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旅烏の男  w a n d e r e r


 旅の空、ああ旅の空ー……、旅の空。



「東!」
「否、西だ。」
 といい合いながら、俺と相棒は青空市場を歩いていた。
 俺たちのような闇の盗賊風情が、なぜこの生活感溢れる堅気の宝庫、市場などに居るのかというと。長かった俺たちの純愛もようやく実を結び、この春めでたく新居を構えたー……ああ、筈もなく。
 旅の途中だ。こんな貧乏臭い町に永住なんて死んでも御免だし、あの狐チャンののっぺりしたお顔と生涯連れ添ってみせる自虐趣味、俺にはない。
 街道の分岐点や中間点には、規模は違えど街らしき要所が点在している。魔界の街道は不健康な血管みたいなものだ。物と金の流れが血液なら、行く先々で詰まって停滞しているヒトビトは、さながら老廃物といったところか。詰まった箇所が膨張し、弾けて、蜘蛛の子散らす有様な街に変化していく。で、俺たちが今していることも、老廃物。
 大街道の分岐点に当たるこの街も大分不摂生にたたられているらしく、何処も彼処も老廃物だらけ。俺たちみたいな暮らしをしていると普通に歩いていても滅多に他人とは出会わないものだが、この市場に迷い込んでしまってからというもの、誰かに衝突せずに真っ直ぐ歩けた試しがない。慣れていないせいか、人込みってヤツはどうも苦手だ。……って、慣れていないのは俺だけか。相棒のほうはヒトが壁になっていてもスルスル擦り抜けていくし。時々振り返っては、「おまえは鈍いな。」とか真顔でいわれるから、すげえムカつく。(おまえにそれをいわれると、かなり死刑宣告だぞ。)
 さて、交易都市というヤツだ。人込みも一見して商人が多い。路傍で作物や布を山積みにした陰から客引きの声を張り上げているのが地元の商売人。背中の大荷物も重そうに往来を行くのが旅の行商人。活気溢れる市場では、地元住民らしき軽装が安穏と品定めしている隣の屋台の店先で、いわくありげな旅人と市場管轄の警備兵が陽気におしゃべりしている、なんて光景も珍しくない。何とも無防備で無警戒なものだが、旅を続けていると平和の出来上がる仕組みが、何となく分かってくる。経済が安定している国は治安もいいのだ。住民も尽く大らかで、俺は厭だが、コイツなら住みたがるだろうなあ、なんて、ちょっとだけ思ってみたりする。
 かくして、若い野郎がふたりつるんで歩いていても、普通にきょろきょろしていれば一般人にしかみえない。
 っていうか、今は旅人だから一般人。
「次は東だ。選択権は俺にだってあるんだから従えよ。」
 三歩先行く奴の背に、俺はいう。周囲の喧騒に掻き消されそうなその声を、奴は頭の上の耳をぴくぴくさせながらきいているが、僅かに振り返ったかわいげのない顔で、返すことばは、
「きこえない。」
 ……それはね。「きこえない。」んじゃなくて、「きき入れない。」んでしょ?おまえの我侭が。
 この街に踏み込むかなり前から「東。」、「西。」といい合っている俺たちをみれば、岩石砂漠を南へ抜けるこの大街道を、次はどちらへ進路を取るか議論している、というのは想像に易いだろう。尤も連れの男は、東、西、の問答の間に何の脈略もなく、「なあ、腹減らないか?」を挟み込んでは俺を究極の脱力状態に陥れる野生生物だから、本当はどちらへ進もうが興味ないのだろうが。
「西は山地だ。突っ切ろうと思ったら、確実に山越えコースだぜ?」
「だが東は海だ。このまま進めば行き止まりになる。」
「海岸伝いに進めば隣町まで行ける。」
「それは随分な遠回りだな。しかも、隣町まで行けば今度こそ行き止まりだ。わざわざ行って、同じコースを辿って戻るのは手間ではないか?」
「利益が伴えば手間ではないだろう。」
「巡礼者かおまえは?東を選択したところで、戻ると分かっているなら振り出しはここだ。最終的なルートは西しか残らないのだぞ?」
「っつうかさ。おまえは海よりも山のほうが好きなコだからいいんだろうけど。」
 いくら植物でも海草じゃあ武器にならないしね。……といいかけたところで、不意に奴の足が止まる。目の前で急に止まられても、俺にだって慣性の法則というものがある。俺は危うく背中から奴を抱きしめてしまいそうな勢いで進んでいたのを、ぶつかる手前で急ブレーキ。幸い慣性よりも反射神経のほうが勝っていたので、八百屋さんの店先で映画のようなラブシーンだけは避けた。
「おまえの考えなど、元より承知しているぞ?」
 奴がちらり、振り返る。
 無表情。しかも、「おまえのことなら何でも知っている。」とでもいいたげな、支配者面。
「な、何だよ。」
 いいながら、俺は奴から身体ひとつ離れるために一歩退いた。が、反対に奴は、俺の顔を覗き込むように一歩踏み込んでくる。その顔は相変わらずの支配者面で、しかし、顔自体は端正そのものだから、コイツのほうから至近距離に入ってくると、ちょっとドキドキするぞ。
 ……なんて思ったところで、奴はこの手の発想に神経が回らないから。
 俺のささやかな動揺など意に介せず、奴はいう。
「隣町の外れには、彼(か)の豪族が隠れ家にしていた城があるそうではないか……?」
 ……ちょっとギク。
 そして、この手の発想となると厭味なくらい過敏に反応をみせる奴は、無表情からほーんの一瞬、鼻で笑った。……すげえ、ムカつく。
「噂は膝下十センチだぞ。耳まで上ってきたような噂では……、あまり期待はできんなあ、黒鵺?」
 どうでもいいけど、何で時々オジイチャンみたいなしゃべりかたになるんだ……?
「んなもん、行ってみなけりゃ分からねえだろう。」
「否、分かるさ。」
 そういって、奴の手は何気なく八百屋の店先のトマトが山盛り積まれた樽に伸び、そこからひとつ手に取った。
「おまえは正直な男だ。たまに賢しいことを考えても顔に表れるのだから、万が一にもオレを出し抜こうとは思わんことだな。」
「出し抜くってなあ……。俺は別に獲物を独り占めしようなんて思っちゃいないぜ。ただ、情報としての真実味にかけるから、まあ、過度の期待をかけてもなんだし?黙っていただけだ。秘密にしていたのは悪いと思うが……。」
「そうか。では、悪いと思ってくれているらしいおまえの心を汲んで、次は西に進路を取ることにしよう。」
「おい待てよ。論点ずらして勝手に決めるな。」
 俺が肩に手をかけようとするのを察して、奴がひらり、身をかわす。手の中のトマトを軽く放り投げ、今度は受け止めたそれに軽くくちびるを当てた。
「東へ行きたくば、おまえひとりで行け。オレは『無駄』と『手間』と『暇』ということばが嫌いなんだ。」
 そして、いい捨てた後は俺にはあっさり背を向けて、当面は目的地があるわけでもない青空市場を、ただの旅人さながらに悠々と歩いていく。
「……。」
 天邪鬼相手に先に意見をいうものではないな。もしかしたら二分の一の確率で「東」になっていたかもしれないのに。
 ため息を吐く。奴とつき合っていると、肺の中にいくら「ため息」を用意していても足りない。まあ、仕方がないか。今ここで奴と正面衝突しても、兵隊さんに捕まるだけで損するだけだし。また俺が折れるかあ。もう何度目だろう?あーあ、楽に小銭が稼げると思ったのにな……。
 と、奴を追って歩き出そうとしたのだが。
 誰かが、着物の裾を引っ張っている……?
「?」
 俺は下をみた。すると、
「ちょいと旅の……。」
「おわああ!」
「まだ何もいっとらんだろ。失礼なやっこさんだね。」
 トマトの樽の陰から、置き物みたいなしょぼけたばあさんが「ぬ」っと顔を出した。
「払いな。」
「は?」
「『は?』じゃないよ。あの白いのはおまえさんの連れだろうが。」
 進行方向二メートル先。商品持ち逃げの現行犯。ってオイ、今頃気づいたけど、
「ほらもう、歩きながら食っちまってるじゃないか……。食ったら払いな。」
「……。」
 あのくそガキ。本物のコドモじゃねえんだから、手当たり次第口ん中に入れるなよ。
「トマト一個くらいご馳走してよ、オバーチャン。」
 俺は俺お得意の「ちょっと憎めない笑顔」で、愛想よく頼んでみる。しかし、この近年稀にみる爽やかな好青年(誰?とかいうな)を前にしても、そこはあくまで商売らしく、
「おまえさん、旅の者(もん)かしれんがね、『イッツ・ア・コモンセンス』ってね。ここらの常識だよ。」
 とか何とか適当なことをほざき、ばあさんが手のひらを上に向ける。そのままぴらぴらと揺り動かし、ここに金を乗せろ、といいたいのはほぼ間違いない。高齢者とはこんなにかわいげなくてよいものだろうか。
「ケチ。」
 吐き捨てたところで、これも「郷に入りては」か。……ついてねえ。
 懐から財布を取り出す。はあ、紐を解く手が重いぜ。
「幾らだよ?」
 払う気になったらしい俺をみ上げて、ばあさんがにやり笑う。
「書いてある通りさ。」
 いわれてみれば、樽の側面には確かに売値らしき数値が書かれた張り紙がしてあるが。そんな値をつけて、本当に黙って払っていく客が居るのかよ?
「おいおい、いくら何でもそりゃ高過ぎるぜ。前に寄った街では半値以下……。」
「相場なんてモンはねえ、お日様が昇ったり沈んだりするみたいに常に変動してるのさ。信用しちゃあいけないよ、ニーサン……。」
 ……何由々しそうに頭振ってるの?
 誤魔化してるでしょ?騙されないよ?
「まけてよ!」
「厭だね。びた一文だってまけないよ。」
「旅の若いもんからぼるか、普通。」
「ウチは昔から平等主義なんだ。旅のもんでも若いもんでも、払うモンは払って貰うよ。」
 財布を握る俺に、手を伸べるばばあ。
 畜生、なんて八百屋だ。こっちはそれまでの長旅でぴいぴいしてるっていうのに。財布の中、何かチャリチャリしてるよ。ほら、銀貨サンだって、銅貨サンと別れたくないって……、可哀想に。
「ところでニーサン。」
 財布の中身を物色する俺に、不意にばあさんがはなしかけてくる。
「あ?何だよ。」
「東はよくないねえ……。」
「……は?」
 なぜ唐突に方角のはなしだ?思って俺は、ちらっとだけばあさんに視線を向けた。
「何だばあさん、風水にでも凝ってるのか?」
「んなわけないだろ。」
 今度は内緒ばなしするときの仕草でコソコソと手招き、耳を貸せ、といいたいのはほぼ間違いない。ちびちゃいばあさんが相手では身を屈めるのも少々辛いが、成り行きだ、いわれるままに耳を貸してやる。

続く ...

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