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コンフュージョン  c o n f u s i o n


 心理への圧迫。
 変化への葛藤。
 誰かを執着することへの、恐怖。

 一番困惑していることは奴の微笑みが頭から消えないことだった。
 奴は俺を【好き】ということばで表現してみせた。それが当たり前のことであるように。
 唐突に受けたくちづけによって、初めてそのことばが持つの意味を思い知らされる。
 手を伸ばせば届く距離に温もりが、それまで触れることのなかった安らぎが存在していた。欲することで手に入れられるかもしれない幸福が、確かにあった。
 現実を理解したとき、俺は不思議な感覚に満たされていく。
 だが一方で、すべてを否定されたような空虚に攻められている。
 もうひとりの自分が罵った。
『ただの馴れ合いだろう?』
 ……その通りだな。
 奴が【蔵馬】であることを知り、驚きはしたが反面なるほどと納得させられた。ヒトを思うことに不器用で、すべての痛みを身体に刻みつけるような生きかたをしている。初めて奴の妖気に触れたとき、癒えることのない傷に触れた気がした。
 おかしなことだが、俺は似ていると思う。奴の中には自分と似たモノがある。
『【蔵馬】が【欲しい】のか?』
 否定できない……。
 そう、困惑しているのは。
 俺は、初めて誰かを執着している。
 肉親ではない、赤の他人。
 生きてきた時代も環境も、価値観さえ違う生き物。
 負の要素で占められている肉親への思いとは別の、何かに働かされている……。

 すべての概念は崩れ、俺は答えを失った。
 しかし、再び答えを得ることは簡単だった。
 端的に、俺は思う。
『【蔵馬】を【殺して】みよう。』
 そうすれば、俺の中に渦巻く不可解な心理の正体が明かされる気がした。
 殺しても何も得られなかったら?……そのときは元の道に戻るだけだ。何も迷うことはない。閉塞、泥沼、血生臭い安息の日々、俺を待っているモノはいくらでもある。
 数日前にも訪れている部屋の灯をみつめる。奴の無防備な気配は数日前と変わらない。
 本当に、殺す。
 目を閉じて、何度も心の中で反復する。
 刀の鞘を握った左手に力を込め、殺しを前に初めて汗をかいている自分に気づく。
 窓から踏み込むと、奴は突然の来訪者に驚いたようだった。しかし直後、俺の存在をみつけた目はうれしそうに微笑む。机に今しがた読んでいた本を伏せ、椅子が俺の正面に向けられた。
「いらっしゃい。」
 そういった奴は、三下妖怪が目をつぶってでも殺せるくらい無警戒だった。同年代のニンゲンよりも脆弱なのではないかと思わせる程に。それは明らかな気色、そのはずだが。
 俺はなぜか気圧されていた。妖気の揺らぎすら感じない、ただのニンゲンに近い状態の奴に?……何を躊躇うことがある。
 奴を取り巻く穏やかな空気と躊躇いを振り払うように、黙然と歩み寄る。巧妙に隠されたみえない警戒線があるはずだ、心にいいきかせるように馬鹿げた穿鑿をしている。
「……何?」
「……。」
 足を止める。自分の間合に入る一歩手前。
 ……。
 殺気を抑えるような器用さはない。なにより俺は本気だった。
 しかし、俺の殺気をそのままに浴びながら、奴の気配はまったく変化することがなかった。それどころか、数日前よりもずっと平穏なのではないか?
 奇妙な圧迫によって身体が動かない。奴はそんな俺の目を不思議そうにみつめる。何もかもをみ透かされそうな色をした目。『すべて知っている。』と嘲笑している、目。
 視線から逃げるように、身体は動く。
 徐に刀を抜き、真っ直ぐに伸ばした。切っ先は奴の喉元に触れて止まる。
「飛影?」
「……。」
 ……どれくらいの時間が経っただろうか。
 不図、奴は笑った。
 けなしているわけでも、馬鹿にしているわけでもなく、ただ楽しそうに笑った。俺はかけることばもなく奴を怪訝にみていたが……。
 不慮の事象。
 汗ばんだ手が滑り、刀の切っ先が不意に揺れた。
「あ……!」
 ……思うよりも先に身体が動いた。
 自然と身体が退いていた。その直後、恐怖を感じている自分に気づく。恐怖、そして俺は愕然とする。
 今この瞬間に、一番身体を支配していた感情は、奴の喉元を切り裂くことだけは絶対に厭だという思いだった。条件も駆け引きも一切無視して、一番失いたくないものが、そこにいる。
 それは俺のすべてを包み込むように目を細めた。
「疲れたでしょう?お茶にしましょうか。」
「あ……。」
 奴の目をみ据えたまま、また一歩退いた。
 居た堪れなかった。取り返しのつかないことをしようとしていた自分、奴はそれをありのままに受け入れ容認している。奴と比べ、俺はあまりにも未熟だった。
 刀を鞘に収める。
 ただこの場から逃げ出したい一心で踵を返す……。
「待って!」
 背中に奴の声が鋭く飛んだ。
 何も考えず、反射的に足が止まる。……さすがに咎められるのだろう、そんな覚悟を持って振り返った俺に奴はいった。
「シュークリーム、食べません?」
「……何?」
「シュークリーム。……消費期限が明日までなんですよね。食べ切れないと勿体ないし、生ゴミに出したら野良猫が来るし、ご近所にも迷惑でしょう?」
「何のはなしだ、貴様。」
 展開がみえず呆気に取られる俺を無視して、奴は席を立った。ドアに向かう途中、奴が無防備に背を向けてみせたが、最早俺にはどうすることもできなかった。
 ドアに手をかける前、奴は振り返って俺の名を呼んだ。
「飛影。」
「?」
「逃げないでください。」
「……。」
 厳しいが、どこかすがるような声色が命じる。しかしすぐさま悪戯に微笑み、おどけた調子で続けた。
「本当、おいしいんですから。シュガーハウスのシュークリーム。」

 奴は俺を咎めなかった。
 その代わり、世間話をした。それは学校のはなしだったり、家族のはなしだったり、自分のはなしだったりしたが、飽きさせない間を置きながら兎に角しゃべり続けた。その間、俺は返事をせず、コーヒーカップから立ち上る湯気をみつめていた。
 そんな俺を時折黙って眺めたりもしたが、結局俺が部屋を後にするまで、この一件を口に出すことはなかった。
 その夜、俺は新たな衝動にかられる。
 心も痛さを感じるのだと知る。その痛みが目を閉じても俺を眠らせなかった。
 もう、どんなに否定しても無駄だった。奴は俺にとって特別な存在、それが紛れもない事実。
 締めつけられるような心の痛みの正体も、本当は分かっている。
 ……俺は、どうするべきだ?

続く ...

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冒頭から展開が唐突な印象があるかもしれませんが、協力サイトさまに掲載されていたストーリーの「続き」という形で書かせていただいた品です。色々な意味で、初々しい姿をご覧ください。
※日付は、テキストファイルでの最終更新日です。

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