Date
2 0 0 2 - 0 1 - 2 6
No.
0 1-
アバンチュール・ベイベ
A v e n t u r e B a b y
夜明け前。鍛冶は寝台に仰向けの形で天井をみつめる。客用の寝台、洗い立ての匂いがする寝具、もう慣れたものだ。だからそれを寝入れない理由にする気はない。
目を閉じても闇を巡る思いからは逃れられないらしいと気づいてから、どれくらい経っただろう。済んだことだ、そう思うことにしたい、と思っている時点で忘れられないのも運命か。
そんな思考の最中にも、ここからみる天井は随分遠いな、などと、漠然とした意識はどうでもよいことに回ってくれるから少しだけありがたい。……それでもすぐに苦い記憶は目の前を過ぎる。途端に、身体は自然身じろぐ。徐ろに立てた片膝に、まるで悪足掻きだといってやるのも莫迦莫迦しい。過去は払拭されないのだから、笑う気にもなれない。
右手の甲を額に当て、目を閉じる。
今更何を思う?自問して、静かに息を吐く。
視界を閉ざした鍛冶の耳には、昨夜の問答がよみがえる。
『うるせえっ!いい加減にしろっ!!!』
まず思い出されるのは、怒りの感情をそのままに、妖狐蔵馬を怒鳴りつける自身の声であった。
蔵馬は、……鍛冶の寝台に身を横たえている。両肘で身体を支え、作業場に仁王立つ鍛冶を冷めた視線でみ下ろす。怒鳴られたところで、心に響くものは何もないとでもいいたげな、無感動な目。それは今に始まったことではないが、苛立ちの収まらない鍛冶にすれば、喧嘩を売られているようなもの。火に油を注ぐと同じ。
睨み合いの続く中、蔵馬はため息を吐いた。だが、ことばは何も返してこない。この男は、熱くなるということを知らない。だから余計に鍛冶は苛立つ。
鍛冶は手近の道具を取ると、蔵馬に向け力一杯投げつけた。それは、多分鎚であったと思う。小さいが鉄製、当たれば致命傷にもなり得るものであったが、蔵馬はそれが頬をかすめても、避けるということをしなかった。鎚は背後の柱を強かに打ち、柱の砕けた欠片とその振動で天井を離れた埃とが寝台に降り落ちる。蔵馬はぴくりとも動かず、視線は先程と同じく、いやそれ以上に冷たく鍛冶の目を射る。鍛冶は益々苛立つ……。
……原因は何であったか。
『オレはただ、おまえのことが心配なだけだ。』
涼やかにいう台詞。鍛冶が怒鳴るずっと前に、蔵馬が口にした。
この日、鍛冶は丸一日を仕事に追われて過ごした。突然の来客は、古い刀剣を三十振り預け、明日迄に元通りの切れ味にしてくれといい、前金を置いて帰った。その他にも、やることは山のようにある。結局鍛冶は、一日中何も食すことなく、休憩も取らず作業を続け、ついでに寝る間を削り残務までこなすつもりであった。
深夜を回って大分経った頃、ようやく作業が一段落した鍛冶に、蔵馬がいった。
「……まだ、仕事?」
その声は少し憂いを含んだような、静かな声。蔵馬にしては珍しく、鍛冶の身を案じる色が感じられる。
それまで、蔵馬は鍛冶の寝台で動く様子をみせなかった。今日も一日のほとんどを寝て過ごした。だから、鍛冶も蔵馬は既に眠りに就いているものだと思っていた。
その頃はまだ、鍛冶にも蔵馬を気にかけてやる余裕があった。だから『起こしたか?』とでもいって軽く謝り、再び寝かしつけようと思う。
が、────この先の問答には少々説明を加えねばならない。
鍛冶が忙しなく作業に追われていた、その合間のはなしである。鍛冶は何度か自身の寝台をみ上げることがあった。そしてその度に、眠っていると思われた蔵馬が掛け布の隙から目だけを覗かせ、自分の様子じっと観察していることに気づかされた。当然目が合う。そうなると、蔵馬は厭にそそくさと目を逸らし、掛け布の中に潜り込んだ。疑問はあるが、鍛冶は再び作業を始める。そして不意に顔を上げると、蔵馬はやはり鍛冶をみているのだ。そんなことの繰り返し、とはいえ『何だよ。』などと下らない問答に手を染めている暇はない。鍛冶は、蔵馬はうるさくて眠れないから静かにしろとでもいいたいのだろうと勝手に解釈することにした。だが、いつもよりもうるさい視線は無視しても肌に感じないわけにはいかなかった。それは鍛冶の集中力を削ぎ、少なからず作業の妨げになり、結果的に仕事の効率を落とすことになった。
蔵馬がどう思っているのかなど、鍛冶の知るところではない。
だから、これは余談になる。
蔵馬は、鍛冶がどうしても作業時に発してしまう『音』が、うるさいと感じたことは実はなかった。きかなければいいというレベルのはなしではなく、端的にいって、蔵馬は鍛冶場の音が好きだった。そして、鍛冶が汗を流して一生懸命に働くのをみるのが好きだった。この世で一番恵まれていることは誇れる仕事があることである、蔵馬は思う。この鍛冶はその論理の上で実に理想的な男だ。鍛冶は自分の仕事を誇る男で、自分の生む刀剣に魂を込める男で、遠くに暮らす家族を思うことのできる稀な男だった。だから、この鍛冶の音はいつも暖かい。ただ、これは蔵馬の思うところであり、他の者が同じ音をきいてもただの金属音としてうるさく感じるだけなのだろうとは、思う。
そんな理由もあり、蔵馬はこの鍛冶場が好きだった。だが、ここ数日間の作業場の空気はいつもとは違っていた。蔵馬は、鍛冶の音の中にある、焦りと苛立ちを感じ取っていた。それはとてもギスギスしていて、棘があって、きいているのも居た堪れない程であった。鍛冶が期限の切られた仕事を多く抱え、多忙を極めていることは、毎日様子をみつめている蔵馬には分かっている。そして、焦りという感情が生まれてしまった心理が、身体の動きをぎこちなくさせ、余計な焦りを副産物にすることも、命を賭けた経験から知っていた。そして、自分の存在が鍛冶にいらぬ負担をかけていること……。
本当は、それに気づいたときに、蔵馬がここを出ていけば一番よかったのかもしれない。だが、蔵馬には、汗まみれで働き、それでも作業が上手く進まずに苛立ち、焦る心が『畜生』などという独りごとを漏らさせている男を、ひとり残して帰ることなど、できなかった。無論、自分がここにいたところで、自分に手を貸せる仕事などないことは承知している。だがそれでも……。
「そろそろ休めよ。身体に悪い。」
そう続けた蔵馬のことばに、鍛冶は顔をしかめる。
心身共に疲れていた鍛冶には、それが『いい加減、静かにしろ。何時だと思っているんだ。』という意味合いにきこえていた。そして、鍛冶の知る蔵馬の性格を考えると、そういわれたとしてもおかしくない場面ではあった。
「何がいいたいんだ……?」
答えた鍛冶の台詞には怒気がみて取れた。だが、蔵馬には鍛冶が怒る理由が分からない。きょとんとした顔でまばたきをし、首を傾げる。
「疲れてるみたいだから……。」
「だからどうした?」
蔵馬は真っ直ぐに鍛冶をみ据え、
「明日が期限なら、明日にだって作業はできる。それに、少し眠ったほうが能率が上がることだってある。」
鍛冶の動きが読めない蔵馬は、探るように、声の調子から色を削ぐ。蔵馬なりに、鍛冶の神経に障ってはいけないと思った結果であるともいえる。が、無論鍛冶の耳に届くその声からは思いも何も感じられない。痛い程に冷たい感触が残る。
だから、鍛冶は苛立ち混じりの舌打ちをした。
「随分偉い口をきくんだな。」
「……。」
怒りをぶつけられている、そう感じ、蔵馬は少し考え込むように黙った。鍛冶が『自分のせい』で怒っているのは分かる。だが、なぜなのかが分からないのだから、いい訳をすることはできない。それに、誤解されても、それを正そうとする意欲が、元より蔵馬には存在しない。
蔵馬はいう。
「オレはただ、おまえのことが心配なだけだ。」
「心配……?」
心から心配しているようにはみえない。それは当然だといえる、蔵馬の目は相変わらず冷め切っていて、何を考えているのか分からない。
「おまえはいつも口先ばかりだな。」
「……。」
「心配心配って、だから何だ?」
「それは……。」
「おまえはことある毎に俺のことを心配だっていうな。だが、だからって何をするわけでもないだろう。」
「……。」
「なあ。一体何がいいたいんだよ?」
「……だって、今日はおまえ、ほとんど何も食べてないし、息が切れているのに寸時の休みすら取ろうとしない。」
「……で?」
「それに、ここ数日はずっと忙しく働き詰めで……。」
「うるせえよ。」
「鍛冶屋……。」
鍛冶は寝台の蔵馬を仰ぎ、冷笑する。
「何が心配だ。ふざけるなよ、蔵馬。」
「……。」
「おまえに俺の仕事の何が分かる?……何が休めだ、偉そうに。心配だ?そんなこといいながら、おまえは毎日毎日何もしないでぐうたら寝てばかりじゃねえか!」
蔵馬は肘で身体を起こす。いい訳がましいことをいうことになる、気づいていたせいなのだろう、片手が自然と苛立ちを表すように髪を掻き上げ、ため息が出る。その行動が鍛冶の目にどう映るかは、記すまでもない。そして、
「でもオレは、おまえの身体が心配だか……。」
鍛冶は咄嗟に、作業台に放置されていた刻印用の鎚を取り、蔵馬に投げつけた。
「うるせえっ!いい加減にしろっ!!!」
後先は考えていなかった、鍛冶は鎚が手を離れた途端に自分の犯したことを悔いた。幸いそれは蔵馬に当たることなく、頬をかすめて銀の髪を少しばかり切っただけで済んだ。鍛冶はほっと安堵するが、大人気(おとなげ)ない自分の行動を恥じ、背に厭な汗を感じたせいで、この場を退くに退けなくなった。蔵馬は金属の鎚が自分に向かって飛んできても、動かない。当たらないと踏んだためか。
鍛冶は容赦がない。
「……俺は、口先ばかりで何もしない奴が、大嫌いだ。」
吐き捨てるように呟く。
だがそのとき、怒鳴られても、物を投げられても、無感動の一辺倒だった蔵馬が、鍛冶の『大嫌い』ということばにびくっと肩をすくめる……。
鍛冶はそれに気づき、改めて蔵馬の表情をみつめる。……その目は少しだけ寂しそうに揺れていた。蔵馬は、ただ頷く。
「……うん。」
自分の非を認めたから、にはみえなかった。鍛冶は、蔵馬が鍛冶にすべてを否定されたと捉えたのだと思った。そして、蔵馬は実際そう思っているらしかった。
蔵馬は、思いが通じないことの辛さを感じている……。
だから、鍛冶は蔵馬を怒鳴ったことを後悔していた。この場所から、寝たままでも自身の寝台を望むことができる。蔵馬は壁を向いて背を丸める。長い銀髪が、暗闇に映える。
じっとみつめていると、蔵馬は肩の上まで掛け布を引き上げ、鍛冶の視線を避けているらしい。蔵馬もまた、眠れずにいた。
「寝ろよ……。」
鍛冶は呟く。喉から搾り出すように呟いた声は、夜の空気を伝い、蔵馬の耳をぴくりと動かす。返事のように、衣擦れの音が鍛冶に届く。蔵馬は寝入れない程の複雑な思い抱え、更に身体を丸め、
「ん……。」
何もいわなければ嫌われるとでも思ったのだろう、戻る声は遠慮がちに小さい。鍛冶は困ったように息を吐き、蔵馬に背を向け目を閉じる。
続く ...
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