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白昼夢  a d a y d r e a m


 海辺の国道を走る赤のオープンカー。水面を反射する太陽光がひどくまぶしいが、海風は心地よい。
 昼食のあと、男はオレを半ば強引に車に乗せ、行き先を告げずに走り出した。
「もう少しつき合ってもらうよ。」
「もう少しって?」
「日没まで。」
 彼がそう答えてから四十分弱、オレたちは会話らしい会話をしていなかった。
「今、トリップしてた?」
 突然彼が口を開いた。またオレの気持ちが飛んでいたことを指摘しているのだが、追求する口調ではない。
「ちょっと考えごとを。」
「そんなに考えてもらえるなんて、きみの彼氏は幸せだなあ。」
「だからちがうって。」
 天気も上々なのにほとんど車通りがないのが不気味だ。町並みを抜けてからは一度もすれ違う車がなかった。海沿いの道は不安になるほどまっすぐで果てしない。走り続けているのにずっと景色が変わっていない、そんなばかげた考えに飲まれそうになる。この道には終わりがないのだろう。循環していて、まるでメビウスの輪のように……。
 ふとある思いにかられて、後ろを見た。どこを走っていても大差がなかった景色が確実に遠のいていくのがわかる。車は前進している。当たり前なことだが少し安心した。
「どうしたの、なにか落とした?」
 オレの様子に彼が気づかい、そのまま徐行体制に入った。
「なんでもありません。ふつうに走ってください。」
 再びスピードに乗った車がなにごともなかったかのように疾走する。
「ちょっと確認してみただけです。」
「なにを?」
 きかれたことにふつうに答えるべきなのだろうが、オレが考えていたことはある意味幼稚でばかげていた。こんなことをいったら、どういう顔をされるのだろう。
「道が消えていないか。」
「?」
 案の定怪訝そうな顔をされた。予想通りすぎておかしい。
「昔、あるヒトにいわれたんですよ。ものは相対するときだけ存在している、見えないものの存在を証明することはできない、って。あまり景色が単調だから、それを思い出して。」
「……通りすぎた景色は存在を確認できないから?」
「それにオレが確認できているものでも、あなたがそれを見ていなければ、あなたにとってそれは存在していないことになる。」
「つまり……」
「それは観測者にしか絶対ではない。」
 彼が左手をあごに当ててしばし考えている。だが気づいたのだろう、やがて口を開いた。
「それって『相対性理論』のことじゃないかな?」
「正解。」
 奴との酒呑み談議から千数百年、酔っ払いの戯言は『相対性理論』という名で発表された。おかしなはなしだ。これではチンピラ妖怪の脳みそとアインシュタインの頭脳が同レベルということになってしまうのだから。しかし、なぜ奴はそんなことを考えていたのだろう。どの時代にもひねくれた考えをする者のひとりやふたりはいるといってしまえばそれまでなのだが。いや、知っていた……?まさか、そんなことはありえない。時間がさかのぼりでもしないかぎり無理だ。あるいは時間が循環していて、まるでメビウスの輪のように……?
「それをいっていたのが例の彼氏?」
「彼氏ではないですけど。ところで、どこまで行くんですか?」
「人気(ひとけ)のないところ。」

 ほんとうに人気がなかった。
 到着した海岸には海水浴はおろか、散歩をする人影さえない。それに真っ白な砂浜には漂着した木の枝が散乱しているものの、人工的なゴミはなにひとつ落ちていない。
 太陽がかたむきかけている。
 オレは砂浜に腰をおろして、まぶしい水平線の彼方を眺めた。ゆるやかな風が流れる。
「またなにか考えてる?」
 背後に立った男が、同じように海を遠くに見つめていった。
「なにも考えていない。」
 正確にいうと、なにも考えられなかった。今まで頭の中を駆け巡っていた昔の記憶。不思議とこの場所ならあいまいな記憶がなにもかも思い出せるような気がする。しかし、なにもかもを思い出してしまうことを心が拒否している。どっちつかずのまま、どこに気持ちを置いたらいいのかがわからなかった。
 今日はおかしな日だ。誰だかわからないヒトを待っていたり、誰だかわからないヒトについてこんなに遠くまできたり。そして奴のことばかり思い出している。ずっと昔のはなしだ。そえゆえにずっと忘れていた。ずいぶん世話になったな。口と性格が粗悪だったが、あんな妖怪は見たことがないというくらいお人好しだった。
 そうだ、奴はオレの……。
 オレにとっての……。

「……思い出したいことが、思い出せないんだ。」
 なぜこんなことをいい出しているのだろう。
「なにかがひっかかっていて、それ以上前に出てこようとしない……。」
 海から目が離せない。あんなに高かった太陽が今はこんなに低くて……。
 たぶんこれは独り言なんだろう。誰かにきいてほしいのではなくて、むしろ誰にも干渉されたくない、触れられたくない、自分でさえ触れたくない、あいまいでバランスがとれていなくて、今にもくずれそうな……。
「とてもよく知っているはずなのに、明確なことがなにひとつ思い出せない。どんな会話をして、そのときそのヒトがどんな表情をして、オレのことをばかにしたり、笑い飛ばしたり、詳細な、忘れてしまうほうが自然なはずのことばかりが思い出されて、そのヒトがどんな顔をしていたのか、どんな声をしていたのか、オレがそのヒトをなんて呼んでいたのか、そんな些細なことがいつまでもくもったままで……。」
 ぽんと頭に右手が乗せられた。男が傍らにしゃがみ込む。
「……例の彼氏のこと、だね。」
 だまってうなずく。
「それはいつのはなしなの?」
「ずっとむかし。」
 そう、ずっとむかしだ。生きていくために必死だったころ。ただのごろつきにすぎない、強者でも弱者でもなかったころ。あれは何年前だ?
「十年とか?」
「いや、もっと前……。」
 千年以上になるはずだ。そうだ、千二百年、そのくらい前だ。
『なにをしていたんだろうね、そのころ。』
 ……千、二百年、くらい……?
「どんなヒトだったの?」
「とても世話になったんだ。いろんなことを教えてもらった。」
 奴のおかげでオレは強くなった。生きるための知識をすべて与えられ、その代償を求められたことは一切なかった。考えてみればバカな奴だ。敵に情けをかけたとしてもなんの見返はない。生かしておけばいつかは敵にまわる。あの世界ではそれがの暗黙のルールなのだ。何度かオレは奴にそう忠告したことがあった。しかし奴はまったく取り合わなかった。「それもいいさ。」、そんなことばで相手にされず、あげくの果てには「おお、敵になれ。俺を殺しに来い。たたきのめしてやるぜ。」と笑う。ずいぶんとばかにされたものだ。
「もうずっと会っていない。」
「その彼とはその後どうなったの?」
 わからない。どんな別れかたをしたのかなんて忘れてしまった。自分でもそう答えるつもりで口を開いた、そのはずだった。しかし、からだはオレの意思とは関係なくことばを発する。
「殺した。」
 一瞬、自分がなにをいっているのかわからなかった。
 殺した?
 オレが、奴を?
 ……殺、した。

 首の左側、なにか細いものが突きつけられている。
 ボールペン……?
 ちょうど動脈のところ、頚動脈。
 ……動くことができない。一瞬でも隙を見せれば一気に貫かれるだろう。
 恐ろしいまでの殺気。

「やっと思い出したな、蔵馬。」

続く ...

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