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エピローグ
それがこの夜に起きた事件のすべてである。
ただ、それだけではつまらぬので、余談をふたつ書き残そうと思う。
ドサリと床に崩れた落ちた屍には既に興味はなく、盗人は広間に接続する通路のひとつに目をやる。その明るい通路の接点には、いつしかひとりの男が立っていた。入り口の壁に頬杖をつく格好で、戦いの様子を一通り観察していたようだ。広間からでは逆光で黒い影にしかみえないが、その男の苦笑がちな目元に皺が寄る。
「死人と戯れるのはやめろよ。」
たしなめて、男はゆっくりと広間に進み出る。仲間である。
盗人はクスリと笑い、
「さっきまでは生きていたよ。」
と答える。それを受けて、仲間の男が反論する。
「だが、最後には死ぬと決まっているのだから、死人も同じだろう。」
「なるほど。おまえは面白いことをいう。」
盗人は口元に手を持っていく。この男の笑うときの癖である。面白いことは大好きだ。くつくつと、いつまでも笑う。
その内に、仲間の男が正面にきた。と、何かに気づき、無遠慮に顔を近づける。くちづけするにしては随分乱暴な所作だが、もちろん理由は別にある。
「あーあ。まーたこんなところに血糊つけて。」
大袈裟に眉根を寄せて、子供を叱る口調を遣う。そうしてやると無邪気な相棒が喜ぶことを知っている。案の定、相棒の口元が不敵に笑う。指摘された頬の部分に指をやり、ヌルリとすくい取ったそれを今度は自分のくちびるに塗りつける。
「フフフ。」
悪戯っ子の目をする。だから、男も一旦は呆れてみせるのだが。
顔を近づける。先程とは違う、ゆったりとした甘い所作だ。盗人が、期待を込めて、男の次の動きを待っている。くちびるに触れない距離を選び、男はそっと囁いた。
「俺が、舐め取ってやろうか。」
「……フフ。」
盗人は俯き加減に笑う。
男の着物に手をかけ、顔を下から覗くポーズで、物欲しげに引き寄せる────
「おまえは本当に面白い。」
運が悪かっただけなのだ。守衛のことをいっているのではない。血の池に転がる哀れな屍も、それを前に繰り広げられる男たちの不謹慎な「遊び」も、取るに足らない事柄のひとつ。
黒猫は腹の満たなかった不運を嘆いている。だが、今宵はもう諦めよう。
明日になれば、いつもと変わらぬ単調な日常が、当たり前に始まる。守衛のひとり減ったくらいで、世界の一体何が変わるというのだ。
振り返りもせず、黒猫は広間を後にした。
さて、これが本当に最後である。
エントランスから外へ出たとき、黒猫はみ上げた夜空に不思議な光景をみた。白い「もや」のような塊が、中空に留まり、今にも夜風に掻き消されそうにゆらゆらと浮かんでいた。黒猫にはすぐに分かった。あれは魂。殺された守衛が天に昇るのだ。
しかし、魂はなかなか行こうとしない。この世に思い残すことがあるのか。魂のいる場所からは、例の広間を壁面の窓越しにみ下ろせる。────みているのだろうか。身体を寄せ合う、男たちの営みを。
魂は頻りに後悔している。それは己の軽率に死に至った行動。いや、魂に目があるとするなら、その目に映るのは、今も美しい盗人の姿だけ。
己は罪を犯したのだ。
死に対する後悔よりも、悔やまれることがあるとしたら、それは美しい盗人から笑顔を消し去ったこと。望むものを、何も与えられなかったこと。
たった一度の接触で、惚れたのかもしれない。
死はむしろ本望だ。なぜなら、この死はあの美しい盗人を裏切った報い。己は何とつまらない男だったのか。その人生すべてを否定し、これ程自分を恥じたことはない────
ようやく諦めがついたらしい。魂が天へと旅立っていく。名残惜しそうに消えていく。
あの魂はどこに行くのだろう。問えば、「まだこないで。」と風が吹いた。風は木の葉のざわめきを生み、夜の空気が不穏な音を反響するが、黒猫に不安はなかった。
私はまだ行かないわ。心の中で呟いた彼女の腹には、蠢く温もりだけが希望として、この世に誕生する時を待っている。
本文
金魚の水槽
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