Date
2 0 0 4 - 0 2 - 2 1
No.
0 2-
爪
n a i l
先に受けた乱暴は、とりあえず水に流してやろうと思う。オレは大人しく奴の行動をみ守ることにした。当面危害を加えるつもりはないらしい、抗う理由はない。
「痛くないのか。」
「……。」
「深爪になりかけてるぞ。」
「……。」
何をいっても、オレからの反応は返らない。どうせ興味なんかないくせに、と変に斜に構えた気持ちになっていたから、オレは前だけをみつめて動かなかった。
奴はもう一度「痛くないのか。」といって、オレの顔を覗き込んだ。もちろんオレは答えなかったが、オレに答える素振りがなくても、珍しく苛立つ様子がない。何だか複雑な気分だ。だんまりを決め込んだオレのことは構わず、奴が独りごとで何かをしゃべっている。
「こんな手をしていると、指先に力が入らないだろう。細かい作業にも不便だ。いざというとき、命に関わるぞ。」
そして、奴の身体がオレの身体に覆い被さるように動いてきた。
「いい加減、身だしなみくらいひとりでできるようになれよ。折角綺麗なんだから、もう少し気をつけたらどうだ。」
「……。」
オレは素直に奴の身体を避けて、仰向けに転がってじっとしていた。オレの身体の上で、奴はせっせと動いている。奴の居る場所から、オレを通り越した反対側に用があるのだ。腕を伸ばして、ベッドの脇に置かれた小箱の中を探っている。しかし、そうしながらでも、直前に奴が発したある単語に、オレの表情が明らかな不快を示したことだけは、分かったらしい。
「『綺麗』。」
「……。」
「……といわれるのは厭か?」
探索を続ける目を、一瞬オレのほうへ向ける。
オレは厭な顔をした。オレの気持ちを読み取り、奴は笑った。
自分の容姿。
……それなりに自覚はある。他とは、何かの比率が違うのだろう。自惚れる訳ではなく、オレは、今までに出会ったあらゆる生き物から「不細工」といわれたことがなかった。ただ、だからといってそれで何らかの得をするかというと絶対に否で、オレはこの容姿で数え切れない程の「損」を被ってきた。「命に関わらない危険」に晒された数なら、そこいらのオンナには負けない自信がある。まったく、いわれのない差別というヤツだ。鏡に映った自分の顔に、この目尻があと数ミリ下がっていたら、どんなにか楽に生きてこられたものをといってやったことも数知れない。
「当たり前だろう。」
とオレは答えた。奴は更に笑った。
探索が終わる。
取り出したのは小さな鋏だった。何に使うかは薄々想像がつく。奴は体勢を戻し、オレの右手だけを胸の前に引き寄せた。オレも身体を起こす。
「……。」
爪の手入れが始まる。
その鋏は、間に挟んだものを左右の端を押さえて押し切る仕組みで、平らな面に目の細かいヤスリがついていた。
とても静かな時間。奴は淡々と作業を続け、オレは自然と、奴の手の動きを目で追っている。借りてきた猫よりも大人しく……、もちろんそれは、単にこれ以上反抗して奴を喜ばせるのは面白くないからだけど。
自分がこれ程までに従順に、奴のいうなりに動いていることが、不思議でならない……。
「……幾ら厭がっても、おまえは綺麗なコ。」
奴がいう。
「確かに、おまえはこれまで、ソイツのお陰で苦労と損失を重ねてきたのかもしれないが……。おまえはソイツの利用価値を知らな過ぎるな。」
「……。」
「世の中には二種類の生き物がいる。」
これは、奴がこの手のはなしをするときに、よく使ういい回しだ。先回りして答える。
「綺麗な生き物と、そうではない生き物……?」
「その通り。中でも前者は、圧倒的に数が少ない種類だといえる。」
奴は、オレのみせた機転には満足そうな顔をした。そして、「差別のはなしじゃないぞ?」と前置きをする。
「これは個性のはなしだ。」
「……。」
「他にはないものを持っている。それが個性だ。……いいか?銀髪の妖狐は美しい生き物だ。これは広い魔界の中でも稀なことだぞ?おまえのような弱い生き物でも、使いこなせば十分得手となり得る。立派な能力だ。」
オレは思わず奴の手を振り払った。(もちろん失敗に終わったが。)用が済むまでは放すつもりはないらしい、逃げようとするときだけ力を加える。
「おまえは。」
奴の目を強くみつめる。
「おまえはオレに、身体を売れという……?」
すると、奴は眉を上げて笑った。
「『心を買え。』という。」
オレの爪を弄りながら、奴の口調は、いつしかオレを教授するときのそれに変わっていた。
「間違ってもおまえから売ろうなどとは思うな。そんな必要はない。周りをよくみてみろよ?おまえが売り込まなくても、おまえに買われたい奴なら五万と居るぞ。……人なんて莫迦な生き物でな。美しいものをみつけたら、他の奴に取られない内にどうにかして自分のものにできないかと躍起になって考える。そういう連中を操るのは簡単だ。おまえの美貌を以ってすれば、男でも、女でも、思いのままだ。もっと利口に生きろよ。」
……結局、奴の理論はこういうことだ。「色で敵の心を誑かせ。」。……莫迦な。おまえがそんなふぬけたことを考えているなんて、
「それは、卑怯者のすることだ。」
オレはもちろん反論する。しかし、奴はそれを鼻で笑い飛ばした。
「お遊戯みたいな手合わせで首筋吸われてる程度のガキんちょが、生意気いうんじゃねえよ。そういうことはな、強くなってからいえ。」
「……。」
「そんなことをするくらいなら死んだほうがましか?……安いプライドは捨てろ。死んで役に立つプライドがどこにある?俺は。」
そして奴は、オレの手を握る力を強めた。
「俺はおまえを完璧な生き物にすると決めたんだ。比類なく強く、比類なく美しい、唯一の生き物に……。おまえは、その気になれば、指一本で世界を動かせるようになる。そうなるだけの器を、おまえは持っているんだ。」
「……それでも。」
いいかけて、俄かにオレは黙った。ことばを失った、とは少し違う。
「ん?」
……なぜこんなに厭な気持ちになるのだろう。奴の目をみるのが辛くなって、悟られないように前を向く。
奴はオレの右手を両手で挟み、ぽんぽんと軽く上から叩いた。まるで、説教の後に「いいこだから。」といいきかせる大人の仕草だ。
「生きていく手段として、憶えておいて損はない。というはなしをしているだけだよ。」
「……。」
「今のおまえでは、弱過ぎて心配だからな。」
淀んだ黄色に満たされた空間。
「髪の毛の一本一本まで磨くようにしろ。それに慣れておけば、いずれおまえの役に立つことがある。」
奴はオレの爪を整える。
がたがたになっている部分を少しずつ揃え、時にはオレの顔を覗き、「痛かったらいえよ。」といっては、淡々と作業を続けた。
オレはなぜか抵抗せず、既に力による拘束はなかったのに、それでもその場を逃げることをしなかった。
よく分からない。だが。
「なあ……。」
「ん?」
……こうされていると、不思議と。
奴は本当は優しい男なのではないか、と思えてくる。殴られ、乱暴にされ、文句をいっても相手にされず、……そういったところだけが強調されているが、実はそれがすべてではなく。
奴は。強調されない本質は、もっと純粋に優しい男なのではないか。
そう思えてくる。
現にオレは、この男に本当の意味で手篭めにされたことがない……。
……分からないことがあったらきけ、といっていたな。
「……ひとつだけ。」
オレは静々と切り出した。奴は何もいわなかったが、黙れともいわなかった。
「おまえは、本当は優しい男なのか?」
「……。」
奴は作業を続けながら、少し考えているようだった。正しい答えを探すように、一度じっとオレに目を向け、それからまた爪を整え始めた。そして、
「強くなりたいか?」
奴は別の質問を投げてきた。しかし、先の質問に答えない訳でもないらしい。経過としての質問だ。オレは、オレなりに素直に心と対話して、答えいった。
「なりたい。」
「じゃあ俺なんかに心を奪われるな。」
「……。」
即答される。
何だか、突き放されたような気分だ。何に傷つくのか分からないまま、心が痛い。
「俺は、共に暮らす者としては『味方』だ。しかし、別の肉体を持つ者としては、確実に『敵』だ。」
「それではまるで……、己以外の者はすべて敵のようないいかただ。」
「その通りだ。」
「……。」
「いいか蔵馬?すべてを信じるなとはいわない。俺の教えることは、すべて真実だ。それは信じてもいい。だが……。」
「……。」
「俺自身を過信するな。今優しいからといって、間に受けるのは危険だぞ。」
それが、俺とおまえのルールだ。
……オレは素直に頷くが。
「おまえは本当に分かり易い顔だな。納得できないか?」
今度こそ本当に素直に頷くのを、奴は莫迦にした顔で、フフンと鼻息で吹き飛ばした。
「接吻してやろうか?」
「!」
脱兎の如く────
後のことは、あまり説明したくない。ただ、奴は事後は本当に優しい男なのだ、ということだけは、かなりの信憑性を以って理解し得た。
「おやすみ。ゆっくり眠りな、俺のイイコチャン?」
「ただで死ねると思うなよ!外道……!!」
「おーおー、威勢だけは一人前だな。」
完
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