Date
2 0 0 4 - 1 1 - 0 6
No.
0 2-
男と女
u n h o m m e e t u n e f e m m e
……唯是如き(ただこれしき)という無かれ。唯是如きのことに、ころりと惚れてしまった男が現に居る。
そんなこんなで、心中密やかに恋の炎を育み始めた男である。しかし、日々は相も変わらず鍛冶の見習い仕事に明け暮れ、かの女とは今以ってことばを交わしたことすら、実はなかった。よって、心の内を打ち明けたことがないなどは改めて申すまでもない。
男が恋心を明かさない理由は、何も仕事に追われて割く閑を容易に持てなかったからばかりではない。といってもこの男、明かした思いを拒絶されはしまいかと気に病んでみる程、人並みのsentimentalismは持ち合わせていないようだ。
実は────男は生まれてこのかた、女を如何に上手く扱えばよいか、真剣に悩んだことがなかった。それは、よい意味で解釈すればこの男らしい誠実さをよく物語っていたが、反面悪い意味で捉えれば単なる田舎の晩熟者(おくてもの)である。人生如何に情愛に怠けていたか、今更ながら反省するしかない。
そういう男が一度恋に落ちてしまうと、寝ても覚めても、飯を食っていても、風呂に入っていても、薪を割っていても、槌を打っていても、鉄材を選りすぐっていても、客と会話をしていても、金を勘定していても、炉に火が燃えていても、目の前を黒猫が横切っても女の面影が頭から離れない。道端を歩いていて、幼い童子たちが「花愛(はなめ)でに参ろう。」などといい合いながら走り過ぎるのを横目にみつけては、「そう易々と愛でられようものなら。」と我知らずため息まで漏らす始末。
そんな様子を間近にみせられれば、師匠や兄弟弟子とて、男の恋心に気づかない訳にはいかない。思いをかける相手は察しがつく。それを、師匠の真鬼の守などは、
「思は技に注ぐ可し。」
今は心を揺らげている時期にあらんぞ、と人情味ある叱責は与えたが、これも親心か、肝心の核心に口を挟むことは終になく、仲のよい兄弟弟子たちも、男の思い悩む姿を陰からみ守りながら、後ろ指を差して笑うことも、背中を後押してやることもできずに、皆が皆思い悩んでいた。だから、この時期の真鬼の守の工房は、怪の物にでも取りつかれたように、ひどく物憂い雰囲気であった。
しかし、いつまでも呆けてばかりはいられない。それにこの男、心の重荷に惑わされて延々と立ち往生している程、臆病者ではない。
恋に苛まれたかの男がまずこれよと始めたことが、なぜか御用聞(ごようきき)であった。御用聞とは知っての通り、自らの足で客先へ赴き、注文なりをきいて回る走り仕事。職人として技を売る鍛冶屋の世界では雑務と呼んでいい。雑務ならば、それを任されるのは弟子入りし立ての新米者が当然とされ、既に真鬼の守の一番弟子として優れた技量を数多から認められつつあった男が御用聞などに走るのでは、端からみていてどうして体裁の悪いことではあった。
「暇賜わりたく願い出候。」
男が師匠へ御用聞の許諾を請うた────噂をどこからか伝えきいた兄弟弟子はなぜに今更と驚き、親切心から熱心に代役を申し出てくる若者や、中には諾意を与えたとされる師匠に対し不信を訴える心得者も居たには居たが、諾意を受けたとされる男の足が「町の方面へは向かない」ことが知れると、何となくその心が知れ、強くも弱くも最後まで反対する者は居なかった。それに、師匠の真鬼の守も老爺らしい心意気で、
「初心に返るか、ほっほっほ。初心に返るか、ほっほっほ。」
愉快そうに笑った後は、鍛冶の見習い仕事を減らしてまで快く送り出したというから、外から反対する理由はどこにもなかった。
さて、男が御用聞に走るには更にひとつの問題があった。それは、真鬼の守の鍛造工房から目的の地まで、かなりの距離を隔てていたことだ。つまり、縁も所縁もない土地から突然ぽこんと商売人が現れるのは、
「如何に怪しまれん。」
……ということであったのだが、これは目的の地とその周辺が、元来貧しい農民の集落であったことが幸いした。予てより、腕利きと呼ばれる鍛冶屋の多くが町に集中していた。その貧しさ故、町の鍛冶屋から相手にされることのなかった集落の者が、鍛冶屋の出張御用聞を喜ばない筈がなかった。しかもその鍛冶屋というのが、若いが腕は立つと評判の男で、その上何を望もうか、あの名工・真鬼の守刀造の一番弟子というではないか。これは一度来たらば二度とは放すまいと、男が訪れた初日などは村人総出で出迎えて、花束まで渡したというから驚きである。流石の男も、こいつは豪いことになってしまったと、この先の未来に確かに待っている自らの責任の重さに胃の腑の痛む思いがしたそうであるが────ご愛嬌と締め括ろう。何せ、これで一先ず、男の竹宮へ通う障害がなくなったのであるから。
男の御用聞は開始早々評判がよかった。年寄りの多い集落で、その腕はもちろん、その温厚な人柄が年寄り共に気に入られる一番の因子であったと思われる。
心の広い男で、多少の無礼は気にもかけない。仕事は丁寧。仕事振りは真面目。若い男手なら、持ち込まれる相談は鍛冶屋の仕事に関係ない範囲にまで及ぶこともあったが、それらすべてを親身になって片づけ、文句のひとつも漏らさないのだから、男の評判は上がる一方であった。村人の中には男の本来の目的を察している者も居て、竹宮の姫を案ずるが故に、頑なな態度を取る者も数人在ったことは確かである。が、男が浮ついた心を晒す場面は一度もなく、というより浮ついた心そのものがこの男には存在しないらしく、鍛冶屋稼業に対する男の実直な姿勢に日々触れている内に、余計な茶々を入れる気は失せた。
男が、集落の者に「この男は元々この集落に居たものだろう。」と疑いもされない程の信頼関係を築き上げるのに、時間はかからなかった。それは喜ばしいことではあるのだが、男は村人との距離が近くなればなるほど、女との距離が益々遠退いていくように感じられるのだった。……これより一月ばかり前のはなしである。男は初めて、師匠の伴いではない一人で、竹宮を訪れている。
痩せた木々ばかりの灰色の林を行き、改めてみる竹宮は屋敷を囲う板垣も、元は朱塗りと思われる門柱も、雑草と筍に掘り返された小道も、痛々しいまでの痛み振りである。かようなところに暮らさねばならない女の心は如何許りのものか……、門前に立つ、男の心も痛む。
朽ちかけた木の門戸を二度叩く。力を入れて叩けば、門と戸は悲しい別離を経験するのだろう、と容易に想像できるところが悲しい……。男も細心の注意を払ったつもりだったが、門柱に渡した梁からは今にも崩れんばかりに腐った木屑がバラバラと落ちてきた。慌てた男が門戸たちの将来を案じながら髪に降りかかったものを払っていると、内側から音を立てて戸が開いた。
僅かにしか開かぬは警戒心の表れか。
現れたのは侍従の娘が一人。男が師匠の供連れに竹宮を訪れる度に、出迎えたのがこの娘である。名を二助(にすけ)といい、髪をふたつ輪に結った、力の強い目が印象的な少女。足捌きがよいように丈を短くした着物の帯にいつも細身の太刀を携帯し、懐には短刀らしき物騒な物まで隠し持っていると思われる。忍びのように足音を立てない身のこなしで、笑えば大した美しい少女なのだが、今以って笑ったところをみたことがない。
二助は、門の外に居る男が一人であるのを確認すると、その容姿を上から下まで視線で往復し、静かな抑揚のない声で、
「何用か。」
と申した。応えて、男は申した。
「鍛冶屋の御用はありませぬか。」
直(ただち)、二助は答えた。
「ありませぬ。」
そして門戸は冷たく閉ざされた。
「……。」
まあ、初めならば警戒されても致し方ない。何度か通っている内に心も解れてくるだろう────持ち前の心の広さを発揮し、楽観に希望をみ出そうとする男ではあったが……。
「鍛冶屋の御用はありませぬか。」
「ありませぬ。」
数日経ってもその応対に変化なし。また一度などは、
「鍛冶屋の御用は……。」
「鍛冶屋様こそ、他に御用はありませぬか。」
更には、
「明日もありませぬ。」
「……。」
「明後日もありませぬ。明明後日も、そのまた先もありませぬ。」
そして止め(とどめ)の一撃、
「故に、鍛冶屋様に御足労いただく必要はありませぬ。」
……それでも男は通い続けた。思いを寄せる女に拒絶されている、人知れず思い悩む夜もあったが、男の悩みの種から芽を出した何かは、いつしか男の手を離れ、一人歩きを始めた。ここで、「竹宮にだけ通わない」訳にはいかなくなっていた。
元は女の顔みたさに始めた御用聞。そんなことは問題ではない、集落では鍛冶屋の御用はこれでもかという程にあった。包丁の柄の挿げ替え、神棚に捧げる刀の錆落とし、護身用の槍の修繕。貧しい村人からの注文は尽きず、そのすべてが商売になる訳では決してなかったが、喜ばれ、頼りにされるにつけ、女に会えずとも、断念して止めるなど男にはできなかった。真面目で誠実な男である。しかし、女の顔をみる機会は未だない。
続く ...
← P R E V I O U S
N E X T →
金魚の水槽
HOME
MENU
Copyright (C) Kingyo. All rights reserved.