Date
2 0 0 1 - 0 8 - 2 6
No.
0 5-
欲望の花
f l o w e r o f d e s i r e
入り口から光が差している。
俺はいつの間にか眠ってしまったらしい。岩壁を背にしている俺の身体に、蔵馬が使っていた外套がかけられていた。火の始末はされたばかり、蔵馬の姿はない。
不自然な格好でいたせいか、身体が妙に硬い。腕を伸ばすと、揺れた重い布からは僅かに蔵馬の匂いがした。名前も知らない植物が多数と、奴の体臭。
────あの後。
俺は何度も奴に詫びた。そして、ずっと側にいる、などと浮気な男がするいい訳のようなことをいってきかせたりした。奴は俺が何をいってもただ頷くだけだった。俺は何だか困ったような心持がして、天井を仰ぎ頭を掻いた。
しかし一度だけ、
『……なあ、悪かったよ今日のことは。しばらくは勝手な行動は控えるようにする。』
といったとき、奴は、
『当たり前だ。おまえは明日から七日間謹慎。もちろん次の計画からも外す。』
愛想のない顔で淡々と処分を告げて、俺を絶句させた。そして、
『……少しは待つ者の身になって考えてみるといい。』
とつけ加えたときは、少しだけ拗ねたガキのような表情を覗かせ、俺を苦笑させた。
それから、俺は朝までを外で過ごそうかと考える。やはり奴の側にいるのは危険な気がした。それにふたり共、明日から抜かりなく行動するためには僅かな時間でも休む必要があった。
俺は、今の組が好きなこと、これからも世話になるつもりでいることをそれとなく匂わせ、
『……まあ、おまえが俺をいらないというなら、離れる覚悟はできているがな。』
などと冗談めかしていった後、立ち上がり背を向けた。きっかけとしてはそれなりだと自分では思ったが、奴はその足首をいきなり掴んだ。俺は危うく前のめりに倒れそうになった。
振り向きざま頭ごなしに怒鳴る俺に、奴は平然と、しばらく眠る、といった。そして、
『おまえは、オレの側にいろ……。』
『……。』
奴は俺の返事など待たずに横になり、外套で身体を覆い、さっさと目を閉じてしまう。もちろん、その間も奴の手は俺の着物の裾を握ったままだった。俺はその場に残ることを余儀なくされ、仕方なく再び奴の傍らに腰を下ろした。奴は顔色を窺うように、そっと片目を開けて俺をみ上げる。着物は相変わらず握られたまま、もう放すつもりはないらしかった。俺は何だか照れ臭くて、
『……これじゃ便所にも行けねえよ。』
顔を背け、態と怒った声で、ぶっきらぼうに呟いてみせた。そして、睨みつけるような視線を向けたのだが、おかしなことに、奴は安心したような目をして、ほんの少しだけ微笑んだようにみえた。
俺は、初めて奴を諭したりもした。どうしても心にかかることがあり、それは奴に知ってもらう必要があった。俺のいうことなどきく義理はないと思うが、と前振りをした上で、
『……おまえの側にいる奴らは、たまに牙をむいたり下卑た考えで近づくような奴もいるかもしれないが、今は皆おまえを頼みに生きている連中ばかりだ。おまえの気質に惚れて行動を共にしている。そうじゃなければ、おまえの命令などきくわけがないだろう。……それは、分かるな?』
『……ああ。』
『そんな連中を前に、自分を嫌っているかを問うことは、相手の心を無視した残酷なことだと思う。』
『……。』
『だから、そんな悲しいことは、例え冗談でも下の連中にはいうな。……失望だけはさせないでほしい。』
蔵馬は素直にきき入れることはなかったが、頭から否定することもなかった。ただ、おまえは……、といいかけて俺の顔をみた後、後悔するように不安げな目を逸らした。ことばを続けなかったのは、たった今きいたばかりの俺の忠告をないものにするようなことをいおうとしたからなのだろう。俺は奴の額を撫で、その髪に触れた。
『分からないか?』
奴は分からないという。
『分からない、おまえの心が……。』
俺は返事とは別に、そうか、と呟いた。諦めに似た寂しさを感じた。だが、これ以上何をいっても通じないことは、何となく分かった。
奴には分からないのだ。俺が直接的なことばで、例えば、おまえが欲しい、と告げたとしても、極論になるが、一晩だけ俺の妻になってくれと土下座して頼んだとしても、奴を分からせるには千年以上の歳月がかかりそうだった。
蔵馬は目を閉じ、その気配は現の混沌を逃れ、夢の中へと消えていく。その寝顔を眺めながら、今宵確かに起こった甘美な接触について思った。奴の幼い表情をみている限り、奴は既にその事象を忘れているようにみえた。恐らく、朝が訪れて、俺がそのことを野暮にぶり返したとしても、何のことだ?などといいながらくすりとも笑わないのだろう。例え憶えていたとしても、歯牙にもかけないに違いない。
だから、俺はもう何もいうまいと心に誓う。決して諦めからそう思うのではない。どのくらいの時間が流れるのかは分からないが、いずれ、奴に分からせるときが来る。
……ただの予感だが、俺にしては珍しく、確実にそのときが訪れる気がしていた。
膝を抱くような格好で、そこに掛けられた外套に顔を埋める。俺は蔵馬の残り香を嗅いだ。
「何、やってるんだ……?」
頭の上から語気の強い声が降ってくる。目を上げると、いつの間に側に来たのだろう、蔵馬が仁王立ちで俺をみ下していた。不思議と、俺は動じない。膝から外套の端を鼻先まで持ち上げて、ただひとことを返した。
「おまえの真似。」
「……。」
蔵馬はことばを失ったような目をして頬の筋肉をぴくりと動かし、明らさまに厭な顔をした。
……なるほど、それだけで通じるということは、やはりおまえも嗅いでいたか。その事実がおかしくて、俺は声を立てて笑った。
「……蔵馬。」
「ん。」
「自分がされて厭なことは、他人がされても厭なんだぜ。」
「……。」
目をみつめて笑いかけると、奴は一瞬だけ驚いた顔をした。俺がいいたかったことは分かってくれたらしい、奴は困惑したような表情をみせる。
俺は立ち上がり外套を丸める。
「まあ仕方がないか……。」
少し厭味をいいたい気分だ、俺は過ぎた冗談で、
「おまえは俺の匂いが側にないと眠れないらしいしな。」
だが、蔵馬はそんなことに翻弄されるような馬鹿ではない。それどころか、恥ずかしげもなくこんなことをいってのけるのだから、なるほど食えない男だった……。
「分かっているじゃないか。だったら初めから側にいるように気をつけたらどうなんだ?」
完
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