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白昼夢  a d a y d r e a m


「生き物にはな、それぞれに命にかかわるポイントがある。」
「急所のことか。」
「そのとおり。たとえば……」
 瞬時に後ろにまわりこまれた。そしてこめかみの少し上の辺りを指先で押された。それほど強くはなかったが……
「うわっ!」
 地面にのたうちまわるオレを見て、奴は楽しそうにほくそえんでいる。
「おお、痛いか?痛いだろうなあ、はっはっは。」
 ……こいつ、絶対殺してやる。
「っとまあ、すげえ痛い場所もあれば……」
 手を引いてオレを助け起こしざま、今度は左手の親指をのど元に押しつける。
「っぐ!」
 うずくまるオレを見て、奴はうれしそうにほくそえんでいる。
「ってな具合に、苦しくて死ぬ思いをする場所もある。中にはたった一本の神経を絶つだけで植物状態にすることができる場所もあるが、こいつを試すとおまえにいろんなことを教え込んだ『俺の』努力が水泡と化すので止めておく。……おい、大丈夫か?」
 立ち上がるオレに奴が近づく。
「寄るな。」
 もう攻撃はしないにしろ、油断は禁物だ。
「おいおい、毛嫌いするなよ。もうしねえから。相手に痛い思いをさせるには、自分がその痛みを知らなければならない。常識だぜ。……ほらよ。」
 奴はオレの手を取って、自らのこめかみへ誘導した。
「この辺だぜ、感覚で覚えな。」

「ごほん。」
「!」
「わるいコだなあ、きみは。」
 再び意識が飛んでいたようだ。
「……すみません。」
 反射的にあやまる。
「そんなにその彼氏が気になるの?」
「だからちがいますよ。」
 男はじっとオレの顔を見つめている。
 食後のコーヒーが運ばれてきた。生ぬるい風が通りすぎていく。繁華街の喧騒もきこえないこの場所はあまりに静かで、まるで時間が止まっているような感覚がする。平常なら居心地が悪いだろうこの沈黙も、今は不思議と気まずくは感じなかった。
「ききたいことがあるんですが。」
 オレは先程から気になっていたことを切り出すことにした。さして重要なことではないが、なるべくなにげない会話をしたいと思った。
「なんでしょう。」
 彼がカップに手をのばす。
「このテーブル、二人分の予約がされていましたけど。」
 彼はコーヒーをひとくち飲んでからこういった。
「それは、きみと楽しくお食事をするためだよ。」
「ほんとうはこの席、オレが座るんじゃなかったのではありませんか。」
 オレは彼の冗談、おそらく冗談でいったことを無視しさらにたずねた。
 しばし黙したあと、彼ははじめて見せる顔で答えた。たぶんこれが、本音を語るときの彼の表情。
「約束をしていたんだ、ある人物と。」
「ある人物?」
 復唱しただけなのだが、彼には不信に思ったように見えたのだろう、「オンナじゃないから安心してね」と片目をつぶってみせた。それから、ほおづえをして窓の外に視線を移す。はじめて彼が自ら目をそらした。
「古い友人でね、ずいぶんと世話をしてやった。そいつと別れるときに約束したんだ、また会おうってね。結局そいつとはそれきりになってしまった。ほんとうなら今日再会するはずだったが、なにせだいぶむかしのはなしだからね、忘れられてしまったようだ。」
 再びこちらに向けられた表情は少し哀しげに見えたが、それも一瞬。すぐにまたいたずらなナンパ師に戻っていた。本音を隠す仮面の顔。
「きみ、高校生なんだろ。勉強はおもしろいかい?」
 会話の路線変更にかかったようだ。それほど知りたい話題でもなかったのでオレも執着せず、彼のはなしに合わせる。
「ええ、それなりに。やっていれば身になるし、オレ、知りたがりだから。おもしろいですよ。」
「知っていることばかりで、つまらないんじゃない?」
「え……?」
 特に意味はないのだろうが、違和感がある。
「だってさ、高校での勉強なんて中学の続きみたいなものだろう。歴史とか地理とか、政治経済、公民っていうんだっけ?そういうのなんて、二重にやるようなものじゃないかな。……とおじさんは思う。」
 なにかがひっかかるが、余計な詮索をする場面ではなさそうだ。
「まあ、そういう部分もありますけど、新鮮なところもありますよ。歴史だったら、中学ではこんな出来事があったっていう概要しか教わらないですけど、今ならどんな背景で起こったことなのかが見えたりして。」
「『いいくにつくろうかまくらばくふ』とか?」
「ああ、ありましたね、そういうの。」
 オレはもう冷めてしまったであろうコーヒーカップに手をのばした。
「『なくようぐいすへいあんきょう』」
 ぬるいコーヒーをひとくち飲む。
 彼の独り言に合わせてつぶやく。
「七百九十四年……」
「千二百年前だね。」
 千二百年……。
 彼がにっこり笑っていう。
「なにをしていたんだろうね、そのころ。」

 奴がどこからか酒を手に入れてきた。奴は酒に弱く、酔うとわけのわからないことをいい出す。もともとわけのわからない奴だから手に負えない。
「たとえば、おまえが俺に背を向けていたとして、そのときそこに俺はいると思うか?」
 またはじまった。
「いるんだろ。」
 いつものことだから、オレは口先だけで相手をした。大理石の台座についたまま盃をかたむける。もちろん奴を見ない。
「どうやって確認するんだ?」
 奴が興味津々の表情で問いかける。
「なんだ、なぞかけか?」
「いいから答えろ。」
 しかたがないから一応考えてみる。
「においでわかる。」
 盃をひといきで呑み干す。
「つまり俺がいいたいのはだなあ……」
 きかないなら答えさせるなよ。
「なんでも目の前にあるものが絶対なんだよ。そいつと相対するときだけそいつが存在していて、目をそらした途端にそいつの存在が証明できなくなる。」
「なんだよそれ。」
 オレは完全にばかにしていた。しかしそんなオレの態度は無視し奴は続ける。その表情は先程までの酔っ払いのものとはちがい真剣そのもので、オレはそれ以上なにもいうことができなかった。
「俺らがふだん絶対あると思っているものこそ信用がおけないということさ。絶対的な時間と空間なんてものはどこにもなくて、それを確認できているやつにだけ意味を持つ、あやふやなものっていうことになる。」
「目に見えるものだけがすべて……。」

続く ...

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