Date  2 0 0 1 - 0 5 - 2 6  No.  0 0- 

コンフュージョン  c o n f u s i o n


 部屋の灯は落ちていた。ここから感じる奴の気配は眠りについている。
 窓に手をかけるが施錠はされていない、心地よい音を立てて開く。ベッドの上で背を向けて眠る低い呼吸がきこえる。俺は足音を立てないようにそっと近づく。起こさないつもりはない。警戒線を踏み越えれば自然と目も覚めるようにできているはずだ。
「んっ……。」
 俺がベッドの傍らまで来ると奴は寝返りのように身体を動かし、髪を掻き上げながら半身を起こした。
「……今何時……?」
「丑寅。」
「……眠い……機嫌、悪い……。」
 寝呆けた声でそう訴え、枕にうつ伏せた。……眠たいから今は機嫌が悪いといいたいらしい。
 長居はできそうもなかった。俺は用件を切り出す。
「済まなかった。」
 ……初めて口にするかもしれない、ただひとことがこれ程までに辛い。
「……飛影……?」
「……。」
 それ以上何もいえず、俺は黙って奴をみていた。
 奴はしばらく不思議そうに俺をみつめていたが、やがて迷惑そうにベッドから下りた。灯をつけ、次に俺をみたときは困ったような目で微笑んでいた。
「コーヒー、入れますね。」

「はい、どうぞ。」
 今日二杯目のコーヒー。
「で……。」
 口火を切ったのは奴だった。
「なぜあなたが謝るんですか?」
「……。」
 膝を抱えるように座った格好で、俺を斜に眺めた。
 奴の目の前で、俺は無様なガキ同然だった。
「……俺は、おまえを殺そうとした。」
「うん、……知ってます。」
 奴は微笑みコーヒーを口に含んだ。
「でもあなたはオレを殺さなかった。」
「しかし……。」
「あなたに謝ることがあるとすれば、午前三時にオレを起こしたことくらいじゃありませんか?」
 これはかなり罪ですよと、冗談のようにいって笑う。
「殺そうとした……。」
「うん。」
「殺人未遂は罪になるんだろう。」
「それはこちらの世界のはなしでしょう?オレとあなたの世界のはなしじゃない。」
「そういう問題なのか?」
「いいんじゃありません?今はそういう問題で。」
「……。」
 奴の屈託のない笑みの前で、俺に反論することばはなかった。
「冷めますよ。」
「ああ……。」
 促されるままにコーヒーカップを手に取る。暖かな感触……。
 奴はコーヒーを一口飲むと、ため息のように吐息を吐いて小さく語り出した。
「オレ、何となくあなたの混乱する気持ち、分かるんですよね……。」
「……。」
「昔ね、すごくタイセツなヒトがいたんだ。そのヒト、本当に変わってて、いい加減一人前として働いていたオレに向かって『こらくそガキ。』とか呼んだり、『そうだよな、おまえまだ坊やなんだもんな。』とかいって頭くしゃくしゃ撫でたりするんですよ。終いには『何で闇に紛れて活動するのに白服に銀髪なんだよ。』とか『日焼けしてみろ。』とか指突きつけて罵ったり……。でも普段はすごくやさしい目で笑ってくれて、『おまえが俺をどう思おうと気にしない。その代わり俺がおまえのことをただひとりの相棒だと思っていることは絶対に忘れるなよ。』とかいいきかせてくれて、……酒飲むと口癖のようにいうんですよ、『俺たち、これからもっとうまくやっていけるぜ。』って、語るんです、きいてるこっちが恥ずかしくなるくらい、熱く。……でも結局、『これから』なんてなくて、そのヒト、オレのみてる前で殺されて……。」
「……。」
「そのヒトと初めて会ったときのオレは、随分かたくなで、信じるものは自分だけで、今思うと捨て猫みたいに他の生き物に怯えていた。何となくなんですけどね……。」
 ことばを区切り、奴はオレの目をみて笑った。
「そのヒトが今のあなたをみたら、昔のオレに似てるって、『なんだよそっくりじゃねえか。』って、笑う気がするんです。」
「……。」
「ふふ……。」
「……くだらんな。」
「そうだね。ちょっと余談が過ぎました。……ねえ?」
「?」
 奴は気を取り直したようにコーヒーカップを置いて胡座をかいた。
「実験しましょうか?」
「実験……?」
「左手。」
 そういって奴はテーブルに自分の右手を上に向けて置いた。その上に俺の左手を重ねて置けと促す。
「……何をするんだ?」
 手のひらを重ねながら、怪訝にきく。
「目を閉じて。」
「……。」
 視力の及ばない世界では他の五感が冴える。直接熱が伝わる手のひらが、熱い。
「緊張しますか?」
「いや……。」
 問われるままに答える。
「『あなたのことが好きです。』」
「……。」
「緊張しますか?」
「いや……。」
 そう答えると奴は疑わしそうに笑った。
「ちゃんときこえてました?」
「きこえてる。」
 耳に妙なくすぐったさが残り、それを隠すように薄く笑う。
「じゃあ……、目を開けてください。」
「……。」
 すぐさま奴の視線が真っ直ぐに注がれる。不思議な色だった。どうガードしても通り抜けて、突き刺さる程に強い。無防備にさせられるが厭な気分にはならない。熱さがあるが、その奥は凍れる程に冷たい。
「『あなたのことが【好き】です。』」
「……あ……。」
 手のひらが、指が怯えるように動いた。
 心が締めつけられる程に痛い……。
 それを確認して、奴が微笑む。
「緊張しますか?」
「……。」
 俺は奴の目をみ返したまま、返事ができなかった。

 奴の右手が俺の手を擦り抜けて、再びコーヒーカップを持ち上げた。左手が生ぬるくテーブルに取り残されている。
「飛影?」
「ん……。」
「【壁】を作りませんか?」
「【壁】?」
「そう、【壁】。」
 俺を斜にみたまま、コーヒーを飲んだ。
「あなたとオレの今の距離はようやく手が触れられるだけ。目をみてはなすこともままならない。これは決して遠い距離ではないけど、近いともいえない。」
「……。」
「普通のヒト同士だったら簡単に近づける距離だと思うけど、多分あなたもオレも臆病だから、この状態が続けば歩み寄るのに随分時間がかかると思うんですよね。」
「……それで、【壁】か?」
「そう。とりあえず約束しようよ。オレは必要以上に干渉しない。あなたは、……まずオレに干渉することはないか。」
「……。」
「それから、……そうだな、お互い余計なことを知ろうとしない。もちろん自分からいいたいなら自由、限度はない。……このくらいかな、あなたとの【壁】は。どう、足りない?」
「……。」
「……ん?」
「……さあな。」
 ばかばかしい戯言だと思いながら否定することもできない。
 余計なお世話だ。……少し前ならそう切り捨てていたはずだ。だが今は奴の稚拙なおせっかいを許容できる余裕が心の中に生まれている。なぜだろう、不思議と厭な気はしない。
「ただ、これはお願いなんですけど。自分自身のこと、……もっと精神的なことは、隠さずはなせるようになりましょう。そのほうがきっと寂しくないから……。ゆっくりでいいから、今は【壁】越しでいいから、歩み寄るところから始めましょう。そうすればオレたち……。」
「……。」
「これからもっと、うまくやっていけますよ。」
 それが当たり前のことであるように。
 まるで未来が決まっているかのように、奴は断言してみせた。
 おかしなことだが、俺はその通りだと思う。
 きっと、【壁】が邪魔になるときが訪れて、それは案外早い時期に訪れて。
 ことばを交わさなくても伝わる空気が生まれて、そこにコンビネーションが生まれて。
 手を伸ばせば届く距離に、確かな……。
「さて。そろそろいいかな。」
「?」
「あなたのことをきかせて。あなたがオレをどう思っているのか、知りたい。」
「……。」
 ……たった今【壁】云々のはなしをしたばかりだろうが。
 俺が苦笑して睨みつけると、奴の目がいいでしょう、精神的なことなんだからと我侭に笑った。
 もう、嘘は吐けない。
 嘘は吐きたくない。
 ……吐く必要もない、か……。
 俺は手を伸ばす。左手が奴の頬に触れる。
「俺はおまえが────


← P R E V I O U S 金魚の水槽

そして現在の【壁】は…、「三匹のこぶた」を逆にいって、「ワラの壁」くらいでしょうか??
※日付は、テキストファイルでの最終更新日です。

HOME  MENU

Copyright (C) Kingyo. All rights reserved.