Date
2 0 0 0 - 1 0 - 0 1
No.
0 1-
痛い話
p a i n f u l s t o r y
雨が止まない。夜が明ければ丸七日目の朝だ。
「うるさい。」
相棒がぼやく。
「なに?」
「うるさい、っていった。」
「俺、なんにもいってないぜ。」
「雨。」
「……は?」
察するに、雨音がうるさくて眠れない、といいたいらしい。そんなこと俺にいわれても困る。まったく、わがままな男だ。
「子守唄でも歌えってか、『ぼうや』。」
「へえ、歌ってくれるのか?」
「……馬鹿も休み休みいえよ。寝てろって。おまえが寝てくれないと見張りの交代もできないだろうが。」
「ばか。」
「?」
「……。」
「……。」
「ばか。」
「……おまえさあ。」
「ん?」
「殺されたい?」
「殺されたくない。」
「俺も殺したくないんだよね。だからさあ。」
「ん?」
「ばかを休み休みいうの、止めてくれる?」
「……。」
「……。」
「……おやすみ。」
「うん、いいこだ。寝る子は育つぜ。」
「背伸びる?」
「寝ろーっ!」
突然の豪雨を逃れるために岩壁の洞窟に滑り込んだのは、かれこれ六日前になる。たまたまぽっかり穴が空いていたからここにしただけで、別にどこでもよかった。それに、ちょうどよかった。俺たちは豪雨よりもやっかいなものから逃れようとしていたのだから。
夕立程度だと思われた雨。
しかし的はすっぱり外れて、強弱が変わるのみで一秒たりとも止まない雨。
不幸中の幸いというべきか、洞窟にはしばらく前に何者かが棲んでいたらしく、飲み水や保存食の他、毛布やら薪やらの生活物資がきっちり整頓されていた。先の住人、よっぽど几帳面だったのだろう。これなら三十日程度なら余裕で過ごせそうだが、冗談じゃない。数日前までは追っ手の皆様がたが真面目にお勤めなさっていたようで、多少雨が小降りになっても外に出ることは躊躇されたが、さすがにこれだけ日が経てば諦めていただけたことと思う。ご愁傷様。だからさっさとこんなところから抜け出て移動を決め込みたいのだが、この雨。思えば追っ手の気配が消えた頃の雨が一番弱かった。俺より用心深いおにいさんが制止するのを押し切ってあのときこの洞窟からおさらばしていれば、なんて今頃思ったところで後の祭だ。
俺に背を向けて眠る相棒。蔵馬という名の色白美人だ。
性質はかなりの才人。性格はいたって淡白。この男とは今まで仕事をしたどの妖怪よりも口論したし、今まで仕事をしたどの妖怪よりも決裂したし、今まで仕事をしたどの妖怪よりも離縁した数が多い。現在一緒にいるということ、すなわち復縁した数も一番多いということになるのだが。
野心家のくせに強欲さに欠け、冷酷非情なくせに芯が熱い。一見取り留めがないようで、実際取り留めがない。しかし正直、これほど居心地のいい奴に出会ったことがない。おまけに『黙っていれば』そそられるくらいの美人なのだから、普通ならばいうことはないだろう。
安らかな寝息を立てている俺の相棒は。
ここ数日、奴は気さえ向けば俺をいじりにかかる。分かりやすくいうと、俺をおもちゃに閑をつぶそうとしているらしい。無意識という計算で俺の神経を逆撫でることを繰り返す。その距離のとりかたの巧妙さといい、タイミングの絶妙さといい、職人技だ。機会があれば奴の脳みそから思考回路のフローチャートを引っ張り出して隅々まで調べてみたいものだ。広げたらきっと魔界の一層目でははみ出るほどの面積になることだろう。
何にせよ、この長雨と外に出られないせいでフラストレーションが溜まっていることは分かる。だから俺は見張り作業の妨げにならない程度の注意力は保ちながら奴の気が済むまで相手になってやっている。自分でいうのも何だが、俺はそういう優しい男だ。
夜が明ける。
七日目、静寂の中で朝を迎えた。六日間降り続いた雨の気配はない。そう、雨の気配は。
「……ん。」
相棒、起床の気配。
「よお、お早いお目覚めだな。」
「……さむい。」
第一声がそれか。なかなか手強い奴だ。
「それはそうだ。」
「……雨音がしない。」
「雨なら夜更け過ぎに雪に変わったよ。」
忌まわしき雨は雪に取って代わった。無風状態の中、湿った雪がおもしろいように落ちてきては水浸しの地面に音もなく吸い込まれていく。しかし降雨量は幾分減ってはいるようだが、空から何かが降ってきているという点ではあまり状況が変わったとはいえなさそうだ。とりあえず、洞窟の入り口から外の様子を確かめ、今後の行動について思案する。
「雨の次は雪か。どうする?」
「長雨の影響でひどいぬかるみ、足跡は残らなそうだが。」
「まあな。とりあえず移動するか。ここにいるのもいい加減飽きたし……。」
そこまでいっておいて朝一番、蔵馬の顔を拝んでみたのだが。
「おい。」
「ん?」
「顔色が悪い。」
「元々だ。」
「そうじゃなくてよ……。」
俺は手の甲を蔵馬の額に触れさせようとした。当然払い除けられるだろうと少し用心したのだが、そんな様子もみせずにしおらしく大人しい。こいつ、普段なら不用意に身体に触れられないくらい過剰防衛だというのに、……絶対変だ。
そのまま一度体温を確かめて、今度はそのまま耳を引っ張って額同士をくっつけてみる。
そして、ああ、判明した。
「おまえさあ。」
「ん?」
「世紀の大盗賊が風邪とかひくなよ……。」
「ふっ、風邪くらいひかせろ。」
「偉そうにいうな、ばか。」
ぱっちんっ!
離した額を強かに指で弾いた。奴のほうはその程度でも頭に響いてうずくまるほどの症状らしい。やれやれ。
「おいこら、そんなんじゃ移動も何も、論外だろうが。おまえその状態で、まあもういないだろうけど万が一追っ手の皆様にあいさつされたら、対処できるのか?」
「『いつもお勤めご苦労様。』……。」
「っていうってか。まだ減らず口叩く余裕があるか、おまえは!」
「耳元で叫ぶな……。殺すぞ。」
「おお、やれるもんならやってみな。今のおまえになら絶対負けねえ。」
ここぞとばかりに今までおちょくられた分の反撃をしたいところだが、目の前であんまり具合が悪そうにされるとどうも調子が狂う。
どうもこうもないだろう。俺は黙って洞窟内に引き返して、消えそうになっている火に散らかりっぱなしになっている薪を蹴り入れた。その様子を不思議そうに観察している視線を感じる。この男の場合よくあることだが、ききたいことがあるのだったら黙っていないで先にきいてほしいものだ。
「寝る。」
結局、視線と空虚に耐えきれずにいい訳がましい口火を切るのは俺になる。
「?」
「誰かさんが一晩中すやすや寝息立てているの斜にみて、それでも周りの様子に気を張ってなきゃならなかったし。疲れたから一眠りする。」
「……移動、したいんだろう?」
「悪いけど明日にしようぜ。」
「……。」
そんなに疑わしそうにみつめられても困る。なぜなら。
心中『何やってるんだろう、俺は。』が渦巻いていて、かなり気恥ずかしい状況だったりする。俺は生きてきた年数がそれ程多いわけでもないし、行動範囲からいっても狭い世界しか知らない。だが、この世は情けや気遣いとは無縁にできていることは身にしみて分かっているつもりだ。それなのに。
納得できないが、どうやら俺は蔵馬を思いやっているようだ。というか、どうみても、そうにしかみえない状況をつくってしまったようだ。穴があっても入りたくないが、早くのど元を過ぎて熱さを忘れたい。
そう切実に願おうとしたそのとき、雪の降り落ちる外界に強い気配を感じた。すぐさま入り口に返すが、蔵馬のほうは俺が気づくよりも前に察知していたらしく、冷静に距離と方角を見極めに入っている。空気が一気に緊張を帯びる。
「……おい、誰か来るぜ。」
「数は一。まだ遠いが……、まっすぐこちらに向かって来ているようだな。」
「ここの住人が長旅からお帰り……、なんてわけないよな。」
「それにしては殺気立ち過ぎている。殺気立つというより、我を忘れている感じだ。」
「これは鉢合ったらまずいだろう。」
「そうだな。いくらオレたちが友好的な態度を示そうと、見境なしに仕掛けられそうだ。」
「つまり戦闘は避けられない、といいたい?」
「……なにがいいたい?」
「いや。しかしなんだかなあ。こんなときに限って面倒が起こるんだから……。」
「今の……、厭味か。」
「あれ、厭味にきこえました?厭味にきこえるようじゃおにいさん、もしかして相当焦ってます?」
「貴様……。」
売り言葉をかわすことにすら頭が回らないとみえる。願わくばいつもそのくらいのかわいげがあってほしいものだ。
まあ、いじくり返すのもこれくらいにして。
「さて、行ってきますか。」
「?どこに。」
「決まってるだろう。注意を逸らして来るんだよ。」
「?なぜ。」
「強そうだから。」
「寝るんじゃないのか?」
「こんなときに?」
「……。」
だから、疑惑づらでみるなって。
「おまえ、戦えないんだろう?このまま鉢合ったら、まあ、俺がやればいいんだが、力量を察するに勝てる気がしない。口惜しいことに。俺がやられれば、おまえもやられるだろう。頭を小突いたくらいでしゃがみ込むくらいなんだから、まあ、逃げ切れないこと必至だよな。悪あがきの末共倒れなんて格好悪すぎて厭なんだよ、俺は。」
「……。」
「……なに?」
「……だから、逃げればいいだろう、ひとりで。」
……。
それをいうかな、本当かわいくない。
「ああーっ!」
「?」
「おまえ、俺のこと信用してないだろう。」
「……何を突然。」
「注意を逸らすとか一丁前なこといって、みつけられた途端にめちゃくそにやられるくせにとか思っているんじゃないのか。ん?」
奴の疑問は煙に巻いてしまおうという魂胆のつもりで、適当なことをぶつける。頭の回転速度が落ちても憎まれ口は健在だろうから、奴が開いた口で何をいうかはだいたい想像がつく。後は力任せにいいくるめて……。
「信じている。」
お、逆をつくか、こいつ。……と思ったのだが。
蔵馬の目が痛いくらいまっすぐに向けられている。相変わらず感情の有無すら読み取れない愛嬌なしの顔だが、その目の奥、確固たる思いのようなものが胸に刺さるようで、目を逸らすことが躊躇われる程で。
「……蔵馬。」
「信じている。だから……。」
「ああ分かった!もういい、皆までいうな。」
「おまえがきくから答えたのだろう……。」
ささやかなつっこみは無視して入り口から一歩踏み出す。湿雪が肩に冷たく降りかかる。外は思ったより気温が低いようだ。
「いいか。おまえはそこにいろよ。絶対動くな。分かったな。」
「なぜ?」
「があっ、つべこべいうな。今は俺のいうことをきけ。きかないと後で……。」
「?」
「……。」
そこまでいっておいて、次に続けるべきことばが空白に置き換わった。この状況だと冗談にも『殺す』などとはいえない。かといって『お仕置き』っていうのも何か違うだろう。
「……痛いぞ。」
「……。」
ああ。
心中『何いってるんだろう、俺は。』が嵐のように吹き荒れていて、どうしようもなく気恥ずかしい状況だったりする。断っておくが、別に墓穴を掘りたがっているわけではない。
「……は?」
「……。」
「……痛いのか。」
真面目にきき返すか、普通。もう少し何かあるだろう、馬鹿にするとか、つっこみを入れるとか、そういうヤサシサが。この男、絶対俺の内心が手に取るように分かっている。
「ああ、そうだよ。すんげえ痛いから、絶対そこにいろ。いいな。」
びしっと格好よくきめて出立するはずだったのだが、今日は厄日だ。
続く ...
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