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 左から蹴たぐりに来る足は軽く飛び除け、ひょいと前方へ。反転させた身体で奴に対峙。……スピードだけは奴のレベルに追いついてきたらしい。少しは自分の間合いに持ち込めるようになった。少しは、手合わせらしくなってきた。
 しかし、絶対的な力の差は……。
 この距離だけは、どうしても縮まない。くちびるの前に指を立て、心を鎮める。
 力の差も個性だと、奴はいう。偏った目標は作るな、と。おまえは得手だけを伸ばせばいい、理想を持つのはいいが、追いかけてはいけない、と。くちびるから指を外し、手のひらを上に向けると、開いた真ん中に小さな風が渦を巻く。そして、……何かが生まれるイメージ。
 奴のご教授は毎度ご尤もだと思うが。
 得手を伸ばすだけで、本当に力を超越できるのか。……オレには理解できない。
 なぜなら、器の違いには限界があるから。
 これをどう補えばいい?
 妖力を攻撃可能な形に生成できる奴と。生成したそれを消化しても、次を生み出すだけの余力が残る奴の器と。
 オレの得手はいつまで経っても植物を操るだけ。
 皆(植物)オレには従順だが、それがオレの限界だとしたら、道はお花の国の王子様になることくらいしか残らないだろう。
 花が咲き、散りゆく花びらの一枚一枚が生命を持ち、自らの意志で攻撃へ転ずるイメージ。鋭い羽で優雅に舞い踊る、蝶のイメージ。
 ……軟弱だな、と思う。奴にもそういわれる。これでは決定力に欠ける、と。だが、どうすればいい?オレの得手を、もっと効率よく生かす方法。
 そうやって、最近のオレが変に模索しているから、奴は莫迦にするように笑った。地獄の池でもがき苦しむオレを、天上の安泰からみ下しているのだ。嘲笑に歪む、冷たい目。奴にとって、オレは余程下らない生き物なのだろう。ほら今だって、鼻で笑ってみている奴は、ゆらっと動き、……オレの視界から消えた。
「!」
 周囲を探すがもう遅い。攻撃の的がなければ、折角の武器も季節外れのまぬけな蝶々だ。そして背後から伸びてきた腕が、オレの両の手首を捕らえる。焦って用意なく振り向こうとするが、直後、首筋にかかる息が……。
 噛まれる、と思った。しかし、
「集中しないなら今日は終わりだ。」
 ……無抵抗に立ち尽くすしかなかった。
「……。」
 つまらないガキだぜ。そういい捨てて立ち去る背中を、オレは強く吸われた首の部分を左手で押さえ、高鳴る動悸の苦しさも忘れて、呆然とみ送った。



 自慢ではないが、オレは、今まで本当の意味で誰かと生活を共にしたことがない。一夜とか、一作戦とか、その程度の行動を共にしたことは、何度かあった筈だ。しかし、毎日同じ顔をみて過ごしたり、毎日同じ匂いを嗅いで過ごしたり、そういった、無意味な上に収獲のない時間を互いに削り合うのは、多分この男とが初めてだ。
 それを安らぎと感じるか?……きく奴がいたら莫迦といい返してやる。
 奴は、オレの一挙一動が気に食わないらしい。目つきが悪い。態度が悪い。口が生意気だ。日々いわれる小言は耳にタコで、更には着物の着こなしがだらしない、食いかたが汚いなど、まるでどうでもいいことまで小うるさく指摘する。
 ここにはオレの自由はなく、さながら奴の気に入る生き物に矯正されている気分だ。それを、オレの勝手にさせろと訴えても、「不自由が存在しない場所に、自由は存在するのか?」、「例えば両腕を振り回してみて、指の先にまで何も触れるものがなければ、それを本当に自由と呼んでいいのか?」、「自由を与えられている今を楽しめよ。与える立場ほうが、本当は大変なんだぞ?」。
 その都度迷路みたいな哲学に巻き込んで、挙句の果てには、「それ(自由のなさ)を教えられているおまえは幸せだ。」。
 つまりこういうことだろう?自由と不自由がおまえと同盟を組んで、日々オレを苛んでいるんだ。
「ありがたいだろう?」
 本当、悪魔のような男だ。

「つまらないガキなら、捨ててくれればいい。」
 夜。オレは壁際に押しつけられた粗末なベッドの上に寝転がり、虫食いだらけの埃臭い綴本を広げていた。腹の下に雑に丸めた掛け布を押し込め、肘をついたほうの手に頭を支え、もう片方の手は目で追うべき文字列の導(しるべ)に動いたり、煩わしく垂れ下がる髪を撫でたりと、本体(オレ)の意思よりも忙しない。
 黄色いランプの灯が、朽ちかけの板壁に影を揺らす。ゆらりゆらりと動く、ひとつはオレ。もうひとつは……。
 木の切れ端を打ちつけて作ったようなボロ小屋だ、当然部屋も一室のみ。ただでさえ狭いのを、仕切る目的もなく立てられた「ついたて」の向こうに、奴が居る。恐らく何かの書きものをしている。テーブルの軋む音。淀んだ黄色に満たされた空間。紙の上を滑る、軽快な羽根ペンの音。
 昼間に動かした身体は昼間の内に休めて、夜は大抵頭を使う時間に充てられた。奴はオレに書物を与え、分からないことがあったらきけといった後、自分は別の書物を広げた。要は、昼間に散々拘束された分、夜は散々放っておかれた。オレはそれをつまらないことだとも思わず、自分は怠惰な妖怪だと思うが、なぜか本を読むのは好きだった。何より、正当な理由で奴に関わらずに過ごせるこの時間が好きだった。
 しかし、今日に限って、目で追う文字は本当に追っているだけで、一向に頭に入らない。
 何度も同じ列を読み、意味が捉えられていないから前に戻ってもう一度読み返し、繰った頁をまた戻り……。これでは本を逆に読んでいるみたいだ。
 集中できない。
 心が鎮まらない。
 昼間のあのとき以来、オレは左の首筋に受けた厭な感触に悩まされている。頬杖をつく、とみせかけて、左手で首の感触を覆う。時間が経っても、まだ湿り気が残っているように熱い。できることなら首ごと外して、川で洗濯してしまいたい。……そうできる種族もいるけど、オレには無理だから、いつまでもこの違和感が辛い。
 本当に、あんなことをされるくらいなら、噛まれていたほうがましだった。
「……止めろ。」

 ……突然、奴がいった。
 どの咎を指す「停止命令」だ?今度は何が気に食わない?訳が分からず、顔を上げる。
 壁に映った奴の影は、光源の動くままに揺れる。深く意識を向けている様子もなく、ペンを走らせる手を休めることがない。しかし、ついたて越しに、今度は勘の鈍い愛弟子にも伝わる形に掘り下げて、オレの行動を戒めた。
「指しゃぶりしているみたいだぞ。みっともないから止めろ。」
「……。」
 ようやく合点がいく。なぜなら、オレは苛々すると爪を噛んでいることがよくあった。今もそうだ、いつの間にかオレの右手は口元に運ばれて、親指の爪が上下の歯と仲良く遊んでいた。
 止めろ、といわれると逆らいたくなるのが性分というもの。オレは爪を噛ませた右手を下ろさずに、頭に入りもしない本を読んでいる振りをした。
「指しゃぶりしているんだよ。ガキだからな。」
 態と癇に障るいいかたをしてみる。それだけで、いつもなら生意気な口をきくなと殴られそうなものだが……。
 奴の影が頭をもたげ、視線と意識がはっきりとオレのほうへ向けられたのが気配で分かった。ため息がきこえる。
「爪なんか噛むな。台無しだぞ。」
 ……何が「台無し」なんだ?
 と、いい返す暇はなかった。椅子が床をずる音、テーブルを叩く紙束らしき音、ペンの転がる小さな音、その場から立ち上がる影。次々と起こる予兆に、オレは叱責を待つ小さなガキのように、ベッドの上、身を竦める。奴が姿を現し、部屋を仕切っていたついたても床をずる。
 声が出ない。大きな影がオレの身体を隠し、黄色いランプの灯が揺れる。
 大股で近づいてきた奴は、来るなりオレの右手首を掴み上げた。腕が抜けるかと思うくらいに強く……。引き摺られながら、オレは身体を起こした。反対に、奴のほうは淡々と、オレをベッドへ座らせ、オレの両足が大人しく床についたのを確認してから、自分もその隣へどっかりと腰を下ろした。……我が物顔をしている。
「……。」
 恨みを込めて睨みつける。奴はそれを意に介さないことが当然のように、眉をくっと上げて笑った。オレを適当にあしらうときに、よくそういう顔をする。厭な奴。このまま恨み殺してやろうか、としばらくは息巻いて睨み続けていたが、改めて気づけば、顔の位置が妙に近いし、着物の合わせ目から奴が愛用している何とかという香水のいい匂いがするし、覗く胸元からは汗の匂いまでするし、……何だか変な気分になってきたから止めた。
 その、ふいっと顔を背けた態度が、奴には我が折れたようにみえたのだろう。逸れた視界の外側から、奴の莫迦にした鼻息がきこえる。
 幸い、奴の目的はオレではなかった。いや、正確には「オレ」なのだが、文字通り手の内に捕らえた後は、本体(オレ)への興味などまるで持ち合わせていない顔をするから……。
「……放せよ。」
「ん?」
「放せよ、気持ちが悪い。」
 いいながら、「そこ」から右手を引き抜こうとするが。手を引いたところで、そう簡単に逃がすようなら、初めからこんな動物的扱いをされたりしないか。
 今、オレの右手は奴の手の中にあった。
 ひとことで説明すると、手を握られていた。それも、オレが逃げさえしなければ、その力は厭味なくらいに優しい。
 奴は煩わしそうに舌打ちをして、オレの訴えを遮った。
「……。」
 最初は何をされているのか分からなかった。しかし、奴がオレの手をまじまじと眺めながら、そこから生えている指の一本一本を丁寧に検めている様子を冷静に洞察している内に、「ああこれは、オレの爪の具合を確かめているのだな。」と、理解が行き着いた。

続く ...

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