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そばにいて  t o u c h m e


「元気か。」
「うん。」
「んー、元気……でもなさそーか。」
「うん……。」
「こうして顔みてはなすのも久しぶりだな。」
「うん。」
「この前会ったのって、いつだっけか?」
「うん。」
「……。」
「……。」

「蔵馬。」
 と、名前を呼ばれる。顔を上げるまで、オレは自分が何を間違えていたのか気づかない。
 彼がオレをみている。「やれやれ、またか。」といいたげな顔で。少し、怒っているのかもしれない。
「……御免。」
 完全に会話から脱線していたオレは、目の前にコーヒーカップが運ばれてきたそのときから、延々とカップの「つる」ばかりを指で撫でていた。中身は冷めていくだけの寂しい運命。彼がいう。
「何だか。お疲れのよーですね。」
 敬語なんか遣って。無理しておどけなくてもいいのに。その優しさが辛くて、今は素直に笑うことができない。
「うん。……少しね。」
 繁華街から少し入り込んだ、裏通り沿いに在る喫茶店。窓際の席を選び、真向かいに座る彼は、オレを責めたりしない。元々優しいヒトだから。心の居所が不安定なオレに、少しだけ困ったような視線を向ける。
 こんなとき、何をいえばいいのだろう?コーヒーカップを触るが、口元に運ぶ気にはなれない。一方、彼も今日はコーヒー。今も一口飲んだから、中身は順調に減っていく様子。
「マジで大丈夫か……?」
 今度は慎重ないいかたで、オレの状態を探りにかかる、か。
 本当はここで、「大丈夫。」と笑うのが正解──なのだろうが。
 実際のところ、あまり大丈夫ではない。年下の彼に、それを吐露して甘えるのはマナー違反だと思う。かといって、本音とは真逆のことをいって嘘を吐くのは厭だ。
 押し黙るオレ。……彼がため息を吐く。
 そして突然、
「行くか。」
「え……。」
 彼が席を立つ。手には伝票が握られていて、オレが面食らって後を追う足が遅れている内に、さっさと二人分を払って、店を出ていってしまった。その間、一度もオレを振り返らない。
 店の外、ようやく追いついた背中に、
「桑原くん。」
「ごちそうさまとかはいいから。」
 怒っているのかと思ったら、声色は案外優しくて、
「はい行きますよ。」
「あ、でも……。行くってどこへ?」

「オレの部屋。」
 ──と彼が答えてから、どのくらい時間が経ったのだろう。オレは「世界で一番安全な国」、桑原くんの部屋に居た。
「適当に座ってろ。茶、入れてくる。」
「あ。オレ、やります。」
「いいって客人。」
 部屋に入って早々、一人切り、取り残される。ここは彼の匂いがする。オレにとってはみ慣れた部屋だ。座る場所は……。適当に、といわれても、落ち着く場所はいつも「そこ」だった。
 ベッドに腰掛けて、彼を待つ。

『オレの部屋。』

 ……だって、オメーの部屋じゃあ困るだろ?弟が変に勘繰ってくるから。
 ──その通りだった。この場合の「勘繰る」は、オレと桑原くんが所謂「怪しい関係」なのではないか、などという生易しいものではない。桑原くんから一度きいたことがある。弟こと畑中秀一は、桑原くんに向かってこう尋ねたことがあるそうだ。兄さんは、本当に人間なんですか──と。
 桑原くんは、弟の素っ頓狂な問いかけを、笑い飛ばすことができなかったらしい。それは決して彼が迂闊だったからではなく、弟の本質の中に、自らも持つそれと同じ「匂い」を感じたからだとオレは理解する。
『アニキが人間じゃないと何か困るのか?』
 弟が「困る。」と答えたかどうかはききそびれたが、そういって、莫迦にせず、真摯に対処してくれた彼には敬意を払いたい。何せ、弟にはオレの正体を完全に疑われているのだから。
 そんな出来事があったせいもあり、桑原くんの部屋はオレの安息の地のひとつとして、何となく定着していた。
 本当に何となく。
 よく考えてみれば、密室ならどこでもいいんだ。……なんて考えていたら、「だったらラブホでも行くか?」と真剣な顔で切り出してきた過去の彼を思い出す。まあ、それはある意味正解なんですけど、そこでオレが「うん行く!」と答えたらどうするつもりだったのだろう?

 彼がインスタント・コーヒーを入れてきた。二つのカップがロー・テーブルに置かれる。
 だが、それだけ。
 立ち上る湯気の形にみ惚れていたら、桑原和真が隣に座り、オレの肩を抱いた。自然に。そうすることが当たり前のように。
「……。」
 彼の肩に身を預けて目を閉じる。それだけで、静かで穏やかな空気に包まれる。
「何で、分かったんですか?」
 彼が素っ気なく答える。
「何となくな。こういうの、欲しそうな顔してたから。」
 何を生意気なことを。オレは心の中で毒吐くが、いわれるまでもない、確かに、今日は朝からずっとそんな気分だった。誰ともしゃべりたくない。それでいて、誰かのそばにはいたかった。身も心も預けられる誰かに、オレの身体に触れていてほしかった。
 今日、彼の誘いに乗り、彼と会うことを決めた。その真の目的を、そこに在る期待を、卑怯にもオレは今の今までみない振りをしていた。
 この世界で、ここだけにしかないもの。
 最悪の甘えかただと思う。少なくとも、南野秀一という人間の品格を貶めるには十分の。
「桑原くん。」
「んー?」
「オレ、サイテーだよね。都合のいいときだけ、キミのことを利用しているようだ。」
「またそういうこという。」

 何度でもいうよ。オレ、疑い深い性格だから。

「キミが優し過ぎるから悪いんだ。」
「今度はヒトのせいかー?」

 だって、今、心の底からうれしいから。

「……ありがとう。」
「いきなり素直のなんなよ……。」

 それは無理なお願いだ。
 ──あたたかい。この感情を、今はベタなことばでしか表現できないけれど。
 ずっとこうしていたい。
 ……彼はどう思っているのだろう?その問いを、直接ぶつける勇気はない。恐る恐る──なんていい過ぎか。オレは彼に気づかれないように、そっと目を開け、横目に彼の顔色を窺った。そして──残念なくらいに爆笑した。
「なんだよ……!」
「ごめん、でも、ふふふ。」
 いつまでも笑いが止まらない。ああいけない、早くきちんと謝らないと。何に対して?って、ひとつは突然吹き出してキミの気分を害したこと。
 そしてもうひとつは、キミの「若さ」を察してあげられなかったこと。
 そっと覗きみた彼の横顔。酷く真面目な顔をして、多分ずっとこう考えていたのだ。肩を抱いたところまではよかったが、これをどのタイミングで離せばよいものか、と。
 そうだ、大事なことを忘れていた。オレと桑原くんは、まだまだ甘い関係には程遠い。もう少し時間をかけて育てなければ、彼はオレの理想の男には近づかない。だが、これだけは確実にいえる。
 彼の素質は、きっとオレの期待を裏切らない。彼の存在は、未来のオレに充足を与える。
 但し、今は現在。ぶっきらぼうにオレの身体を突き放して、彼の不機嫌はしばらく収まりそうにない。
「……ったく。元気なんじゃねえかよ。」
「くすくす。御免。おかげさまで、たった今、元気になりました。」
「元気なんだったら、けえれっ。」
「あーでも。残念なお知らせが。」
「……何?」
「これからお昼寝の時間です。」
「はあ!?ふ・ざ・け・ん・な・よっ。」
「あなたも一緒にどうですか?」
「……あ。ハイ、オジャマシマス。」


金魚の水槽

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