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Everything(I See)


「庭の木に人間が登っていたぞ。」
 部屋に踏み込むと同時に彼がいった。
 オレはテーブルに肘をついて本を覗いたまま、彼のことばも、彼が突然現れたことも、気にかけたりはしない。
「ああ、剪定のヒトが来てるんですよ。」
 顔も上げずに答える。
「センテイ?」
「そう。木々の生育をよくするために形を整えて刈り込んでくれるヒトのこと……。年に一度のことだし、健康診断みたいなモノじゃないかな……。」
 構わずに頁を繰る。
 彼も、オレの淡白な態度を特別気にすることはない。それがいつもの距離。壁際の定位置に腰を下ろして、彼にとっては別にどうでもいいことを、興味もなくきいたりする。
「だが、健康なんだろう?」
「もちろん。……すこぶる健康ですよ。」
 しばらくの間、彼はオレの様子を眺めている。だがそれもいつものこと、オレは頭の中でこの章だけは読み切りたいなとか、普通に考えている。彼は心理的に探りを入れてくるわけではないし、彼自身オレにそこまで関心を持ってくれるヒトではない。ただそこに居るからみているだけ。そして彼にはオレが、動物園で笹をかじりながら転がっているパンダよりも余程奇妙な生き物にみえるらしかった。
 だから今は何も気にせず、先を読み進めたい。
 しかし……。
 それにしても、今日は視線を注がれる時間が長い気がする。オレは頬杖をして、次の頁に指をかけているがそれ以上前進することは難しかった。次第に注意は彼のほうへ向かい始める。いつもならそろそろ目を逸らしてくれるはずなのに、不思議そうにみつめる眼差しが頬を刺し、痛い上に落ち着かない。
 仕方なくオレは、
「何?」
 初めて顔を上げて、彼を一瞥する。そのまますぐに本に目を移して彼との接触を絶とうとするが、
「おまえはやらないのか?」
 彼の視線は依然として消えない。
「え……?」
「……。」
「ああ、剪定のこと?……オレ、植物のこと詳しくないから。」
 あんまりみつめられると調子が狂うけど、口調はあくまで淡々と。
「そういう役回りですから。」
 そういって少しだけ笑ってみる。
 彼は相変わらずオレをみている。ただ、先程のような興味はもう存在しないらしかった。大して面白くもなさそうな目をして腕を組む。
 それでも、いつもなら気が向かなければ口を閉ざしてモノいわぬヒトになる彼が、
「人間の手に委ねるのは心配だろう。」
 つまらなそうな声で、適当な会話を続けようとしている。
 ああなるほどな……。
 オレはようやく彼の事情を把握した。訝しむまでもない、彼は複雑なヒトだけど、その反面分かり易いヒトでもあるのだ。そう思った途端、心の中にある種の余裕が生まれた。どうやらオレは、珍しく彼の態度に踊らされていたらしい。
「まあね、実質オレが育ての親になってますし。」
「……。」
「でもそういう役回りですから。」
 オレは再び顔を上げ、今度は彼の目をみて微笑む。
 そうだ、いいたいことがあるなら早く済ませたほうがいい。本を閉じて座り直す。彼はしばらくオレの目を色もなくみつめていたが、不図舌打ちをして顔を背けた。
「面倒な生き様だな。」
「え……。」
 それは唐突に投げつけられた侮蔑、咄嗟にオレは笑顔を忘れる……。

 彼はオレの中に偽りをみるのが嫌いなヒトだった。それがどんな種類のものだろうと、例え彼にだけは嘘を吐かないと誓って、事実そうしていたとしても、許されることではないらしい。それも、自分のことは棚に上げて、相手はオレに限る……。理由は分からない。もしかしたら、些細なことでもオレが心が咎めているのを知っているからかもしれないし、ただ、いつかは自分もオレの偽りの中に組み込まれるのではないかと構えているからかもしれないし、やはり分からない……。
 だが、たった今彼が口にしたことばが、そのまま彼のいいたかったことにはつながらないことくらいは分かった。
「そうですか。結構楽しんでますけど。」
 何も思うことはない。冷めた声であっさりと否定してみせる。それでもオレは、いつもよりずっと冷たい目をしているに違いない。
 彼が眉をひそめた。しかし彼の目は蔑むようなものではなく、その奥にはもっと深い、何か別の思いがあるようにみえた。
 捉え切れない感情の込められた声が、静かに、オレに問う。
「生きていて辛くないか?」
「……。」
 ……辛く……?
 それは先の侮蔑とは明らかに意味合いが違った。彼が時折吐き捨てる『面倒』は単に彼の価値観を示しているだけで、そこにはオレを自分とは違う存在として忌む感情しかない。だが、彼は『面倒』ということばの代わりに『辛い』を使った。その中にある彼らしからぬ思いやりが、無意識にオレを身構えさせている。
「……なぜ、そんなことをきくんですか?」
 恐らく、ここからが彼の本題。
 そして彼が欲するのはオレの本心。
 だとしたら、オレは何と答えればいい?
 そんなことはないと笑えばいい?あなたには関係ないと一方的に打ち切ればいい?
 彼は少しだけ困惑した表情をみせ、息を吐く。
「蔵馬。」
 そして────
「魔界に来る気はないか?」
 唐突に。
 彼の声が、彼の声でいった。
「何、いって……?」
 一瞬自分の耳を疑った。
 頭の中ではそれが彼のことばであると理解できても、どうしても彼のことばだとは信じられなかった。それでも一秒を刻むごとに疑いの余地がひとつずつ消え去っていく。あがけばあががく程、これが現実であると思い知らされる……。
 オレは戸惑いを隠せずに、黙ったまま彼をみ返すしかなかった。
 無論、彼からの誘いは一時的な軽いものではない。
 ずっと、死ぬまで側に?────あなたは自分が何をいっているのか、分かっている?
 ことばがことばだし、笑い飛ばしてお終いにすることはできそうだったが、彼の目には冗談の欠片も挟み込む隙間がなかった。有無をいわせぬ迫力があり、オレの答えがイエスだろうとノーだろうと優しく頷いて受け止めてくれるだろう優しさがあった。
「飛影……。」
 彼は真剣なのだろう。少なくとも、彼自身はこの行為を茶番だとは思っていない。だが……。
 オレは彼の本心を知っていた。
 悲しいが、現実がどれだけ非情にできているかも、未来が影を落として日も差さない世界であることも、経験から察しがついていた。
 彼がどう思っているかは知らない。明確に答えられるとは思えないから問い質したりもしない。でもオレがみた限り、彼とオレをつなぐものは慰めの虚構だ。似たような影を持っているから引き寄せられただけ、満たされなくても浅はかに傷を舐め合うことしかできない。
 そして、同じパーツを失ったパズルはお互いを補うことすらできない。
 多分あなたはこう主張するのだろう。『おまえに嘘をつかせない。』……でも、それが実現できる世界であなたが望んでいるのは別のもの。
 だからオレは、あなたに嘘を吐かなければならなくなる。

 彼をみて笑う。何事も発生しなかった会話の続きとして。
「オレは、あなたの所有物ではないから。」
「……。」
 その瞬間、
「そうか……。」
 彼の目がオレのすべてを肯定したようにみえた。だが、オレは彼から目を逸らしている。顔を伏せ、本を開いて、でも読むことなんてできない。彼を虚偽に巻き込むことが、オレにとっては何よりも辛かった。
 彼はただ黙然とオレをみている。気づいているのだ、すべての嘘を。それでも優しい彼はそれを指摘したり、咎めたりはしてくれない。ありふれた出来事を語るように問う。
「おまえは、欲しいと思ったことはないのか……?」
「何を?」
「……。」
 もう彼とははなしをしたくない。……オレはひどく自分勝手に彼を突き放している。
「蔵馬。」
「……。」
「無理強いはしない。俺はただ、おまえの答えがききたいだけだ。」
 答え……。
 それが一番難しいのに、容易いことのようにいう。オレは思わず笑った。
「『失うのが怖いから手に入れないモノ』って、あると思いませんか?」
「……。」
 顔を上げ、彼を真っ直ぐにみつめて、できるだけいつも通りに微笑む。
 それで彼が納得してくれるかは分からないけど、今はこれが精一杯────
「それが、答えか。」
「『オレの』答えです。」
「……。」
「あなたの答えは、あなたが選んで……。」


追記 金魚の水槽

こんな二人も、今では白身のように淡白な関係です。若いってドロドロしていることなのね〜?
※日付は、テキストファイルでの最終更新日です。

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