Date
2 0 0 1 - 0 7 - 2 8
No.
0 3-
欲望の花
f l o w e r o f d e s i r e
夜気の効果はあった。夜特有の静けさも、冷たい空気も、狂った熱を冷ますのに丁度いい。あれだけ心に渦巻いていた混乱が嘘のように夜空に溶けて消えた。
俺は入り口脇の地面に腰を落ち着かせて、もう二時間近く雲の中に青く光る稲妻を眺めている。ただ呆然と何もせず、眠ることができない。いい加減飽きもくるが、なぜか蔵馬の待つ穴ぐらへ戻る気が起きない。
多分、俺は奴の側にはいないほうがいい。
今の俺は奴を傷つけないでいられる自信がない。それがことばでなのか、力でなのかは分からないが、もしもそうなれば一瞬にしてバランスは崩れ、今まで成り立っていた奴との関係を保ち続けることができなくなるだろう。
ただの予感、だが、きっとそうなる。
……ずっと、そんなことばかり考えている。そのくせ、まぶたの奥には氷の眼差しが焼きついて消えない。
どうやら俺は、奴の面影を忘れようともがいているらしい。
────今日の俺はどうかしている。
だから、俺が戻った頃には火は消えかかっていた。鈍く弱い火の前で、蔵馬がそれよりも弱々しく身体を横たえている。俺が与えた外套を腕に抱き、魂の抜け殻のように虚ろな目に光を映して。奴もずっと眠れずにいたらしい。
夜はまだ冷える季節だ。奴には構わず歩みを進め、火の脇にしゃがんで乾いた木片を投げ入れる。生命を吹き返したように火が赤く色を増し踊る。その生気溢れる動きをみても、蔵馬はまばたきすら忘れてしまったかのように動かない。
やはり、俺がいると眠れないか……。諦めに似た寂しさを感じる。
だが、無理に早く朝を迎える必要はないとも考える。眠れないのなら、このままふたりで眠らない夜を過ごすのも悪くない……。
俺は小さくため息を吐いて腰を上げた。自然と足は蔵馬のほうに向かう。もちろん用などない。
足音を立てないように奴の前を通り、傍らに腰を下ろした。手を伸ばせば投げ出されたままの髪に触れることができる距離。奴の空気は夜気よりも冷たい。
蔵馬は警戒しない。だからといって俺を受け入れているわけでもなく、俺の行動に興味を示すこともない。今は俺の存在そのものが奴の身体に存在していないのだろう。当然俺の侵犯を咎めることはない。
しかし、弱い俺はこのまま側にいることへの同意を欲する。
「俺はいないほうがいいか……?」
そのほぼ同時、
「どこにいたんだ?」
奴が口を開いた。
思いも寄らない問いかけに、ことばは途切れた。寒々しい静寂を弾ける火の音だけが嘲笑う。俺は次を続けるきっかけを失い黙ったが、奴は先に答えろとばかりに俺の答えを黙って待っている。
「……入り口のところにいたよ。」
「ずっと?」
「ああ。」
俺の返答がそれで終わりかを確かめるように間を置く。今度は蔵馬が答える。
「いないほうがいいなどと、考えたことはない。」
「……。」
今この場にいるべきかというつもりできいた問題を、奴は奴の側にいるべきか否かと捉えたようだった。それに気づき、俺は妙な不安を覚える。続けて奴は問う。
「なぜ戻らなかった?」
状況を考えると、この質問にはふたつの捉えかたがあった。ひとつは俺の前問にかかること。そしてもうひとつ、奴の前答にかかること。つまり今日俺が取った馬鹿な行動についてか……。どちらにしても明確な理由はない。しかし、答えを待つ奴を前に、いつまでも黙り込むわけにもいかない。俺は別のことをいった。
「なぜ何もいわない?」
蔵馬の色のない声が興味もなく問う。
「何をいえばいい?」
「それは……。」
ききたいことがある。しかし俺は躊躇った。それを口にしたときの奴の反応が怖い。
「……ん?」
奴は次を促すように俺を仰ぎみた。口元だけの微笑をみせ、再び赤く揺れる火へ視線を移す。
「おまえは、いつもなら俺の失態をうるさいくらいに咎めるだろう。なぜ今日に限って、俺の犯した事柄に触れようともしないんだ?」
俺のことばを最後まできくことなく、蔵馬は声を立てて笑い出した。そして怪訝な俺を他所に一頻り笑った後、ことばも冷たくいい放った。
「オレはいつまでおまえを咎めなければならない……?今日のようにおまえが身勝手な行動をする度に、それは困るから止めろとか、組織に迷惑だから止めてほしいとか、逐一いわなければならないのか?……これからもずっと?」
「……。」
「余計な手間をかけさせておいて、今度はそのことを叱って欲しい?なぜそんなふざけたことがいえる?甘ったれるのもいい加減にしろよ。」
堰を切ったように並べ立てられることば。心の奥底が熱く、耳が痛い。
俺が反省すべき場面なのは分かっている。だが未熟な俺はそれすら毒づくことしかできない。
「……恩着せがましい。」
「……何?」
「確かに俺はおまえに迷惑をかけてるよ。俺が面倒を起こせば、おまえが必ず助けに現れる。今日ばかりじゃない、今までもずっとそうだった。それは分かっている。だがな蔵馬、……俺がいつ助けろと頼んだ?おまえが動くのはおまえの勝手だ、俺の望んだことじゃない。」
俺が吐き捨てたことばに、奴が眉をひそめるのが分かる。
「……勝手?」
蔵馬が初めて感情的な声を示した。
「それは『誰の』勝手から始まったことだ?」
「……。」
……いわずもがな。返すことばもない。
蔵馬はあくまで淡々と告げる。
「今のことばは忘れてやる。その代わり二度というな。」
そして独りごとのようにこう続けた。
「オレがどんな気持ちでおまえを待っていたかも知らずに……。」
途端、一気に反発が募る。苛立ちもそのままに、俺は奴を怒鳴りつけた。
「それが恩着せがましいというんだろう……!面倒だと思っているなら俺に構うなっ!」
「そうだな。」
「何……!」
怒りに任せて更に怒鳴ろうと鋭く奴を睨みつけたとき。
俺は奴が自嘲するように微笑むのをみた……。
「それができるならわざわざこんなことはいわない。」
「……。」
俺はことばを失った。そんな顔をみせられては怒りの感情も萎えるしかない、舌打ちし顔を背ける。苛立ちと毒はそう簡単に拭い去れない。
再び訪れた沈黙の時。火の弾ける音が無邪気に響く。
徐に、蔵馬が呟いた。声色も寂しげに、
「……止めよう。おまえと喧嘩したいわけじゃない。」
そして外套を抱く腕に力を込め、肩を丸めた。
「なぜいつもこうなってしまうのだろう。おまえとはもっとうまくやっていけるはずなのに。」
「うまく……?それは無理なはなしだぜ。」
「なぜ?」
「俺とおまえでは違い過ぎる。」
「何が違う?種族?血統?もっと根本?」
「……。」
「確かに違うところはたくさんある。性格はどの一端を取ってもひとつとして噛み合わないし、仕事に対するポリシーも、価値観も違う。だが、オレはおまえを個人として尊重しているつもりだ。」
「尊重じゃない。押しつけだろう?」
「頼りにすることが押しつけになるのか?」
「おまえは俺を含め、下の連中を自分の思い通りに動かすことしか考えていない。」
「それはおまえが自分の役割としてそうしないから。……今はオレが上に立っているかもしれないが、いつまでもその構図が続くとは思っていない。おまえは行動力もあるし、ヒト使いは荒いが扱い下手というわけでもない。それに、多分おまえのほうが強い……。」
「買い被らないでくれ。俺はおまえとは違う。何もかもを手際よくこなすことなどできない。」
「黄泉。」
「俺におまえと同じ働きを求めるな。」
「なぜ求めてはいけない?」
「蔵馬、求める相手を間違えてるぜ。」
蔵馬は顔を埋めるように外套を抱き、首を横に振る。
俺は苛立ちが隠せず、大きくため息を吐き頭を掻く。
「俺と喧嘩したくないなら、これ以上何もいうな。」
これは警告だ。
これ以上進めば、自制心を失う。
だが……。
「……違う……。」
火の音に掻き消えそうな声で呟くのがきこえた。
不意に俺は動く。
奴の肩に乱暴に手をかけ、仰向けに地面に押しつける。奴の身体は抵抗することもなく、ただの人形のように呆気なく俺の身体の下に組み敷かれた。
息がかかる程の距離で、俺は懇願する。
「なあ。頼むから俺を苛立たせないでくれ。このままだと俺、おまえに何をするか分からない……。」
続く ...
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