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ヒカリ  h i k a r i


 ─蔵馬のはなし─

 それから三日ばかり経ったある日、不意に狐の妖怪が現れた。この男、世間では「妖狐蔵馬」などというご大層なあざなで呼ばれているが、その実、ただの我侭で素行の悪い近所のガキ大将の一人である。先日の一件もあるから、鍛冶はそれとなく説教をした。
「おまえさんねえ。他人様が大事にしているものを、無神経に捨てろーとかいったら駄目でしょう。」
 すると、蔵馬は案外素直に、
「うん、分かっている。」
 そして、
「あいつ、オレがからかうと、むきになって怒るから、かわいいんだー。」
「……。」
 蔵馬の主張は大体こうである。
 黄泉は月夜に酒を飲む席で、件の小柄を側に置き、酒の相手をさせているかの如く振る舞っている。少なくとも己にはそうみえたという。小柄は、己が黄泉と出会うずっと以前から、黄泉が持っていたもの。今も好んで持ち歩くことはあるが、殺しに使った場面はただの一度もみたことがない。一度だけ、傍らに在ったものを、手を伸ばして触れてやろうと試みたが、寸でのところで払い除けられた。きつく睨まれたと主張する。
「しかしなあ。」
 と蔵馬は続けた。
「少し、羨ましくもあるのだ。」
「羨ましい?」
 愛着の在る物とは、一体どういうモノを指すのだろう──と、蔵馬の次なる主張はこうである。
 己の周りに居る者共は、皆何かしら「愛用の品」を持っている。黄泉は件の小柄の他にも二、三振りの刀剣、甲は弓だったり刀だったりする。どれだけ位の低い戦士でも、皆一様に「これだけは譲れない」という「物」を持っていて、古くなった「物」を新しい「物」に取り替えたらよかろうと水を向けても、十人なら十人、百人なら百人が否と答える。
「オレには『愛用の品』がないから。」
「……。」
「だから、分からんのかもしれんな。他の者の気持ちも。」
 黄泉が何を考えて生きているのかも──と、小さく呟いたことばに。蔵馬はほとんど気に留めていないようだったが、いや、気に留めるどころか、自ら呟いた事実にすら気づいてもいないようだったが。鍛冶屋は一瞬どきりとした。なぜかは分からない。……その「なぜ」が分かったところで、今の鍛冶にはどうすることもできない。
 蔵馬はただ呟く。普段と変わらぬ、何の感情もまとわぬことばで。
「一生分からんのだ。ま、分からずとも生きてはゆけるがな。だがしかし、上手くいえんが……。損をしている気がするのだ。そうだ、人生を損している気がする。そうか、人生を損しているのか。……いや、本当に人生を損しているのかな?」

 ─甲のはなし─

 蔵馬が「人生を損している」と繰り返していたあの日から一月は過ぎただろうか。また別の盗賊が現れた。
 甲という名のその男が、「まあ、喜んでいるからいいけどな。」と語った。話題は蔵馬についてであった。
 数日前の満月の夜に、近所からお礼で手に入れたという一甕の酒で盛大な酒盛りが行われたという。お礼で手に入れた、という辺りが如何にもこの盗賊集団らしい。悪いことをしていないときは一切悪いことをしないと専らの評判である。その上、屈強な男集団であるから便利に使われているらしい。今度は壊れた橋の修繕でもしてやったのだろう。何にせよ、酒を甕ごと贈られるとは大層な仕事をしたに違いない。
 その席で、黄泉は相変わらず独り、集団から離れた位置でちびり、ちびりとやっていた。鍛冶屋に預けた小柄はまだ修繕から帰ってきていない。この時代の魔界にスピード配送のようなシステムがある筈もなく、再び手にする日が訪れるのはもう数ヶ月は先になるだろう。代わりに、普段は戦いに使用している一振りの太刀を傍らに寄せる。そいつの鞘を半分ばかり抜きかけたとき、蔵馬がつとつとと歩み寄ってきた。気がついて視線を上げる。蔵馬は右の手には空の杯を、左の手には何やら細い物体を握っている。親指よりは太く、一尺には満たないそれは、この明るい月夜にもただの棒っ切れにしかみえない。
 蔵馬は黄泉の正面に座る。両手が塞がっているため、「よっこいしょ」とでもいいそうな重たい腰つきになる。地面に尻を落ち着けると、次は杯を持った右手をうんと前へ突き出す。喧嘩でも吹っ掛けそうな、険しい顔つきである。
 杯を出されれば酒を注ぐ、当たり前の行為を黄泉は行う。蔵馬は一息に杯を空けた。それをみ届けてから、黄泉も自らの杯に残っていた酒をくいっと飲み干した。これから何が起こるのか、予測できないから目の前の男を注視することを忘れない。怪訝そうにみ遣る男の前で、蔵馬は空の杯を地面に置いた。
 左手の細身の「棒」を掲げる。この段になって、黄泉はようやくこの「棒」の正体が鞘に収められた短刀であることに気づいた。鞘と柄が同じ太さで出来ていて、刃が隠れた状態ではその境目が分からぬ程にぴたりと合わさる。柔らかな白木の細工は波に洗われた流木の自然な円みを思わせる。精巧な作りと素朴な形状──この二つの異なる性質は、作者のそれをよく表している、と黄泉は心の中で納得した。当然、黄泉にはこれの生みの親が何者であるかもすぐに知れた。
 蔵馬は短刀の鞘を払った。が、その洗練された動作に反して、刃が鞘から抜けるとき、玩具の竹筒鉄砲のような安っぽい破裂音が鳴ったことに、蔵馬は少々がっかりした。
 その「がっかり」は黄泉にも伝わった。どうしたものか、と思案したが、ここは己からことばを発しなければならぬ、と覚悟を決めた。
「それ、どうしたんだ?」
 と尋ねる。先に申した通り、これが誰の作であるかなど、あえてきくまでもない。案の定、蔵馬は、
「鍛冶屋に貰った。」
 と答えた。
「そうか。」
 と黄泉。蔵馬は無言でこっくりと頷く。
 それしきの会話であるからしばし間が空く。やがて、黄泉はひとこと、
「よかったな。」
 といった。
 そのことばに、蔵馬はたっぷりと時間とかけて一度頷き、短刀の刃を鞘に収め、来たときと同じく右の手に空の杯、左の手に短刀、「よっこいしょ」とでもいいそうな重たい腰つきで立ち上がり、つとつとと黄泉の元から離れた。
 それから、真っ直ぐに甲の飲んでいる傍らへ来て、ひとこと「勝った気がする。」と伝えたという。
「『勝った』って、何がだぃ。」
 と鍛冶屋が煙草の煙を吐く。
「さあな。俺にも分からん。」
 その「俺にも分からん。」といった甲も、その場では「勝ったって、何に?」とはきかなかった。ただひとこと「よかったね。」といってやった。それに対して、神妙な顔をして「むん」と頷いた蔵馬は、それなりに嬉しそうでもあった、と甲は語る。
 甲のはなしは続く。
 一頻り酒盛りが落ち着いた頃、己は黄泉の側に寄った。腰を下ろしながら「またやってんのか、助平野郎。」。黄泉は鞘から半分だけ抜いた太刀の、光る刃をぼんやりと眺めていたが、己の接近に厭な顔をして刃を鞘の内に収めた。

「誰が助平野郎だ。」
 と黄泉が不服をいう。甲は口元だけでにやりと笑い、
「ヒトの横顔をちらちら盗みみたりするのは、助平野郎の所業だと思うけどね?」
 図星。黄泉が舌打ちをする。目の下が赤いのは、酒に酔ったからだけではないらしい。
「……いつもみている訳じゃない。」
 と黄泉がいい訳をいう。甲は上げ足を取り、
「だが時々はみてる、ってか?」
「……。」
 ──黄泉が身近な刀剣類を愛でているのは嘘ではない。人生の振り返りや、普段の労いの意味を込め、目の前に置き、時に触れながら、過去と対話をし、酒を飲む。静かな、独りきりの、男の時間を楽しむ──それが実際のはなしである。だからその刃に、月夜に光る鏡のような刃に、その男が小さく映り込むのは、あくまで偶然だと強調したい。
 甲はいう。
「そんなモンに映してないで、直接みてやったらどうだ?」
 そして小さく、「向こうはそうしているぜ?」と……。
 黄泉はため息のように「ああ。」と答える。そして、これも小さく、
「……分かっている。」
 蔵馬の視線を感じることがある。その事実に、実はあまり戸惑いを感じていない。慣れなのだろうか。それとも、その視線から何一つ「好意」を感じないから。
「俺は、あいつが苦手だ。」
 ぽつり呟くそのことばに、甲はいつになく真剣な目で、冷たく、目の前の男をみ据えた。
「そんなこといっていて、いいのか?」
「……。」
 俺は、と甲はいった。
「俺は、バランスが崩れた組織に長居するつもりはない。」
 そして、
「いつまでも、『仏の甲チャン』だと思うなよ?」
 にこりと笑い、立ち上がる。去り際に、黄泉の肩に手を置いて……。

 もちろんそんな本当のはなしを鍛冶屋にはしない。甲の「食わせたくない部分は先に切り離した肉」のようなはなしをきいた鍛冶屋は、「そうかぃ、あの小柄をそんなことにも使っていたんかぃ。」とだけいった。
 甲は、鍛冶屋の前では物腰の柔らかい、ヒト好きする笑顔しかみせない。
「ま、蔵馬も刀を手に入れたし、その内気づくんじゃないの?」
「いや。あれは子供が工作に使う『紙切刀』だから。刃もそんなに大きくないし……。」
「え。そうなの?」
 子供用の短刀を与えられた蔵馬が、鏡映しに自分を覗かれていた事実に気づくのは、遠い未来のはなしである。その遠い未来、かの男が身体から「みる」という機能を失っていることを、今はまだ誰も知らない。


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