Date  2 0 0 3 - 0 1 - 2 5  No.  0 4- 

アバンチュール・ベイベ  A v e n t u r e B a b y


 ひとつだけ前置きしたいことがある────。
 妖狐蔵馬はその食い物を「奇効也。(よく効くぞ。)」と表現した。熱く煮えたぎった鍋の中のものを大して大事そうにも扱わず、くるくると混ぜながら、何が楽しいのか意図の全く不明な微笑みが半分で、呟く間に鍛冶の目は一切みようとしなかった。その瞬間、鍛冶は「俺、騙されてるぜ……。」と思い、生唾を飲んだ。鍛冶は、「美味」と呼ばれる食い物に出会ったことは数知れないが、未だかつて「効く」ということばで表現される食い物をみたことがなかった。
 だから、それを食う以前に疑問がある。
 蔵馬はかまどの鍋から中大の椀に湯気の立つ物体をよそい、鍛冶の待つ作業場に運んできた。椀がふたつあるところをみると、この男も同じものを食うつもりらしいが。
 食卓代わりの背の低い移動台の上に椀が置かれたとき、その内部を確認した鍛冶は固まった。
「あの……。」
 とりあえず、疑問の消化から始めたい。
 鍛冶の向かいに胡坐を掻き、匙を両手で挟んで「いただきます。」な手を合わせている妖狐に、鍛冶は引き……もとい遠慮ぎみにこういった。
「これ。……粥だよな?」
「ん?」
 蔵馬はいつもの能面づらで「ああ。」と答え、首を傾げた。その表情は、どことなく「何を当たり前なことをきいているのだ?」と威圧しているように、みえなくもなかった。だが、鍛冶にとっては威圧云々よりも、自身の安全が最優先である。怯まずに尋ねることにする。
「何で、茶緑色してんの?」
 蔵馬は、「ああそのことか。」と合点がいったようなフワリとした笑みの後、鍛冶の質問には丁寧に答えを与えた。
「それは。茶色いモノと、緑色のモノが、入っているからだ。」
「……。」
 丁寧という点に関しては非常に分かりよいが。心持ちよい答えではないなと、鍛冶は思う。しばらく経てば、頬の筋肉の引きつりも治まることだろう。鍛冶の様子を気遣ってか、蔵馬は補足説明を加えた。
「茶色は某の木の根等。緑色はよく生薬などに使われる、例えば蓬とか以下数十だ。」
 その『以下数十』『等』の詳細が知りたいところである。しかし、次のことばを待つ鍛冶はさて置かれ、蔵馬は自らの答えに満足そうに、きっぱりといい切った。
「そういうことだ。」
「だからどういうことだっ!!っていうか、おまえは分かるのか!?それだけの説明で、フツー、分かるのかっ!!」
 故に鳴り響くは鍛冶の怒声。……残念ながら、それでさえきき慣れれば耳を素通りする微風よりも心地よい、と思える男も存在する。
「そうだろう。そう思うのは当然だ。しかし、ここでオレが、更に丁寧に、食材をひとつひとつ説明したところで、おまえにそれらすべてを理解できようか?植物に関するそれだけの知識が、おまえに在るといえようか?……とてもじゃないがオレにはいえん。」
 蔵馬は最後に、「あな遺憾。(実に遺憾だ。)」などと呟き、実際遺憾そうな顔をして椀の中身をずずっと啜った。
「……。」
 しかし。
 よく平気に食えるモンだ。そう思うと、鍛冶にはこれ以上怒鳴る気は起こらなかった。これだけ肝が座っているところをみせられると、実に平伏ものである。
「……じゃあ、このところどころ浮いてる赤いのは?」
「それは、枸杞の実。」
 つらつらと正体を明かす様をみる限り、どうやら秘密にしたい食材は使っていないらしい。米に水、某の木の根……、はさて置き蓬に枸杞の実辺りはポピュラーなラインナップである。(他にも気になる物体は泳いでいるが、すべてを知れば怖くて食えまい。)それに、匂いはそれなり。目を瞑れば食えなくもなさそうだ。
 では、
「い。」
「……。」
「いただきま……す。」
「うん。」

 三秒後。
「うっ。。。」
 と、鍛冶が呻いたので、蔵馬はびくっと退いた。座していた場所から腰が浮き、匙を取り落としかけ、石のように固まったまま、鍛冶の顔を凝視した。顔には表れないが、内心「如何為よ。(どうしよう。)」と思った。(何が「如何為よ。」なのかは、あえて説明を避ける。)ただ、冷や汗は流れなかった。その点、蔵馬は自身の冷静さに感服した。
 作業場に再び穏やかな空気が下りる。一息ついた鍛冶は「う。」の続きを唸った。
「ウマイデス……。(T_T)」
「そ……。ソウですカ。」
 ……実に感涙ものである。

 実際、粥は美味かったらしい。確かにそれは土を溶いたような色をしていたが、口に入れてしまえば決してまずいものではなく、むしろ鍛冶の故郷でよくある素朴で平凡な薄味に仕上がっているせいか、鍛冶には食い易いものであった。結局鍛冶は、お代わりを含めた三杯程をさらさらと平らげ、食いながら食材についての疑問点・不明点は、先のような漠然とした問いかけではなく、蔵馬が答え易いであろうことばを選び選び、しかし遠慮なく尋ねた。例えば、「これは何物で、どんな効能があるのか?」などということを、ひとつひとつ指しながら尋ねた。そして、ききかたさえ間違わなければ、蔵馬は気持ちいいくらい正直に、仔細を明かした。
「その薬草には、身体を温め血流を促進する効果がある。頭もすっきりするから、主に寝起きに食うといい。」
 淡々と答える蔵馬は、一杯目の粥に両手を合わせ椀を置き、後は鍛冶が不満の抜けた顔で粥を啜るのを、幾分ほっとした眼差しでみ守った。鍛冶の、「へえ。よく知ってるもんだな。」といった褒詞にも、
「肉体労働集団だから。」
 などと大凡に答え、さして喜ぶ様子はみせなかった。
 鍛治は時折箸を止め、椀から立ち上るの湯気の向こうに蔵馬の顔色を窺った。蔵馬のほうは、元より鍛治の食う様を眺めていたから、顔を上げれば目が合った。目を合わせている間は、鍛治が先に逸らさない限り、蔵馬から視線を外すことはない。鍛治は、しばし企みの在る人形のような蔵馬の長いまつげがハサハサまばたくのを奇妙に眺め返してから、再びさらさらと粥を食い出すことを何度か繰り返した。
「じゃあこれは?」
 鍛冶は椀に浮かぶ黒い木の実の欠片らしき物体を匙で拾い上げた。蔵馬はそれを確認するために少し前に身を乗り出し、
「ああそれは。体力全般を向上させる。所謂精力増強といったところか。」
「へえ……。」
 それにしても、面白みに欠ける表情で淡々と説明するものである。
 椀に口をつけ、鍛治はもう一度蔵馬の顔を覗きみた。
 ……妙だ、と鍛冶は思っていた。妖狐とは元々相性がよくないのだから、食卓を囲む和やかな雰囲気とは程遠いこの状況は仕方ない。とはいえ、今朝の空気は窓枠の寸法を計り違えた窓硝子のようだ。噛み合い悪く風吹けば隙間風、居心地悪いことこの上ない。
 確かに、今朝の蔵馬は空回りな部分が少々目立つ。だがその反面努めて控え目でもある。
 ただ、それを単なる控え目と表現するには、何かが違う。
 蔵馬は膝に頬杖の姿勢で、笑いも困りもせずにじっと鍛治をみ返していたが、ややして首を傾げ、なぜ鍛治屋は不思議そうにオレの顔ばかりみるのだろう?という顔をした。
 ところで、精力には二通り意味がある。
 それをついて、鍛冶はほんの冗談のつもりでこういった。
「で。それが有り余ったときは、おまえさんが相手をしてくれるんか?」
 ……繰り返し言明するまでもないと思うが、ほんの冗談である。鍛冶にすれば、賛否は如何にしても、さらりと流され少しは場が和めばいい、そんな程度の軽いものである。
 但し、和むか否かは伝わりかたに左右される。そして、実際左右されたらしく、
「……。」
 蔵馬の気配が不の色に変わった。一瞬で表情に影が差し、
「おまえがそれを望むなら……。」
 明らかに臆したような、小さな困った声。
 真面目で正直で働き者の鍛冶屋の名誉のため、何度も記述することを許していただきたいのだが、鍛冶がいったことはほんの冗談であった。そして、冗談が通じないとき程間の悪いことはない、と思う。
 途端、鍛冶の腹にはフラストレーションが流れ込み、吐き出そうとしたそれは深いため息へと変わった。
「冗談に決まってるだろ……。」
 呟き、鍛治は黙々と粥を食い始める。
 場の空気が一気に冷める。近年稀にみる重苦しい空気……。食いながら、今度は鍛治が顔を上げても、蔵馬が鍛治をみていることはなかった。下を向いて食い終え空になった椀の中をみている。鍛治には、いつまで根に持っているんだ、などと憤慨する気持ちはなく、というより自分で蒔いた種を誰に訴えられるわけではなく、蔵馬は何もいわない。鍛冶はひとり参っていた。
 そんなとき、それは不図目に入った。
 今朝はやけにもさもさしていると思ったら妖狐の長い銀髪。調理をする上での心得のつもりか、一本に甘く編まれ、右肩から前に流されている。
 それにしても……。
 何気なく、鍛治は手を伸ばし、その編まれた髪束を掴んだ。予期せぬ事象、蔵馬は跳ねるように顔を上げた。用意のないその顔に向かって鍛冶、ひとこと。
「不器用。」
「……!」
 みためから判断した正直な感想である。髪の状態はお世辞にも上手いとはいえなかった。この様子では、恐らく普段の生活で髪を結うなどという経験がないに違いない。
 が。蔵馬は、先程までの弱腰が一転、かちんときた、如何にも心外である顔になった。大抵の鍵なら目を瞑った逆手でも数秒で開けられるこのオレを捉まえて、不器用とは何事か。……である。
 むっとした顔で睨む妖狐に、鍛冶は更にいった。
「後で俺が結い直してやるからな。」
「……。」
 痛い冗談に臆させた侘び代わりである。鍛治は笑った。なぜ笑うのだろう?きょとっと目を丸くして、蔵馬は鍛治の目をみつめる。髪を離した鍛冶の手は蔵馬の頭に乗せられた。それは丁度いいこいいこをするかのように、その手をぐりぐりと動かす。そして、蔵馬が「うん。」と頷くのを確かめてから、鍛治は粥の残りを啜り始めた。

 小屋の表戸に開店札がかけられる。時刻はいつもより少し早目、客はまだ現れないだろう。
 戸を閉め作業場に戻った鍛治は支度を始めた。火を起こし、道具を揃え、商品を並べ……、不図横をみる。視線の先、通路の向こうは厨である。
 水の音がきこえる。
 蔵馬は約束を違えず、朝食の片づけをしている。冷たい水に両手を晒し、少し前屈みの姿勢で、微笑むかのような穏やかな表情をみせる。手を動かす度に、ふわふわと揺れる髪に朝の光が反射する。
 不思議なものだ。こうやって生活の一部を共にすると。ことばを交わすと。
(後で俺が結い直してやるからな。)
 ……身体に触れると。
 案外馴染むものだ。鍛治は開店準備の手を止め、一時、蔵馬の横顔を眺めた。
「?」
 不図気配を感じたのか、蔵馬は作業場の方角に顔を向ける。だが、タイミングは少々遅れを取り、
「あ……。」
 気がつくと、大股に歩み寄っていた鍛冶の両手に腰を取られ、軽く抱き上げられていた。そのまま数歩運ばれる。鍛冶は、元は食卓だった荷積台に蔵馬をひょいと座らせた。
 銀髪を結い留めてある紐を解く。
 編まれた髪は呆気なくはらりと解けた。蔵馬は声を立てず、鍛治のするがままに任せた。
 鍛冶は蔵馬の髪を編んだ。結い直すと宣言した手前もある。細く柔らかな髪に軽く手櫛を入れ、黙々と編んだ。
 両足をふらりと下ろし、人形のように動かない蔵馬は、その様子をただ眺めていた。何かを思っているらしいが、それをことばにする気はなかった。
 編み終えると、鍛治は完成したものを職人らしく近目と遠目に眺め比べ、己の仕事を「良。(よし。)」と締め括った。結い残された横髪を払い、万事了、の筈であったが……。
「……。」
 髪を避けるつもりの手が、頬に触れた。……予測よりも暖かい感触。鍛冶の手が思わず止まる。
 それに対して、蔵馬は厭な気はしなかった。除ける理由もない、やはりじっと動かず鍛冶を観察される立場で眺めた。
 みつめ合う。
 その間、鍛冶は何も思わなかった。現実が失われたかのように、時を感じなかった。
 そして、妖狐のくちびるが笑う……。不敵な光を隠し持つ黄金の目とは対照的な、色香。本人にその気があるのかは別として、それは挑発的な、強かな女の顔をしていた。……そう、鍛冶にはみえた。
 男は息を飲み、やがて吸い寄せられるように────

 そのとき、小屋の扉が乱暴に開かれた。
「おい居るか!」
 怒鳴リ声、だがこの辺りの住人は血の気が多いから珍しくない。本日一人目の来客である。
「はい只今ー!」
 怒鳴り返し、鍛治は両手で蔵馬の両肩を押し退けて、作業場へと引き返した。蔵馬の顔はみられなかった。逃げるように 顔から先に背けた首筋が、羞恥とも怒りともつかない感情に熱かった。
 厨にひとり残された蔵馬は、しばし呆然としていたが、やがてのろのろと重そうに台を下り、流しへ向かった。片づけを再開する。鍛治の背中をみ送った後は、作業場のことも、作業場にいる男のことも忘れた。

続く ...

← P R E V I O U S  N E X T → 金魚の水槽

HOME  MENU

Copyright (C) Kingyo. All rights reserved.