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ベクトル  v e c t o r


 巣窟内が俄かに静まり返った。理由は単純、蔵馬が黄泉とそれにへばりついて離れない丙の元に歩み寄っていくからだ。普段の生活をしているときでさえ、蔵馬の行動は皆の目を引いた。そしてこの件は黄泉が絡む、蔵馬が黄泉を特別視していることは、誰もが知っていた。この組で知らないのはまず蔵馬くらいなものだった……。一同は固唾を飲んで、甲は心配そうに、乙はひとり楽しそうに、み守ったりする。
 蔵馬は無言で黄泉の隣に陣取った。膝を立て、足を軽く交差する形で頬杖をつき、黄泉には目もくれずに丙をじっとみつめる。
 さすがに、丙は小動物のようにぴくりと身体を起こす。
「頭……?」
 おどおど怯えた表情をみせる丙に、突然蔵馬が手招きする。丙からみれば大将命令である。抵抗の余地なし、おずおずと黄泉から身体を動かし蔵馬の元に移動する。
 蔵馬は胡坐をかく。黄泉から離れた身体は、その肩に優しく手をかけて先程と同じく、今度は自分の膝に横たえさせる。そして、頭を一撫でした後、そっと身を屈め、丙の耳にくちびるを寄せてささやいた。巣窟は水を打ったように静かだったが、その声は誰にもきかれることがなかった。
「あ……。」
 ささやき終わると、ふっと丙が身体を起こした。怯えるどころではない顔で地面に両手をついて、まじまじと蔵馬の顔をみつめた。蔵馬は何の気なしに、
「くす。」
 微笑む。
 丙の目は徐々に涙目に変わる。何事かと訝しげな黄泉と、笑う蔵馬を交互にみ比べて……。

「おまえ。」
「ん?」
「あいつに何いったんだ?」
 ことを終えた蔵馬にとって、黄泉も、丙も、既にどうでもいいことらしかった。いつもの色のない冷めた声が、独りごとをいう。
「あれで効果があるとは……。何かの暗号なのだろうか?」
「おいこら。」
 さっさと背を向けて元いた場所に戻ろうとしている蔵馬の着物の背を、黄泉が掴んで留めた。
「何ていったんだ……!?」
 黄泉があまりにも剣幕なので、蔵馬は無視せずに答えてやった。しかし口調はあくまで淡々と、顔色も変えずにこういってのけるのだから、黄泉は絶句し頭を抱えた。
「『黄泉とオレは昨夜、ふたりでするオトナの遊びをした。』」
「……。」
 黄泉は相当へこんでいた。その場にしゃがんで立ち上がろうとしない黄泉をみ下ろして、蔵馬は悪びれることがない。……当然だ、本人、悪いことだとは思っていない。
「そういえば丙がおまえから離れる、といわれた。」
 そういって、離れた場所でひとり腹を抱えて笑っている乙をみた。黄泉は覚った。なるほど、蔵馬がこのような色をほのめかすような台詞をいうわけがない、第一思いつくわけがないのだ。つまり怒りの矛先は、
「乙っ!」
 向かうは乙へ。蔵馬は黄泉を眺める。頭の中で、ああ、黄泉は頭に血が上っているらしい、何とかしなければならないな、と冷静に思い、乙に向かおうとする黄泉の足を払った。
「があっ!」
 黄泉、蔵馬に拳を振りかざすが……、
「しかし。」
 蔵馬は顎に手を当てて、神妙な顔つきで何やら考えている。
「何だよ!」
 蔵馬は不図黄泉をみていった。
「ふたりでするオトナの遊びって何だろう?」
「……は?」
「麻雀は四人だしな……。」
 ……そんなことを真面目な顔をしていうのだ、黄泉は呆れた。魂が口から抜け出てどこかへ飛び去ったとしても気づかないくらいに、呆れた。
「……おまえな。」
「ん?」
「分からずにいっていたのか……?」
 残念ながら、蔵馬は黄泉のことばをきいてはいなかった。すぐ近くで傍観していた甲をみつけ、無邪気に問う。
「なあ、ふたりでするオトナの遊びって何?」
「後で黄泉くんに手取り足取り教えてもらいなさい……。」

「よお。」
 甲が黄泉に近寄る。手には酒、肴は味噌である。黄泉は一瞥していった。
「侘しいな。」
「ま、それも仕方ないだろう。月末過ぎですから。さ。」
 口では馬鹿にしたが、黄泉は素直に勧められる酒を受けた。
「何に?」
「そうだな……。とりあえず、『ご無事でなにより。』ってところで。」
 甲は笑って杯を上げる。黄泉は今回の一件、自分に非があることは充分に認めていた。苦い笑みをみせ、酒を飲み干す。
 黄泉には孤立主義なところがあった。ひとりでいることを好む。だが決してヒト嫌いというわけではない。目つきが悪く風貌が恐いのと、自身の副将という立場が影響して下の連中が寄りつかないだけで、限られた上の面々とはそれなりに仲が良い。
「大変だったらしいな。」
「ん?……まあな。」
「どうだ。もう単独行動は懲りただろう。」
 黄泉は笑った。何か思うところがあったのだろう、それは甲には分かるまい。
「で?」
「んー?」
「お咎めはなしか?」
「……んなわけねえだろう。しっかり処分対象だ。」
「処分ね。」
「七日間謹慎だと。」
「ほう。」
「かわいいだろう?うちの頭……。」
 黄泉は冗談をいう。甲は笑ったが、
「だがどうするんだよ、稼ぎ頭。次の仕事は明日の晩だぜ。」
「当然留守番だよ。おるすばん。」
「おお、……かわいくねえ留守番だな。」
「放っとけ。」
 杯を空けた甲に、黄泉が酌をする。
「『待つ身になって考えろ。』」
「ん?」
「……いわれたんだよ、蔵馬に。」
 過去を振り返りうつむく黄泉に、甲がいった。
「ガキみたいな顔して?」
 黄泉は笑う。
「ああガキみたいな顔して。」
「弱いな、黄泉くんは。」
「おまえだって同じだろう?」
 そのまましばらく、ふたりは黙った。
 不意に、甲は杯の中身を一息に飲み干す。そして、
「なあ黄泉。」
「ん?」
「……あまり蔵馬を心配させないでくれ。」
「……。」
 ……どうやら、これが甲の黄泉に寄りついた理由らしかった。甲は真剣な眼差しを黄泉に向ける。
「おまえがいないときさ、蔵馬すげえ不安そうな目をするんだ。あいつの場合誰が欠けてもそうなんだが、欠ける部品がおまえのときは特に、……なんとなく、分かるだろう?」
 黄泉は自分の杯に酒を注いだ。
「ああ。……それも、蔵馬にいわれた。」
 独りごとのように呟く。
「……。」
「『オレを不安にさせるな。』……ってな。」
「……。」
「……。」
「……そうか。」
 甲は自身に呟き、笑った。蔵馬が自分の心と少しでも向き合って、その心情を外に吐き出すことができていたことが、甲にはうれしかった。
 黄泉は酒を飲む。
「そうするつもりだぜ、俺は。」
「頼むぜ。」
「ああ、とりあえずな。」
「?」
「そうしないと、あの男がわけの分からない行動をすることが、今日、身に沁みて分かったから。」
 そういった黄泉の顔が本当に苦々しげだったから、甲は今日の出来事を思い出して笑った。
「ははは……。根に持つなよ。乙にはしっかり制裁しておくから。」
「しかし今日は本当に参ったぜ。あいつ、あんなにべたべただったか?」
「んー、丙か?いいじゃないか、かわいい弟分だ。」
「かわいいにも限度があるだろう。」
「まあ、男ばかりの大所帯だ。ひとりくらい変わった趣味の奴がいてもおかしくない。」
「それにしても、なぜ俺なんだ?おまえになつくなら分かるぜ……?」
「丙にいわせると、『黄泉さんは怒った顔がかっこいいー。』そうだ。」
 甲は丙の口ぶりを真似ていった。
「は。じゃあこれからはずっと笑っててやるぜ。」
「……それはそれで恐いが。ま、丙ちゃんならいうだろうな。『わあ、黄泉さんが俺に笑いかけてくれるぅ。』。」
「何だよ、何でもありじゃねえか。」
「そう。好きだったら何でもありなんだよ。何せ体臭すら愛しくなるらしいからな。」
「え……?」
 終局。

 黄泉は丙に、蔵馬が嘘を吐いていると告げた。丙が寄りつかなくなるのは好都合だが、後々のことを考えると本当のことをはなしてやるほうが余計な面倒がないと判断したためだった。つまり、損害が少ないほうを選択しただけだ。丙は川べりで泣いていたようだったが、黄泉のことばをきいて花が咲いたような表情をしてその身体に抱きついた。黄泉は理不尽だと思う。
「折角引き離してやったのに。」
 寝床にうつ伏せて、蔵馬が頬杖をついている。蔵馬もまた理不尽だと思う。自分は黄泉の思う通りに丙の身体を遠避けてやったというのに、今、その黄泉は丙の頭を膝に乗せて眠らせている。そのくせ、相当に頭にきているらしい、顔が険しい。蔵馬は思った。
 黄泉は本当に不思議な男だな、と……。
 蔵馬のまじまじと眺める目がいい加減腹立たしいので、黄泉は口真似で『ば・か』といった。
「あ、今『馬鹿』っていった……。」
「もう寝なさいよ……!(怒)」←甲


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