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アバンチュール・ベイベ  A v e n t u r e B a b y


「朝飯を作ろうと思った。」
 と妖狐がいったのは、鍛冶にも大方の予想がついていた。こんな早朝に厨ですることといえば、盗み食いか飯作りのどちらかである。
 鍛冶は、蔵馬の両肩に手をかけて、とりあえず身体を離させることにする。そして、もう一度かまどの鍋を顧みる。朝の静寂を土台に、目覚めた小鳥たちのさえずりと、米を煮るときのこぷこぷとした音がきこえる。
 朝飯ね……。鍛冶は思うが、大したありがたみも感じない。なぜなら、
「悪いな。俺、朝飯は食わねえんだ。」
 鍛冶は特別感情を込めずにいい放つ。しかし、鍛冶の返答も、蔵馬には大方の予想がついていた。だから、一瞬目をしばたかせた後、案外けろっとした声でこう返した。
「……知ってる。」
「……。」
 じゃあなぜ作る?……問い質したいが面倒だ、鍛冶は思い出したように大きく欠伸をする。脱力ついでに深く息を吐き、立ち尽くす妖狐には構わずに、背を向けた。まだ起床には早過ぎる、二度寝するだけの時間は充分である。その時点で、鍛冶は蔵馬の作るらしい朝飯に、興味はあったが、食ってやる気はなかった。
 この鍛冶の生活を始終眺めるだけの時間を持ったことがある蔵馬は、鍛冶には朝飯を食う習慣がないという事実を知っていた。鍛冶は早起きだが、起き抜けに身支度等々を済ませると、早々に営業準備に取り掛かる。そして、作業には流れがあるからと昼食も軽くに済ませ、当日の作業が積み重なれば夕飯が夜食になる日も多い。つまり、食事に関しては頓着することがなく、不規則を絵に描いたような生活をしているのだ。まあ、不規則といってもそこは妖怪、寿命は長く、多少食事を抜こうが死ぬことはない。
「鍛冶屋……。」
「おまえ、飯なんか作ったことあるのか?」
 鍛冶は途中に放っぽってあった小太刀を拾う。首だけで蔵馬を振り返るが、蔵馬からの返事はない。鍛冶はため息を吐いた。そこには既に議論の余地はない。
「俺はもう少し寝るから。」
「……。」
「おまえは、さっさとその辺片づけて、おウチに帰りなさい。」
 鍛冶は蔵馬の反論の糸口を閉ざした。例えば蔵馬にそれを不服と思うだけの主張がないする。一件はこれで落着するのが筋である。今回のことも、この筋に沿って然るべき問題だと、鍛冶は勝手に考えていた。だが、鍛冶は思い出さなければならない。昨夜の続きである今朝に限っては、いつもとは状況が異なることを……。
 去ろうとする鍛冶を、蔵馬は呼び止める。
「なあ。」
 但し、声は普段と同じく無機質一点。鍛冶の足を止めるには、少々色が足りない。それでも蔵馬は、蔵馬なりにことばを繋いだ。
「……何か食ったほうがいいと思う。」
 その間にも、鍛冶は寝台のある作業場に戻る歩みを数歩進めていた。背中には、もう振り返ってやる気は更々ないぞ、という意気込みのようなものが、漂っている。しかし、鍛冶も気づいてはいる。今朝は何かがおかしい。
「起き抜けだし、すぐに活動するよりも少し腹に入れたほうがいいぞ。筋肉の動きもよくなる。」
 ……この状況で、蔵馬が意見を主張すること自体、おかしい。
 蔵馬は更に「食えよ。」といった。もう一度くらいいって、これできく耳を持たれなければ、諦めて次を考えよう、と思う。次といっても、これ以上に押しの強い策など持ち得ない。
 本当は、蔵馬の心境は複雑だった。飄々とした外面からは計り得ない深層で、蔵馬は鍛冶に強いる行為に慎重になっていた。慎重……、或いは「怖れ」といってもいい。蔵馬は単純に、鍛冶に嫌われたくないと思っていた。昨日の今日である。……とはいっても、鍛冶にとっては多少心に重みを感じるものの、昨夜の口論など「怒鳴ったりして済まんかったな。」とひとこと謝って、仮に「気にするな。」などとひとこと返されれば終わる程度のものなのだが……。
 鍛冶はため息を吐いた。
 蔵馬に対してではない。それは、仕方なしとはいえ足を止めてしまった己の意思の弱さに対して。蔵馬の声色に感じた不安と負担。それが、不思議なくらい鍛冶の自責の心理に引っかかる。
「おまえは何がしたいんだよ……?」
 そういって振り返った鍛冶は、……蔵馬の目が一瞬穏やかに緩むのをみた。
 なぜこいつが安心しなければならないのだ?思うと同時に、鍛冶はなぜか「やばいな。」と思った。ただ、何がやばいのか、理解に行き着けない。
 蔵馬のみせた安堵の表情も今は昔、消え去ることも盗賊としての生きる男の慣習らしい。再び元の無表情に戻った蔵馬は、
「別に。ただ、折角作ったのだから、余しても勿体無いだろう?」
 表向きは淡々と告げるが、鍛冶と目を合わせるのは避けたいか、床に落とした視線をそのまま、火にかけた鍋に向ける。態とらしく木杓子などを手に取り、蓋を開けたそれの中をぐるぐる掻き回したり、折角引き止めた鍛冶には興味のない態度をしてみせる。
「……おまえさ。」
 鍛冶は呆れぎみにいった。
「『大根役者』ってことば、知ってる?」
「大根なら、入ってるけど……?」
「……。」
「……。」
「……まあ、いい。」
 鍛冶は再びのため息、
「兎に角、俺はいらねえから。」
 そして余計な釘を刺されるよりも早く、
「食いたくねえってより、……そういうの慣れてねえから、調子狂うんだよな。」
 といい、困惑顔で頭を掻いた。
 実はこれは半分嘘である。本音をいえば、あまり乗り気がしない。蔵馬の作る飯、……現実、鍛冶には大してうまいものとも思えない。
 鍛冶は、これで蔵馬がこの話題から手を引いてくれればいいと、内心願った。しかし、今日の蔵馬は、いや、今日の蔵馬も、そう易くはなさそうだ。
「だが。」
 と再開し、蔵馬に退く様子はない。またこの男の天邪鬼につき合わされるのか……、鍛冶は危うく舌打ちをするところだった。
 が、結局そうなる前に、状況が転じた。
 蔵馬は何かを思い直し、嘆息をひとつ。そして、
「集中力。」
「?」
「腹が減ってると、他のことに気を取られる場合に比べて、集中力が落ちるそうだ。」
 そこまでをいうと、蔵馬は鍋の中を投げていた視線を上げ、鍛冶に向いた。
「……。」
 蔵馬の目は、心配といっていい程、神妙で、真剣だった。その切実なまでの眼差しに、鍛冶は正直たじろいだ。そして何となく、先程心にちくりと感じた「やばさ」の正体を、そこにみた気がした。
「おまえ、昨日は昼に少しばかり食っただけで、それから何も口にしていないだろう?」
「……あ。ああ。」
「多忙はみていて分かる。だが、そんな様子をみせられたら……。」
 ────心配になる。と、蔵馬がいった。
『……俺は、口先ばかりで何もしない奴が、大嫌いだ。』
 ……鍛冶の脳裏には、昨夜自ら吐き捨てた台詞が。そして、直後にみつけた蔵馬の目。心から辛いと訴える、弱く悲しい目。何かが、ひどく胸を刺す。
 蔵馬は視線を外し、俯いた。
「怪我、されたら、困るから。」
「……。」
「疲労回復くらいなら何とかできるけど、怪我をされたら、オレは困るから。昨日のおまえをみていたら、そういうの、ありそうで、危なっかしくてみていられないから。」
 そのことばには、これまで必死に隠してきた心情を明かさなければならないときの、滑稽なまでの不器用さが滲み出ている。逆をいえば、いい辛くても、不恰好でも構わないから、今だけは懸命に本音を理解させようと、努力している結果だと、いえなくもない。だが、
「だから……。」
 と続けるその横顔を眺めれば、何だかふて腐れたような、なぜオレがそこまで考えなければならないんだ?と今将に葛藤しているような、未熟な男の表情をみせる。
「だから……。今回だけは、騙されたと思って、食ってくれないか?」
 その頼みすら、鍛冶には「食って貰うからな。」といった独善的ないい回しにきこえる。内心参ったなと思いながら、鍛冶は朝から何度目になるのか分からないため息を吐いた。そして、
「いいたいことはそれだけか?」
 なるべく感情を殺した声で、呟く。
 蔵馬は一瞬びくりと肩を竦める。
「……。」
 しばらくの後、蔵馬の首は頼りなさげに縦に動いた。
 鍛冶は舌打ちをする。それがきこえた蔵馬は、頭が重そうに、鍛冶がこの場を去らない限り顔を上げることができないだろう。
 だが実は、鍛冶は内心苦笑していた。……まったく。この男は、いつもは持ち前のフェイクで俺を騙すくせに、俺に騙されるのは呆気ないときた。この男には調子を狂わされっ放しだ。認めたくはないが、それに慣れてしまった自分を否めない。だからこれ以上狂わされたところで、今更何を咎めようか。
 鍛冶は、未だ抜き身を手にしたままの小太刀を鞘に収めた。その歩みは蔵馬に向かう。
 未だ床と睨めっこをしている妖狐の目の前を横切る間際、鍛冶は妖狐の銀髪から突き出た三角の耳の間にぽんと手を置いた。
「後片づけまでちゃんとしろよ。」
「……!」
 鍛冶は「顔を洗ってくる。」と告げ、一度も振り返らずに勝手口を抜けた。その背に、蔵馬の「うん。」という喜びに満ちた返事が返った。

 泉の水は小屋の脇まで引かれている。冷たい水が絶えず流れ込む大きな溜め桶で、ばしゃばしゃと乱暴に顔を洗っていると、勝手口を隔てた厨の内から、とんとんと、何かを刻むリズミカルな音がきこえてくる。
 包丁の音。
 不思議なデジャヴを覚える。
 鍛冶が故郷にいた頃は、朝、昼、晩と、仕事場に愛妻の料理する音が漏れきこえたものだった。懐かしい、それに、何だかこのリズムが、愛妻のそれと似ているような気さえする。
 生活感の在る音は、日常退くことのない緊張を忘れさせる。客以外の者との会話に、自分が自分であることを思い出す。自分の存在を、その意義を、他とは違う角度から捉える男に、再確認させられる。
 機械ではなく、生物である我。
 心配という表現に該当する我────

 たまにはこういう生活も悪くねえかな。
 ……考えの行き着く先を知り、鍛冶ははっとして首を横に振った。濡れた顔面から滴る雫が振るい飛ばされる。鍛冶は自らの考えを拭い去るように、手拭いで乱暴に顔を拭いた。そして一度深く息を吐き、平静な思考で「何だよ、結構上手いじゃねえか。」と、呟いた。

続く ...

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