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欲望の花  f l o w e r o f d e s i r e


「早くしろ、馬鹿!」
 廃墟の社から躍り出ると、蔵馬が振り返り俺に叫ぶ。
 馬鹿、おまえこそ……!
「なぜ止まるっ!」
 分かっている。
 おまえは厭味な程の無意識で、仲間に迫る危険を逸らそうと率先して的になろうとする。
 身を隠せない広い境内の中央で立ち尽くす蔵馬に、待ち伏せていた兵士が左右から斬りつける。不用意な体勢で玉砂利に足を取られながら、薔薇の鞭が風を切る。鮮やかにふたりを斬り捨て、一瞬だけ、俺に目を向ける。
 氷の目、その奥に不釣合いに潜む無償の慈愛。奴自身も知らない心理が些細なきっかけによって姿をみせることがある。脈略はないらしい。
 蔵馬の視線はすぐさま俺の背後に迫る別の追っ手に流れていた。計略の余裕の笑みを浮かべ、真紅の花びらをくちびるに当てる。妖気の送り込まれた花びらは生き物のように手を離れ、俺の頬を掠めていく。背後で短いうめき声、倒れた男の首筋からは痛々しいくらいに血が吹き出す。
「無事か黄泉。」
 追いついた俺に告げることばは単なる儀礼で、周囲に注意を払いつつ身を翻す。その眼前には鳥居を陰に新たな兵が待ち構える。
「ちっ、あれが最後じゃないのか。一体何人いやがるんだ。」
「……。」
 飛び出した四人が円形に近い陣を取りながらにじり寄る。
「黄泉、離れていろ。」
 いつだって奴は焦りを知らない。
 どこにしまっているのか小さな種子を取り出す。それは鳥居の下辺りに無造作を装って捨てられ、奴はゆらりと敵の懐に飛び込んでいく。時折鈍重であるかのように演じながらも、得意の身軽さですべての攻撃をすり抜けてみせる。
 奴が何かを『植えた』ことで後に起こる事象が想像できた。思わず一歩退く。種子はすでに禍禍しい妖気を漂わせ芽吹いている。
 突然、鳥居を下る石段脇の茂みから数人が飛び出し、蔵馬めがけて襲いかかる。防御から攻撃に移るために速度を緩め、力を込めた足元に。
「あ。」
 小さく声を上げ、平らな石畳に転がる一粒の玉砂利に奴の体勢が揺らぐのをみた。
「蔵馬!」
「おまえはそこから動くな。」
 駆け寄りかけた俺を目の端に確認し、鋭く制止する。
 斬りつける刀の切っ先を身体を反らして避け、その相手を無理な体勢のまま蹴たぐる。間髪入れない別の兵の襲撃も危ういながら飛び退いてみせる。
 後は鳥居の朱の柱の真ん中で前後から迫る敵を待つだけだ。
 機は熟した。百合に似た可憐な花が血を欲して鳴いている。
 蔵馬は低くつぶやく。
「ご苦労様。」
「?」
 訝しがる敵兵には悪魔の微笑みで。奴は鞭を振るい、狙いを定めた通り鳥居の貫を捕らえる。そして奴がふわりと地面から離れた直後、白い石畳も白い玉砂利も、鳥居の朱よりも鮮やかな紅に染まることになる。
「綺麗な花程血を好む、か……。」
 奴と出会って初めて肉食の植物が存在することを知った。まるで猟奇、俺でさえ身が竦む光景は何度みてもみ慣れることができない。あの花の名は何といった?どことなく奴に似ていると思うのは気のせいだろうか。
 血の惨劇の元凶は高みからみ下ろす。夢でもみているかのように、表情には情のかけらも表れていない。
「居堪れん……。」
 そんなことばを口にする蔵馬には、嫌悪感すら覚える。
 奴にとってはこの世のすべてが絵空事なのだろう。
 すべて、何もかもが……。

「……どうした?」
「ん……。」
 気がつくと蔵馬の視線がじっと俺に注がれていた。他に気を取られていたことを尋ねているが、興味を持っているわけではないようだ。空虚な目で、俺を不思議なものでもみるかのようにみている。
「いや、何でもない。」
 俺は奴の目を長くみつめることができない。
 逃げるように逸らした目が、華奢に白い足を映す。暗い穴ぐらに焚かれた火の明るさで、その細い線がいっそう際立つ。
「痛むか?」
「ああ。」
 蔵馬は岩壁に背をもたせかけて腰を下ろしている。
 狭い穴ぐらにただふたり、きまり悪そうな顔もみせない奴の気配に、俺の居心地の悪さは最高潮だ。
 『敵を誘導するときに足首を痛めた。鳥居の貫からその足を庇って着地したから反対の足を挫いた。』
 初めはただ宿を取らないかといわれた。当然俺は怪しむ。
 恥ずかしいからいわないといい渋るのを何度か粘った後、奴がようやく例の台詞で口を割った。もう半日も前のはなしだ。恥ずかしいといっていたわりには淡々と顔色を変えないところはさすがだが、まさか巣窟への帰途で夜明かしすることになろうとは思いも寄らない。歩けない程ではないがとつけ加えた奴のことばに、内心、歩けなくなりそうだから宿を取る気になったんだろうと忌々しくも思ったが、ことの発端が自分の軽率な行動にあることは痛い程に分かっているから返すことばなどあるはずがない。
 火にかけられた竹筒の湯加減を確かめる。
 小さくなりかけている火には細目に割った木片を投げ入れる。
 さして面白くもない寸劇を眺めるような奴の視線が邪魔臭くて、意味がなくなっても身体が動く。
 奴はいつもの愛想のない顔で、何を考えているのか分からない。とりあえず、今日に限って俺を咎めないことは不安だが。恐らくは自分の失態で無様に怪我をしてみせたことが俺に対する叱責を躊躇させているのだろう。しかし、元はといえば俺が勝手に巣窟を抜け出し、流行りの馬鹿な噂に踊らされて狩人が伏せるのも知らずに単身社を襲ったことにある。それさえなければ、今日だってこんな笹藪に囲まれた竹林の粗末な岩穴などで夜明かしすることにはならなかった。夜明かしどころか、明後日に決行されるはずの大規模計画を前に、巣窟で酒を飲み、酔わせた身体を暖かな寝床に休めることだってできた。端的なはなし、蔵馬が俺のフォローに現れることもなかったし、怪我をすることだってなかったのだ。
 風のない夜、火の弾ける乾いた音だけがやけに大きい。夜気は音をよく通す……、仕事前によく奴が口にする。
 静寂で気が狂う前に、大袈裟にため息を吐いてみる。
「……さあ、準備ができた。」
 竹筒のひとつを火から下ろし、それとまだ汚れていない手拭いを手に蔵馬に歩み寄る。遠出に布物は必需品だ。長く裂けば綱代わりになり、小さいものでも怪我の手当てに使える。身体を覆う程の黒い外套なら闇に紛れ姿を隠すことができる。
 俺は蔵馬の警戒線を踏み越え、その足元正面にしゃがみ込む。そのまま奴の左の履物を脱がせ足首に触れる。平然を装うつもりでいても、妙に心臓が高鳴り手が震える。……何を緊張することがあるのか。理解できない心理に翻弄される無様さを思う。
 それにしても冷たい足だ。
「何でこんなに冷たいんだ……?」
 透き通る程に白い肌の下には血が通っているとは思えない。
「そうかな?」
「血圧低いんじゃないのか。おまえは寝起きも悪いし、朝っぱらから機嫌が悪いこともしょっちゅうだしな……。」
 緊張を押し隠すようにそんなことをつぶやきながら、足首をゆっくり内側に曲げていく。
「ん……!」
「痛むか?」
「ああ。」
「……これは?」
「痛っ。」
 患部を確認するがそれ程腫れてもいないようだ。よく考えればなるほど、蔵馬が歩けなくなる程悪化するまで我慢するはずがない。これ以上進めば取り返しがつかないことになる、そうでも思わなければ自分から宿を取ろうなどとはいわない。身体の限界はよく心得ている奴だ。
 湯で洗った布を絞り、外から調達したものと蔵馬の手持ちの薬草を軽く練り込んでいく。
「へえ、よく知ってる。」
 大して感心もしていないのだろうが、抑揚のない声が素っ気無く褒める。
「おまえに教わったんだろう。」
「そうだったかな……?」
 憶えていない……。
 当たり前だ。奴にとって俺は今でも数いる仲間のひとりにすぎないのだろう。だが俺にとって、奴が血を騒がせ欲望を掻き立てるただひとりの存在であることは、出会った頃から変わらない。
 無口で笑わない妖狐。猛り狂う熱情を内に潜ませ、氷よりも凍れる心で、何でも手に入れる力を持ちながらいつも満たされることを欲している。夢をみるような視線は遠くを映したまま、現実をみようとしない。

続く ...

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