Date
2 0 0 2 - 0 2 - 1 6
No.
0 2-
アバンチュール・ベイベ
A v e n t u r e B a b y
そして、翌早朝のことである。
その物音は、或いは夢の中から延々と続いているものと思われた。が、よくよく耳をそばだててみると、どうやら現実の事象であるらしい。鍛冶は面倒臭そうに身体を起こす。寝巻きの胸倉に手を入れ、片手で掻きながら、もう片方の手を壁へと伸ばす。客用の寝台からすぐ手の届く壁に、小太刀がかけてあった。護身用である。
泥棒か?鍛冶は思う。そして、眠気の抜けない目を擦り、欠伸をする。緊張はしない、この辺りでは、空き巣もコソ泥もよくあるはなしだ。だから、小太刀を手に寝台から下りる鍛冶がやれやれといった面持ちになるのも、致方ないといえる。
ただ、鞘から抜こうとする段になって、ひとつ気づくことがある。それが何かと考える前に、鍛冶は不図、自分の寝台をみ上げた。いつもならこの時分は、眠る妖狐の長い銀髪が、水のように澄んだ流れで寝台から溢れ零れている。幼い寝顔をみせるうつ伏せの身体が、静かに呼吸を続ける光景が、そこにあるはずだった。しかし、鍛冶がみつけたのは空っぽの寝台……。徐々に冴えてきた頭で、鍛冶は寝坊助な蔵馬がなぜ自分よりも早く目を覚ましたのだろうと不思議に思った。そして、下らないことだが、やはり泥棒だったなと、思った。
ガタガタといった物音は、今は途絶えていた。鍛冶は音のしていたほうへ歩みを進める。万が一ということもある、足音を殺し、手にした小太刀を音もなく鞘から抜く様はなるほど手馴れたものだ。音のあり処は厨のようである。入り口から踏み込んだ場所が広間になっている作業場、その奥側の壁が鍛冶の棚作りの寝台だ。それの左を角としてみると、更に奥には勝手口へ抜ける通路がある。厨はその通路に沿うようにやはり壁際に造られていた。よって、作業場からは直接厨を望むことができない設計になっている。
鍛冶は寝台の横の一角に身を潜めた。厨の近辺は窓を広く取ってある、朝日が林を抜け、黄緑色の光を注ぐ。と、不意にまた例の物音がガタンと鳴り、鍛冶の鼓動を早くさせた。だが、それが何の音であるかを訝しみながらも、今は興味のほうが勝っていた鍛冶は、臆すことなく、陰から厨の内をそっと覗いた。
妖狐は、鍛冶は几帳面に掃除洗濯をしているが、料理はあまりしないのだなと、思った。厨はきれいに片づけられていたが、恐らくそれは厨が本来の機能として使われることがほとんどないからだと思われる。調理台は指を滑らせれば埃がざらつき、食卓の役割を果たすはずの脚の長い台には、仕事の材料や道具が勝手口から運び込まれたままの姿で乗せられる。だが、食うという行為がないわけではない。小さなかまどの傍らに、それにお似合いの小さな鍋。洗われてはいるが、置きっ放しである。みたところ、ここで行われるのは焼く、煮るといった単純調理のみらしい。
幸いなのは、食材だけは豊富に揃っていることだろう。妖狐は、盗賊ということもあって、何がどこにあるといった類の鼻は鋭かった。この作業小屋に巣食っている間は、腹が減ればその食材を勝手にあさっては何度も鍛冶を怒らせている。しかし妖狐が掠めるのはいつも林檎や胡瓜などの生食できるものか、芋、南瓜といった焼くか煮るかすれば食えるものが主であった。つまり、他に沢山蓄えてある米や麦に手を出すことは全くなく、調理らしい調理をしたことが、ここではなかった。
鍛冶の側に寝泊りする日々で、妖狐が暇を持て余すことは多い。実は、料理をしようと思えばできないことはなかった。ただ、勝手に物を触れば鍛冶がいい顔をしない。そこに更に、やはり面倒だという要素も加わり、妖狐が厨に立とうと思うことは終になかった。しかし……。
なぜ今まで気づかなかったのだろう?妖狐は思う。そして、妖狐は顎に手を当て、思案する。
必要なものを揃えていけば、自ずと足りないものが顔を出すことになる。つまり、蔵馬は今、その足りないものを探していた。その数分前に、塩の小壷の蓋を取り、中の状態を確認している。料理とは無縁の男の塩壷に、あるべきものがないのは容易に想像できた。
だから、蔵馬は上をみ上げる。前に記述した通り、蔵馬は盗賊という仕事柄、何がどこにあるといった類の勘に長けていた。泉の水が絶えず引かれる流し台の上、その棚の一番右に置かれた木箱が、調味料の買い置きがある場所だと蔵馬は踏んだ。そして、関係ないことだが、水場の側に塩、砂糖はよくないのではなかろうかと、冷静な思考で思った。
棚までは、蔵馬の身長では背伸びしても手が届きそうにない。仕方なし、蔵馬は食卓の下に邪魔臭そうに押し入れられたまま近頃動かされた形跡のない椅子に役目を与える。何脚かある中の手前のひとつをずるっと引き擦り出す。床の溝にその脚が引っかかり、ガタガタと音が鳴る。
椅子を棚の下に置き、妖狐は一度上を仰ぐ。よし、……と思ったかどうかは知らないが、妖狐はその椅子に足を乗せ、目的のものの存在を探り始める。が、不意に足元ががくんと傾く。特に興味を引かれぬまま、蔵馬は足元を確認する。そして、今自分が乗っている椅子の四本脚の内の一本が少々短いらしいことに気づく。だがこの程度なら蔵馬が気にかけるまでもない。落ちても死にはしないな、やはり興味のないままそう思い、探索を続けることにする。
その間、蔵馬が爪先立ちになる度に、椅子はガタンと大きく揺れた。
鍛冶は丁度その場面に居合わせてしまった。
蔵馬が足場にしている椅子は大分前に壊れて、直したがそれも不充分で、だがこれ以上手を加えるのが面倒で、放置してあったもの。鍛冶は「あ」と思った。
「ば、危ねえっ!!」
咄嗟に身体が動く。抜き身の刀も放り投げ、駆け寄りざま下から蔵馬の腰を抱き上げた。この状況では、椅子を押さえてやるよりそうするほうが早い、担ぐように重みを肩に支える。
要は助けたわけだが、微妙な匙加減でバランスを取ろうとしていた蔵馬には、鍛冶の行為は余計な、更に予想外なことであった。それは無論、寝ていたはずの鍛冶がいつの間に側まで忍び寄っていたのだろう、といった類ではない。鍛冶がどれだけ神経を使い足音と気配を殺したかは知らない。だが、蔵馬はそれに気づかない阿呆ではない。千を超える修羅場を潜ってきた経験が、肌に知らせるものがある。
思わぬ方向から力が加わったため、蔵馬の身体はぐらりと揺れた。蔵馬は反射的に体勢を立て直そうと動く。それを鍛冶は、
「こら、暴れるな!」
といった。それをきいた妖狐は、鍛冶にはみえない高みで「?」な顔をした。
しかしいわれていることはいわれていることだ、仕方なし、蔵馬は探る手も休止し、動くのを止めた。すると今度は、
「何か探してんだろ。重いんだから早くしろ。」
といわれたりする。
「……。」
動くなといわれて止まれば動けという、蔵馬は、鍛冶屋は理不尽なことをいうものだと、思った。思いながら、だが淡々と、再び目的のものを探し始める素直さが、今朝の蔵馬にはある。鍛冶に対したときの我侭な蔵馬なら、ため息のひとつも漏らしそうな場面である。しかし蔵馬がそうすることはなく、それを我慢している風にもみえない。
鍛冶は、奇妙な状況だと思った。そして奇妙ということは、時に腹立たしさを呼んだりする。鍛冶は語気を荒げた。
「何やってんだよおまえはっ!」
つまり、こんな朝っぱらから厨なんかで何をしてた?といいたかった。蔵馬は箱を覗いたまま、上から淡々とした答えが返る。
「塩を探している。」
「……。」
……この男には、きかれたことにしか答えないところがあっていけない。鍛冶が蔵馬と接して苛つく原因がそこにもある。
「そおじゃねえだろ!」
上に向かって思い切りよくいってから、鍛冶は不意になぜか横が気になった。かまどの上に鍋がある……。まあそれはいつもの光景として、
「?」
その鍋はぷかぷかと小気味よい湯気を上げていた。何かが炊かれているらしいが蓋がしてある、中を確認できない。肩の上でもそもそと動く蔵馬を支えながら、しかし何となく状況が読めてくる。
と、蔵馬の動きが止まる。どうやら探し求めていたものとご対面できたらしい。蔵馬はひょいと身体を捻って鍛冶の腕を緩めさせ、その首に抱きつくようにして、ふわりと床に下り立った。
蔵馬のほうも、鍛冶のいいたいことがようやく読めたようだ。しかし答えるのは、しばらく寝起きの汗の匂いがする胸に顔を埋めてからである。
「……温もる。」
「離れなさいって……!」
続く ...
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