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よみぞうさん  ' D o n ' t c a l l m e " Y o m i z o u - s a n " . '


 ふもとの町の外れには、ふもとの村と呼ばれる集落が幾つかあった。山間(やまあい)の田舎村、といった風情で、そのぞれぞれに民家が数軒しかない、文字通り山のふもとの小さな村だった。
 ふもとの村の住民は、皆、地味で貧しかった。町の暮らしには何かと金がかかり、それに馴染めぬ者たちが、裕福な町の住民の心ない目から隠れるように、ひっそりと暮らしていた。とはいえ、それがまるで不幸だった訳では決してなく、町の華やかな生活こそ望めなかったが、貧しいながらも穏やかに、慎ましやかに、暮らしていた。結束は固く、争いもなく、強欲のない暮らしは、町の世知辛い風俗に比べれば余程幸せなくらいだった。だから村の住民は、村の貧しい暮らしに満足していたし、牛の歩く速度でのんびりと過ぎる一日に、大変満足していた。
 そんな村のひとつに、借地農民ばかりが暮らす、それはそれは小さな村があった。そこはふもとの町から最も遠く、山際にへばりつくように存在していたから山際の村とでも呼ばれていればよさそうなものだったが、これもただ何となく惰性でふもとの村と呼ばれていた。尤も、数少ない村人にとって、己の住まう土地が誰にどう呼ばれていようと、明日の天気に比べれば気に病んでみる程の価値はない。町との交流もほとんどなかったから、一律「ふもとの村」で事足りた。
 さてそのふもとの村に、時折山から下りてくる者があった。山から下りてくる、といっても、猪や熊の類とは少々異なる。確かに愛嬌のない顔をして、猪よりも一見して利口なのかどうか判断がつかないところはあったが、何せ粗末な農作物を食い荒らすことがない。それだけでも評価には値した。
 正体は一人の男。職が賊ならばそれ相応の人相をしている。
 賊風情が、金にもならない貧しい田舎村に何の縁があろうか。しかし、当人には某かの事情があるらしい。いつも茶屋がひとつあるばかりのその店先、丁度日陰になる辺りに打ちつけた長椅子に腰を下ろし、流れ行く雲をぼうと眺めながらあれやこれやと思いを巡らす。時は辰(たつ)へ差しかかる。その頃には村の男も村の女も大概が各々の農地へ農具を担いで出掛けてしまい、自給用らしい南瓜の荒畑に、残暑宜しく虫の声がじんじんと響く。数分前、茶屋の女が水を打ちに表に出てきたが、その水も溜まる間もなく乾いた地面に吸い込まれ、今は黒い染みの名残が僅かに判別できる程度。男は大きく息を吐く。側に誰かが居ようものなら「暑い。」と愚痴りたいところだが──数分前、茶屋の女が水を打ちに表に出てきたついでに置いていった、今は温んでしまった茶をぐいと飲み干す。素朴で形の悪い瑠璃の水飲みを長椅子の脇にこんと置くと、図ってか図らずか茶屋の女が開け放した戸口から顔を覗かせ、同じ空を眺める。客には一切ことばをかけない。無意味にはなしかけられることを好まないことを知っていた。しばらくすると空になった瑠璃の水飲みを下げて店の内に戻っていった。未亡人だというはなしだ。しかし、男にとってはどうでもいいはなしだ。
 男の住まいは山の中腹にある。時々閑をみて、わざわざ山を下り、この茶屋を訪れては時間を潰した。賊と書いたが、賊にしては珍しく規律は厳しい。上の方針は絶対で、断りなく山を下りることも無論許されてはいない。
 それでも男は規律を背いて山を下りる。その故、流るる雲の行方に在るらん──じつとみつめる様は鬼にも似た形相となる。これでは村人にもさぞかし恐れられているのだろう……と思いきや、
「よみぞうさん、水羊羹作ったの。食べる?」
「……。」
 黙って座っていれば、農作業を引退した近所の年寄りの女房共が、色々声をかけてきては世話をしてくれる。若い男が珍しいとみえる。片や男のほうは、年の上下に関係なく女という生き物自体に慣れていない。返答に迷っている間に、また一人、二人、餅やら煮物やらを手に寄ってくる。世話を焼きたがるのはどうも女の性らしい。その上悪意がないから性質が悪い。こうなると、男は怒ったような顔を赤くして、「うん。」とか「ぬん。」としかいわなくなるのだが、そのうぶな態度がまた女共には受けるらしい。
「ほら、南瓜団子も食べる?」
「あら、お腹空いてないの?遠慮しなくていいのよ?」
「あ、……ああ。」
「まあ、オホホ。」
 結局そこはかとなく人気がある男であった。
 が、そこはかとなく人気があるのは、何も女共に対してばかりではない。
 巳(み)も半ばを過ぎ、一通り世話を焼き終えた女共も、今は各々の居へと引き上げた後である。再び訪れる長閑な時間。温い風が緩く吹き、形のよい雲が同じ流れに乗る。
 そうして、男が相変わらずぼうと空などを眺めていると、向かいの畑の松の木の陰からひょっこりと。
「……。」
 軒下の水がめの脇からひょっこりと。
 井戸の向こうからひょっこりと。
 大根を洗う老婆の大きな尻の陰からひょっこりと。
「あっち行って遊んでなさいよ。」
「……。」
 小さな頭が幾つも覗く。
 大きな目をしてみつめている。
 村の子等は、揃いも揃って丸刈りかおかっぱである。そして、
「どいつもこいつも素朴な顔をしている。」
 と、男は思った。
 小さな人集りに宛ら「包囲」され、男の居心地の悪さは最高潮である。相手が餓鬼なら睨みつけて追いやることもできず(睨みつけたところで真意が伝わるとも思えないが)、定められぬ視線はやはり空を向いたまま、無造作に組んだ足は自然貧乏揺すりを始める。
 子等も黙ってみつめてばかりではない。その内、年長の何人かが目配せし合う。小さな頭を寄せ合って、何やらヒソヒソと会議を始めた。
「ヒソヒソ。」
 という。
「ヒソヒソ。」
 と返す。
 男は相手にしない、と思うが、気にしている時点で既に負け試合な気がしなくもない。
 数分が経ち、会議に結論が出たらしい、子等の一群から大将格の男(お)の子一人、数人の手下を連れ、日陰で休む男を目がけて一直線に駆けてきた。一歩進むごとに小さな足元に土埃が舞う。
 面前まで来ると、子等は直立不動の姿勢でしばし黙した後、不意にその大将格が何やら小さな丸めた物を差し出した。
 男も不意に受け取った。丸めた物の正体は紙切れのようだ。小さな四角形を四つ折りにした筈が、握り締めていたせいでしわくちゃになってしまったのだろう。
 男の子は素朴な顔でこういった。
「十数えたら開けてねん。」
「……。」
 男は子等にも容赦しない鋭い眼光で、一度一同をぐるりと睨みやった。
 しかし、不意を突かれたとはいえ、受け取ってしまった手前もある。
「……一。」
 男が数え始めると、子等は、
「わー。」
 などと愛らしい歓声を上げて、蜘蛛の子を散らすように走り去る。
「二。」
 続けて数える。そして「三。」を数えた頃には、子等の姿は完全に視界から居なくなった。
 理由を求めず、とりあえず「十。」を唱え終えたところで、男は手の中にある例の物を開いてみることにした。破かないように、慎重に──
 そこにはこう書かれてあった。
「探してねん。」
「……う、うぬ。」
 男は唸った。奸策である。いつの間にか、「隠れん坊」の鬼にされている。首を大きくうな垂れる。
 舌打ち。
 苦虫を噛み潰したような顔で天を仰ぐ。太陽は今駆け足に、午(うま)を目指し天を昇らんとする。餓鬼共にくれてやる時間はない──と思うのだが。
 しんと静まり返った村。たまに吹くだけの風に、翻弄されるだけの白く乾いた土埃。どこかの家から赤子の泣き声。それをあやす母親の声。男手も女手も、大方は畑へ出た切り夕刻までは戻らないのだろう。
 男はこんなことを考えていた。
 →子等は「隠れん坊」をしている
 →己は子等に「隠れん坊」の鬼にされているが、鬼になってやる気は更々ない
 →鬼が探しに来なければ、子等は延々と待っている
 →誰の目にも触れぬまま何日か過ぎる?
 →事件性が深まるサスペンスのような展開??
 →月日は流れ、村人の誰もが忌まわしい事件を忘れかけた頃、村の其処彼処から素朴な顔のミイラが発見される???
(……な筈はないな。)

「あら……?」
 茶屋の女が二杯目の茶を持って戸口から顔を覗かせたとき、長椅子に男の姿はなかった。

 子等の隠れる場所は大抵決まっていた。ここで大抵といえる辺り、男が鬼にされるのも実は初めてではなかった。だから、草を分け入ってはこれ、空樽を伏せてあるのを持ち上げてはこれと、次々にみつけていく。これも賊の資質か、ここと思うところ、面白いようにみつかる。
 そして一人みつかる度に、
「よみぞうさんおんぶ。」
「のれよっ。」
「よみぞうさんだっこ。」
「しがみつけよっ。」
 小さな身体を「ひい、ふう、みい。」とぶらさげながら探すことになる。この行為、一見すると難儀な仕事に思えるのだが、折角みつけた子等も、放っておけばたちまち「たんぽぽの綿毛」のように、ふらふら、ふわふわと漂っていってしまうので、捕え直すのは二度手間である。故に、
「よみぞうさんかたぐるま。」
「ずるいぼくも。」
「けんかするなよっ。」
 さぼらず探し続ける、職務に忠実な大変よい鬼である。
「ふう……。これで全部かっ。」
 男が問う。
 頭にしがみついていた男の子が答える。
「一人足りないよん。」
「あ?」

 れんげという名の女(め)の子は、桜の老い木に登ったはよいが一人では下りられず、怖くて心細くてしくしくと泣いていたのであった。男はみ上げたまま、身体に付着する子等に向かって「下りろ。」と命じた。子等も従ってぽとぽとと水粒の如く落下──身軽になった男は慣れた手際で木に登る。
 手を差し伸べる。
「世話焼かすなよ……。」
 ひしと抱きついてきた小さな身体を片腕に乗せ、再び慣れた手際で木を下りる。
「これで全部か?」
 問う声に元気な合唱が答えた。時は申(さる)を過ぎ、手をつないで並び歩く帰り路に、影が細く、長く、黒を映す──

 男は茶屋の長椅子に座り、茶屋の女が甘く煮てくれたおやつの南瓜を食う子等のうれしそうに火照った頬を眺めながら南瓜を食う。小さな女の子、れんげが男の横にぴたりと膝をつけて、地面に届かない足をぶらぶらさせている。時々男をみ上げ、恥ずかしそうに笑う。
 茶屋の女が子等に教える──硬い皮も、こうして軟らかく煮つければ美味しく食べることができる。種も乾燥させて炒っておけば中身を割って食べることができる。捨てるところは少ないほうがよい。おとう、おかあが手塩にかけて育てたものだから。
 日は傾き、そろそろおとう、おかあが畑から帰ってくる頃。一番やんちゃな男の子等も、遠くへは行かずに大人しく遊ぶ。
 一番小さな女の子等が、憶え立ての唄を歌っている。
「からすがなくからかえろ。」
 空が橙色に染まる。
「からすがなくからかえろ。」
 草も木も、家も、子等の頬も橙色に染まる。
 素朴な村が、黄金の光に包まれる。
「おかしらさん。」
 ──誰かがいった。
 山へ通じる道の途中、夕焼け空を背に、長身の身体が長い影を落としている。
 子等が一斉に駆け出す。ゆっくりと優雅に歩みを進める影へ我先にと飛びつき、
「おかしらさん。」
「おかしらさん。」
 その男は白い腕に土だらけの小さな手を幾つもぶらさげて、ゆっくりゆっくり歩いてくる。
 茶屋の前まで来ると、子等は決まって「おはなちょうだい。」とせがむ。そんなとき、おかしらさんは店先の空いた土地を選んで、一畳ばかりの花畑を作ってやる。その魔法のような光景に、きらきらと目を耀かせる子等の顔を眺めることが、おかしらさんは好きらしい。穏やかに目を細める──そうして満足げに微笑む姿は美しいと男は思う。だから我知らずその横顔などをみつめていると、不図、そいつが視線をこちらへ流した。心の中が涼しく憂えるような目……、男は慌てて目を逸らす。
 視界の外側で、そいつは笑った。
「世話焼かすなよ。」
「……。」
 手を伸べる。
「さあ。烏が鳴くから帰るのだ。」

 ……男は逆光の中にその手を掴んだのだろうか。子等はいつも花畑に夢中で、茶屋の女の口が堅いことだけが悔やまれる。


金魚の水槽

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