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暖かい客
T w i n V i s i t o r s
鍛冶屋の小屋の入り口の扉には休業札が下りている。
夜の内にしんしんと降り積もった雪が、森の木々たちにふわり綿衣をまとわせた、静かな朝。小屋の煙突からは、湯気とも煙ともつかない白いものが、ぽっぽと中空に躍り出しては消え、寒風に惑わされては消えていく。みる限り、主の不在という訳ではなさそうだ。しかし休業とは……、まさか主は病床にでも伏しているのだろうか?
などと考えてみるのは、新春早々縁起でもない。その証拠に、未だ寝呆け眼でさえずる小鳥たちの声を縫って、トンテンカン、トンテンカン、木槌の軽快な音が森中に響く。
対面商売の門戸を閉ざしていても、やるべき仕事は尽きない。鍛冶は黙々と、作業の手を休めない。
日は昇り、人はこれを元旦と呼ぶ。一年で最も厳かな朝に、わざわざ修繕の武器などを担いで、鍛冶屋に足を運ぶ者など居ないだろう。休業札を下ろしたところで不便はあるまい。もちろん急用ならば開けてやらないこともないが……、気の進まない仕事はしたくないものだ。
そういった主のささやかな思想から、年始の営業は至極質素に幕を開ける。いつもそうしている。去年も、一昨年も、その前も、師匠の代からずっと……。
鍛冶は働いている。土間の作業場に敷物をし、その上に胡坐を掻いて、今は一振りの小太刀の柄頭の仕上げにかかっている。いつものように脇に控えさせた背の低い作業台には、年の暮れに、急がないからと町の客が置いていった仕事たちが、整然と並んで自らの出番を待っている。重厚な両刃に細身の片刃、一般的な道具の小柄や包丁から、「のみ」や鉋刃などの大工道具、果ては外科手術に使う小刀や縫合針まである。皆、古くより愛用されてきたものばかりだ。
刃は錆つき、握りには汗の染み込んだ古い道具たちを、鍛冶は美しいと思う。疲れた顔をして、今は眠っている。愛されている顔をして、幸福な未来の夢をみている。彼らは、己よりずっと年配者なのだろう。これまでに幾人を守り、幾人を育み、幾人の城を築き、幾人の命を救ってきたか。自信に満ちた顔をして眠っている。
だから、手をかける前に一度、両手を合わせる。
そして、いつもなら「今日も一日頑張ろう。」と心の中で呟くことばも、今朝に限り、「今日から一年頑張ろう。」。
小屋の屋根から、ぼさりと雪の塊が落ちる。
日が高くなるにつれ、雪雲の立ち込めた空もほんのりと明るみ始め、小鳥たちの鳴き交わす声もいよいよ活気に満ちてくる。鍛冶も、今は研ぎの作業をしている。
何度か磨きを加えた包丁を、さっと水桶に潜らせ、雫を払ったそれを小窓から差し込む光に透かす。よく慣れた機敏な動作だ。自然の光を受けた刃物は、新たな命を吹き込まれ、荘厳とも思える輝きをみせる。荘厳。しかし、鍛冶にとっては手塩にかけて育てた娘か息子のようなもの。光の中に、何度も角度を変えながら確かめ、少し微笑む。
仕上がりは上々である。品物を置き、鍛冶は立ち上がる。よいしょという代わりに、喉の奥から意味のない唸り声を絞り出し、ぐるんと一度肩を回す。滞らない流れの合間に、休息が訪れる。そして、これが本日一度目の休息である。
反対側の肩もえいやと回し、
「……。」
不図、鍛冶は何かに目を止めたようだ。視線の先を追えば、それは作業場の邪魔にならない一角に行き着く。
七輪がある。内にはもちろん炭が入れられ、その上にやや大ぶりの平べったい土瓶があるのがみえるだろうか。土瓶の蓋は、中身のこぽっこぽっと煮える度に、かぽっかぽっと持ち上がる。土瓶の口からは、狭い出口を探し当てた白い湯気が線になって立ち上り、もしこの場に居る者ならば、その湯気に乗って漂い来る、甘く上品な、何ともよい匂いが舌のつけ根の辺りをつんと刺激し、口中に唾液の満たされていくのを感じることができるだろう。鍛冶の口元がにやりとなる。
うまそうな匂いの正体は、汁粉餅とでも呼べばよい。餡を緩く煮溶かした汁に、餅を数切れ放り込んである。餡は小豆餡。小豆は前に郷に帰ったとき、愛妻に持たされた。作物の豊かに育たない鍛冶の国では、粒の揃わない小豆も大層な貴重品である。餅は、冬季の保存食として、この辺りでは一般的に食されている。これは年末、代金を工面できなかった客が、済まなそうに置いていった。それ自体に価値はないが、鍛冶にとっては温情の感じられる、大層ありがたいものだ。
実は、鍛冶は朝からこの汁粉餅を楽しみにしていた。包丁の持ち手を挿げ替えていても、短刀なりを丁寧に研いでいても、次の作業に移る一瞬の「間」に、静寂を敵に回して汁粉の煮える音が耳をくすぐる。その度に、仕事に十を置いていた心が、一を逃がし、二を逃がしていた。ましてやこの食欲をそそる匂い……、幾ら集中力を研ぎ澄ましていても、気にかけない訳にはいかない。
そろそろよき頃合か。
鍛冶は、いよいよ悦に入った顔をにんまりとほころばせ、七輪の元へと歩み寄っていく。逸る心を抑え、両手を胸の前で揉み合わせる。
土鍋に似た広口のその蓋を取ると、雲のように沸き上がる柔らかな湯気と共に、小豆餡の甘く優しい匂いが鍛冶の顔を包み、作業小屋を占拠していた冬の味気ない空気を、青を赤に変えるように侵食していく。
今、鍛冶の心は幸福に満ちている。当然だ。くだんの汁粉餅を前にして、不幸にむせび泣く者がどこに居よう。どんな朴念仁も、この匂いを一嗅ぎすれば、立ち所に笑顔を取り戻す。……食い物は、どこかそういう魔法を秘めているのかもしれない。
材料を思うままに投げ入れて、後は放って置いただけの「男の料理」。にしては、こちらも打ち物同様、出来映えは上々である。鍛冶は己に満足し、ひとり頷くと、椀と箸を取りに作業場奥の厨へ……、歩き始めたがすぐに止まった。
「……?」
妙である。
しかも、理由は説明し難いが、なぜかとても厭な予感がする。
確かに、鍛冶の作業小屋は急拵えの粗い作りで、雨が降れば天井から漏るし、雪が降れば壁の隙間から吹き込みもする。しかし、季節は冬だ、火鉢やら移動式の炉やら、暖房器具は他にみ劣りしない程度にきちんと備えてあり、朝に比べれば室内の温度も大分暖まっている。それなのに。
……なぜ、足元を堂々と、寒風が行き過ぎるのだ?
はっとした鍛冶の、次の行動は今更書き記すまでもない。ただ、思うに、今振り返るのはあまりお勧めできない。なぜなら……!
「(じ〜……。)」
「……。」
目が合って、鍛冶は振り返った形のまま凍りついた。
風が悪戯しないよう内側から「かんぬき」をしておいた筈の入り口の戸が、いつの間にか十センチばかり開いていて、その中頃に、み慣れたふたつの顔が、さながら串団子のように、綺麗に縦並びに並んで浮かんでいた……。
「く。」
すべての感情を抑え、鍛冶はいった。
「……食いたいの?」
「うん。」
仕方がないので、ふたりの盗賊を中へ通して、入り口手前の客用の寝台を椅子代わりに、ひとりずつ座らせた。そのまま鍛冶は一旦奥へと引っ込んだが、やがて木製の椀に箸を添えたものをふたつ用意して現れ、七輪の上で食される時を待っている土瓶の中身をとぽっと注いで、それをそれぞれ、「食いなさいよ。」と手渡してやった。先に受け取ったほうの男は、愛想のよい笑みで「ありがとう鍛冶屋。」といった。それに倣って、後に受け取ったほうの男も、人形のような顔で「ありがとう鍛冶屋。」といった。
そして、ふたりは同時に、膝の上に椀を置き、親指と人差し指の間に箸を挟んだ手を合わせ、口には出さない「いただきます。」の挨拶をして、ぺこりと頭を下げた。
蔵馬と甲。このふたりは、よく一セットでやって来る。普通に仲がよいらしい。甲と乙、ということもある。黄泉は、時々ひとりで現れる。何かの原因で、大将に叱責された後などに、大将の目を盗んで隠れに来るらしい。
まるで子供のような連中である。鍛冶も、時々この男たちが立派に自立した大の大人だということを忘れてしまう。みていれば、
「この小豆ウマイ……。」
「そうね。まったりしてるのに、どことなくもったりしてるところが胃にもたれそうな……。」
などといっている。
「これ程うまいものが食えるなら、皆を連れてくればよかったな。」
「ホントにな。」
などと、迷惑な後悔までしている。
面倒臭いから「よかったね。」だけをいうと、ふたりは同時に「うん。」と頷いた。甲は嘘偽りのない顔をして笑う。普段は愛想なしの蔵馬も、どことなく幸せそうな顔をしている。互いに顔をみ合わせることもなく、にこにこと、餅を口へ運ぶ動きまで同じである。
「……ったく。お代わりは遣らんぞ。」
鍛冶は不機嫌にいい捨ててみるが、郷里の貧弱な小豆で作った汁粉餅をうまそうに食っているふたりの若者をみているのは、本当は悪い気がしなかった。
己の分も椀に注ぎ、床の位置に胡坐を掻き直して、汁粉を啜る。
ふたりはこれも同じタイミングで食い終わり、空にした椀を膝に、ぽんと両手を合わせ、口には出さない「こちそうさまでした。」の挨拶をして、ありがたそうに頭を下げた。鍛冶が「うまかったか?」ときくと、なぜそうするのか分からないが、一度互いの顔をみ合わせてから質問者のほうに向き直り、素直に「うん。」と頷いた。
「……。」
その後、若者たちは後片づけくらいはするからと、ふたりして厨の洗い場に立った。冬の凍てついた水は容赦なくふたりの両手を赤くしたが、ふたりはただにこにこと、
「♪」
時には鼻歌なども歌いながら、土瓶やら木製の椀やらを丁寧に丁寧に洗っている。
その様子を遠目に眺め、鍛冶は煙草をふかす。
「おまえらは双子のようだな。」
「♪?」
あまり気にせずに、ふたりの共同作業は続く。
一分経ち。
二分経ち……。
……。
やがて、鍛冶は口を開いた。
「ところで……。」
煙草を燻らせながらいう。
「おまえらは、今日は何の用だ?」
それは、ここに及んで初めて気がついた、鍛冶にとっては至極妥当な質問だった。ただ、……思うに、この質問にはそれなりの覚悟が必要だった。
「(は。。。)」
と、ふたりは同時に顔を上げた。
鍛冶は煙草を吸う。
鍛冶は煙草の煙を吐く。
鍛冶は煙草を吸う。
鍛冶は煙草の煙を吐く……。
「ね。」
「……。」
「……年始のアイサツ……。(T_T)」
「泣かなくていいから……。」
金魚の水槽
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