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インターミッション4
s e q u e l
鳥たちのさえずりに目を覚ます。泉のほとりに居を構えた者の特権、心地よい目覚めである。
肌寒い朝、外には靄(もや)がかかっていることだろう。鍛冶は半身を起こし、無意識に胸倉に手を入れ、身体を掻く。そのまま大きく欠伸をした。
寝台から抜け出ようと掛け布をはぐったが、
「ん、……ん。」
「……。」
すぐ側から、幼い息遣いがきこえる。その段になって、鍛冶はようやく昨夜は妖狐蔵馬と同じ寝台で眠ったという事実を思い出す。
正確には、妖狐蔵馬「が」鍛冶と同じ寝台で眠った、が真実。鍛冶が動いたため、妖狐の肩から掛け布がずり落ちそうになっている。夜明けの空気の冷たさを感じたのか、妖狐は身体を丸めて掛け布の中に深く潜り込もうとしているらしい。
普段から寒そうな格好をしているくせに、どうもこの男は寒がり体質らしい。鍛冶は腹の底で何だかおかしくて、やれやれといった面持ちで、落ちかけた布を直してやろうと手を伸ばす。
途端──これは無意識なのだろうか、妖狐は鍛冶に掛け布を奪われるとでも思ったのか、思いの外乱暴に鍛冶の手を払い除けた。まだ目も開けていない。思わず手を引いた鍛冶に対し、妖狐は常にマイペース、今度は自分でゆるゆると動き出し、掛け布で暖かく身体を覆った。そして、
「……すう……。」
妖狐蔵馬、ご就寝である。
「くそガキ……。」
鍛冶は呟くが、その声には昨夜のような忌々しさはなく、それよりもむしろ幼子をみつめる父親の暖かな感情があった。そっと手を伸ばし、布の境から僅かに覗いた妖狐の額を、軽く拳で小突く。
裏口から外に出ると、五メートルも離れていないところに泉が湧く。無色透明で、手を入れると切れそうに冷たい。良い水は良い刀を生む。鍛冶がこの場所に開業した理由が、ここにもある。
小屋の脇まで引いた湧き水の貯め桶まで来ると、鍛冶は水に触れる前に腕を天に伸ばし、再び大きく欠伸をした。
その鍛冶に、声をかける者がある。
「よお、鍛冶さん。」
この早朝。慣れた口調。客ではないらしい。
鍛冶は驚きもせずにその方向に目をやる。
「おお、来たかにいちゃん。」
おはようさんなどと砕けた挨拶を交わす。
声の正体は、蔵馬の率いる盗賊組織の上層幹部の一人。名は甲といったか。
「いつもウチの頭が世話になって、悪いな。」
律儀だが硬さがなく、道化るがふざけ過ぎない程度に遊びことばに頭が回る。年の頃は蔵馬と然程変わらない筈だが、盗賊にしては粋に洒落の効いた会話ができる甲は、蔵馬の組織の中で唯一この鍛冶と気が合う男である。甲が居なければ、蔵馬に対したときの鍛冶はもっと悲惨な生活をしていたに違いない。一人でもはなしの分かる奴が居る、今の鍛冶にとってこれ程ありがたいことはない。
「世話してるぞぉ〜……ったく。」
だから恨みごとも隠さずにいう。鍛冶はばしゃばしゃと顔を洗う。甲は鍛冶に何をいわれても「そうかい。」といって笑うだけだ。朝から晩までポーカーフェース、だがそれも、蔵馬のような手前勝手さはない。自らのペースは崩さず、頭の中で色々と策を巡らせながら、鼻先に転がっている実益も決して逃さない豹のような男。恐らく、蔵馬をもっとメリハリの効いた現実的な生き物にすれば、こんな風になるのではないかと思わせるが、まあ余談である。
「おまえさんも、朝っぱらから大変だなあ。」
「んー?まあな、これもかわいい蔵馬ちゃんと黄泉くんのためだから。」
「なあ。保父さんって商売、知ってるか?」
「ああ。」
「おまえ、あれみたいだぞ。」
けろりと笑う甲はこともなげに答える。
「あんたもな。」
「はは、笑えねえって……。」
甲は鍛冶の作業小屋に近づくずっと前から、自らの気配を殺していた。だから、鍛冶の寝台へ上る梯子を伝い、そっと顔を覗かせてそこに眠る蔵馬の幼い寝姿を眺めるなどという所業も容易い。蔵馬がその存在に気づいて目を覚ますことはない。
「おーおー、幼いねえ。黄泉にみせたら鼻から滝のように水出すぜ。」
「汚えことをいってるなよ……。番茶でいいか?」
甲の声──蔵馬の耳が微かに動く。
「ああ。いつも悪いな。」
今度の声は鍛冶に届かせるためにやや大きめになってしまう。
「甲……?」
寝呆け調子だが、目を覚ました蔵馬が甲を探す。甲はその耳元に「ここにいるよ。」と囁き、空を泳ぐ蔵馬の手を取る。蔵馬はいう。
「かえる。」
「まだ寝てな。俺は鍛冶屋サンと少しはなしをしているから。」
「……帰る。」
甲は蔵馬の頭を撫で、無言で頷くのを残して梯子を下りる。
鍛冶には蔵馬の声がきこえていた。ため息を吐く。
蔵馬という男は、鍛冶がどれだけいい含めても梃子でも帰ろうとはしなかったが、どういう訳か甲が来ると自ら進んで帰るという。それが鍛冶には忌々しい。ただ、それを蔵馬に指摘したところで、今度から甲が来ても帰らなくなったら困るので、決していうまいと固く心に誓っている。
「で──」
と、湯呑に番茶を注ぎながら尋ねる。
「あのコはなんでココに来てるんだ。」
あのコとは即ち蔵馬を指し、ココとはもちろん鍛冶の作業小屋である。
何か理由があるのだろう、鍛冶は問うが、甲は軽い口調で、
「さあな。」
そして、
「蔵馬に何かきいたのか。」
「いや。」
鍛冶が否定すると、
「……だったら何もないんだろう。」
冷めた口調で感想を漏らす。
「おまえらんとこの若えのがよ。」
「ん?」
鍛冶が番茶を運んでくる。茶盆などという気の利いた道具は持っていない。片方の手にひとつずつ。掴んでいる茶碗も客用と呼ぶには少々歪(いびつ)で、何かの塊のようにでかい。
「昨日来たんだが。」
茶碗を手渡す。
「なんだか──おまえらんとこの副将が、『帰ってくるな。』とかなんとか、いってるんだと。」
甲は茶碗を受け取りながら、
「ああ……。」
と、今度は無感動な嘆息である。
「あのオニーサン、蔵馬に負けず劣らずへそ曲がりで頑固だからね。周りが騒げば騒ぐ程、冷めた態度に出てしまう。ホントは自分が一番帰ってきて欲しいくせに、と。」
茶を啜る。
「おいおいまさか……。あのコは、その副将とかいう男が『帰ってきてくれ。』と頭を下げるまで、帰らねえつもりじゃねえだろうな。」
困惑顔をみせる鍛冶に、甲は、
「んー?帰るよ。」
あっさり打ち消し、鍛冶を安心させるためにか、人懐っこい口元をニコリとしてみせる。「あんたがいいっていうなら遠慮はしないけどね。」などと片目を瞑ってみせる仕草も何だか小粋で憎めない男である。
「……ま、そうもいかないでしょ。あいつもそれくらい分かっている。だから──今は、ただ単純に、この状況が楽しくて仕方がないってところかな。」
寝台をみ上げる。
「若いノに泣きつかれるのも、悪い気はしないだろう──本音は。」
「……。」
妖狐蔵馬は何もいわないが、既に眠ってもおらず、会話が耳に入っていない訳でもないようだ。身体を横たえ、壁を向いて、甲たちに背中を向けているものの、その独特の三角の耳が心なしかこちらに注意を向けているようにみえるのは、気のせいではないと甲は踏む。
甲は続けていう。
「それでも昨日の内に帰らなかったのは、さしずめ俺を待っていた──てところじゃないか。」
「は。なんで。」
と鍛冶。答えて甲は、
「だって、俺と一緒に帰るしかないでしょ。若いノは追い返したんだし。一人で帰る気は、多分ないよ。」
茶を啜る。
「本当なら、ウチの黄泉くんが迎えに来てくれるのが一番いいんだけど……。」
「……?」
ああいうコだからね、と甲が笑う。
「はあ。」
「ま、今回ばかりは黄泉くんも相当『キてる』みたいだし、こうなったら誰と帰っても一緒なんだけど。まあー……俺がベストかな?俺と帰ればとりあえず二対一だから。」
重ねて甲は、
「頭脳派でしょ?ウチのコも。」
という。
「はあ。」
頭脳派かどうかは知らないが。
「誰と居れば一番得か──そういうのの『み極め』が効くというか何というか。俺がフォローすれば、黄泉だって自分のことを棚に上げて怒れないだろう。でかい顔して。」
「へえ。」
と、今度は鍛冶である。
「怒るんかい、あの男が。」
裏を返せば「怒られるのか、あの男に。」である。
「怒るよ〜。」
と甲。思わせぶりにニヤリとやる。
「ていうか、まともな神経の男なら普通怒るだろう。自分がまだ手も『出せてない』男がだ。自分じゃない『特定の男』のところに通うようになったら、フツーどう思う?しかもそれが妻子持ちの枯れかけたオッサンで……。」
これには鍛冶も黙ってはいられない。甲のとうとうと述べ立てるを遮り、
「人ぎきの悪いいいかたすんな。冗談じゃない。大体、俺が呼んでるんじゃないだろうが。向こうが勝手に上がり込んで……。」
「でも受け入れてるんだろ?」
一緒だぜ、と甲は茶を飲む。
ちなみにこれらの会話も、蔵馬の耳に入ることは初めから想定済の甲である。そこにはこの男の「少しはアイツ(黄泉)の気持ちも分かってやれよ。」といった爽やかな兄貴心が多分に含まれているのだが、報われないのもまたこの男──蔵馬というのは難解な生き物で、「手を出す」などといわれても、どうも「あちらの意味」に捉えてしまう。色恋にはなかなかつながらないこの事態を、安心すればよいのか逆を思えばよいのか、判断に苦しむ甲である。
しかし、もっと由々しいのはこの男、
「帰れっていってもきかないんだから仕方ないだろう。」
逆恨みで殺されたら洒落にならんて──このときばかりは本気で憂慮する鍛冶である。
ところで、
「何で俺のところだ?」
「ん?」
「他に行くトコねえのかよ。通ってやる女とか。」
「いるようにみえる?」
と甲。鍛冶を黙らせるには十分な台詞とみえて、
「みえんな。」
沈黙の後に発したひとことの向こう岸で、蔵馬の無防備な寝返りの音をきく。
「勿体ねえよな。」
「でしょ?」
「あれ程の色男。」
「分かる。」
うんうんと頷く甲。
「でもねえ、意外とモテないんだな。」
「何でだろうな。」
そう呟く鍛冶に、甲は今始めて感情をにじませ、にじませた感情を眉の間に集中させた。余談だがこの表情、鍛冶は心密かに「天性の心配顔」と呼んでいる。この男独特のもので、そういわれると確かに、魔界中の不幸が束になって襲いかかってきてもこんな顔にはなるまい。
腕組みし、
「淡白過ぎるんだよ、基本的に。自分の気持ちにも、相手に対してもさ。興味が全くないって訳じゃないんだろうけど……。」
「で、世話役としては、そういうのは気を揉むってか。」
茶化すようにいい、茶を飲む鍛冶に。返す答えは予想に反す。
「いや。……そうでもないよ。」
「……。」
間を置き、甲もちびりと茶を飲む。
「だって、気を揉んだって、なるようにしかならないじゃない。……ギリギリになるまで、俺には関係ない。」
最後の台詞を吐き捨てる間際にみせた、目の冷めゆく速度が、その落差が、鍛冶になぜだか分からないが不快な感触を与えた。冷たい手で背中を不意に撫でられたような、兎に角あまり愉快とは思えない感覚であった。
「おまえも淡白なコだな。」
鍛冶は懐から煙草を取り出し、一本を指先で弄び始める。甲はいう。
「ところでさあ。」
「あ?」
本当に淡白な男であった。突然話題を変えに走る。しかも顔はいつもの生意気に憎めない笑顔に戻っているのだから拍子抜け、狐か狸化かされた気にさせられる男だなと鍛冶は思う。
「それ。」
と、甲は一度天に立てた人差し指を「ぴっ」と目の前の男へ向けた。正確には目の前の男の手元である。
──煙草。
「これか。」
指に挟んだそれを振る。
「少し控えたほうがいいぜ。身体にもよくないし、蔵馬が臭くなる。」
鍛冶は一瞬思考が止まった。
「……は?」
「だから、ここに来ると、煙に燻されて、煙草の匂いが、蔵馬に染みつくでしょ。」
「……。」
……要約すると、つまり、「身体によくない」よりも「蔵馬が臭くなる」ほうが甲には困る、ということか。
「おまえな。俺の身体の心配してくれるならまだしも、蔵馬が臭くなるって……。」
「ウチは蔵馬が第一なの。常識だろうが。」
常識かどうかは知らないが。
「あのな。ココ、俺んチ。嗜好品ぐらい好きにさせろよ。」
「もちろんあんたの身体も心配していってんの。」
「うそつけ。」
「帰る。」
「依存性の強い変な混ぜモンしてるんじゃないだろうな……?貸せ。」
「ばかいえ。純国産の高級煙草だぜ。」
「帰る。」
「なーにが『こーきゅーたばこ』だよ。ただの安モンだろうが。」
「安くてもうまけりゃいいの。」
「かえる……。」
「……。」
「……。」
鍛冶と甲は顔をみ合わせた。
二人同時、声のする方角をみ上げる。そして──
「帰る。」
「はいはい。」
後はいつもの通りである。蔵馬はふわりと降り立ち、板張りの床は軋む音すら立てない。鍛冶はその身のこなしに感心はするが、戸口から名残惜しそうに視線を送るのには、
「どうせまた来るんだろう?」
「……。」
入れ替わりにやってきた客は旅人。つい今しがたまで名を語れぬ一人の男が居た事実をもちろん知らない。
本日最初の仕事に取りかかりながら、一人の男の存在は、鍛冶の記憶からも次第に消えつつある。
情など移してたまるか、と──不図み上げた寝台には一輪の……。
あの男はまた薔薇の花を置いて帰った。存在し続けたいと望む者の化身のように。あれは淋しさなのだろうか。その紅(あか)をみる度に、温もりを乞う激情が押し寄せてくるようで、抗う者のように、鍛冶はただただ槌を振るう。
金魚の水槽
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