Date
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No.
0 2-
白昼夢
a d a y d r e a m
走っていた。
この辺りは岩石と赤土ばかりだ。決して走りやすい道ではない上に、今日は夕刻まで雨が降っていて、ぬかるんだ状況は最悪だ。特に逃げ道としては。
あの遺跡には守人などいないはずだった。油断して正面から突っ切っていったのがいけなかったのだろう。しかし立ちふさがった守人の強さは桁違いだった。たとえ警戒してかかったとしても、結果は同じになっていたのかもしれない。要は身のほど知らずな自分が悪いというだけのこと。大きなヤマに手を出すのは百年早かった、それだけのこと。
背後から強大な力がものすごいスピードで迫ってくる。妖気弾だ。避けきれない。
オレは死を覚悟した。
「さっさと避けろ、ばか!」
背後からきこえたその声の主は、おそらく妖気弾の発射元だろう。なぜそんなことをいうのだ?
「右!」
反射的にオレは右手を地面について、その遠心力で右に反転した。間髪いれずに妖気弾が右頬をかすめる。それはまっすぐにオレが走っていた軌道をたどっている。直撃コースだった。背後で激しい爆音。オレは不安定な姿勢のまま爆風に飛ばされた。
起き上がろうとしたオレの目の前に、敵に警告を発したおかしなやつが歩み寄る。遺跡の守人だ。既に逃げも隠れもするつもりはないオレは、地面に座り直して、奴の眼をまっすぐに見つめていった。
「殺せ。この世界では力だけがすべてだ。」
すぐに殺されるとは思っていない。もちろん、見逃されることなどない。……楽には死ねないだろうな。奴もそんなに簡単に死んでしまってはおもしろくない、だから妖気弾を避けろなどといったにちがいない。
奴はオレの姿をただまじまじと見ていた。そしてひとことこういった。
「……おまえ、ここの住人にしては、ずいぶん整っているな。」
「……は?」
どうやら容姿のことをいっているらしいが、なにをいい出すのだ。まさか犯してから殺すわけでもあるまい。
「名を名乗れ。」
「必要のないことだ。」
奴はさもあきれたようにためいきをついた。
「おまえ、このまま死んだら無縁仏になるんだぜ。名乗っておかないと、おまえが生きていた証がなくなるだろうが。」
無縁仏?なんだそれは。奴に殺されるとそういう名の妖怪に転生するのか?それに、生きていた証だと?それこそ無用ではないか。こいつ、狂人か?
「おいこら、は・や・く・い・え。」
「……蔵馬。」
「くらま?」
「そうだ。もういいだろ、さっさと殺せ。」
「妖狐の蔵馬か……。なかなかいい響きだな、妖狐蔵馬。」
「?」
「おまえの名、伝説になるだろうよ。」
「なにをいっている。」
わけのわからないことをいうやつだ。
「おまえ、いい反射神経してるじゃないか。」
「……殺せ。」
「おまえなあ、今度『殺せ』っていったら本当に殺すぞ。」
試してみた。
「ころせ。」
「おまえ、かわいい顔して、結構ムカつくな。わかってていってるだろ?俺がおまえを殺さないって。」
目が点になった。遅かれ早かれ当然殺されるものだと思い込んでいたオレには、奴の言動がひどく不思議にうつったのだ。
「おい。」
「ああん?」
「……なぜ、殺さないんだ?」
それをきいて今度は奴の目が点になった。そしてげらげら笑い出した。なにがおかしいのか、とにかく笑い転げた。
ひととおり笑ったあと、奴は俺の質問に答えろといった。
「なぜあの遺跡を狙った。あそこには古代の書物なんかの『紙』は捨てるほどあっても、金銀財宝なんかはないんだぜ。」
「そんなことは知っている。」
「じゃあなぜ?」
「興味があったからさ。」
この世界の考え方からすると、オレの答えはかなり常軌を逸している。奴は少々驚いたようだが、なぜかうれしそうでもあった。
「単なる好奇心か?」
「そうだ。なにせ知りたがりなものでな。」
会話の間目をそらすこともしないオレのことばを奴は満足そうにきいていた。
そして、オレの処置を告げた。
「蔵馬、そう死に急ぐな。おまえは俺の敵になるには百年早かったが、死ぬにはさらに千百年早いぞ。おまえは俺のそばに置いておくことにする。いっておくが、いやだとはいわせないぜ。おまえ、強くなりたいだろ?」
「いやだ。」
いきなり殴られた。手加減しないのでかなり痛い。
「本物の盗賊にしてやるぜ。」
「……オレを生かしておくと、いずれ貴様の寝首を掻くことになるだろう。」
そうはいったが、奴との力量の差はあまりに大きい。これでは警告にもなっていない。
「それもいいさ。」
笑い飛ばされると思われたオレのことばを、奴はばかにすることはなかった。オレを見下ろすまっすぐな視線。妖しく光るその眼の奥に暗い闇を見出すことは、そのときのオレにはできなかった。
「……いい原石だ。」
「?」
「いいもの拾ったぜ。」
奴は自分も盗賊であるといった。あの遺跡はただの住処にすぎない、しかしそこへ忍んでくる者があれば追っ払う、ただそれだけだと。
奴の専門は情報。古文書や書簡など物理的に存在するものから、国家間の諜報活動までと幅は広い。もちろん必要に応じて金品にも手を出す。要するにこの稼業には力も大切だが、なによりも広く深い知識が重要なのだと奴はいった。こいつが一流と二流の分かれ目だと。
奴はあらゆる知識をオレに与えた。宝石の鑑別から、古代文書の解読方法、暗号の法則など、限りがなく、さらには効果的な戦法、心理学に至るまで、あるだけ詰め込まれた。
オレは毎日奴と実戦さながらに戦い、その度に完膚なきまでに打ちのめされた。
心地よく疲れ、心地よく眠る日々が続いた。
あれはいつだったのだろう?
たぶんずっと前、悠久の時を越えたむかしのはなし。おかしいな、そんなにむかしのことなのに会話の端々まで思い出している。なぜ奴を思い出しているんだ。奴……、そうだ、オレは彼をなんて呼んでいたんだろう。
奴の名は?
どんな顔をしていた?逆光で見えなかったスカウトのオンナのようにはっきりしない。
思い出せるんだろう?奴が誰だったのか。
奴が誰だったのか。
奴の名は?
奴の名は……。
「……の名は……」
「誰の名かな?」
「え?」
ナンパ師の男がオレの顔をのぞきこんでいる。
ここは閑静な場所にあるイタリアンレストランだ。お昼時にもかかわらずほとんど客がいないのが不思議だ。彼にいわせるとここはオープンし立ての穴場で、オフィス街からも遠いからまだ客足が伸びていないだけ、味は保証するとのこと。
不思議なことがもうひとつ。このテーブルが彼の名で予約されていたこと。中庭が見渡せる窓辺の特等席、二名分。
そうだ、彼は「田中一郎」と名乗っていたんだった。おそらく偽名だ。オレがそれを指摘すると、いいじゃないか、きみは名前さえ明かさないのだからと返された。
「彼氏のこと、考えていたの?」
「そういう趣味はありません。」
「今は俺といるんだし、他人のことを考えるのはやめてほしいな。」
男は諭すような調子でいった。
「そういう行為はね……」
彼の右手人差指と中指、二本の指ががまっすぐにオレに突きつけられた。
……動くことができなかった。人間相手で油断していたとはいえ、その指が触れるか触れないかのところで止まったのは、のど元。ここを突かれたら五分は息ができない。いわゆる急所だ。彼の指はその急所と寸分たがわない場所で止まっている。
「死に値するんだよ。」
冷たい汗が背筋を伝った。殺気は感じないが隙のない動き。それは感情変動を見せずに攻撃をしかける実戦戦法に似ている。しかし、男はそんなオレの様子を見て、ごめんね、驚いた?っといって笑うだけだ。
……単なる偶然?
続く ...
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