Date
2 0 0 3 - 0 4 - 1 2
No.
0 0-
春眠
v e r n a l b r e e z e s
白に近い桜色が風に舞い、さらりさらりと下りてくる。
前を行く男は不図立ち止まり、
「夜桜か。」
艶なものよ、と呟くが、後ろにつき従う俺を振り返ることは遂にもなく、
「花が、好きなのだな。」
歩き始める背に投げかけたことば。男はやはり振り返らず、
「おまえはどう思う?」
何を指す問いかが分からず、立ち尽くす俺との間を桜の風がぬるく遮る。
男は答えを求めていない。必要な答えはすべて、男の心中に存在する。他の生物の入り込めない位置に、男自身が存在している。だから、桜の風に長い髪をぬるく遊ばせながら、男はそっと、
「オレは……。」
と呟く。再び立ち止まり、雲ひとつない夜空をみ上げ、多分瞳を閉じて、
「サクラという花が好きだ。」
と呟く。
「時間は同じ周期を辿る。六十秒だったり、二十四時間だったり、三百六十五日だったり、決まった時を違えず巡るものだ。だから『昨日のこの時間』というものが存在するし、『去年の今日』というものが存在する。」
俺は、これ以上踏み込めない位置から、論者の狐と桜を眺める。
男は淡々と語る。
「だが、一見同じにみえる時間を、実際は同じではないのだと強く意識してしまうことが在る。それが、『今』や『瞬間』というものだ。」
桜の舞い散る中、男は歩き出す。
「……当たり前のことだが、オレはこのまま生きていれば、来年の今日という日を巡る。そしてもしもその日、この道の桜の下を通ることがあれば、きっと、去年の今頃に同じ出来事を経験したと思うのだろう。」
「……。」
「しかし、今はここにしか存在しない。この瞬間は、ここに居なければ味わうことができない。それを……。」
不意に男は小さく笑った。
「不思議だな。散る桜をみていると、勿体無いと思ってしまう。この時間をどうにか留めておくことができないものかと思ってしまう。……年を取ったせいかな。」
その最後の自問に、俺は慌てて首を横に振った。その単純過ぎる反応が男の笑いを誘い、男は拳を口に当て、くつくつと笑い始めるが……。
やがて、桜を指し、寂しげに呟く。
「消えていく……。もう少し、おまえと居たいのに……。」
「……。」
「これは時を計る機械ではなく、まるで死に行く時がみえるようだ。」
バンッ!
……突然、耳をつんざくでかい音。
目を開けると視界に現れる、土の上に白い手。白い爪。白い指。白い腕。ちょっと怒りに紅潮した、白い顔。
み渡せば車座の上層連中が呆れた顔で俺を注視する。今は作戦会議中、……らしい。
そして改めて、目の前に膝をつく男。地面についた細い指がぎりっと土を掻き、
「今、眠ってただろう。」
「……いや、まさか。」
咄嗟に嘘を吐くが、冷静な蔵馬は今度は俺の隣に座す男に視線を移し、
「なあ乙。この男は眠っていたと思うか?」
かなり厭味な感じが、感心する程よく似合う……。
自称俺の友人(黄泉くんのマブダチ)である乙は、俺に配慮した答えを用意して。俺に配慮した、
「はーい、眠ってましたー♪」
答えを……。
……。
……。
「……済まん。」
結局非を認めて謝り、俺は初春(はつはる)早々から周囲の失笑を買うことになった。しかし春麗かに淀む空気の中、蔵馬だけは淡々とマイペース、
「そうか。……ふむ。今後の作戦の成否を分け、更には統率する者の命運をも分けるこの会議で、居眠りとはよい度胸だ。」
「……ああ。」
「その度胸は認めた上で、まあ褒美といっては何だが、仕事を遣ろう。午後になったらふもとの市から食糧運搬。」
「そ、それは下級の若い奴らの仕事……!」
「何だ?いいじゃないか、たまには。春の陽気を思う存分堪能できるぞ?散歩がてら行ってこい。……それから乙。」
「はーい♪」
「知ってて起こさなかったのならおまえも同罪だ。行け。」
「はーい……。(T_T)」
「……にしても黄泉くんさあ。」
「その『くんづけ』は止めろっ。」
鴬(うぐいす)鳴く山道を、二週間分の食糧を積んだ引き車を引き引き登る。何が春の陽気だ。身体を動かせば汗が流れる程に暑い。
「気持ちよさそーに寝てたよね。」
そしてこの男は、いい加減忘れたい出来事をいつまでもぶり返したいらしい。俺は腹の中の苛立ちを、手っ取り早く乙にぶつけた。
「……んで起こさねえんだよっ。」
「んー?」
っつーかね、と、乙はいつもの軽快な口調で俺の苛立ちをあっさりと弾き返し、
「ま、春だし。どうせ楽しい夢でもみてたんだろ。」
「……んだよ楽しいってっ?」
何気にしゃべりながら、悔しいが俺は、案外コイツと会話を交わすのを嫌っていない自分がいることを素直に認める。昔から他人の懐に入るのが上手い奴だった。ダークホース。あの蔵馬を出会い端から笑わせたのも、俺が知る限りコイツが初めてだったと思う。尤も、俺が知るよりも以前から蔵馬とは知らない間柄ではなかったというはなしだから、本当のところの初対面ではどうだったのかは知らない。
「例えば、昇給の夢とか?」
「……莫ー迦。盗賊風情が昇給に夢などあるかっ。」
「そお?」
「それに、俺たち幹部待遇は、景気が悪くてもそこそこ分配される代わりに、どれだけ景気が向上してもそれ以上増えることはねえっ。」
と、俺なりに会話を成立させるつもりで吐くが。乙は先の問いなど元より前置きよろしく、恐らくこちらが本題か、用意していた切り返しであっさりと、
「じゃあ、やっぱあれか?スケベな夢。」
「す……!」
「だって、蔵馬の夢みてたんだろ?」
「!な、な、何でスケベな夢と蔵馬がつながるんだよっ!!」
思いも寄らない『蔵馬』の出現に、俺は頭に血が昇り、乙に拳を振りかぶった。それをみて、乙は避けるどころかニヤニヤと笑い始める。……当然だ、怒る以前に首から上が真っ赤になっていたら、半分以上の図星はみえみえだ。
「黄泉は若いなあ。分かり易くて、そういうのスキよ、俺。」
「うるせえよ……。」
蔵馬の夢をみた、というのは本当だ。しかし、それ以上のことは何もない。
……というより、あの夢は場所も時節も不明。それは、最近みる夢にしては珍しいことだった。はっきりと残るのは会話の内容だけで、その他の風景は夜桜ですら呆れる程に印象が薄い。
知らず知らず、俺はため息を吐いていた。乙がいう。
「何だよ悩み多き若人?気になることがあるならオニーサンにはなしてみなさいよ。」
大して年上でもないくせに、こういうときだけ兄貴面するところがいけ好かないが。……まあいいか。
「……桜。」
「……サクラ?」
ん……、というより、花見の夢か?
俺は会話の延長のつもりで仔細をはなし始めた。
「あ?花見ったって。この辺、桜の名所なんかねえだろ。それに、今時期はようやっと蕾がついた頃。花見どころか、散るのは後一月は先だぜ?」
「ああ……。」
「なあ。いくらおまえが蔵馬にスケベな願望を持っているからといって、桜吹雪の下で共同作業とは少々罰当たりな発……。」
「!××××っ!!(怒)」
「分ーった分ーかったって。先続けろや。」
一通りきき終えた乙は、夢の中でまで理屈っぽいんだな、蔵馬は、といって笑った。そして、
「如何にも蔵馬がいいそうなことじゃない。ま、気にするこたあねえな。」
「ああ、別に気にしてるわけじゃねえけどな。おまえのいう通り……、よく考えてみれば、退廃的な哲学はあの男の専売特許だ。」
桜は気温が上がってきた体感が単純に映像化されたもの。夜桜だったのはそれまで夜間行動が多かったせい。……そうだ、深く考えることは何もない。
「夢なんてそんなものだろう。」
「そうそう、無意識が知らず知らず影響してきちゃうモノだよ。おまえがそうやって普段から蔵馬のことばーっかり考えてるから、夢にまで艶かしい蔵馬の妄想が『ぼんよよよーん』って……。」
「貴様、本当に殺す……?」
そのとき、突然背後から涼やかな声が、
「オレの妄想がどうかしたのか?」
「わああ!!!」
現れる筈のない奴の登場に、思わず乙と手を取り合って飛び退いてしまった……。それをみて蔵馬、いつも思案するときのように顎に手を当てて、
「ふむ……、ヒトをまるで幽霊(ゴースト)か何かのようにあしらうとは。これでは気配を殺して背後に回った甲斐があり過ぎるというものだ。オレもまだまだ捨てたものではないな。」
「自画自賛する前になぜ貴様がココに居るんだっ!」
「なぜでしょう?」
「……。」
「冗談だ。ココは既に陣地内だぞ。駄賃を遣ろうと思って伏せていたのだが、思いの外早かったな?」
「駄賃?」
怪訝に思っていると、蔵馬は手に持っていた小さな木箱の蓋をぱこっと開けて、中から小さな桜色の物体を摘まみ出した。それを、まず乙の口元に上げて、
「食え。」
「どしたのさ、それ?」
乙は少し身体を引き、それが食い物かどうかを確認してから口を開いた。その口中に蔵馬が直接それを放る。
「得意先からの頂きモノだ。」
「何だよ落雁じゃない。」
「シッ。」
乙とのやり取りの中、蔵馬はでかい声を出すなとくちびるの前に人差し指を立てた。
「……数が少なかったから、近しい連中にだけ配って歩いているんだ。他の奴にはいうなよ。」
大将が菓子配りするなよ……。
乙が済めば次は俺。とばかりに、蔵馬は俺のところへ歩み寄ってきた。木箱から再び摘まみ上げ、俺の口元へ運ぶ。
「ほら。口を開けろ。」
その少々強引な態度に俺も思わず身体を引いた。近めに確認したそれは、五枚の花びらにほんのりと紅を差した、桜の花の形をしていた。
俺がぼけっとしていつまでも口を開けないから、
「?」
案外気が短い蔵馬はその落雁を指で無理矢理俺の口に捻じ込もうとした。
「えい。」
「おえっ。」
タイミングを誤って口を開けたせいで、死ぬかと思った。
「大丈夫か?」
「殺す気か!?」
「ツバがついた……。」
「……俺の着物で拭くな。」
当然のことながら、その後は俺たちが何のはなしをしていた、というはなしに立ち戻った。乙は、今度は本当に俺に配慮した答えで、軽く冗談めかし、
「いやあね、春になったし花見でもしたいね?ってはなしをだね、していたのですよ。」
といって手のひらをひらひらさせた。蔵馬は、
「それはよい提案だ、といいたいところだが……、この近辺で桜見物ができる場所か。ちと難しいぞ?それに、平年並みの気温からみても、この時期に桜の開花を期待するのは少々せっかちというものだ。」
などと、先程の乙と同じようなことをいって首を傾げた。
そして、
「それにしてもおまえは花が好きだな。」
と、蔵馬は俺をみた。
「……え?」
「それも殊に桜が好きとみた。……ふ、花見とは。思い出すなあ、黄泉?」
「……。」
既に過去の記憶がよみがえっているらしい顔をして、蔵馬は微笑む。だが、そんな目をされても俺の中ではさっぱり合点がいかない。
蔵馬。花見────。元来「祭り好き」の多い組織だ、花見は恒例行事、それ程珍しくはない。その中で、特別記憶に残るような事象?しかも、この男と……?
考えている内に、俺は何もいえなくなった。何だか、憶えていないことがひどく申し訳ないことのように、かなり久しぶりに顔の青ざめる思いがした。そんな俺の様子に気を遣ってか遣わずか、蔵馬は拳を口に当て、苦笑ぎみにことばを接いだ。
「おまえと夜桜をみた。」
「……それ、いつのはなしだ?」
「さあ何年前だろう?だがさして遠いはなしでもないぞ。……去年ではないな。確か、一昨年だ。」
「……。」
「全然憶えていないだろう?」
「……済まん。」
思わず詫びてしまった。蔵馬が笑う。
「無理もない。宴の最後には、おまえはべらぼうに酔っていたからな。まったく、大変だったんだぞ?ひとりでふらっと座を離れて、いつまでも帰ってこないから探しに行く羽目になって……。」
「……。」
「おまえは、桜の木の下に居た。」
……途端、目の前を桜の花びらが過ぎる。
鮮やかなコントラストで、夜風が時を運ぶ。
「オレをみつけて、酔いに任せた下手なうんちくを並べ立てたな。よく憶えているぞ。」
何だ。
あれ、俺の記憶か……?
立ち返る記憶の中で、蔵馬が、「おまえは、花が好きなのだな。」といった。
……おまえは、花が好きなのだな。
おまえはどう思う?
そうだな……。花は好きだ。夜桜は少々寂しいがな。
俺は、サクラという花が好きだ。
そうか。
だが、花は散る。
そうだな。永久に咲き続けることは叶わない。
それを、惜しいこととは思わんか?
……。
俺は思う。この『時』を、どうにか留めておくことができないものかと思ってしまう。
そうか。
……まるで死に行く時がみえるようだ。
ん?
散りゆく桜を、みるのは怖い……。
それは仕方あるまい。季節は移ろうもの。桜もそろそろみ納……。
時は。
……ん?
時は、誰の束縛も受けずに流れゆく。
そうだな。
気づいたときには既に手の届かぬ場所に在り、後から流れくるそれも、二度と同じ価値で手にすることはできない。……そして、今ここに居ることを夢のように思う日がくる。
……。
俺は、ここに居たいんだ。
そうか。ん……、だがそろそろ戻って宴を締めんとならんな?
おまえと、居たい。……ずっと。
……。
なあ、続かないものだろうか?
黄泉……。
なあ。続かないのならせめて、明日の同じ時を、数年先のこの日を、おまえと……。
そう、望むことを許してくれないか……。
なあ……。
「……。」
「永久に続かないものを怖いという。おまえは余程『花』が好きなのだな。」
そういって、蔵馬は笑った。
春が蔵馬を陽気にさせていた、そんな、無邪気で晴れやかな笑顔だった。
おまえは、『花』が好き、か。
「ああ……。」
「そうか。」
今この瞬間は、確かに呆気なく過ぎ去る。だがこの記憶は、俺の思いだけは、……そう簡単に消えてくれそうもないな。
「ああ。」
「そうか。桜はよい花だ。しかし、あれはひとりでみるものではないぞ。夜桜も寂し過ぎていかんだろう。桜だけは大勢で挙って愛でなければな。よし!花見をしよう。今年は正月から働き通しだったし、宴で花を愛でるのも楽しかろう。場所はそうだな────
ぬるい春風は、どことなく桜の匂いがした。
金魚の水槽
つまらないはなしで恐縮ですが…。
※日付は、弊サイトでの初回掲載日です。(一部改作しております。)
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