして。剃れよ、年より老けてみえるぜ。」
 当然鍛冶は睨みつけるが、早打は構わず続ける。
「本当は今日だって、黄泉は俺がおまえを連れ帰ることを期待してるんじゃねえかな……。そう考えるとこのまま帰るのもちょっとおっかないんだよな。」
「なぜ?」
「だから知ってるだろう黄泉の性格。俺、ひとりで戻ったら殺されるかもしれないぜ。」
 早打のことばは冗談にもきこえた。だから蔵馬はくくっと笑ったのだが、何度か黄泉と顔を合わせたことのある鍛冶には満更冗談とも思えない……。
「安心しろ。あいつは馬鹿だが、そこまで馬鹿ではない。」
 そういって蔵馬は寝台に腹這い、早打をみ下ろして微笑んだ。
「そうかな。さっきおまえにいった伝言を告げたときの目、かなりヤバそうだったんだが。」
「それはいつものことだろう?大丈夫だ、おまえの身の安全はオレが保障する。黄泉には、命令の下しかたも知らずに他人に指図できると思うな、とでも伝えておけ。それでも万が一黄泉がおまえに制裁を加えるような真似をすれば、オレが黄泉を殺す。」
 蔵馬のことばも、冗談にきこえるところはあった。しかし『黄泉を殺す』といったとき、蔵馬の目は氷よりも冷たい色に変わった。ほんの一瞬だったが、それをみ止めた鍛冶が思わず息を飲む程だった。
 早打は慣れていた。蔵馬が『死』に絡むことばを口にするときは冗談で切り返す。
「……はは、それなら俺も安心して死ねるわ。」
 そういって蔵馬に敬礼の仕草をみせ、そのまま踵を返した。先に蔵馬が制裁といったが、黄泉は蔵馬がいう通り簡単に仲間を手にかけるような馬鹿ではない。しかしこの早打が一発二発殴られるだけでは済まないことくらいは、何となく想像がつく……。
「邪魔した。」
 早打があっさりと蔵馬に背を向けすたすたと歩み去ろうとしたので、鍛冶は慌てた。
「おいおいおいおい、おいってこのっ!待てっ!どうするんだよ『これ』は?」
 鍛冶は背後の寝台を左の親指で指していった。そうして早打の足を止めておいてから、今度は寝台を仰ぎみていった。
「頼むから帰ってくれ。」
 きかぬ振りをされるのは想像に易かった。だから間髪入れず早打に、
「頼むから連れて帰ってくれ。」
「……んなこと頼まれてもな……。」
 早打は困惑顔で頭を掻いた。前にもいったが鍛冶は蔵馬の戦っている姿をみたことがなかった。だからこの早打程度なら力ずくで連れ帰ることも容易いと思っていた。早打は鍛冶のこの誤解を知っていたが、どう説明しても蔵馬のしおらしい演技をことばのロジックで覆すことが出来ないことも、哀しいことだが分かっていた。
「俺、黄泉はおっかないけど、蔵馬のほうがもっとおっかないから。じゃな。」
 当然、そんなことをいわれて納得できるはずがない。
「ふ、ふざけんなよてめえ……!あんなボクチャンのどこがおっかないんだよっ!」
 鍛冶は寝台で悠々と寝そべっている蔵馬を力強く指差して怒鳴った。背を向け、既に扉に手をかけていた早打だったが、動きが止まった。ことばに少しは効き目があったのだろうか?
 ……いや、そんなわけがなかった。早打は腹を抱くようにして肩を震わせている。つまり笑いを堪えているらしかったが、力及ばず、ついには声を立てて笑い転げた。
「蔵馬、おまえ『ボクチャン』なんて呼ばれてるの!?はっ、黄泉がきいたら泣いて鼻血出すぜ。」
「……泣くか鼻血出すかどっちかにしろ。」
 更に、更に早打が腹を抱えて笑うものだから、蔵馬は不機嫌そうに鍛冶を睨みつけた。なぜ俺を睨む、蔵馬の視線が鍛冶には理不尽に映る。
「はは、また来るわ。」
 早打はにやついた顔のまま蔵馬を仰いだ。蔵馬は当たり前のように答えた。
「ああ。今度は茶ぐらい出させるよ。」
 鍛冶は怒鳴る。
「いつからここの主人だ貴様っ!帰れっ!!!」
 残念なことに、仕事柄自分本位な盗賊たちは鍛冶の怒りを空回りさせるだけだった。
「厭。」
「ウチの頭、厭なんだってさ。もうしばらく置いてやりなよ。」
「おまえ、あの狐連れて帰らないと目つきの悪い二番目に殺されるんだろっ!連れてけっ!!!」
「ああ俺の心配ならしなくていいよ。『あいつは馬鹿だが、そこまで馬鹿ではない。』」
「誰の味方なんだ貴様っ!」
 長く生きていれば怒鳴り疲れることもある。それでも息を切らしながら、鍛冶は退かなかった。
「連れて帰ってくれ……!」
 早打は胸を張って答えた。
「いいじゃないか、美人なんだからっ!」
「おまえらの組の変な趣味と一緒にするなっ!」
「まあまあそう怒るなよ。単身赴任なんだろう?」
 だからどうした?……鍛冶がことばにする前に、早打が左手でその口を制した。そして黙った鍛冶の肩を右手でぽんぽん叩きながらこういった。
「アバンチュールだと思って楽しみなよ、な、カジ、セン、セイ。」
 鍛冶は切れた。
 早打に殴りかかったのだがさすが蔵馬の組の早打、足が速かった。ひらりと身をかわし外に飛び出す。そして入り口から怒り心頭の鍛冶にひらひらと手を振って、奥の寝台にうつ伏せて頬づえでみ返している蔵馬にぴしっと敬礼をした。
 結局、早打はひとり鼻歌混じりで巣窟へ戻っていった。


金魚の水槽

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