Date  2 0 0 2 - 0 1 - 2 6  No.  0 0- 

猫とハニー  Y o u ' r e M y H o n e y


 甘い声色を遣い、その美女は彼の足元に身体を擦り寄せた。彼は机に向かい苦悩するが、彼女の甘える所作には受け止めてやる余裕をみせる。彼の大きな手が、彼女の首筋を優しく撫で上げる。彼女はせがむような視線で彼をみ上げ、喉を鳴らす────

 オレはいつものように彼のベッドに腰掛けて、相愛の仲らしいふたりの様子を、無垢な頭で眺める。膝の上に開いた芥川を一頁進めて、
「彼女、名前何でしたっけ?」
 尋ねると、桑原くんはちらっとだけオレのほうを振り返り、
「トメキチ。」
 自分が呼ばれたと思ったか、彼女はニャアと一声鳴いて、媚びるように桑原くんの手を舐めた。
「女性なのに、『トメキチ』?」
 オレは再び本の世界へ、平安京の混沌にある種の懐かしさを覚えたりする。紙の上に浮かび上がるイメージを、冷めた視線で傍観する余裕も懐かしいが今は現世。彼は苦笑ぎみな声を返す。
「女性とかいうなよ。」
「でも、雌なんでしょう?」
 桑原くんが笑った。
「雌でも『トメキチ』。」
 乙女の「トメ」でトメキチ、とつけ加える。
「ふうん。」
 オレは改めて、桑原くんにぴったりと寄り添うトメキチを眺める。彼女は背伸びをして、彼の膝に前足をかけた。首を傾げる仕草で鳴くところをみると、なるほど、毛並みの艶やかな白猫にはぴったりな名前かもしれないけど、
「乙女ねえ……。」
 それにしては彼女、随分甘え上手なようですね。トメキチが、また構ってくれなくなった桑原くんの手を欲して、甘く鳴く。応えるように、桑原くんの左手が下りていく。
 ただ、今度は一度頭を撫でた後、彼女の腹にその手を滑り込ませて身体をすくい上げ、
「よっこらせ。」
 彼は席を立つ。そしてオレの側へ……、オレに本を上げるように手で示してから、いう通りにしたオレの膝の上に丸めた白猫の身体を乗せる。心地よい重みを落ちないように片手で支え、桑原くんがしてやるようにオレも優しく彼女の頭を撫でるが、
「駄目だよ。」
 オレは机に戻ろうとする彼をみ上げていう。困惑を隠さなかったのに、彼は一瞬振り返ってくれただけで、もう椅子に座ってこちらを向いてくれない。
「何が?」
「猫。」
 答えから始める。
「……桑原くんチの猫、オレに懐かないから。」
 といっている側から、トメキチが厭々するように身体をよじり出す。桑原くんは笑って、冗談交じりにこういった。
「狐だからじゃねえか?」
「それだけならいいんだけどね……。」
 元々猫はあまり得意じゃない。嫌いという意味ではなく、こちらは普通に接しているつもりなのに、向こうからは絶対に馴れてこない。やはり動物的勘が働くからなのか。桑原くんのいい分には一理あるとは思うけど、それだけではどうしても納得できないことが、ここに来るとある。
 桑原くんのかわいがっている猫たちは、桑原くんの部屋にオレが居合わせている間、桑原くんの膝から下りるのを厭がる。オレが彼の机にもうひとつ椅子を寄せて勉強を教えている最中などは、彼とオレの間に当然の顔で割り込んできたりするのだ。でも、
「犬なら得意なんだけどな。」
「んー?」
 敵意を感じるのは、オレの気のせい?────なんて彼に漏らして大爆笑される寂しさだけは味わいたくない。それに、
「上下関係の分かる連中なら、一睨みで大抵屈する。」
「こええっつーの……。」
 猫に妬く程安いプライドでは生きていないつもりだから。
 桑原くんが終わるまで大人しくしていてくれないかな。猫の背中に訴えかけて、大欠伸で返されて。仕方がないから、オレは猫の上に本を被せるようにして、続きを読みにかかるのだが……。しばらくすると、トメキチが鳴き始める。視線は桑原くんの背中にじっと釘づけ、彼を呼んでいるのだ。
 彼は、猫たちにしか遣わない甘く優しい声で?
「こらあ、蔵馬にーちゃんのところでいいコにしてなきゃだめだちょお。」
 ……何弁なんだか。
 だが、桑原くんの声が戻ったことで、彼女の欲求が余計に膨らんだようだ。オレの膝の上で身体を起こし、うずうずと足踏みを始める。
 桑原くんは勉強中。邪魔をしたら困ると思うから、
「ああこら、大人しく……!」
 ベッドに本を伏せてトメキチの身体を抱き直そうとするが、オレの声では彼女には逆効果か。彼女はキラリと光る睨みをオレに向けて、雷のような唸り声で身体を震わせて、
「痛っ。」
 膝と手に爪を立てられた。彼女はというと……、すっかり桑原くんの膝がお気に入りらしい。身体を丸めてもう下りないぞと自己主張、オレに高飛車な視線を投げ、勝ち誇ったように甘く鳴くのだから。
「大丈夫かー?」
 オレのほうに椅子を向けて、声をかけてくれる彼は優しい。応えるに値する優しさだと思う。
「ん、大丈夫だよこのくらい。唾つけとけば治る。」
 少し冗談めかして微笑む。桑原くんはおてんばな白猫の頭を軽く拳で突いて、その身体を慣れた動作でひょいと持ち上げた。そのままドアのほうまで歩いていきながら、
「んじゃオレが一発舐めちゃるか?」
 ころっと笑っていったりする。彼はドアを開け、
「ほれ、向こう行ってろ。」
 トメキチ嬢は部屋の外へ強制退去。猫たちの態度が過ぎると大抵こうなる。
 オレはその様子に何気ない目を向けている。猫の姿はドアの向こうに消え、桑原くんの手でドアはぱたりと閉めらた。
 何事も起こらなかった以前に戻ったような、静寂。オレは本を膝に乗せ直し、新たな頁を繰る。────が。
 そのまま元いた場所に戻る、と思われた彼が、その足でオレの側まで歩み寄る。
「よいしょ。」
 桑原くんはベッドのオレの隣に腰を下ろした。
「大丈夫か?」
 もう一度きいてくれる。ちょっと済まなそうな顔をして……。猫たちは彼にとっては子供のようなものだ。彼が将来父親になったとき、子供が悪戯をしたらきっと同じような顔をして謝るのだろうな。
 桑原くんの側にいると、とても気分がいい。いい意味で人間臭いヒトだと思う。彼自身が隠そうとしても、隠し切れない優しさ、……時々、それが向けられる限られた対象が羨ましくなることがある。
 オレが黙って頷くのを確かめて、彼はベッドから腰を浮かす。
 あ、それだけで戻るんだ。そう思ったら、ことばが自然に出てきた。
「桑原くん。」
「あ?」
「オレのこと、スキ……?」
「……は?」
 彼が、変な顔をしてオレをみる。……それは当然だけど、そんな顔されたら。
 ああ、また自己嫌悪だ。オレは本も投げ出しベッドにばったり倒れ伏す。どんな顔したらいいか分からない。
「……御免。今、すごい最低なこと、いった。」
「……。」
 いつもみたいに、「いいよ。」で済ませてほしい。なかったことにして席に戻って、もう触れないでほしい……。
 ベッドの上で動かないオレ。
 彼が困ったように頭を掻く。
「蔵馬さあ……。」
「……何?」
 彼がいった。
「もしかして、猫に嫉妬してる?」
「殴られたい?」
「……なワケねえよなあ。はは。」
 笑われてるし。
「おめえをどう思ってるかかあ?んなこと考えたこともねえからな……。」
 ……嫌われてはいない自信はあるけど。
「でも最近、時々思うのはさ。」
 そう前置きして……、彼はある意味オレを驚かせる天才かもしれない。
「年上の彼女────
 しかも彼にはその自覚がないのだから、憎めなくて、卑怯だとすら思う。
 ────とかいたら、そんな感じなんだろうなあ……とか、思う。頼りになる部分は昔のままだけど、脆いところとか……、ほら、初め会った頃は絶対にみせかった部分を曝け出してくるようになっただろ。」
「……。」
「たまに弱いからさ、オレがどんっと構えて支えてやるのも悪くねえかなってな。」
 彼は、やっぱり優しいヒトだ。笑ってくれる、それだけで幸せな気分になれる。この空気が好きだ。触れていたい、オレはそっと目を閉じる。
 一度息を吐いて、いつもの調子が取り戻せそうだ。
「……御免ね、迷惑かけて。」
「それはいいってことよ。」
 彼はいつもの「いい」の後に、ぼそっと「……おめえにはオレしかいねえんだろうしな。」とつけ足した。
 どういう意味?ききたかったけどその台詞、きかなかったことにして置いてあげよう。それがオレの優しさでもいいかな。彼が、オレから指摘が入るのを恐れて、慌てて続ける。
「それにおめえは色んなこと教えてくれたりするし。ヒジョーに便利に使わせて貰ってマス。」
「そう?じゃあとりあえず、数学から始めようか?」
 オレは笑って答える。少しだけ、いつもの空気が戻ってきた。
 しかし、……今日は本当にどうしてしまったんだろう?
 身体を起こそうとするオレに、彼は「そうじゃなくてな。」と呟いて。
 ……肩に手をかけられ、仰向けにされる。

 はぐっと、一回、二十秒。

 ティッシュの箱。箱ごと無言で差し出されて、お互いくちびる拭うくらいならしなければいいのにね……。
「あー……、のさ。」
「何……。」
「今日のこと。姉ちゃんに、チクる?」
「……いわないよ。怒られるの、オレなんだから。」
「あ、そうなの?」
「うん。何でだろう……?」
「はは。」
「……。」
「はーあ、……参ったねこりゃ。」
「ねえ。」
「はい……?」
「それ、オレの台詞だよね。(怒)」
 ……だから、土下座するくらいならしなければいいんだって。


金魚の水槽


「桑原くんと蔵馬くんモノ」の中では、代表作といってもいい品です。お楽しみいただければ幸いです。
※日付は、弊サイトでの初回掲載日です。
※第一稿を全体的にみ直し、ラストも新たに書き下ろしました。ご了承ください。

HOME  MENU

Copyright (C) Kingyo. All rights reserved.