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0 2-
痛い話
p a i n f u l s t o r y
亜熱帯性の樹木が生い茂る森を走る。ただでさえ水分の多い腐葉土に染みそびれた雨水が残り、いい具合にぬかるみが深い。こんな場所で動き回るにはやはり身軽が一番だ。これは結果論だが。
『得物は?』
『注意を逸らしにいくんだぜ。そんな重いもの持っていったら機敏に動けないだろうが。足元ぬかるんでいるんだし。』
そんなことばを交わした。本心とは違うところのことをいったのだが、これだけは悟られた様子はない。
俺は知っている。
蔵馬は俺のことを信じていない。信じているふりをしているわけでもない。
奴自身は本当に信じていると『思っている』のだろう。先にみせられた曇りのない眼差し。それが俺の読みに間違いがないことを物語っている、そんな気がする。
だからきっと気づいていないだけなのだ。誰かを信じることに必要以上に用心深くなる心理に。
『ヒトは裏切るから。』
当たり前のようにさらりという。幾度か冗談めかして『俺もそうだと思うか?』などときいたことがあった。一度は確か『分からない。』と答えた。それ以外でも同じようなことばが返ってきたと思ったが、よく憶えていない。
ただ、そのときこう思ったことははっきり憶えている。
「ふっ、おまえが誰かを信じるとしたら、そいつは余程突飛な奴なのだろうな。」
だから質入れした、それだけだ。俺はおまえを裏切らない、そんな意志の証として。分かってほしいなんておこがましい押しつけをするつもりはない。わがままな自己満足の域を踏み越える気もない。
木々を透かして、ようやく人影を捕らえる。どうやら真正面に向かい合う格好になりそうだが、目的が目的なだけに気配を殺す必要はない。それにどう有利な状況を取り繕ったところで、ことを構えようにも愛用の得物は手元にないのだ。
「現れ出でたか、協力者よ。」
俺の気配を察してつぶやいたらしい声。毒々しい妖気が気味悪く肌にまとわりつく。
「ヒト違いじゃないか?俺は通りすがりの善良市民だぜ。」
「さあ、我が手に……。」
「何を……?」
特別な策はない。とにかく偶然を装って存在を認識させ、敵意がないことをアピール。とても話が分かりそうな相手なら軽く和解、少し話がわかりそうな相手なら適当に取引、話どころではない相手なら少し遠くまで連れていってはいさようなら。なにせ盗賊稼業なもので、おにごっことかくれんぼは十八番中の十八番である。
そして、どうやら今日のお相手は俺と遊びたいらしい。話のはの字も眼中になさそうだ。
「!」
うつむき加減だった顔を僅かに起こし、その鋭い目が俺を捕らえる。ほんの僅かな、ここからでは動いたのか動いていないのか分からない程の僅かな仕草。だが。
鳥肌が立つ程のどす黒い妖気が一瞬にして周囲を包む。途端生ぬるい風が吹いたような空気の動きに木々がざわめくような音を立てる。余りの圧迫に思わず一歩退く、その真後ろから……。
「どうした、協力者よ……。」
声が、真後ろから……?無論正面にいたはずの人影は跡形もない。
「ちっ!」
間合をとるために地面を蹴り飛び出す。適当な頃合で身体を反転させるが、
「恐れることはない……。」
近い。計ったはずの距離をあっさりと詰められている。
「くそ!」
焦ることはない、相手のスピードのほうが上をいくだけのはなしだ。
「速いね、おっさん。でも、薬なら間に合っているんだよっ!」
ぬかるみに溜まった泥水を蹴り上げ相手の視界を断ち、すかさず後方に飛び体勢を整える。
やっとのことでとった間合から、男を観察する。
「おっさん、薬屋さんだろう?」
総髪に背負った木箱。半分憶測で問いかけるが、背後につけられたときに感じた薬品くささと、右手に持った得体の知れない液体が入った注射器が、男が薬師であることを物語っている。
「協力者よ……。」
「悪いけど、俺は貧乏人なんだ。押し売りならお断りだぜ。」
平静を装うが、背中を伝う汗が冷たい。
「ふ……、ふっふっふ……。」
「……なんだ?」
「ようやく、ようやく完成したのだよ……。」
「?」
「随分と待たせてしまったな……。」
「だから、何をいっているんだよ?」
脈略もくそもないことをいっているようにきこえる。しかし次の台詞で相手の凡その主張が理解できた。ただ、理解できたのはいわんとしている意味のほうで、その実質は理解の範ちゅうを軽く越えるところをいっている。
「さあ、実験の成果を試そうではないか。協力者よ。」
……おいおい、モルモットかい、俺は。
「実験台なら更に御免だよ。」
「何を遠慮している?さあ、我が手に……。」
冗談じゃない。
相手がにじり寄る足音を合図に、森の中に走り出す。前にも述べたが、おにごっことかくれんぼはこちらの十八番。いくら相手の速さが勝っていても、勝負は短距離走ではない。自慢じゃないが、速いだけで技のないの奴になら負ける気はしない。
モルモットが入りようなら命を狙うことはしないだろう。但し、それは手に入れるまでのはなし。捕まれば間違いなくアウトだ。逃げ切りセーフは堅いが油断は禁物。
薬師。
あらゆる物質を調合して効能のある薬を製造し行商して歩く医師、調合師の総称だ。風邪薬から毒薬までと取り扱う範囲は幅広い。金によっては自己中心的で傲慢な個別注文にも応じ、媚薬だの麻薬だの一見危ない薬品の大量生産も請け負う闇人がほとんどだ。最近多発している各国の権力者の暗殺にも一役買っているらしい噂をきくが、まあ、ほぼ間違いはないだろう。専門技術職だけあって、それにのめり込んで自我を崩壊したいかれた連中も多い。この男もそんな奴らのひとりに違いない。
「?」
薬師。
薬という名のつくものなら何でも駆使できる。たとえば……。
「おわっ!」
足場にしようと手をかけかけた楠が爆発音と炎を上げて崩れた。厭な感じを覚え直感で避けて正解だった。
たとえば、爆『薬』とか?
火『薬』とか?
「こらおっさん!発破なんか仕掛けたら危ねえだろう!大事なモルモットを死に追いやってもいいのか!」
「ふっふっふ……。」
「何を笑ってやがる。」
「心配には及ばない。生体だろうが死体だろうが、実験になんの支障も生じない。」
……狂ってる。
ひゅんっという音が背後から追い越して、突然目の前の楓が炎と共に崩れ落ちる。咄嗟に避けるが、着地した地面のぬかるみに足をとられ、体勢が揺らいだ。
「アウト……。」
「!」
敵は既に直前にまで迫っていた。もう少し距離をとれていると見当をつけていたのだが。結構本気で逃げていただけに心理的衝撃は大きい。
「だてに速くないね、おっさん。」
事実上のアウト。
男はゆっくりと歩みを進め、近づく。
「さあ、我が手に……。」
納得のいかない死というものは思っていたよりも厭なものだ。今まで目的のためとはいえ奪ってきた命の持ち主たちも、きっとこんな気持ちだったのだろう。反省する気はないが、狩られる立場になるまで気がつかない心理なのだから、今更どうこういうこともないか……。
そんな観念にも似た気持ちが頭をよぎり出したとき、
「?」
何か硬い物体が視界を遮る影になった。ちょうど俺と敵の間を隔てるように。俺を、守るように?
「杉……?」
「離れろ!」
ききなれた声に身体が自然に反応する。後ろに跳ね除けると同時に地面が割れるような激しい轟音と共に何もないところから芽吹いた苗木が次々と巨木に成長していく不思議な光景をみた。
「ああ……。」
幻想の根源が力ない声を発するのがきこえた。その尋常じゃない様子に先ほど死を目の前にしたときよりも動揺している自分がいて少々情けなかったりする。
「どうした!?どこか苦しいか?」
「頭がぼおっとして……。」
「ん?」
「手加減ができない。」
……。
はい?
雪が止まない。美しく立ち並んだ杉林の直中で、土壌に音もなく消えていた雪も、凍てつきはじめた大地にうっすらと白い足跡を残し出す。ぽたぽたと滴り落ちる鮮血がつくる血溜まりだけが厭味なくらい鮮やかだ。見上げれば、真っ直ぐにそびえているはずの杉、そのうちの数本が薬師の身体を貫いたまま天に高く捧げている。それはまるで静寂を望むための生贄のように。
……っていうか、本当は異常気象なんだよ。この雪は。
そして折角の静寂を破るのは、俺の怒鳴り声になる。
「こらおまえ!なんで亜熱帯性の森に針葉樹林なんだよ!つーばいふぉーでも建てる気か!」
「アイノス……?」
「……なーにーがー愛の巣だっ!このぼけぼけ!」
「だから叫ぶなよ。頭が痛い。」
湿った地面にぺったりと座り込んだまま、弱々しくに頭を抱えるものだから、声のトーンを落とすしかあるまい。
「いっただろうが、来るなって。」
「助けに来たというのに、なぜ怒られなければならない。」
いかにも迷惑そうな顔で見上げる。
「俺ってさあ。」
「ん?」
「そんなに信用ない?」
「……。」
考え込むような仕草をする。しかし、哀しいかな蔵馬は蔵馬だった。
「やられそうになっていたくせに。」
ああ、毒舌を吐き腐るか。
「ああそうだよ、それは認める。ただ、それはこの際置いておこうではないか。」
「開き直るか。なかなかいい根性だが、根性だけでは勝てないぞ。」
無視。
「俺はあの場所から動くなっていったの。どおしていうこときいてくれないのかなあ、『ぼく』は?」
「『痛い』……。」
「……は?」
「『おれのいうことをきけ。きかないとあとでいたいぞ。』っていった。」
……折角忘れていたのに、埋めかけた墓穴を掘り返さないでほしい。
「痛いのは厭だ。」
「だったら……。」
「しかし、オレにとっては今おまえに消えられることのほうが余程痛いから、だから来た。」
「……。」
ふっ、まったく。
愛想なしの顔をして、結構かわいいところもあるではないか。あんな台詞を恥ずかしげもなくいわれては、こちらが照れくさくなるというものだ。
「おら、これが痛いことだ!」
ぱっちんっ!
俺は奴の額を指で強かに弾いた。奴のほうは相当痛かったらしいが、これで相殺すればゼロになるのではないだろうか。
「……痛い。泣きそうだ。」
「ばか、戻るぞ。」
ぶっきらぼうにいい捨てて、固まりかけた地面に散乱している先の薬師の遺留品を拾う。あのおっさん、いかれていたが本来は筋のいい医者だったのだろう。いかがわしそうな薬品に混じって一般向けな良品も所有していた。
「おまえが殺った薬屋さん、いいもの持ってるぜ。戻ったら葛根湯でも作ってやるからな。」
いい訳をするわけではないが。
これは情けではない。もちろん甘っちょろい気遣いなどでもない。
俺は生きてきた年数がそれ程多いわけでもないし、行動範囲からいっても狭い世界しか知らない。だが、この世は情けや気遣いとは無縁にできていることは身にしみて分かっているつもりだ。
だから、俺の行動が単なる自分勝手で、自己満足を満たすためにしかならないということも分かっている。それが煙たいのなら離れてひとりになればいい、それだけのはなしだ。
ただ、こんな関係が長続きするのも、お互いがお互いのことを考えながら、それでも自分勝手な行動に走ってしまうおせっかいな性格が影響するのかもしれないということも、なんとなく分かっている。
ヤサシサなんて、そんなものだろう。
「あ……。」
「ん?どうした?」
「身体がだるくて動けない。背負って帰れ。」
「……どこまでも偉そうだな、おまえ。」
完
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