Date
2 0 0 4 - 0 4 - 0 4
No.
0 2-
トーチャン
W e L o v e D a d
さて、夜のこと。
郷里へ帰ると、家長の部屋はまるで隔離でもされているかのように、屋敷の奥へ奥へと配置を移していたりする。
「……。」
遠くの部屋では年長の子等が、未だ眠りにつかず、札遊びか何かに興じているらしい。雨戸を開け放しておけば、楽しげな笑い声が風に乗って運ばれる。
家長、即ち鍛冶は、今はその室に引き上げている。
長旅による労もあり、早々に室にこもったはよいが、ひとりいそいそと布団を敷いた後は、何だか手持ち無沙汰のような落ち着かない心持ちで、時々縁に出ては寂の趣のささやかな庭園を眺めてみるも、時刻が時刻では時間を潰すのもままならず、結局いつしか室へと戻り、黙然と胡坐を掻いて座っていたりする。
肩にかけた綿入れには袖を通さず、火鉢の炭の燃える様などを眺めていると、背後でふすまの敷居を滑る音がした。
「……あなた。」
声のしたほうを振り返る。
指の細い両手でふすまを押し、妻(さい)が静々と室に入ってくる。
その様子を、鍛冶は黙然とみつめていた。黙然と……、だが、不思議である。妻の姿をみつけただけで、そわそわと落ち着かなかった心が嘘のようにぴたりと収まる。妻は、入ってきたときと同じように、膝をついたまま両手で静かにふすまを閉じた。
鍛冶は胡坐を掻いた身体を正面に向け、妻を待つ。
妻はその場に楚々と正座をし、畳の上に淑やかに三つ指をついた。
「ご無事で何よりでございました。」
そういって頭を下げる妻は、いつみても品のよい女だった。薄紅の一重に淡雪の袷を重ね、長く艶やかな黒髪を涼しげに後ろに流した美しい妻の姿を。……鍛冶は、幸福という感情の真髄をみる思いでみつめた。
「おまえも……。」
溢れんばかりの感謝の思い。
告げられぬまま、鍛冶は微笑む。
やがて────
妻はぱっと顔を上げる。
「あなた。」
歌うようにいい、野花のように可憐に笑う。
ふわりと飛び込んできた女を、鍛冶はその胸にしっかりと受け止めた。崩折れるように膝の上。夫の胸にぴたりと頬を寄せ、その温もりに身を預け、妻は幼子になる。
安心し切った子供のように甘えながらも、時には理由の分からぬ不安に襲われた子供のように、夫の肌を探し、着物の合わせに額を埋めてくる。
そんな妻の幼さを、そして弱さを、鍛冶は広い心で受け入れる。何よりも愛しいと思うから、世界で一番愛する女の頭をいいこいいこと撫でる。しっとりと重い黒髪。指に触れるしなやかな感触。細い身体の線……。
背中に回した両腕で守るように妻の身体を支え、夫婦の時は止まる。
幾らか時間が経った頃。
唐突に鍛冶はいった。
「鍛冶屋の御用はありませんか。」
すると、
「フフフ。」
妻が笑う。
温かな吐息が鍛冶の胸をくすぐる。何かの「合ことば」だろうか。顔を上げ、にこりとうれしそうに微笑む妻に、鍛冶も少し微笑むが……。
「……俺と一緒になったばかりに、花さんには苦労をかけてばかりだな。」
謝罪を匂わせる口調。折角顔を上げたのに、夫の目は遠くをみつめて、自責に憂える顔をする。
「あなた……。」
妻は一瞬、夫の憂いを吸い取った顔をした。妻は昔から感受性の強い女だった。共に暮らさずとも、真面目な夫が何に苦悩し、その根源がどこにあるのかくらいは分かる。妻は心から辛いと思う。
だが、
「フフ。」
だからこそ妻は笑う。何を今更と、無邪気に笑い飛ばす。
「あなたは忘れっぽいかたですね。いつも申し上げているでしょう?私の人生は、あなただけが決めたものではありませんよ。」
「……。」
ふたりで生きると決めたから、ふたり一緒に沈んだりはしない。
そんな妻の気丈さが、鍛冶の心を何度救ってきたことだろうか。
女は強い。妻をみていると、心の底からそう思える。鍛冶は妻の額にくちびるを寄せた。おまえは強いなと呟く。
「花さんが居るのは心強い。俺が遠くに暮らして、家の心配をせずに済むのは、全くおまえのお陰だよ。」
鍛冶の、夫としての褒詞である。しかし、そこには少なからず、男の傲慢さが表れていたのかもしれない。無論、無意識ではあったが。
夫のことばを受けて、妻はとんでもないという顔をした。
「まあ、酷いことをおっしゃいます。心配がないことはございません。あなたがいらっしゃらないことで、子等がどれだけ寂しい思いをしていることでしょう。」
「……。」
鍛冶は困惑の目を丸くして、妻の深い藍色の瞳をみつめる。
「しかし、男親がなくとも子は育つという。」
「存在しないのと存在する上で居ないのとでは、意味合いが違います。」
きっぱりといい、げに殿方はとぷんすか怒りながら、夫のことは無責任とまでいう。
だが、そんな妻の非難を、鍛冶は広い心で受け止める。
遠方で働く夫に対して無責任とは何事だ、と怒鳴りつけることもできたが、妻の、非難することでしかいい表せない心理が、夫である鍛冶には解釈できた。
そして恐らく、妻の中でもこれは無意識なのだろう。
鍛冶は大きく頷いた。
「そうか、そうか。」
といい、優しく微笑みかける。
妻は「子等が」としかいえない女だった。この女の気持ちが強いせいで、この女にはいつも心細い思いをさせてしまう。鍛冶は妻の髪を撫でる。
その優しい手の動きに任せて、ゆっくりと、妻は夫の胸に抱かれていく。鍛冶は、さり気なく核心を衝いた。
「本当は、おまえのことが一番気掛かりだったのだ。子等よりも、おまえのほうが寂しい思いをしているのではないかとな……。」
すると、妻は急いで顔を上げた。真に心外という顔をする。
「私は……!」
という。
「私は、あなたがいらっしゃらずとも、寂しいことはありませんよ。」
と、舌を出すが。
「私は……。」
一瞬後には、再びぱたりと夫の胸にすがりつき、頑なに動かなくなってしまう。
「……。」
しっかりと着物の襟元を掴む手。まるで、そうしていなければ、己の強がりの戒めに、夫の身体が消え去ってしまうとでもいうように。
全く妻は子等よりも子供のようだ。鍛治は妻を抱く腕に力を込める。
「花さん……。」
囁き、妻の身体をそっと離す。
未だ俯き加減の妻の顔を上げさせ、優しく撫でた頬の部分に一度くちびるを当てる。驚いた顔をする妻に、今度はその美しいくちびるに、そっと、そっと、くちびるを近づける。幼い妻が怖がらないように、そっと……。
「いけません!」←平手打ち
「あうう。(何でー!)」
妻は、袂を気にしながらの上品な平手打ちを、夫に食らわせた。文字通り面食らった鍛冶が、頬を押さえたまま訳の分からぬ混乱に陥っている傍で、妻は冷静に夫の胸を押し退け、ようやくとばかりに静々と膝から下りた。
「あなた。」
「……ハイ。」
妻は夫の正面に正座をし直す。両手はきちんと膝の上に重ねて、背筋を伸ばし、きりりと夫をみ据えて申すには、
「あなた。私に隠していることがございますね。」
と、唐突にこう来る。
「……はい?」
と鍛冶は答えた。この状況では、説明がなければ何のことだかさっぱり分からない。不安が鍛冶の口元を緩くさせる。
妻はにこりとも笑わない。続けて申す。
「夕刻、円造の様子がどうも不審でしたから、シメて口を割らせました。」←シメて?(※な、なかなかやるな……。)
「……。」
妻のことばの由来。長男の名が出た時点で、夫はすべてを理解した。……ちなみに、長男の名は「円儒」である。
さて。すべてを理解したかの夫が、まず口にしたことばがこうである。
「誤解なんです。」
「誤解されるようなことがあるから責められているのです。」
「……ハイ。」
妻は時々冷たい目をするので怖い……。
「よいでしょう。私も、ただの一度問われたくらいであっさりと浮気を認めるような、薄情な夫は望んでおりませんし……。」
「……。」
「円造のはなしをきいた直後でさえ、あなたに限ってそのような大胆な真似をなさるなんて、どうにも信じられませんでしたので、次にあなたに対面するときには、あなたの前で、あの子は何て莫迦な想像力を働かせるのでしょうね、と、からりと笑い飛ばしてやろうという心持でおりました。」←正解:円儒
妻は、あくまでさらさらと夫の誠実を主張する。しかし、その主張の最後、
「……少なくとも、これが出てくるまでは。」
絶妙のタイミングで、こうつけ加えることを忘れない。
「コレ……、って?」
正体の知れない「コレ」の存在が、夫の心臓を一度に高鳴らせた。そして、この状況で女が匂わせる「コレ」が何を意味するのか。……今更説明するだけ野暮だろう。
「動かぬ証拠とは申しません。」
動くか動かぬかはあなた次第、と申しながら、……それ自体は袂に入る程度の大きさらしい、妻は左袖に手を入れ、何かを探っている。
「……。」
やがて、妻が取り出したのは丁寧に畳まれた懐紙だった。何かを包むように、四つ角を中央に折り込んである。
妻は、
「さあさお立会い。」
……とはいわなかったが、先程までの冷たい表情から一転。悪戯な笑みに白い歯をみせ、
「ずーんずずんずんずーん♪」
「……。」
自ら効果音まで演出して、懐紙の包みから、何やら細長い物体を一本、取り出した。
それは、正座した妻が端を摘んで天高く差上げても、畳の床面に到達する程に長い。遠目には糸くずのようにもみえるが……、悲しいかな、よくみ慣れていた鍛冶には、その正体が一目で知れた。
鍛冶にしてみれば、一体どうやって着いてきた……いや、一体どこに付着していたものなのか。
そんな夫の困惑を知ってか知らずか、妻は意外にけろりとした顔で、種を明かした。
「あなたの洗濯物を整理していたら、『寝巻きの中から』出てきました。」
「寝巻き……って。(選りに選って何でそんなところに?)」
くだんの狐の寝姿を思い描く……、鍛冶の心は五月雨だった。
「綺麗ねえ?」
と、妻が夫に問いかける。
「どなたの髪でしょう。この長ーい長ーい……。」
「……。」
「(シラガ?)」
「(違うと思うよ。)」
絹糸のように美しい、銀色の髪が一筋。
「ゲホン。」
鍛冶は答える前に咳払いをした。
「これは、男の髪だ。」
ひとつひとつの単語を噛み締めるように、いいきかせる。まずは浮気ではないことを、しかと理解させようと思う。
が、妻はつり目がちな瞳をぱちぱちさせるだけで、掲げた髪を容易に下ろそうとはしない。
「盗人をしていらっしゃるんですってねえ。そのかた。」
未来を映す鏡のように、澄んだ瞳が鍛冶を映す。
「盗人……、というか、盗賊……かな?」
「その筋では、かなりの有名人だとか。」
「まあ……、そうかな。」
「そうそう、そのかたの名をきいておりましたわ。名前は確か、妖狐……、妖狐おー……。(ん?)よーこ?」
「……。」
「(よーこ、くら……む?くるみ?……あら??)」
小休止。
妻はくちびるに人差し指を当て、虚空をみつめてしばらく「うーん。うーん。」と唸っていた。
「(よーこ、くるま?)」
「(微妙。)」(※あたくしうまれもそだちもかつし……。)←ちがいます
完?
← P R E V I O U S
金魚の水槽
ウワサの「愛妻」。美人だけどちょっと天然入ってます─なところが、誰かさんに似てるとか似てないとか。(※そう?)
それより寅さんの口上って…。。。
※日付は、弊サイトでの初回掲載日です。(一部改作しております。)
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