Date  2 0 0 2 - 1 2 - 2 1  No.  0 0- 

巣篭談議  l o v e - d i s c u s s e s a t m i d n i g h t


 鍛冶は眠れない。
 時は深夜である。一日の労働により、身体は心地よく疲れていた。睡魔が頭を朦朧とさせ、まぶたは黙っていても下へ下へと下がろうとする。元々この鍛冶の生活は昼間が主体である。営業時間は客層に合わせる必要があり、彼の客は、大口の盗賊もいたが、八割がたは一般人だ。刀剣などの他に、包丁だって作る。この鍛冶の腕前である、評判は上々だった。
 そんなことはどうでもよい。つまり彼の思惑とは関係なく、自然早寝早起きが身についていた。今日はたまたま作業が後ろにずれ込み残業となったが、いつもなら今頃はとっくに夢の中の愛妻とランデブーである。無論のこと、眠気は頂点まで達していた。だが。
 鍛冶は眠れないのだ。
 鍛冶の寝台には、例の狐が住まっていた。
「腹が減ったからこれ食ってもいい?」
 とか呟きながら、寝台に夕げの残り物を持ち込むくらいだから、『巣食っている』といったほうがいいのか。妖狐が寝泊りする間は、妖狐は当然のように鍛冶の寝台を占領した。だから、鍛冶は渋々遠方から来る客のために用意してある客用の寝台のひとつに退くことになる。そして迷惑なことは、鍛冶の寝台から漏れる灯りが鍛冶の眠る客用の寝台までいい具合に差し込むのだった……。
 妖狐は、盗賊という職業柄生活が不規則だった。しかし元々は夜行性、仕事も移動の他は夜間に行われることが常であるため、夜型の生活が身体に染みついているらしい。夜になると動き出すのは、当然だ、とはいえるのだろうが。
 つまるところは、『昼日中あれだけ寝ていれば目も冴える』のである。鍛冶は苦々しい面持ちで天井近くの棚作りの寝台に収まる妖狐の身体をみ上げた。
「なあ。」
「ん……?」
「今、何時だと思ってるんだ?」
 夜は睡眠の時刻であり、早々に灯りを落とすべきだという意を込めて問うが、
「何いってるんだ鍛冶屋?ここには時を計る道具がないではないか。」
 蔵馬は、態とではないが、問われたことには事実でしか答えないところがあった。……通じない。察してもらうことは土台無理なのだ。
「ボクチャン。」
「ん……。」
「寝ようよ。」
「だって、眠くない……。」
 何かを食っているらしい、もぐもぐした答えが返される。以前から鍛冶は、蔵馬には何度となく寝床に食い物を持ち込むなと注意していた。鍛冶の故郷では、それは食卓に肘をつくと同等の行儀悪しきことなのだ。しかし現実これなのだから、きき入れられていないのは明らかである。もう腹も立たない。それに、腹を立てれば余計に眠い。
「俺は眠いんだって……。」
 鍛冶は欠伸をした。
「だったら眠ればいいだろう……?」
「だからまぶしくて眠れねえっての。灯り消せよ。」
 蔵馬は答えた。
「ダ・メ。」
「駄目って何……!?」
「『暗いところで本を読んだら駄目だ。』って、甲がいつもうるさいから。」
「……。」
 甲とは、蔵馬の組に在籍する、蔵馬の世話役のような男だ。本来の仕事は幹部として下の者の統率に当たることらしいが、気苦労も多い中、始終この我侭妖狐の相手をしているのだから、甲について鍛冶は、随分と根気のある男だと思い、ある種尊敬の念すら感じている……。
 厭味とは別に、鍛冶は思いついたことをいってみた。
「なあ。甲ってにいちゃんなら『寝ながら本を読むな。』とかもいうんじゃないのか?」
 純粋な疑問である。
 それに対して、蔵馬が小さく呟いた。いつもの冷め切った声で。だがはっきりと鍛冶の耳には届いてしまった。
「うるさいな。おまえまでオレに兎や角いうのか……?」
「……。」
 鍛冶はため息を吐いた。
 そして、いつもなら今時分は頑固で融通のない妖狐をガミガミと怒鳴りつけている筈だが、ため息の後はただ苦笑した。
 鍛冶は蔵馬のことばの中に、我侭なガキの裏の本音をみた。
 何もかも思い通りにならない。欲しいものも手に入らない。だから、毎日がつまらない。……それはそんな色の表情をしていた。
「蔵馬。」
「ん……。」
「ココの主人は誰だ?」
 いいながら、鍛冶は寝床を抜けた。蔵馬は特に興味を引かれていない声で、
「おまえだろう?鍛・冶・屋。」
 一応分かっているらしいな。鍛冶は冷たい床を裸足で、蔵馬の元に向かった。そのまま自身の寝台への梯子を使う。上り切ると丁度、
「でもオレのほうが偉いから。」
 蔵馬はこんなことを淡々と告げている最中であった。枕を除けてそこに真新しい本を広げ、掛け布に腰までを潜り込ませた格好でうつ伏せている。
「は?何でそうなるんだよ。」
「?」
 声がずっと近くにきこえたため、蔵馬は少し驚いた振りをして鍛冶のほうを向いた。だがすぐに機転を利かせて、
「だってオレは客人だろう?」
 あっさり答えながら、自分のいる真ん中から壁よりの奥によいしょと移動した。蔵馬のこうした所作は鍛冶には既にみ慣れたもの、要は『乗るなら乗れよ、邪魔だから。』ということらしいので、
「客人だぁ……?よくいう。こんなに慣れている客ぁ客とは呼ばねえよ。」
 鍛冶は遠慮なく梯子から寝台の上に移った。
 一旦は胡坐を掻こうとした身体は、惰性に任せると結局身を横たえるに至った。蔵馬は掛け布を上げて『入る?』の態度をみせたが、流石にそれだけは遠慮した。
 何気なく眺めるは、長い銀髪が肩から寝台の上へと流れている姿。……蔵馬の髪は梳かされることがないらしい。ふわふわといい具合に絡まっている。当人もそれが邪魔なのだろう、片手で閉じないように頁を押さえながら時折空いた手で髪を掻き上げている。
 手櫛が通るだけまだましか。きれいに整った直毛じゃなければ、かなり悲惨な有様になっているな……。内心そんなことを考えていたから、鍛冶は知らず知らず、蔵馬の頬の辺りにかかる髪に右手を伸ばしていた。当然、それが男の心理としてまずい行動であることには、すぐに気がついた。だが一度伸ばした手、容易に引っ込みがつかない。だから、
「何読んでるんだ……?」
 鍛冶はその手を、蔵馬の興味ない目が淡々と走る本にかけた。読んでいるが構わず、軽く持ち上げ、背に書かれている表題を確認する。
 驚いたことに、それは恋愛小説だった。
 但し、蔵馬がそんなものを持ち込むわけがない。無論、本は鍛冶の私物、ということにはなるのだが、鍛冶にその手の趣味が在るかというと、そんなわけでもなかった。本は数日前に来た行商に、半ば強引に買わされていた。新進の作家が書いたというそれは、内容はざっとみた感じ安っぽかったが、価格は内容と同等とはいかなかった。つまりボられたのだ、読む気も起きない……。
「へえ。」
 鍛冶には蔵馬が恋愛小説などを読んでいる光景がひどく珍しかった。蔵馬は、鍛冶の目には随分と色恋にうとい男だった。実際どうかときかれれば、蔵馬が喜んで語る筈がないのだから、鍛冶に分かる術はまずない。
 ただ、蔵馬は好きでこの本を選んだわけではなさそうだ。終始つまらなそうな目がそう語っている。蔵馬は鍛冶の部屋にある本にはほとんど目を通していた。そして、鍛冶の手持ちの本は鉄やら銅、刃物などに関する、いわゆる専門書が多かった。学ぶことが何より楽しいこの妖狐は、初めは面白がってこれらの書物を読んでいたが、自身の結論として、やはり金属には興味がないと分かってからは、全くみ向きもしなくなった。
 つまり、今は目新しいのがこの恋愛小説というだけで、内容云々はとりあえずどうでもよかった。
 そんな事情は知らない鍛冶は、蔵馬と恋愛小説というおよそ似つかわしくない関係が興味深く、ついでに鍛冶がまだこの本を読んでいないという単純な理由で尋ねた。
「それ、面白いか?」
 蔵馬の答えは存外分かり易かった。
「分からない。」
「……。」
 まだ先を読んでいないから今の段階では何ともいえない。或いは、身辺に恋愛が存在しないのだから、分からない。
 蔵馬のあっさりし過ぎて捉えどころのない性質と、女の匂いを感じさせない気配、これは確実に後者だなと、鍛冶は頭から決めつけている。この男はきっと、恋愛なんてしたことがないのだろう……。
 そう思っていたら、疑問は自然と口をついた。
「おまえ、通ってやるオンナとか、居ないのか?」
 すると、頁を繰ろうとした蔵馬の手が、ぴたり止まった。
 一瞬、鍛冶は間の悪い質問を投げてしまったかな、と思ったが、ここで退くのもそれこそ間の悪いはなしに思えるので、更にこう続けた。
「……いや、な。おまえはよく俺のところに泊まりに来るが、おまえのような財のある若い男が、外にオンナも作らずに居るってのも、何だか変なはなしだな、と思ってな。」
 鍛冶が遠慮がちにことばをつなぐ様子を、蔵馬は途中から笑いながらきいていた。
「鍛冶屋は『女遊び』などという軽薄な行為はキライなものだとばかり思っていたが。オレには推奨するのか?」
「や、そういうわけではないが……。何というか、つまり、……おまえは、あっさりしているところはあるが、おまえんとこの他の若いのと比べりゃあ、いい男の部類に入ると思うんだが……。」
 そこまでいってはみたものの、いよいよいい辛くなったらしい、ことば尻が小さく消える不器用な鍛冶をおかしそうに眺めていた妖狐が、助け舟を出した。先の台詞に対しては、軽く「どうも。」と礼を述べ、
「そうでもないよ。」
「は?」
「『財』。オレの自由になる財などほとんどない。オレの分け前は、資金に回すには一番の減らしどころだから。多分、実質の量を比べたら、おまえのほうが金持ちだろう。商売人の割に管理も甘いし、時々盗みたくなる。」
 それに……。
 蔵馬は、今はもう興味の失せてしまった本を手に、ごろりと仰向けに転がった。本の背表紙に遮られた視界の向こうで、蔵馬はぽつりと呟いた。
「守れないものは、欲しがらないことにしている。」
「……。」
 これには、鍛冶は一瞬いうべきことばを失った。
「蔵馬……。」
「……。」
「……守れなかったことが、あるのか?」
 きいてはいけないことだと思う。蔵馬もいいたくはない筈だ。しかし、鍛冶には垣間みえたのだ。取り留めのなさに巧妙に隠された、確かに生き物である一端を。ヒントのない疑問符のような表層的な『蔵馬』ではなく、生身の若者であるこの男の中に、今少し踏み込んでみたい。
 蔵馬は何もいわなかった。
 どう答えようか、考えている風でもなく、きこえていないか、或いはきこえているが答える気はないか……。

 鍛冶が詫びるか否かを迷い始めた頃。
 蔵馬は、少しだけ本を下にずらした。特に何を思うでもない目を、鍛冶の目にぴたりと合わせ、
「ああ。」
 ただひとこと。
 答えた後は、本はすぐさま元通り視界を遮る壁となり、今度はいつもの飄々とした妖狐蔵馬らしい口調でいった。
「だからオレは経済的にも精神的にも貧乏なのさ。同情したければ、たまには黙って宿くらい貸せよ。」
「蔵馬……。」
「何だよ、さっきから蔵馬蔵馬って。『ボクチャン』はもう止めたのか?」
 本を腹の上に伏せ、蔵馬は身を起こす。
「灯りを落とすぞ。年寄りは鳥目なんだろう?明るい内にここから降りろ。」
「おい。」
「ん?」
「おまえ、忘れてるだろ。ここ、俺の寝台……。」
「そうか……。じゃあ、おまえもここで眠ればいい。」
「は……?」
 淡々といい捨てた蔵馬は、「……そうだったな。そんな簡単なことに、なぜ今まで気がつかなかったのだろう……?」などと独り呟きながら、灯りを落とし、腰までかかっていた布を引き上げ、さっさと身体を覆ってしまうマイペースさを発揮し、悪気もなく鍛冶の目を丸くさせた。
 結局、後の判断は鍛冶に一任されたが。
「……寝よ。」
 仕方なし、鍛冶は寝台の上に畳まれて控える掛け布一枚を広げた。
 眠る間際、鍛冶は目を閉じて丸くなっている妖狐にこんなことをきいた。
「何で俺の寝台が好きなんだ?」
 妖狐は、夢現の境で、こう答えた。
「ここは心地よい。巣に篭っていた頃の記憶が蘇る感じがして、安らぐ……。」
 鍛冶の胸に頭を寄せるようにして、妖狐は眠った。安心しきった呼吸で上下する肩に、鍛冶は自分の使っている布を半分かけてやり、目を閉じた。


金魚の水槽

HOME  MENU

Copyright (C) Kingyo. All rights reserved.