Date
2 0 0 1 - 0 7 - 1 4
No.
0 2-
欲望の花
f l o w e r o f d e s i r e
俺の目には赤々と燃える火しか映らない。いや、正確には火を透かした向こうの世界というべきか……。
あれから一時間も経っていないはずだ。
俺に手当てをさせている間、蔵馬は口出しすらしなかった。腕を組んで、興味なさそうな目が俺の手の動きを注視する。ただそれだけのことに余計に緊張させられ、余計に苛立ち、何度となくおまえがやったほうが早いんじゃないのかと怒鳴り出したくなる衝動に駆られた。終始そんな調子だったから、用は済んでも蔵馬が礼をいうことはない。手際の悪さで余分に痛い思いをさせたらしい、俺も礼など望まない。
火を挟んだ向こうには、冷たい岩壁に背をもたせ銀髪の妖狐が眠っている。
……奴とふたりだけで夜明かしするのは何年ぶりだろうか。
俺は未だに蔵馬の空気に馴染めずにいる。奴と接したほとんどの連中は奴を居心地がいいと評するが。
確かに厭な気分にはさせないのだが、それは居心地がいいとは少し違う気がする。
時折思うことがある。今触れているのは奴が周囲の思いを察して創り出した偽りの空気なのではないのかと。そう思った瞬間に、奴のすべてが嫌悪の対象に変わる自分の醜さが厭だ。しかし本当に厭なのは、自身の至らなさが奴に余計な気を遣わせていると気づかされることなのかもしれない……。
蔵馬は手当てされた格好のまま身じろぎひとつしていない。耳を澄まさなければきこえない程の低い寝息で、幼い寝顔を覗かせている。これが半日前鬼神のごとく立ち回ってみせた男かと思うと苦笑したくなる。物思いの種はヒトを惑わすのが得意らしい。
手当てした左を上に組んで伸ばされた足。
患部に当てた布が剥がれ落ちかけている……。
俺は肩にかけていた外套をその場に残し、腰を上げた。起こさないようにそっと近づくつもりだが、起こさない自信はない。盗賊歩きはどうも苦手だ。
側まで寄り傍らに膝をつくと、案の定ぴくりと気配が変わる。
「起こしたか……?」
まだ足には手をかけていない。蔵馬はゆっくりと左目を開く。探るような目が俺を一瞥、涼やかな声がひとことだけ、
「いや。」
そのまま目を閉じる。刺すような視線は消えたが、俺は次の動きに移れない。
……なるほど。初めて気づく。
警戒心の強い狐が、『起きる』どころか『眠る』わけがないのだ。奴はいつも浅い眠りで警戒を解かないようにできているらしい。心のままに休むこともできないのだろう。
特に今は側にいるのが俺なのだから。なおのこと熟睡などできるはずがない……。
「起きていたのか……。」
構えるのが習性だと分かっていても、随分と信用のないこの身が情けなく寂しい。ため息混じりにいう台詞は俺の自嘲なのだろう。
「俺がいると眠れないか?」
思わず吐露する馬鹿げた問いに、何かを察した奴が再び目を開けた。何もかもをみ透かす色をした目が、俺の目を黙ってみつめている。
だからといって俺は交わすことばなど持たない。避けるように視線を逸らし、手は用を済ませるべく淡々と動く。俺の反応を確認できないまま、蔵馬は独りごとのように呟く。
「おまえはなぜオレをみていたのだろう。」
「……。」
「……あまりみつめられると、眠れない。」
……つまり、俺が邪魔をしていたといいたいらしい。
俺は笑う。そうならそうと早くいえばいい。
「それは悪かったな。もうみない。」
用は済んだ。これ以上側にいる理由もない、元いた場所へ戻る。
「答えになっていない。」
背を向けて去る俺に冷静な問いが投げられるが、
「ん……、何かいったか?」
外套を脇に除けて腰を下ろし、そのまま答えない。寝顔がかわいかったから────とは、口が裂けてもいえないだろう……。
だが諦めない奴の目は怪訝そうに俺を探っている。納得がいかないことにはとことん食いつく、みてくれに似合わず強行な性質の男だ。しかも頑固。俺は困ったように苦笑を漏らす。
「美術館の絵。ただ眺めていただけだ。……いいから休めよ、そのための時間なんだぜ。」
配慮があるようなないような俺のいい分をきいて、何を思ったのか蔵馬は笑った。
「そのための時間、か……。」
「ん?」
奴の目が俺を捉えて微笑む。
「……つれないことをいう。折角おまえとふたりきりだというのに。」
……心臓が、鳴った。
馬鹿な、何を期待しているというのだ、俺は。
そう、奴は俺を踊らせる天才だ。よく知っているではないか。無防備に揺さぶられた心をみ透かしたように、蔵馬が楽しそうに笑っている。
「おまえと顔をつき合わせてはなせる時間などそうあるわけではない、ということだ。それに今は下の連中の耳を気にしなくてもいいしな。」
なぜだろう、ひどく厭な気分だ。心に生まれた羞恥が事態を悪い方向に導いていくような気がする。不機嫌に吐き捨てる台詞、自分に対する嫌悪も余計に深まる。
「別に俺はおまえとの対話など望んではいないぜ。夜明かしすることだって、おまえが怪我さえしなければ発生しなかった事象。誰が好き好んでこんな辺ぴな……。」
……先を続けられない。
「……。」
奴の表情が蔭るのをみた。
当たり前だ、いい過ぎている。本当に、……俺は何をやっているんだ。
「済まない。……少し気が立っていた。」
「いい、分かっているから……。おまえも少し休むといい。今日は疲れただろう。」
蔵馬は目を伏せ、膝を抱く。
火が燃えている。それを境に空間は遮断された。
蔵馬はただじっとその目に光を映したまま動かない。そして多分、もう俺をみることはないのだろう。根拠はないが、そんな気がする。
生きていることが感じられるのは呼吸がきこえるから。それがなければただの人形にしかみえない程に、奴の気配は儚い。決して遠い距離ではないが、奴が望まないままに定められた領域を侵すことは、俺にはできない。
触れることが許されないこの距離が歯痒い……。
まばたきのせいか、時折蔵馬の目から光が途切れるのが分かる。
このまま俺がいては休息もままならない。勝手に結論づけて、俺は徐に立ち上がる。
「どこへ行く……?」
そうきく声には抑揚がない。動くことも、俺をみることもない。恐らく興味もないのだろう。
「夜気に当たってくる。用があったら呼べ。」
俺はそれだけを告げる。他に付加できる理由などない。例えあったとしても、いい訳に近いことばでは説得力にかける。……などとつらつら並べ立ててみるが、本当は逃げているだけなのかもしれない。居た堪れない気持ちが痛い程に知らしめている。
「黄泉?」
奴は何もかもおみ通しなのだろう、その目が一瞬非難めいた色を持つ。
時間が止まってしまったかのように頼りなげな空間で、しばらくして蔵馬は視線を正面に移した。疑問に思う間もなく右腕が真っ直ぐに動き、俺が置き去りにした外套を指差して止まった。
「あれ。」
「ん……?」
蔵馬の感情のこもらない声が事務的にきいた。
「使わないなら借りてもいいか?」
「……何だよ、寒いのか?」
妙な不審を覚えながらも、俺は黙って外套を取りに戻る。
「いや。」
奴はまるでどうでもいいことのようにあっさりと否定してみせた。いい加減わけの分からない態度が多過ぎる。
拾い上げた外套は、粗雑に丸められた状態で蔵馬の腹辺りに投げ捨てる。奴はありがとうとも済まないともいわず、のろのろと外套を広げ、足全体を覆っていった。
そして、俺が何気なく眺める前で、何を思ったのか奴は徐に外套の端を鼻先まで持ち上げて、大きく息を吸った。
……。
……嗅いでいる?
「……に。」
「ん?」
「臭うのか……?」
奴は答えた。
「いや。おまえの匂いしかしない。」
「……。」
馬鹿にしてるのか。
苛立ち始めた感情を殺せる程器用ではない。
「厭なのか?」
乱暴に舌打ちし、怒気のこもった声で低く怒鳴りつける。
すると蔵馬は、自分が咎められる理由がまったく分からないような目をして真っ直ぐに俺をみ据えた。そして鼻先まですっぽり外套に包まれた格好のまま、無言で首を横に振った。
続く ...
← P R E V I O U S
N E X T →
金魚の水槽
HOME
MENU
Copyright (C) Kingyo. All rights reserved.