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 明くる朝。
 白々と夜が明け始める頃、鍛冶は少し早目の営業準備にかかる。時折大きく欠伸をし、独りごとを呟く。その内容は、よくはきき取れないが「畜生」だったり、「くそガキ」だったり、所謂悪たれの類らしい。機嫌はかなり悪そうである。
 作業小屋の中には、主人であるこの鍛冶の他に人影はみ当たらない。だが、早朝にしては生温い空気と、甘い気配を残す匂いが、昨夜の鍛冶が一人寝ではなかったことを物語る。
 客用の寝台、掛け布はまるで抜け殻のように細い肢体の形状を成したまま。手を当てればまだ、そこに残る温もりを感じられるはずだ。そしてその上には、脱ぎ捨てられた白い着物……。
 鍛冶は横目にそれを眺めるが、すぐに忌々しげに目を逸らし、口の中で再び「畜生」といった。

 不意に、ぎしっと小屋の扉が開く。
 鍛冶は顔を上げたが、小屋の内に踏み込んできた男が客ではないことを知ると、「よお」などと軽く挨拶をして作業の手を休めることはない。男のほうも、鍛冶の存在をみ止めてはいたが、「ああ」とか適当に返すだけで、どうやら用件はそこにはないらしい。
 男は無言で、室内に視線を巡らせる。目的のモノが存在しないことが分かると、その段で初めて鍛冶に向き、
「蔵馬は……?」
 告げたのは、この男の目的の名。短いが、それだけのことばでも、「それ」がここに居るかの確認と、「それ」が居るならその所在とを、尋ねていることは分かる。
 鍛冶はこの男を知っていた。男、名を黄泉という。たった今この男の口から出た名、蔵馬という妖狐の組織に属す盗賊。所謂副将という役割を担うが、噂では力ばかり強くて頭が回らない、頭脳派の蔵馬とは対極に位置するような男だという。接してみて分かるがなるほど、血の気が多く、その気配からはきしむような殺気が消えることがない。
 しかし鍛冶は、不思議とこの男を恐いと思ったことはなかった。その理由は実に莫迦々々しく、この男の若さを如実に表したものであったが、余談になりそうなので避ける。
 蔵馬は、黄泉の問いに肯と答える基に在った。つまり、それが昨夜鍛冶が一人寝ではなかったことの理由になり、鍛冶が早朝にも関わらず日中にどうしても溜まる「不機嫌」よりも「重い不機嫌」を抱えていることの理由でもあった。
 鍛冶は、少々やり込めてやりたい気分だった。
 無論それは黄泉に対してではない。だから、黄泉には誠に申し訳ないのだが、寸時に策を巡らせ、こんな返事をすることにした。
「いるぜ。今、風呂に浸かってる。」
 思わせ振りな口調を操る。
 黄泉は、その段ではまだ小首を傾げるだけであった。しかし、次に鍛冶の遣った台詞には、炎のような気色を治めることはできないはずだ。
「昨夜、散々手篭めにしてやったからな……。」
「!……何だと?」
 手篭めということばに、黄泉は極端な反応を示す。右手は既に、帯に差した太刀の柄を握る。だが、鍛冶は怯むことなく、続ける。
「今頃、湯の中で泣いているんじゃないか?」
 薄く笑う。
 黄泉の腹の狭さなら、この程度でもぶち切れるには充分だった。
「貴様っ!!」
 黄泉は刀を抜くが早いか、鍛冶の喉元に狙いを定め、寸分違わず切っ先を突き立てんと地を蹴った……!
 だがそれとほぼ同時、ひゅんっと風を切るような音がした。そして、その鋭い音とは不釣合いな薔薇の匂い。
 鍛冶が目を丸くする中、薔薇の鞭は蛇の如く予断なき動きで部屋を横切り、黄泉の右手から太刀を弾き、ついでに営業準備中の、昨日鍛冶が一日かけて六割程を仕上げた仕掛品の刀を。……折った。
 だから、
「一般人に刃を向けるなっ!」
 と、蔵馬が凛と告げるのと、
「わあ何するんだよ、くそガキっ!」
 と、鍛冶が叫ぶのとも、ほぼ同時であった。
 今度は目を丸くするのは黄泉の番である。蔵馬は勝手口のほうからゆるゆると現れる。それを呆然とみつめ、濡れたままの長い銀髪から湯気が昇るところをみると、風呂に浸かっていたことは本当らしいが、当人の様子は手篭めどころか、いつもの我侭な能面顔をつらっと鍛冶に向けている。
 ただ、鍛冶にはそれどころではない。自業自得だといえばまあそうなのだが。
 鍛冶が真っ二つに折れた刀の成り損ない、既にただの鉄くずを手に跪くのを、蔵馬は悪びれるどころか、やれやれという面持ちを作り、頭を振る。
「『くそガキ』とは……。命の恩人に向かって何といういいかただ。」
「うるさいよ、俺の昨日の八時間を返せよ。莫迦。」
「??」
 黄泉は蔵馬と鍛冶をみ比べる。
 黄泉が戦意をなくしたのを確認すると、既に蔵馬の頭には、今しがた起こった事象が存在しない。問題の抜け切った思考は何事もなかったかのように、薔薇の鞭をしまい(……というかどこにしまうのだろうかその姿が消え)、自身はさっさと暖かく赤く燃える火の側に進んでしゃがみ込む。
 手をかざして暖を取る蔵馬の頬は白く、指先は冷水に晒された後のように赤い。
 鍛冶は、放って置けばよいものを、
「こらおまえは!髪くらいちゃんと拭けよ。部屋中水びたしになるし、風邪引くんだぞ。」
「風邪なんか引かないよ。」
 鍛冶を振り返りもせずに素っ気なく答えるが、蔵馬のことばもまた鍛冶には無視される。鍛冶は自身の衣類などが積み重ねられたものの上から、柔らかい大判の布を取り、
「ほら、動くな。」
 蔵馬の髪をわしわしと拭いてやる世話焼き体質……。
「痛いだろう、乱暴するなよ。」
 蔵馬にはそれが邪魔臭い、子供のように厭々と首を振り、徐ろに立ち上がった足で鍛冶の寝台へ向かおうとする。肩には鍛冶の着替えの一重を羽織っただけの姿。前を掻き合わせてはいるが、蔵馬の背にこんなことばが飛ぶ。
「帯くらいしなさいっていってるだろう。み苦しいモノがみえるぞ。」
 鍛冶の発言に、
「えっ!?」
 黄泉が思わず下に目を向ける。だから透かさず鍛冶はいった。
「嘘だよ莫迦……。(T_T)」
「??」←蔵馬

 黄泉のいい分をきいた蔵馬は、鍛冶の寝台に伏せた格好で両足をばたばたさせて笑って、作業を開始した鍛冶にうるさいと怒鳴られた。黄泉は、よく考えれば有り得ないはなしを頭から信じた羞恥からか、赤面したまま同じ寝台の蔵馬の足元で正座をしている。
「なあ、考えてもみろ。オレが鍛冶屋に何をされるというんだ?」
「……それは。」
 蔵馬はけろっと笑っていう。
「第一鍛冶屋は男だ。男のオレに何ができる?」
 そのことばには異議あり、黄泉は熱く反論する。
「お、男にも色々あるんだぞ。」
 修繕中の刀の曲がり具合を確かめながら、鍛冶が冷めた横槍を入れる。
「そりゃあおまえだけだ。」
「うるさい……!!」←黄泉
 黄泉は鍛冶にきこえぬように声の調子を落とし、蔵馬を諭す。
「なあ蔵馬。いくらおまえでも、力だけを比べたらあのおっさんには敵わない。押さえ込まれたら抵抗できないだろう。」
 これは事実、黄泉のいう通りであった。蔵馬は強い。がしかし、それはこの男の妖力とそれに呼応する植物の力があってのはなしであり、実際腕力のほうはあまり強いとはいえなかった。
 それは蔵馬もよく分かっている。だがその指摘が黄泉の口から発せられるとは、少々心外である。
「……なぜおまえに叱られなければならない。」
 蔵馬は不機嫌になる。
 だから黄泉は、我侭な女の相手をするときのように誠心誠意、宥めすかさなければならない。まあ別にそうする必要はないのだが、そうせずにはいられない男の哀れさが、この男には在る……。
「俺はただ、おまえが心配なんだよ。何というか、こう……。」
「なあ。そのしゃべるときに付加する妙な手つきは何を表しているんだ……?」
「だから!その……、無防備になり過ぎるのは、色々な意味で危険なことなんだぞ。」
「ほう、それはおまえがいう台詞なのか?」
「茶化すなよ……。」
「甲みたいなことをいうからだ。」
「莫迦、甲はもっと激しいだろ、う……?ん、何だこの手。」
 もうきくのも厭だとばかりに、面倒臭そうに蔵馬が髪を掻き上げたときだった。黄泉は何かに気づいて、その手を取る。
 それは、親指のつけ根の辺りに朱を残す痕。点々と弧を描く形状から、元凶は歯であるらしいが?
 疑問面の黄泉を余所に、蔵馬はこともなげにいった。
「ああ……、昨夜ずっと噛まれていたから。」
 そして、視線の先に鍛冶をみ下ろす。
 そのことが何を物語るか、既にすべてを理解した黄泉は、頬をぴくぴくと動かす。

「おいおっさん……。」
「『おっさん』ゆーな。」
「一生噛めねえ身体にしてやろうかっ!!」
「だからおまえは、一般人に凄むな。」
「だからおまえは商品を投げるんじゃないのっ!!(T_T)」


金魚の水槽

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